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第3章
血塗られた赦し
しおりを挟むドクドクと熱いものが腹から溢れ出す感覚と共に、ユリウスの耳に届いたのは、レオナルドの悲痛な叫び声だった。
「ユーリ!!」
世界が歪み、遠ざかっていく。
視界の端では、この騒ぎに乗じて逃げようとする者たちを取り押さえるように、獅子騎士団の騎士たちが怒号を上げて動いているのがぼんやりと見えた。
彼らはもう逃げられない。カイエンとレオナルドが、正しく裁いてくれるはずだ。
ガクリ、と膝から力が抜け、崩れ落ちそうになるユリウスの身体を抱き留める者がいた。
腹を刺した張本人である、ルシエルだ。
「………すまない、ユリウス、……許してくれ……」
震える声で、彼は泣いていた。
こんなに深く腹を刺し、致命傷を与えておいて、今更許しを乞うなんて。
なんて身勝手で、支離滅裂な男なのだろう。
遠のいていく意識の中で、血を吐きながらユリウスは呆れたように思った。
だが、不思議と怒りは湧かなかった。
目の前で涙を流すこの男は、この十年間、ただひたすらにユリウス一人に執着し続けた、哀れな傀儡の人形だ。
ユリウスは最後の力を振り絞り、血に濡れた手を伸ばした。
そして、ルシエルの濡れた頬をそっと撫でた。
「…………ルシエル様…………、許して、さしあげます…………」
聖母のような穏やかな声で、そう告げた。
遠のく意識の中、これから自分と共に死にゆくであろうルシエルへの、せめてもの手向けだった。
長い間どれだけ求められても、身体を許しても、心だけは決して渡してやることができなかった、そのお返しとして。
(……貴方を恨んではいません)
ルシエルもまた、国の中枢に巣食う怪物たちによる策略の被害者だったのだ。
彼がその手を伸ばし続け、欲したのはユリウスただ一人で、彼の本当の意思で国やカイエンを害したいと望んだことは一度もなかった。
ただ、怯えていただけだ。
だから、その被害者の一人である自分が、許してやろうと思った。
「…………!」
ルシエルは目を見開き、そして震える手で頬に触れるユリウスの手を包み込んだ。
「…………ユリウス、すまない……ありがとう」
憑き物が落ちたように微笑んだ。
そして。
ルシエルはそのまま、騒ぎの中で誰かの騎士が落としたのか、足元に転がっていた護身用の短刀を素早く拾い上げた。
ヒュッ。
迷いはなかった。ルシエルは自らの首筋に刃を当て、一息に切り裂いた。
鮮血が噴き出す。
支えを失ったルシエルの身体が崩れ落ち、抱き留められていたユリウスの身体もまた、重力に従って冷たい石床へと叩きつけられそうになった。
だが、その瞬間。
誰かが、滑り込むようにしてユリウスの身体を抱き留めた。
「――ッ、ユーリ!!」
必死に名を呼ぶ声。
意識はほとんどなく、目も見えない。
けれど、鼻腔をくすぐるその匂いで、誰なのか……ユリウスにはすぐに分かった。
鉄と、夜の闇と、安らぎの香り。
(……ああ、レオだ)
愛する人の腕の中で死ねる。
その確信が、急速に体温が失われ、死に近づいていくユリウスには、何よりの幸せだった。
痛みも恐怖も、彼の温もりが消し去ってくれる。
ただ、一つだけ。
胸に残る思いがあった。
(……ようやく、自分の幸せのために、愛する人と共に生きることを選んだのに)
十年の時を経て、やっと手を取り合えたのに。
それを叶えることは、もうできない。
共に生きようと言ってくれた彼の願いを、叶えてあげられない。
無念と、深い後悔だけが、涙となって閉じた瞳から溢れ落ちた。
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