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ここは息苦しく私にとってまるで箱庭のようだった。
オブシディアン家に身を置いているのの家の者の特徴である金髪碧眼、どちらとも持ち合わせてはいない。黒髪に紫の瞳、どこをたどっても誰も持っていなかった色は真っ先に部外者なのではと疑われた。私の知ったところではない。母親は知らず孤児院で過ごしていると突然オブシディアン家の主だと名乗る男が私を引き取りに来たのだ。お前は由緒正しき血筋であると、どの口が言うのだと思い出す度に笑ってしまう。結局私は外でつくった子だったのだろう。
ならばなぜその男が迎えに来たのか、母親がいない私を憐れんで迎えに来たのか。いいや違う、男は利己的な人間だった。使えるものは何でも使おうとする人間だった。そうなると答えは簡単――私を引き取ったのではない、『道具』を取りに来たに過ぎなかったのだ。
そうしてこの家に置かれるようになってもうすぐ十五年を超える。それまでずっと何をされるわけでもなく、ただ『置かれている』だけ。ただしいつか使うときのためにと食事は与えられていた。他のオブシディアンの娘が食べているような贅沢なものではない、ただやせ細らないよう最低限の食事ではあったがそれもないよりはマシだった。
金髪碧眼の娘たちは由緒正しき家に嫁いでいく。彼女たちを迎えに来た誰もがその美しさに見惚れるのだ。まるで宝物のように大切に扱いお姫様を迎えに来た王子のように彼女たちを連れて行く。そうして残ったのは私だけ。
そうして箱庭にただ置かれるだけの時を過ごしたあと、等々私の役目がやってきた。
この鉱山の国ミニエラに隣接するフィス共和国。その国は自然豊かなところではあり資源が枯渇することはなかったが、武器防具に使う石だけは発掘できなかった。近隣に他の国いつどこで戦が起こるかわからない。フィス共和国は中立を保ち戦を好まない、穏やかな国だと聞いていたがそんな国に誰も攻め込まないという保証もない。その自衛のために必要なものがここミニエラ国にはあった。
「フィス共和国の公爵、ダリル・マルス・ヘリオドールがお前をもらい受けると言う」
「わかりました」
拒否権などない、そのために置かれていたのだから。
『結婚』など、言葉はいいがようは契約を交わすための道具に過ぎない。オブシディアンの主はそのつもりで、そして向こうの公爵もそれをわかっている。フィス共和国は多くの石を手に入れ、ミニエラ国はその見返りに多くの資源を手にする。その契約を済ませ取引が終わると私の役目はそこで終わるのだ。
必要な物は持ち込んでも構わない、フィス共和国はそう言ったそうだが私物などほぼないに等しい私にとって持ち込む物はトランク一つで収まった。今まで乗ったこともない馬車に乗り、誰の見送りもなくミニエラ国をあとにする。もう二度と戻ってくることはないであろう母国に、思い入れなどなかった。
「……美しい国ね」
国境を越えればすぐに美しい景色が広がる。鉱山に囲まれているミニエラ国とは正反対に、自然豊かなこの場所は緑が見事に映えていた。
馬車はヘリオドール家の屋敷に向かうことなくそのまま外れの小さな教会へと向かう。木々に囲まれまるで覆い隠されているようにひっそりと佇む教会。止まった馬車のドアは開かれ花嫁用のベールだけ手渡された。馬車から降りたときももちろん、教会のドアを開けるのも誰かがやってくれるわけでもなく自分の手で取っ手を押す。ギィ、と随分と軋んだ音を聞きつつ視線を前に向ければ正装ではなく恐らく普段着ているであろう服で佇むダリル・マルス・ヘリオドールの姿。
この場には新郎となる男と新婦となる女、そして神父その三人しかいない。誰にも祝福されることもない簡素な結婚式。愛の言葉も指輪の交換もない、誓いの言葉も「愛することを誓いますか」ではなく「支えることを誓いますか」とまるで契約のようなものだった。
数分にも満たない結婚式を終えれば夫婦になったというのに別々の馬車に乗り込み屋敷に向かう。ヘリオドール公爵から掛けられた言葉などもなく、屋敷にたどり着けば挨拶もそこそこに早速自分の部屋に案内された。
フィス共和国に来る前に何か要望があるかと使者から聞かれたときはあった。別に大して期待はしていなかったけれど、ただ一つだけ、部屋は要望通りに整えてほしいとだけ頼んだ。
大きな窓があり、近くに川が流れている。ヘリオドール家の屋敷の傍に川が流れていると聞いたからそれならばとお願いした。案内された部屋は要望通りの部屋、これを叶えてくれただけで十分だとメイドから礼を言いつつトランクを受け取り早速窓を開けた。爽やかな風が吹いていて自然豊かな場所だからこそこれだけ清々しいのだと大きく深呼吸をする。
「お食事はどう致しますか?」
「疲労もありますし、部屋で食べます。持ってきてもらうことは可能でしょうか」
「もちろんです。すぐお持ち致します」
「ありがとうございます」
そうして私の箱庭はミニエラ国からフィス共和国へと移った。
何も望んではいない、何も期待していない。これは『結婚』ではなく『契約』であり私はその道具に過ぎない。
ヘリオドール公爵からの愛情をもらえるなんてまったく思ってもいない。彼だってやむを得ない結婚だったのだから。大きな窓から外を眺めてみれば庭を歩いているヘリオドール公爵……と、その隣に可愛らしい女性が楽しげに歩いている。メイドに聞いたけれど彼女はヘリオドール公爵の幼馴染らしい。きっと私が来なければあの二人が結婚していたに違いない。そう思わされる場面はいくつもあった。
「オブシディアン様、お茶をお持ちしました」
「ご用があれば声をおかけください、オブシディアン様」
ここの者は皆私のことを決して「奥様」とは言わなかった。結婚したにも関わらず旧姓で私のことを呼ぶ。つまり屋敷の者たちもこの結婚には納得もしていなければ不満に思っている者がいるということだ。なぜ幼馴染であるセレネ・モルガナイト様ではなく隣国の見知らぬ娘なのだろうかと。
部屋から出て屋敷内を歩いているときたまたま耳にしたこともあった。まだ入ったばかりのメイドだろう、周りにいる同じ歳のメイドたちに大声を隠すことなく堂々と口にしていた。
「どうしてセレネ様ではないんですか?! お二人はあんなにお似合いなのに!」
近くを通りかかった他のメイドがそれを注意していたけれど、きっとそのメイドたちは私がその話を聞いていたことに気付いていない。けれどそれでもよかった、メイドの言葉は誰もが思うことで私自身もそう思ってしまうものだったから。
だから我慢してほしいと思った。契約が済み、取り引きが完了すればそれで終わるのだ。
部屋を開ければバサバサと音を立てながら鳥がこちらに飛んでくる。腕を差し出せばまるで止まり木のように鳥は綺麗に翼をたたみ私の腕に乗る。
「頼んだわよ、ルーニ」
私の声に反応するようにその鳥は一度頷くと再び大空に向かって飛び立つ。ミニエラ国にもフィス共和国にも私の味方なんていない。いるとしたら、私の言葉を理解して動いてくれるあの子たちだ。多くは望まない、望んでいるのはただ一つだけ。
お食事は如何しますか。ありがとう、自室で食べます。
今日はいいお天気ですよ。体調が優れないから部屋で読書します。
お掃除致しましょうか。自分でできるから大丈夫です、湯浴みも自分でします。
メイドたちに何かを言われる度にそう返す。とにかく部屋から出ないこと、余計な世話を増やさないこと。そういう態度を撮り続けていたら一人また一人と部屋にやってくるメイドが減り、最終的には食事を運んできてくれるだけであとは誰もそこのドアを開けることはなかった。そう、それでいい。誰も好きでもない人間の世話などしたくはないだろう。
取り引きが終わるまで恐らくあと一週間と言ったところか。それまでの辛抱だと今日もドアを開けあの子の帰りを待つ。見えた翼に腕を差し出し、指示を出してまた飛び立つあの子を見送る。私にも翼があればああやって自由に空を飛ぶことができるのかしら、と羨ましく思ったこともあったけれど。でもどう足掻いても私に翼はなくその代わりに足がある、空は飛べず地を這うしかない生き物だ。この事実はどうしようもない。
部屋の中で他にやることもなくよく窓の外を見ていたせいか、そこから見える景色にも慣れてしまった。相変わらず仲良く歩いている二人の姿。あの二人にも申し訳ないことをしている。契約なんてものがなければきっと今頃、この屋敷で二人を祝福し幸せな時間を過ごしていただろうに。
そうして変わらない一週間を過ごしたある日、いつもより屋敷の中が慌ただしかった。そろそろ来るか、と思った瞬間ノックがなり開け放った窓の前に立っていた私は顔を上げ視線を向ける。
「少しいいか」
結婚してから初めて声を耳にした。低くけれどもどこか柔らかさも持っている、金髪碧眼の彼は今まで一度も顔も目も合わせることのなかった私を真っ直ぐに見据えていた。
「ようやくミニエラ国との取り引きが終わった」
「そうですか」
「……だから、今度こそ君を」
「はい。お捨てください、公爵様」
ヘリオドール公爵が口にする前に私が口にする。別にいらぬプライドなんかではない、手を煩わせたくはなかっただけだ。
けれど、なぜか。私がそう口にした途端ヘリオドール公爵は顔を歪め固まった。何かまずいことを言ったわけではないのにおかしな反応に内心首を傾げながらも、構うことなく言葉を続ける。
「使い切った『道具』を残しておく理由はありません、邪魔になるだけです。なので捨てるのですよね、公爵様」
「……何を、言って」
「……? どうかされましたか公爵様。何か契約に不都合なことでも? 『勝手に道具を捨てるな』と追記されましたか」
それはあり得るかもしれない。利己的なオブシディアンだ、もしや使い切った道具にもまだ何か使い道はあるかもしれないとでも思ったのだろうか。
「『道具』とは、一体なんのことだ」
「私に説明させるつもりですか?」
もしかして公爵なりの仕返しなのだろうか、大切な人を『結婚』という名で傷付けたことへの。確かにそれは悪いとは思っている、けれど私にはどうしようもなかった。あの箱庭にいた理由はただ一つしかないのだから。
「『契約』を交わすための『道具』でしょう、私は」
私の存在意義はそれしかなかったのだから。
「『道具』に食事を与えてくださって感謝しております。部屋も、希望通り叶えてくれて。おかげで捗りました」
後ろから強い風が拭く。カーテンははためき公爵は顔に当たる風に目を細めていた。腕を差し出せばいつものように、愛鳥のルーニが飛んでくる。
「お手を煩わせません。自分の処理は自分でします」
このための大きな窓だった。少しでも重心を後ろに傾けばあっという間だろう。
『道具』として、これ以上何も言わずに処分されるのが一番いいというのはわかっている。けれど――『ロザリア』として、どうしても彼に一言だけ言いたいことがあった。
「約束を守ってくれてありがとう、マルス」
ふわりと身体が宙に浮く。重力に逆らうことなく身体がそのまま下に引っ張られる。私がさっきまで部屋の窓から、叫び声と伸ばされている手が見えたような気がしたけれど。
きっと気のせいだろう。
オブシディアン家に身を置いているのの家の者の特徴である金髪碧眼、どちらとも持ち合わせてはいない。黒髪に紫の瞳、どこをたどっても誰も持っていなかった色は真っ先に部外者なのではと疑われた。私の知ったところではない。母親は知らず孤児院で過ごしていると突然オブシディアン家の主だと名乗る男が私を引き取りに来たのだ。お前は由緒正しき血筋であると、どの口が言うのだと思い出す度に笑ってしまう。結局私は外でつくった子だったのだろう。
ならばなぜその男が迎えに来たのか、母親がいない私を憐れんで迎えに来たのか。いいや違う、男は利己的な人間だった。使えるものは何でも使おうとする人間だった。そうなると答えは簡単――私を引き取ったのではない、『道具』を取りに来たに過ぎなかったのだ。
そうしてこの家に置かれるようになってもうすぐ十五年を超える。それまでずっと何をされるわけでもなく、ただ『置かれている』だけ。ただしいつか使うときのためにと食事は与えられていた。他のオブシディアンの娘が食べているような贅沢なものではない、ただやせ細らないよう最低限の食事ではあったがそれもないよりはマシだった。
金髪碧眼の娘たちは由緒正しき家に嫁いでいく。彼女たちを迎えに来た誰もがその美しさに見惚れるのだ。まるで宝物のように大切に扱いお姫様を迎えに来た王子のように彼女たちを連れて行く。そうして残ったのは私だけ。
そうして箱庭にただ置かれるだけの時を過ごしたあと、等々私の役目がやってきた。
この鉱山の国ミニエラに隣接するフィス共和国。その国は自然豊かなところではあり資源が枯渇することはなかったが、武器防具に使う石だけは発掘できなかった。近隣に他の国いつどこで戦が起こるかわからない。フィス共和国は中立を保ち戦を好まない、穏やかな国だと聞いていたがそんな国に誰も攻め込まないという保証もない。その自衛のために必要なものがここミニエラ国にはあった。
「フィス共和国の公爵、ダリル・マルス・ヘリオドールがお前をもらい受けると言う」
「わかりました」
拒否権などない、そのために置かれていたのだから。
『結婚』など、言葉はいいがようは契約を交わすための道具に過ぎない。オブシディアンの主はそのつもりで、そして向こうの公爵もそれをわかっている。フィス共和国は多くの石を手に入れ、ミニエラ国はその見返りに多くの資源を手にする。その契約を済ませ取引が終わると私の役目はそこで終わるのだ。
必要な物は持ち込んでも構わない、フィス共和国はそう言ったそうだが私物などほぼないに等しい私にとって持ち込む物はトランク一つで収まった。今まで乗ったこともない馬車に乗り、誰の見送りもなくミニエラ国をあとにする。もう二度と戻ってくることはないであろう母国に、思い入れなどなかった。
「……美しい国ね」
国境を越えればすぐに美しい景色が広がる。鉱山に囲まれているミニエラ国とは正反対に、自然豊かなこの場所は緑が見事に映えていた。
馬車はヘリオドール家の屋敷に向かうことなくそのまま外れの小さな教会へと向かう。木々に囲まれまるで覆い隠されているようにひっそりと佇む教会。止まった馬車のドアは開かれ花嫁用のベールだけ手渡された。馬車から降りたときももちろん、教会のドアを開けるのも誰かがやってくれるわけでもなく自分の手で取っ手を押す。ギィ、と随分と軋んだ音を聞きつつ視線を前に向ければ正装ではなく恐らく普段着ているであろう服で佇むダリル・マルス・ヘリオドールの姿。
この場には新郎となる男と新婦となる女、そして神父その三人しかいない。誰にも祝福されることもない簡素な結婚式。愛の言葉も指輪の交換もない、誓いの言葉も「愛することを誓いますか」ではなく「支えることを誓いますか」とまるで契約のようなものだった。
数分にも満たない結婚式を終えれば夫婦になったというのに別々の馬車に乗り込み屋敷に向かう。ヘリオドール公爵から掛けられた言葉などもなく、屋敷にたどり着けば挨拶もそこそこに早速自分の部屋に案内された。
フィス共和国に来る前に何か要望があるかと使者から聞かれたときはあった。別に大して期待はしていなかったけれど、ただ一つだけ、部屋は要望通りに整えてほしいとだけ頼んだ。
大きな窓があり、近くに川が流れている。ヘリオドール家の屋敷の傍に川が流れていると聞いたからそれならばとお願いした。案内された部屋は要望通りの部屋、これを叶えてくれただけで十分だとメイドから礼を言いつつトランクを受け取り早速窓を開けた。爽やかな風が吹いていて自然豊かな場所だからこそこれだけ清々しいのだと大きく深呼吸をする。
「お食事はどう致しますか?」
「疲労もありますし、部屋で食べます。持ってきてもらうことは可能でしょうか」
「もちろんです。すぐお持ち致します」
「ありがとうございます」
そうして私の箱庭はミニエラ国からフィス共和国へと移った。
何も望んではいない、何も期待していない。これは『結婚』ではなく『契約』であり私はその道具に過ぎない。
ヘリオドール公爵からの愛情をもらえるなんてまったく思ってもいない。彼だってやむを得ない結婚だったのだから。大きな窓から外を眺めてみれば庭を歩いているヘリオドール公爵……と、その隣に可愛らしい女性が楽しげに歩いている。メイドに聞いたけれど彼女はヘリオドール公爵の幼馴染らしい。きっと私が来なければあの二人が結婚していたに違いない。そう思わされる場面はいくつもあった。
「オブシディアン様、お茶をお持ちしました」
「ご用があれば声をおかけください、オブシディアン様」
ここの者は皆私のことを決して「奥様」とは言わなかった。結婚したにも関わらず旧姓で私のことを呼ぶ。つまり屋敷の者たちもこの結婚には納得もしていなければ不満に思っている者がいるということだ。なぜ幼馴染であるセレネ・モルガナイト様ではなく隣国の見知らぬ娘なのだろうかと。
部屋から出て屋敷内を歩いているときたまたま耳にしたこともあった。まだ入ったばかりのメイドだろう、周りにいる同じ歳のメイドたちに大声を隠すことなく堂々と口にしていた。
「どうしてセレネ様ではないんですか?! お二人はあんなにお似合いなのに!」
近くを通りかかった他のメイドがそれを注意していたけれど、きっとそのメイドたちは私がその話を聞いていたことに気付いていない。けれどそれでもよかった、メイドの言葉は誰もが思うことで私自身もそう思ってしまうものだったから。
だから我慢してほしいと思った。契約が済み、取り引きが完了すればそれで終わるのだ。
部屋を開ければバサバサと音を立てながら鳥がこちらに飛んでくる。腕を差し出せばまるで止まり木のように鳥は綺麗に翼をたたみ私の腕に乗る。
「頼んだわよ、ルーニ」
私の声に反応するようにその鳥は一度頷くと再び大空に向かって飛び立つ。ミニエラ国にもフィス共和国にも私の味方なんていない。いるとしたら、私の言葉を理解して動いてくれるあの子たちだ。多くは望まない、望んでいるのはただ一つだけ。
お食事は如何しますか。ありがとう、自室で食べます。
今日はいいお天気ですよ。体調が優れないから部屋で読書します。
お掃除致しましょうか。自分でできるから大丈夫です、湯浴みも自分でします。
メイドたちに何かを言われる度にそう返す。とにかく部屋から出ないこと、余計な世話を増やさないこと。そういう態度を撮り続けていたら一人また一人と部屋にやってくるメイドが減り、最終的には食事を運んできてくれるだけであとは誰もそこのドアを開けることはなかった。そう、それでいい。誰も好きでもない人間の世話などしたくはないだろう。
取り引きが終わるまで恐らくあと一週間と言ったところか。それまでの辛抱だと今日もドアを開けあの子の帰りを待つ。見えた翼に腕を差し出し、指示を出してまた飛び立つあの子を見送る。私にも翼があればああやって自由に空を飛ぶことができるのかしら、と羨ましく思ったこともあったけれど。でもどう足掻いても私に翼はなくその代わりに足がある、空は飛べず地を這うしかない生き物だ。この事実はどうしようもない。
部屋の中で他にやることもなくよく窓の外を見ていたせいか、そこから見える景色にも慣れてしまった。相変わらず仲良く歩いている二人の姿。あの二人にも申し訳ないことをしている。契約なんてものがなければきっと今頃、この屋敷で二人を祝福し幸せな時間を過ごしていただろうに。
そうして変わらない一週間を過ごしたある日、いつもより屋敷の中が慌ただしかった。そろそろ来るか、と思った瞬間ノックがなり開け放った窓の前に立っていた私は顔を上げ視線を向ける。
「少しいいか」
結婚してから初めて声を耳にした。低くけれどもどこか柔らかさも持っている、金髪碧眼の彼は今まで一度も顔も目も合わせることのなかった私を真っ直ぐに見据えていた。
「ようやくミニエラ国との取り引きが終わった」
「そうですか」
「……だから、今度こそ君を」
「はい。お捨てください、公爵様」
ヘリオドール公爵が口にする前に私が口にする。別にいらぬプライドなんかではない、手を煩わせたくはなかっただけだ。
けれど、なぜか。私がそう口にした途端ヘリオドール公爵は顔を歪め固まった。何かまずいことを言ったわけではないのにおかしな反応に内心首を傾げながらも、構うことなく言葉を続ける。
「使い切った『道具』を残しておく理由はありません、邪魔になるだけです。なので捨てるのですよね、公爵様」
「……何を、言って」
「……? どうかされましたか公爵様。何か契約に不都合なことでも? 『勝手に道具を捨てるな』と追記されましたか」
それはあり得るかもしれない。利己的なオブシディアンだ、もしや使い切った道具にもまだ何か使い道はあるかもしれないとでも思ったのだろうか。
「『道具』とは、一体なんのことだ」
「私に説明させるつもりですか?」
もしかして公爵なりの仕返しなのだろうか、大切な人を『結婚』という名で傷付けたことへの。確かにそれは悪いとは思っている、けれど私にはどうしようもなかった。あの箱庭にいた理由はただ一つしかないのだから。
「『契約』を交わすための『道具』でしょう、私は」
私の存在意義はそれしかなかったのだから。
「『道具』に食事を与えてくださって感謝しております。部屋も、希望通り叶えてくれて。おかげで捗りました」
後ろから強い風が拭く。カーテンははためき公爵は顔に当たる風に目を細めていた。腕を差し出せばいつものように、愛鳥のルーニが飛んでくる。
「お手を煩わせません。自分の処理は自分でします」
このための大きな窓だった。少しでも重心を後ろに傾けばあっという間だろう。
『道具』として、これ以上何も言わずに処分されるのが一番いいというのはわかっている。けれど――『ロザリア』として、どうしても彼に一言だけ言いたいことがあった。
「約束を守ってくれてありがとう、マルス」
ふわりと身体が宙に浮く。重力に逆らうことなく身体がそのまま下に引っ張られる。私がさっきまで部屋の窓から、叫び声と伸ばされている手が見えたような気がしたけれど。
きっと気のせいだろう。
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