クローバー

鹿ノ杜

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五十嵐純と水木夏菜子 10

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 クローバーに帰って、そのまま自室にこもり、ベットの中で丸くなる。二、三日、大学をさぼって、僕は眠り続ける。世はこともなし、何一つ変わらないまま回り続けるんだろうなって思えて、かなこさんの言う通りだ。寂しいな。
 時おりリビングに出て、テレビをつけてみる。偶然、見た昼のニュース番組で、これからあの震災のときの映像が流れます、と男性アナウンサーが告げて、津波の映像が流れる。津波の映像自体にも、そういった断りの文句が必要な映像を見ていることにも、動揺を覚える。きみたちは傷ついているのでしょうと、見えない傷を押しつけられているような。確かに傷ついた人はたくさんいる。大切な人を失った、多くの人がいる。世界のあり方が変わってしまったような気さえする。絆、絆と世界が言って……僕は、僕たちは、傷ついている。
 かなこさん。ありがとうも、おめでとうも言えないままだ。初めて飲みに行った帰り道で、かなこさんとたいやきを食べたことを思い出す。あのとき言えなかったことを、今もまだ、言えないままでいる。
 駅前から商店街を抜けて、大学まで続く通りにたいやき屋があって、僕はそれまで一度もそのたいやきを食べたことがなかった。あんこがぎっしりつまってるから、うまく食べないとあんこがあふれてくるんだよ、とかなこさんが言って、先に食べ始めた。僕も続いてかぶりついた。ほどよく甘いあんこと皮の生地の香ばしさ。甘くて、温かいから、自然と笑顔になる。かなこさんも笑顔になった。幸せな記憶しか思い出せない。都合よく切り取られている、あるいは、つらい記憶も、時の流れの中で、癒され、姿かたちを変えているのかもしれない。
 やっぱり僕は、気づけばかなこさんのことばかり考えている。好きだったという記憶は残るけど感情は消えてしまう。いつの日か、そういう魔法にかかるまで。
 夜、部屋中の明かりを消して一人でベランダに佇んでいると、やっさんが帰ってきて悲鳴を上げる。
「びっくりした。誰もいないかと思ったよ」
 笑いながらやっさんもベランダに出てきて、飲む? と缶ビールを差し出す。心地いい音で缶ビールが開いて、ああ、やっぱりまだ涙が出そうだ。
「かまってほしそうに見えました?」
 と、聞く。
「見えたよ」
 二人で並んで夜景を眺める。東京の夜景だ、と思う。明かりの下に人の生活の一つひとつがあって、笑ったり泣いたり、それがとてもきれいなんだ。
「東京のいいところって、ほどよい距離感だと思うんです。一人になりたいときは放っておいてくれるし、かまってほしいときには誰かがいる」
 まるで、マンションの一室をシェアしているように。
「誰かにアドバイスをしてほしいときもあれば、何も言わずにただそばにいてほしいときとか、他愛もないおしゃべりをしたいときとか」
「わかるよ」
 と、やっさんが言う。
「たぶんさ、みんな、寂しいんだよ」
 やっさんの言葉は、今まで探し続けていた言葉のように思える。
「何か不安なことでもあるの?」
「不安……そうですね、不安なのかもしれません」
「今、不安なのはさ、自分の気持ちばっか考えてるからじゃないの?」
 また泣きそうになる。僕はこの一年ですっかり泣き虫になった。
 暗闇に目が慣れてくると東京の夜空でも星が見える。きれいだ。あの夜、僕たちが見上げた夜空でなくとも。僕がいなければたった一人だ、というかなこさんの言葉の意味を考える。東京の夜はきれいで、寂しいものだ。
 かなこさんのために、僕は何ができるのだろう。

 夢を見た。現実ではかなこさんとできなかったことを、思い出している夢だ。決して出会うことのなかったかなこさんとの未来の日々が、まるで過去を思い出すように浮かんできて、やたらと幸せだった。あまりに幸せだったから、目が覚めても夢と現実の区別がつかないまま、しばらく涙が止まらなかった。
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