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五十嵐純と水木夏菜子 11
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久しぶりに大学に行って、学食で岡田を待つ。二限目が終わり、列をつくり始めた学生の中に彼の姿を見つけて、中庭に連れ出す。岡田は呑気に笑っている。
「よお、講義さぼってたろ? 珍しいな」
「まあね。あのさ、この前言ってた、短期間で稼げるっていうアルバイトの話、聞かせてほしいんだけど」
「ああ、もちろんいいよ。実はな、新宿でする、夜の仕事なんだ」
「は?」
「ごめんごめん。正確には、新宿駅で、だ。それよりどうしたんだ急に。愛する人のために夜の世界に身を投じるってやつか? すばらしいねえ。青春だ」
「まあ、そんなところだよ」
「そんなところか」
岡田は楽しそうに笑う。
「それって、最近、講義をさぼってたことと何か関係ある?」
「なくはない」
僕は困ったように笑う。
「まあ、それ以上は何も聞かないでおくよ。おれっていいやつだろ?」
「だから、台無しだって」
その後、岡田からアルバイトの簡単な説明を受けて、早ければ今夜にでも来てかまわないというから、二つ返事で引き受ける。
夜更けを待つ。終電後の新宿駅で待ち合わせをしているから、新宿行きの最終電車に乗り込む。初めての体験だ。時おりすれ違う、反対方向に行く車両にはぎっしり人が乗っているのに、僕が乗る車両にはほとんど人の姿はなく、駅を通り過ぎるにつれて、現実の世界から段々と離れていくような気がしてくる。
新宿駅に着く。人気のないホームは妙に音が響いて、数えるほどしかいなかった乗客は瞬く間に姿を消す。改札の前に岡田がいて、安堵して、眠い、とあくびを漏らす。従業員用通路にある更衣室で蛍光色の作業服に着替えて、さっき降り立ったホームまで戻ると、すでに何人かの作業員の姿があって、その中の一人、たぶんリーダー役のおじさんが先頭を切って、開いたままのホームドアの間から線路に降りる。僕たちも続いて、ホームから薄暗いトンネルの中に進む。それはまるで、夜の東京の地下世界を彷徨う亡霊の群れのようで、少し不気味で、とてもわくわくする。こうして僕の、線路メンテナンスのアルバイトが始まる。
「実は、ほしいものがあるんだ」
岡田に向けて小さく話した声がトンネルの中に響き渡る。
「働く理由ってそういうことでしょ」
と、岡田が答えた声も響く。
「うーん。でもさ、ほしいものなんて、これまでなかったんだけど」
「ないわけないさ。気づかなかったか、気づかないふりをしてきただけだ」
「そっか。うん、そうかもしれない」
まっすぐに伸びる地下線路を進む。等間隔に配置された蛍光灯やヘッドライトの明かりが反射ベストにちらちら映って、地下にいるのに夜空みたいな光景だ。そのうちにテストハンマーでレールを叩く打音検査が始まり、銅製のハンマーヘッドと金属製のレールの鳴る音が、きんきん、ここん、と聞こえ出し、夜の隅々にまで響くようだ。
駅と駅の間に、もう使われなくなった駅のホームが資材置き場として残されている。作業箇所まで資材を運ぶのが僕に与えられた仕事で、夜の太陽のように煌々と世界を照らす投光器に見守られ、せっせと汗を流す。
何日か通っているうちに考えごとをする余裕が出てくる。夜って、考えごとをするのにぴったりの時間だ。どんなに夜が静かでも街のどこからか人が集まって、朝のラッシュが形成される。自然現象みたいなサイクルって、見ていて安心する。そんな側面があることに気づく。
例えば、震災のような大きな力が加わって、循環していた輪が壊される。でも、そうした痛みにもどこからか人が集まって、不格好にでも傷がふさがれて、また朝に向かって動き出せる。日の光を受けて輝くその場所は、きっと、以前より少し形を変えた新しい世界だ。
未来ってもっと孤独なものだと思っていた。でも、そうじゃないんだって、かなこさんに伝えたい。
始発に乗ってクローバーに帰ると、ケントさんが出勤の支度をしていて、
「朝飯、何か食べる?」
と、台所から声をかけてくれる。
「最近、頑張ってるみたいじゃん」
「ええ、まあ。あの、一つお願いがあるんですけど」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
と、本当に嬉しそうに言う。
「ちょっと、一日か二日くらい車を借りたくて」
「もちろんいいけど。どこに行くんだ?」
「ええと」
と、スマートフォンを見ながら、
「茨城、埼玉、山梨、静岡」
「いろいろ行くねえ」
ケントさんが笑う。
「気をつけて行っといで。ETCはついてるし、ガソリンは、ダッシュボードの中にカードが入ってるから、それ使っていいよ」
「いやいや、高速代とかガソリン代はちゃんと払いますよ」
「いいからいいから。じゃあ、代わりに何かお土産、買ってきてよ」
ケントさんはそう言い残して、さっさと家を出てしまう。
翌朝、まだ日が昇らないうちから出発する。目的地をぐるぐる回って、結局、二日間でも足りなくて、まあいいや、と開き直り、行く先で少し観光を楽しんだりする。
旅の途中でやっさんからメールが届く。
「かなこさんがクローバーに来たよ。ジュンに連絡しても返って来ないからって」
それを見てつらくなったけれど、帰ったら僕の方から連絡します、とだけ返す。
深夜の帰り道。首都高の湾岸線からライトアップされた東京タワーが赤く見える。誕生日ケーキのろうそくのように、夜の東京の特別なシンボルとしてそこにある。かなこさんとこういうドライブみたいなことはできなかったな、と思う。いつの日か、この光景に再び出会う。そのときは僕の隣にはかなこさんではない誰かがいて、かなこさんのことなんか思い出さなくて、きっとそうなんだろうということが……寂しいな。
「よお、講義さぼってたろ? 珍しいな」
「まあね。あのさ、この前言ってた、短期間で稼げるっていうアルバイトの話、聞かせてほしいんだけど」
「ああ、もちろんいいよ。実はな、新宿でする、夜の仕事なんだ」
「は?」
「ごめんごめん。正確には、新宿駅で、だ。それよりどうしたんだ急に。愛する人のために夜の世界に身を投じるってやつか? すばらしいねえ。青春だ」
「まあ、そんなところだよ」
「そんなところか」
岡田は楽しそうに笑う。
「それって、最近、講義をさぼってたことと何か関係ある?」
「なくはない」
僕は困ったように笑う。
「まあ、それ以上は何も聞かないでおくよ。おれっていいやつだろ?」
「だから、台無しだって」
その後、岡田からアルバイトの簡単な説明を受けて、早ければ今夜にでも来てかまわないというから、二つ返事で引き受ける。
夜更けを待つ。終電後の新宿駅で待ち合わせをしているから、新宿行きの最終電車に乗り込む。初めての体験だ。時おりすれ違う、反対方向に行く車両にはぎっしり人が乗っているのに、僕が乗る車両にはほとんど人の姿はなく、駅を通り過ぎるにつれて、現実の世界から段々と離れていくような気がしてくる。
新宿駅に着く。人気のないホームは妙に音が響いて、数えるほどしかいなかった乗客は瞬く間に姿を消す。改札の前に岡田がいて、安堵して、眠い、とあくびを漏らす。従業員用通路にある更衣室で蛍光色の作業服に着替えて、さっき降り立ったホームまで戻ると、すでに何人かの作業員の姿があって、その中の一人、たぶんリーダー役のおじさんが先頭を切って、開いたままのホームドアの間から線路に降りる。僕たちも続いて、ホームから薄暗いトンネルの中に進む。それはまるで、夜の東京の地下世界を彷徨う亡霊の群れのようで、少し不気味で、とてもわくわくする。こうして僕の、線路メンテナンスのアルバイトが始まる。
「実は、ほしいものがあるんだ」
岡田に向けて小さく話した声がトンネルの中に響き渡る。
「働く理由ってそういうことでしょ」
と、岡田が答えた声も響く。
「うーん。でもさ、ほしいものなんて、これまでなかったんだけど」
「ないわけないさ。気づかなかったか、気づかないふりをしてきただけだ」
「そっか。うん、そうかもしれない」
まっすぐに伸びる地下線路を進む。等間隔に配置された蛍光灯やヘッドライトの明かりが反射ベストにちらちら映って、地下にいるのに夜空みたいな光景だ。そのうちにテストハンマーでレールを叩く打音検査が始まり、銅製のハンマーヘッドと金属製のレールの鳴る音が、きんきん、ここん、と聞こえ出し、夜の隅々にまで響くようだ。
駅と駅の間に、もう使われなくなった駅のホームが資材置き場として残されている。作業箇所まで資材を運ぶのが僕に与えられた仕事で、夜の太陽のように煌々と世界を照らす投光器に見守られ、せっせと汗を流す。
何日か通っているうちに考えごとをする余裕が出てくる。夜って、考えごとをするのにぴったりの時間だ。どんなに夜が静かでも街のどこからか人が集まって、朝のラッシュが形成される。自然現象みたいなサイクルって、見ていて安心する。そんな側面があることに気づく。
例えば、震災のような大きな力が加わって、循環していた輪が壊される。でも、そうした痛みにもどこからか人が集まって、不格好にでも傷がふさがれて、また朝に向かって動き出せる。日の光を受けて輝くその場所は、きっと、以前より少し形を変えた新しい世界だ。
未来ってもっと孤独なものだと思っていた。でも、そうじゃないんだって、かなこさんに伝えたい。
始発に乗ってクローバーに帰ると、ケントさんが出勤の支度をしていて、
「朝飯、何か食べる?」
と、台所から声をかけてくれる。
「最近、頑張ってるみたいじゃん」
「ええ、まあ。あの、一つお願いがあるんですけど」
「なんだ? なんでも言ってみろ」
と、本当に嬉しそうに言う。
「ちょっと、一日か二日くらい車を借りたくて」
「もちろんいいけど。どこに行くんだ?」
「ええと」
と、スマートフォンを見ながら、
「茨城、埼玉、山梨、静岡」
「いろいろ行くねえ」
ケントさんが笑う。
「気をつけて行っといで。ETCはついてるし、ガソリンは、ダッシュボードの中にカードが入ってるから、それ使っていいよ」
「いやいや、高速代とかガソリン代はちゃんと払いますよ」
「いいからいいから。じゃあ、代わりに何かお土産、買ってきてよ」
ケントさんはそう言い残して、さっさと家を出てしまう。
翌朝、まだ日が昇らないうちから出発する。目的地をぐるぐる回って、結局、二日間でも足りなくて、まあいいや、と開き直り、行く先で少し観光を楽しんだりする。
旅の途中でやっさんからメールが届く。
「かなこさんがクローバーに来たよ。ジュンに連絡しても返って来ないからって」
それを見てつらくなったけれど、帰ったら僕の方から連絡します、とだけ返す。
深夜の帰り道。首都高の湾岸線からライトアップされた東京タワーが赤く見える。誕生日ケーキのろうそくのように、夜の東京の特別なシンボルとしてそこにある。かなこさんとこういうドライブみたいなことはできなかったな、と思う。いつの日か、この光景に再び出会う。そのときは僕の隣にはかなこさんではない誰かがいて、かなこさんのことなんか思い出さなくて、きっとそうなんだろうということが……寂しいな。
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