クローバー

鹿ノ杜

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本田泰久と四ツ橋すみれ 5

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 ジュンのインスタントカメラを使う機会は意外にもすぐに訪れた。
 休日の朝、静かなリビングで朝食を取っているのはおれだけだ。三人の中でおれが一番規則正しい生活を送っていると思う。ジュンはまだまだ寝ているし、ケントさんは帰ってきてすらいない。午前中のうちに洗濯や掃除を済ませてしまうのが日課で、なんて健康的なんだろうと自画自賛をする。昼が近づき、ジュンを起こしてラーメンでも食べに行こうと思い立ったところで、すみれから電話があった。
「先輩、大変。私、不倫の現場を目撃しています」
 興奮しているすみれをなだめながら聞くところによれば、美紀さんと、京子さんの婚約者であるところの近藤さんが二人きりで歩いているところに出くわしたらしい。ともかく早く来てほしいというすみれの言う通り新宿に向かおうとして、置きっ放しのインスタントカメラが目に留まった。
 待ち合わせた場所に着いてすみれに、じゃーん、と言ってカメラを見せるが、ふざけてるんですか、とすみれは眉をひそめる。そして腕を引かれ、通りに面した喫茶店に入る。
「ほらなんかさ、探偵っぽくない? このカメラ」
「そうですか? それよりあそこ見てくださいよ」
「ああ、ほんとだ。仲睦まじくおしゃべりをしてるね」
「私、許せません」
「とりあえず一枚、撮っておこう」
「証拠の写真になるんですからね。ちゃんと撮ってくださいよ」
 そうか、ズームなんて機能ないからパチッと小さな音がして今見ている通りの光景が写るんだろうな。
「今、私のこと撮りました?」
「撮ってないって」
「ほんとですか?」
 その後しばらく動きがなかったので、コーヒーを飲みながら様子を窺い続ける。
「アイスコーヒーにすればよかったな。ホットを飲むには今日は暖かいね」
「そうですね」
 すみれは気のない返事をしながら、インスタントカメラが珍しいのか、興味深そうに眺めている。
「そういえば今度、かなこさんがクローバーに遊びに来るんだよ。初めて会うから、今から緊張しちゃってさ」
「えっ、いいなあ。私も会ってみたいです」
「じゃあ、すみれも来る?」
「いいんですか? 行きます、絶対」
 気をよくしたのか、カメラを構えて撮るふりをしながら笑った。よく笑って、よく泣いて、忙しいやつだ。
「あっ、やばい。先輩、伏せて」
 美紀さんと近藤さんが席を立ったらしく、二人が会計を済ませて店を出るまでスマートフォンをいじるふりをして顔を伏せた。私たちも出ましょう、とすみれが立ち上がり店を出る。急いで会計を終えてすみれを探すと、交差点の信号待ちをしている二人のすぐそばまで近づいていた。信号が青に変わりあふれ出す人に紛れてすみれと合流する。
「近づきすぎじゃない? 何か聞けた?」
「何かしらしゃべってましたけど、よくわかんなかったですね。ほら、近藤さんって声、ちっちゃいじゃないですか」
「そうなの? 実は近藤さんとはあんまり話したことないんだ」
「わりと気さくな人ですけどね。でも、不倫してるなんて絶対に許しません」
「それにしても、こんなに人が多い中でよく出くわしたね」
「私、昔からこういうことが多いんですよ。気になってる人を偶然見かけることって」
「ふうん」
 美紀さんと近藤さんはファッションビルに入り、アクセサリーやジュエリーのコーナーを見て歩いた。一応シャッターを切りつつ、ふと疑問を抱いた。
「これって不倫なのかな」
「じゃあ何なんですか」
「ただの買い物?」
「確かに。じゃあ、先輩にとって、どういうところを見たら不倫なんですか」
「……ホテルに入るとか」
「いやだ、先輩。ハレンチ。最低」
「痛い痛い。叩かないで」
「あれ、あの二人、どこ行っちゃいました? もう、見失っちゃったじゃないですか」
 別のフロアーに移ったのかと建物の中を周ってみたが、二人を再び見つけることはできなかった。
「さて、どうしようか」
「どうしましょう」
「京子さんに伝えるのか、伝えないのかも含めて、おれたちは何をしたらいいのかな」
 最近、同じようなことを言ったような気がして、自分の無力さを感じる。わかることばかりこなしていて、いざ新しいことが起きたときに思考が止まってしまうような感覚。それって、最も恥ずべきことなんじゃないかと思う。
「こうなったら美紀さんと話をしましょう、きっちりと」
 立ち止まったおれをすみれが追い越すように言う。
 週が明けた昼休みに、屋上まで美紀さんを呼び出した。少し緊張した面持ちのおれとすみれを見て、美紀さんは笑う。嫌味のない、少女のような笑顔だった。
「どうしたの、二人して」
「実は美紀さんに言いたいことというか、聞きたいことというか、ともかく、話したいことがあるんです」
 まとまらない考えがそのまま出てしまったようなおれの言葉に、美紀さんは意外にも深くうなずいてみせた。
「なんとなくそんな気はしてたんだ。だって二人とも最近、私のこと見過ぎだよ?」
「わかってるんですよ」
 すみれがこらえきれなくて口を出す。
「ねえ、もしかして、京子ちゃんのこと?」
 驚くとともに美紀さんの言葉の端が震えていることに気づいた。
「そっかわかっちゃうか。さすがだね、二人とも」
 そのときすみれが、
「あっ」
 と言って、その、少し間の抜けたひと言が発せられるのと同時に、美紀さんが泣き始めた。泣きじゃくって、少女というよりもむしろ、ほんの小さな女の子のようだ。
「そうなの。私、京子ちゃんのことが好きなの」
 美紀さんが言うから思い違いをしていたことに、ようやく気づく。

 人の心のことなんて、やっぱり何にもわかっちゃいなかったんだ。
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