クローバー

鹿ノ杜

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本田泰久と四ツ橋すみれ 6

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 新宿駅の南口で弾き語りをしている男の子がいた。夕暮れの街で時おり見かける光景だ。いつもならただ通り過ぎてしまうけれど、今日はなんとなく気を引かれて足を止めた。ギターを抱え、横に小さなアンプを置いて、彼の命は、その、アンプにつないだ細い線で鳴っているのだ。
「誰かに隣にいてほしいけど、それだけがすべてじゃないってわかってる。だけど、それだけがすべてだと言えないのなら、少し寂しい。
 僕らの選択が世界を変えてしまうなんて信じてるほど子どもじゃない。だけど、そう信じられないのなら、少し寂しい。
 普通であることを嫌がって、普通であることに安心して、普通って何だっけ?」
 彼の歌はそれこそ世界なんて変えないのだろう。ただ彼の歌を聞いて京子さんが言っていたことを思い出した。
「すべてに当てはまるものをつくろうとすると、どれにも当てはまらないものができる。フリーサイズの服なんて誰も着ないよ。私たちはオーダーメイドのものをつくらないと」
 それが彼女の仕事論だった。でも、そうした熱っぽいことを言った後で、スーパー銭湯の館内着とか好きなんだけどね、などと言っておどけてみせる。本当に魅力的な人だと思う。
「いろんな人がいるからね」
「多様性っていうことですか?」
「そういうこととは、ちょっと違うんだなあ」
 そう言って、京子さんは髪をかきあげる。
 おれは大それた夢なんて持っていなくて、普通の人生が送れたらそれでいいと思っている。でも、実は普通なんてものはどこにもなくて、誰もがオーダーメイドの人生を生きている。そういったことを、頭の中だけで理解していたのだった。
 ギターをかき鳴らす男の子は、おれが立ち止まって聴き入っていることに何の関心もないのか、ただ歌い続けていた。行き交う人々に向けて、大声で、そして高らかに歌っている彼が羨ましかった。
 クローバーに帰ると待ち構えていたようにジュンが、
「もうご飯食べました? どこかに食べに行きませんか? 僕の運転で」
 と、誘ってくる。
 ケントさんが車を貸してくれると言っているが、その前に運転に慣れたいからわざわざカーシェアリングのサービスに登録したらしい。この前ジュンと見ていたテレビ番組で気になったラーメン屋の名前を挙げると、いいですね、と言ってさっそく車を取りに行ってくれた。
 しばらくして戻ってきたジュンの隣に乗り込む。
「誘っといてあれですけど、美容にいい生活はもう辞めたんですか?」
「たまにはいいんだよ」
「とか言って、めっちゃコンビニスイーツ食べてるじゃないですか」
「最近出たシュークリームがさ、あれがまたうまいんだよ。ジュンも食べたほうがいい」
「じゃあ、帰りにコンビニ寄りましょうか。ああ、ケントさんの分も買いましょう」
 夜のドライブは道が空いていることもあって心地よかった。運転するのは実家に帰ったときに親の車を借りるくらいだというわりになかなか上手な運転で、アクセルやブレーキの踏み方に優しい性格が表れているような気づかいのある走りだ。
 ジュンは生きている感じがする。やりたいことがたくさんあってあふれている。感情が次から次へと湧き上がって、時おり前が見えなくなるくらいだ。
「いつか、かなこさんを乗せるの?」
「さあ、どうでしょう」
 心なしかアクセルを強く踏んだ気がした。街灯の白い光が車内を駆ける。光の反射が連続して夜をすり抜けていく。
「いつだってどこにいたって、かなこさんの元に駆けつけたいけど、それをするのは僕じゃないって痛いくらいにわかってる」
 ジュンの言葉は誰に聞かせるためでもなく、ただ夜に浮かんだ。
「また孤独になるだけなんです」
 弱音を吐いて後悔した顔をする。いつものことだ。
「思うんだけどさ」
 窓の外を見ながら言ってみる。
「出会ってしまったら出会う前には戻れない。もう、孤独なんかじゃなくて、その人と出会えた自分がこれからを生きていくんだ」
 夜は人を正直にする。いつだって。
「さよならをしたからって、それが孤独ってわけじゃないんだよ。新しい自分になってこれからを生きていくんだ。そうだろ?」
 二人で見たもの、聞いたもの、感じたもの、そうやって共有した感情がジュンの中で生き続ける。そう信じているから、人は出会い、別れることができる。
「やっさんっていつだって前向きで、後悔なんてしたことなさそうですね」
「そんなことないよ。おれにだって後悔してることくらいある。たくさんある」
 ジュンは前を見据えたまま、何か考え込んでいるようだった。その真剣な眼差しは初めて見るような表情で、ジュンの横顔から目が離せなかった。
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