クローバー

鹿ノ杜

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宮城健人と清瀬奈々 5

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 奈々と下北沢でワインを飲んでいた。
「ジュンの就職が決まったんだ。あと、ヤスには恋人ができたらしい」
 俺の言葉に奈々は目を細めて、
「そう、よかったじゃない」
 と、言って、グラスに残った白ワインを飲み干した。
「じゃあ、ケントは一人になっちゃうね」
「うん。だから俺もクローバーを出ようと思う」
 奈々は空になったワインボトルを値踏みするように眺め、鳥井くんを呼んでもう一本、同じものを注文した。
「そこにあなたの理由はないの?」
 奈々は、いいとも悪いとも言わないで、それだけを告げた。別に奈々の許可なんて取る必要はないのだが他の誰でもない奈々に、いいじゃない、と言ってほしかったのかもしれない。
 奈々の質問に俺は答えなければならないのだろうか。逃げるようにトイレに立った。戻ってくると奈々が俺のビジネスバッグを指さして言った。
「ねえ、鞄に入ってるインスタントカメラ、どうしたの?」
「ああ、これ。部屋にずっと置いてあって現像しようと思ってさ」
 奈々が手を差し出すからカメラを渡した。
「枚数、まだ残ってるじゃん」
 と、フィルムを巻いて、俺に向けてシャッターを切った。
「なんで俺を撮るの?」
「いいでしょ」
 そうやって遊んでいたら鳥井くんも興味を示して声をかけてきた。
「うわあ、懐かしいですね。中学の修学旅行で使いましたよ」
「鳥井くんもその世代なんだ」
「せっかくだから、お二人を撮りますよ」
「ありがとう」
 鳥井くんが構えたカメラの小さなレンズに向かって奈々が笑顔をつくる。奈々は昔から笑顔をつくるのがうまかった。必要なだけの笑顔を必要なだけつくることができた。俺はそうじゃなかった。
「撮りますよ。ケントさん、笑ってください」
 鳥井くんに言われて大げさに笑ってみせた。これくらいでちょうどいい笑顔になるはずだった。あなたの場合、大げさに笑ってやっと普通の笑顔なんだから、とかつて奈々に言われたことを俺はいつまでも守っているのだった。
 帰り際、鳥井くんがテーブルまでやってきて言いにくそうに切り出した。
「もっと早く言えばよかったんですけど、実は……七月いっぱいでこの店を辞めることになりまして」
「え、もうすぐじゃん」
 奈々がほとんど叫ぶように言った。
「そうなんです。実家に戻ろうかなって」
「実家ってどこだっけ?」
「千葉です」
 ここで、実家に戻って何するの? と聞かないことがマナーだと思った。大人の、都会の、東京のマナー。
「そうなんだ……そっか」
「ねえ、三人で写真、撮ろうよ」
 奈々が立ち上がり店の外に飛び出したから俺と鳥井くんは顔を見合わせて笑った。
「ごめんね。いいかな?」
「もちろん。嬉しいです」
 鳥井くんが他の店員さんを呼んで店の前で三人が並んだ写真を撮ってもらった。
「じゃあ、千葉でも頑張って」
 もっと伝えたいことがあるはずなのにそんな言葉しか出てこないから不思議だった。
「はい。お二人も」
 と、鳥井くんは微笑んで、頭を下げた。
 そのまま立ち去ろうとすると奈々が言った。
「始めは静かな優しい声で、でもだんだんと熱っぽくなってワインの話が止まらない、そんな鳥井くんが好きだったよ。ありがとね」
 奈々の言葉に驚いたのか鳥井くんは少しの間、言葉に詰まってその後で穏やかに笑った。
「こちらこそ、ありがとうございました。お二人が仲良さそうに話してるのを見るの、僕は大好きでした」
 そして、名残惜しそうに手を振り合って、別れた。
 梅雨の最後の雨が上がり、夜道がじっとりと濡れていた。沈黙が夜に降り落ちると、この世界の、この夜に、まるで二人きりでいるみたいだった。ふと、奈々のことを撮りたい、と思いついてインスタントカメラを確かめると、残りの枚数が一枚になっていた。どう撮ろうかと悩んでいたら間違えてボタンを押してしまったようで、パチッ、と音が鳴った。奈々はその音に気づいてくすりと笑った。
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