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第6章-2

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 生け花展の翌日、綾乃は大澤から東雲に会った話を聞いた。

 その夜には電話をかけてきて祐樹にも話を聞きたがった。どうやら彼の作品のファンだったらしい。

 わたしも会いたかったなあと言うので、そういえば名刺をもらったと思い出してそう言ったら、さっそく電話するように頼まれたのだ。ぜひ見学に行きたい、と。

 綾乃の頼みをもちろん祐樹が断れるはずはなく、すこしばかり気まずく思いながら名刺の番号に電話をかけた。

「あの突然すみません、生け花の展示会でお会いしたんですけど、最後の日に、紙細工の街の前でお会いした高橋といいますが…、…あの、ええと」 

 電話であまり知らない大人と話すという場面にあったことがないので、しどろもどろになりかけたところで、東雲が受話器の向こうで笑う気配がした。

「ああ、祐樹くん?」
「なんで名前…」

 東雲からは名刺を渡されたが、自己紹介した覚えはなかったのだ。

「きみの先輩が呼んでたからね、祐樹って」
「ああ、そうか。それで…」

 祐樹はちょっと言いよどむ。あの時、生け花には興味ないと言っておいて、彼女と見学に行きたいなんていいづらかった。

 どう話したものかまよう祐樹に東雲はやさしく問いかける。

「きょうはどうしたの? なにかあった?」

「はい。あの、おれ、高橋祐樹といいます。それで、お電話したのは、チケットくれた生け花やってる人と一緒に見学させてもらっていいか訊こうと思って」

 緊張しているのは声で伝わっただろう。

 東雲は電話越しにもわかる笑みをにじませた声でいつでも大歓迎だよ、と言い、教室を見学したいなら夕方からのクラスがあるからと曜日を教えてくれた。

 電話で聞くとあの時感じた、聞きやすく張りのある声はより艶めいた響きがあるように感じられて、祐樹は電話を切ったあと無意識に詰めていた息をほっとついた。

 教室内のようすを見ると、生花教室という場所は講義を聞くような習い事ではないらしい。

 数人いる女性たちは、どこのレストランがおいしいとか、簡単料理のレシピとか、彼氏の不満だとか自由におしゃべりを楽しんでいる。

 合い間にこの枝の長さはどれくらいがちょうどいいかとか、副(そえ)はこの角度でいいのかとか生花についての会話が入る。初心者もいれば、けっこう長く習っている人もいるようだ。

「紙細工の街、見たかったな」

「ああ、あれは倉庫というか、準備室って呼んでるけど、そこにしまってある。展示のときとは違う状態だけど、それでもよければ見る?」

 祐樹のつぶやきに、背後から返事が返ってきて、驚いて振り向いた。東雲がすぐ近くに立っていた。

「え、いいんですか?」
「構わないよ。でもほんとに置いてあるだけだけど、それでもいい?」

 綾乃のほうを見たら、真剣な顔で花と鋏を持っていたから、祐樹は声を掛けずにふたりで部屋を出た。廊下を歩いて東雲のあとについて自宅のほうに入り、短い階段を下りる。突き当りのドアを開けた。

 半地下の倉庫らしくあかり取りの窓は上のほうにあるが、壁際には一面棚が作り付けになっていて、たくさんの花器や水盤が並んでいた。さっきの教室にある棚のものと、入れ替えて使ったりするのかもしれない。

 反対側の大きな棚には、さまざまなオブジェか展示材料か、祐樹にはよくわからないものがたくさん置かれていた。その右隅に紙細工の街のビル街が寄せられていた。

 うすぼんやりとした倉庫の明るさのなかで、展示場で見た世界が変わるような空間は感じられなかったが、ふしぎに祐樹を惹きつける空気はまだ持っていた。

 紙でできたビル街は冷たいようでいて、その質感のせいかあたたかいような感じもして、触れてみたくなる繊細さがあった。ひんやりと静止した空気の中で、架空の街はひそかやに呼吸しているみたいだ。

「あのときもずいぶん熱心に見てたよね」
「はい。なんだか目が引き寄せられる感じがしたんです。いまもそんな感じです」

「そんな風に言ってもらえると、とてもうれしいね」

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