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乳母の告白4
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翌朝、宿の食堂で朝食を食べて表に出た。
気分が沈みがちなペルルノアに対して、飛煌は余計な慰めは言わなかった。
一緒にいたのは十日ほど。そのうち五日間は発香期で濃密な時間を過ごした。
たった十日で飛煌はどっしりとペルルノアの心に根を張ってしまった。こんなに気になる存在にこれまで会ったことがない。
ペルルノアの持つオメガのイメージをことごとく叩き壊して、とんでもない快楽を教えた男。こんな香種は絶対に手放してはいけない。手に入れなければ。
とにかく、まずはやるべき事をやってからだ。
王宮に行っても門前払いもあり得る。というより、むしろその方が自然だろう。使節団が持っていたブラッシア二世からの書簡も献上品もペルルノアは持っていないのだ。
門前払いされた場合のことは考えていない。女王に会うために策を練るのか、あるいは自力でソブラリアまで帰国するのか、今は考えないことにした。
色々な常識が違うこの国で、自分がどういう処遇を受けるのか予想はつかない。でもきっと何とかなるし、何とかしてみせる。
貴種の気配は現れたり消えたりしている。ペルルノアが感じ取っているとは思っていないだろうが、一定以上、近づいてこないし敵意を感じないから単に監視だろうか。飛煌の? それとも自分の?
木漏れ日がほどよく差して、気持ちがいい林道を並走している時だった。
バサバサといきなり鳥の羽ばたきが聞こえて、ペルルノアは顔を上げた。
同時に、後ろからざざっと茂みをかき分ける音がした。
「伏せろッ」
飛煌が叫んだのと、何かが馬に飛び掛かってきたのは同時だった。
馬ごと横倒しになったペルルノアが身を起こした時にはもう、飛煌は剣を片手に妖魔の巨体に向かって走っていた。驚くべき身のこなしで飛び上がると一気に剣を振り下ろし、虎に似た妖魔の頭に切りつけようとした。
その動作の鮮やかさに、ペルルノアは息をするのも忘れて見入ってしまう。剣技も突き詰めれば舞のように美しい。
しかし妖魔は間一髪で刃を避け、向こう側に飛びのいた。その場でくるりと体を反転させ、ぎろりと周囲を睨むように首を回した。
ペルルノアは斬魔剣を抜いて身構えた。前にも見たことがある妖魔だ。
「ノア、気をつけろ。よく飛ぶ妖魔だッ」
妖魔を挟んだ向こう側から飛煌の声が響いた。
「わかってる」
ペルルノアのほうを向いた妖魔は頭を下げてグルグルと唸っている。間合いを図ったと思ったら一気に飛び寄って来た。ペルルノアは体を引きながら剣を左に振った。
妖魔の体重をまともに受けたら下敷きにされる。体重を逃がしながら切りつけたが、妖魔も素早く飛び上がった。体を返してその後を追う。
しっぽが鞭のようにしなってペルルノアを襲った。横から掬われてこらえ切れず体が吹っ飛ぶ。背中から木に叩きつけられて、衝撃で一瞬、息が止まった。
「く……っ、はあ、はぁ」
あえぐように息を吸い、地面に崩れ落ちながら必死に目を向けたら、飛煌が妖魔の背中から心臓に剣を突き立てているところだった。
妖魔がつんざくような叫び声を上げる。
「ぎょえええええええええーーーーーーーーーーー」
立てッ。ペルルノアは痛む背中に力を込めて立ち上がり、剣を構える。力を貸してくれ、と剣に願う。この剣を使うコツもかなり掴めてきた。
飛煌が心臓に剣を突き立てているが、巨体の妖魔は倒れることなく首を振り回している。
ペルルノアは息を吸って態勢を整えて駆け寄り、上から首を落とそうと剣を突き入れた。スパっと肉を斬る感触がして、同時に妖魔が最後の力で後ろ脚を蹴った。
「ぐあああああ、ああ、ぐぐあ……っあ……」
今度はしっぽに気をつけて、ぐっと押しこむようにして首を落とす。返り血を浴びないよう注意して体を引くと、背中に乗っていた飛煌が剣を抜いて降りてきた。
「よくやったな」
だが、安心できる状況ではなかった。血の匂いに釣られて、他の妖魔が集まり始めている。
「急げ、ここを離れる」
言うが早いか、飛煌は馬に飛び乗り、一気に駆け始めた。馬も怪我を負っていたが、妖魔の怖さを知っているので必死に走る。キラキラと金の髪が揺れて、それを目印に森を抜けた。
さほど離れていない川のそばで飛煌は馬を止めた。馬もそれほど走ることができないからだ。
「とりあえず剣を洗え。手や顔もだ」
言われた通りに水を使い、馬の怪我の具合を見ようとしてふと手を止めた。
「ノア」
「ああ、わかってる」
剣を握り直して体を起こす。同時に貴種の気配を近くに感じた。追って来たのか。
岩の向こうから低い獣の唸り声が聞こえる。
「あれは好んで人を食う。絶対に噛まれるな。食いつかれたら命がないと思え」
姿が見えなくても飛煌は何がいるのかわかっている。その注意に気を引き締めた。
「いざとなったら馬は構うな」
「わかった」
馬を食わせていいから逃げろということだ。
拭いたばかりの斬魔剣を構える。飛煌と背中合わせになり、襲撃に備えた。
「飛煌、貴種が近くにいる。敵か味方かわからない」
「そいつは気にしなくていい、敵じゃない」
間髪入れずに返った返事に、飛煌も気づいていたのかと思う。つまりは味方か?
がさりと茂みを揺らして二頭の妖魔が次々に飛び掛かってくる。
「ノア、足を斬れッ」
飛煌は駆け抜けざま、右の前足を斬り落とした。
「ギョエエエエエエーーーーー」
妖魔の大きな叫び声が響き、姿勢を崩したところをすかさずペルルノアが左の後ろ脚を斬った。バランスを崩した妖魔が手足を振り回すが、こらえきれずに崩れ落ちる。これで妖魔はもう走れない。
岩陰から飛び出してきた誰かがもう一頭の妖魔に対峙しているのを視界の端に捉えた。剣を構える後ろ姿から見て、斬魔剣を使う貴種らしい。
ほっとした瞬間、地面に崩れていた妖魔がダンっと足を突っ張って跳躍した。間近に迫った角が体を捻った避けようとしたペルルノアの腰帯を引っかけ、ペルルノアの体がいきなり宙に浮いた。
「うわッ?」
「ギャウウウウウ、ぐああっ」
そのままぶんぶんと振り回されて、態勢を崩したまま飛ばされ地面に落ちる。側頭部と左半身に衝撃を受け、激痛でくらりと視界が揺れた。口の中に血の味が広がる。
「ノアッ」
飛煌の叫び声が聞こえた。近づいてくる気配に「来るな」と必死に手を振った。
それよりとどめを。声が出せたかわからないまま、ペルルノアは意識を失った。
気分が沈みがちなペルルノアに対して、飛煌は余計な慰めは言わなかった。
一緒にいたのは十日ほど。そのうち五日間は発香期で濃密な時間を過ごした。
たった十日で飛煌はどっしりとペルルノアの心に根を張ってしまった。こんなに気になる存在にこれまで会ったことがない。
ペルルノアの持つオメガのイメージをことごとく叩き壊して、とんでもない快楽を教えた男。こんな香種は絶対に手放してはいけない。手に入れなければ。
とにかく、まずはやるべき事をやってからだ。
王宮に行っても門前払いもあり得る。というより、むしろその方が自然だろう。使節団が持っていたブラッシア二世からの書簡も献上品もペルルノアは持っていないのだ。
門前払いされた場合のことは考えていない。女王に会うために策を練るのか、あるいは自力でソブラリアまで帰国するのか、今は考えないことにした。
色々な常識が違うこの国で、自分がどういう処遇を受けるのか予想はつかない。でもきっと何とかなるし、何とかしてみせる。
貴種の気配は現れたり消えたりしている。ペルルノアが感じ取っているとは思っていないだろうが、一定以上、近づいてこないし敵意を感じないから単に監視だろうか。飛煌の? それとも自分の?
木漏れ日がほどよく差して、気持ちがいい林道を並走している時だった。
バサバサといきなり鳥の羽ばたきが聞こえて、ペルルノアは顔を上げた。
同時に、後ろからざざっと茂みをかき分ける音がした。
「伏せろッ」
飛煌が叫んだのと、何かが馬に飛び掛かってきたのは同時だった。
馬ごと横倒しになったペルルノアが身を起こした時にはもう、飛煌は剣を片手に妖魔の巨体に向かって走っていた。驚くべき身のこなしで飛び上がると一気に剣を振り下ろし、虎に似た妖魔の頭に切りつけようとした。
その動作の鮮やかさに、ペルルノアは息をするのも忘れて見入ってしまう。剣技も突き詰めれば舞のように美しい。
しかし妖魔は間一髪で刃を避け、向こう側に飛びのいた。その場でくるりと体を反転させ、ぎろりと周囲を睨むように首を回した。
ペルルノアは斬魔剣を抜いて身構えた。前にも見たことがある妖魔だ。
「ノア、気をつけろ。よく飛ぶ妖魔だッ」
妖魔を挟んだ向こう側から飛煌の声が響いた。
「わかってる」
ペルルノアのほうを向いた妖魔は頭を下げてグルグルと唸っている。間合いを図ったと思ったら一気に飛び寄って来た。ペルルノアは体を引きながら剣を左に振った。
妖魔の体重をまともに受けたら下敷きにされる。体重を逃がしながら切りつけたが、妖魔も素早く飛び上がった。体を返してその後を追う。
しっぽが鞭のようにしなってペルルノアを襲った。横から掬われてこらえ切れず体が吹っ飛ぶ。背中から木に叩きつけられて、衝撃で一瞬、息が止まった。
「く……っ、はあ、はぁ」
あえぐように息を吸い、地面に崩れ落ちながら必死に目を向けたら、飛煌が妖魔の背中から心臓に剣を突き立てているところだった。
妖魔がつんざくような叫び声を上げる。
「ぎょえええええええええーーーーーーーーーーー」
立てッ。ペルルノアは痛む背中に力を込めて立ち上がり、剣を構える。力を貸してくれ、と剣に願う。この剣を使うコツもかなり掴めてきた。
飛煌が心臓に剣を突き立てているが、巨体の妖魔は倒れることなく首を振り回している。
ペルルノアは息を吸って態勢を整えて駆け寄り、上から首を落とそうと剣を突き入れた。スパっと肉を斬る感触がして、同時に妖魔が最後の力で後ろ脚を蹴った。
「ぐあああああ、ああ、ぐぐあ……っあ……」
今度はしっぽに気をつけて、ぐっと押しこむようにして首を落とす。返り血を浴びないよう注意して体を引くと、背中に乗っていた飛煌が剣を抜いて降りてきた。
「よくやったな」
だが、安心できる状況ではなかった。血の匂いに釣られて、他の妖魔が集まり始めている。
「急げ、ここを離れる」
言うが早いか、飛煌は馬に飛び乗り、一気に駆け始めた。馬も怪我を負っていたが、妖魔の怖さを知っているので必死に走る。キラキラと金の髪が揺れて、それを目印に森を抜けた。
さほど離れていない川のそばで飛煌は馬を止めた。馬もそれほど走ることができないからだ。
「とりあえず剣を洗え。手や顔もだ」
言われた通りに水を使い、馬の怪我の具合を見ようとしてふと手を止めた。
「ノア」
「ああ、わかってる」
剣を握り直して体を起こす。同時に貴種の気配を近くに感じた。追って来たのか。
岩の向こうから低い獣の唸り声が聞こえる。
「あれは好んで人を食う。絶対に噛まれるな。食いつかれたら命がないと思え」
姿が見えなくても飛煌は何がいるのかわかっている。その注意に気を引き締めた。
「いざとなったら馬は構うな」
「わかった」
馬を食わせていいから逃げろということだ。
拭いたばかりの斬魔剣を構える。飛煌と背中合わせになり、襲撃に備えた。
「飛煌、貴種が近くにいる。敵か味方かわからない」
「そいつは気にしなくていい、敵じゃない」
間髪入れずに返った返事に、飛煌も気づいていたのかと思う。つまりは味方か?
がさりと茂みを揺らして二頭の妖魔が次々に飛び掛かってくる。
「ノア、足を斬れッ」
飛煌は駆け抜けざま、右の前足を斬り落とした。
「ギョエエエエエエーーーーー」
妖魔の大きな叫び声が響き、姿勢を崩したところをすかさずペルルノアが左の後ろ脚を斬った。バランスを崩した妖魔が手足を振り回すが、こらえきれずに崩れ落ちる。これで妖魔はもう走れない。
岩陰から飛び出してきた誰かがもう一頭の妖魔に対峙しているのを視界の端に捉えた。剣を構える後ろ姿から見て、斬魔剣を使う貴種らしい。
ほっとした瞬間、地面に崩れていた妖魔がダンっと足を突っ張って跳躍した。間近に迫った角が体を捻った避けようとしたペルルノアの腰帯を引っかけ、ペルルノアの体がいきなり宙に浮いた。
「うわッ?」
「ギャウウウウウ、ぐああっ」
そのままぶんぶんと振り回されて、態勢を崩したまま飛ばされ地面に落ちる。側頭部と左半身に衝撃を受け、激痛でくらりと視界が揺れた。口の中に血の味が広がる。
「ノアッ」
飛煌の叫び声が聞こえた。近づいてくる気配に「来るな」と必死に手を振った。
それよりとどめを。声が出せたかわからないまま、ペルルノアは意識を失った。
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