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本編裏話

騎士と猫のような妖精3

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ウィリー・ベルヘアン。
俺の兄で、クラヴェリ伯爵家お抱えの画家だ。

ベルレアン家は地方に少しの領地をもった貴族だったが、祖父の代で没落し、今ではそこそこ裕福な平民だ。
没落した際、あまり家財はなかったと聞くが、父がなんとか伝を頼り仕事を見つけたのと、兄が画家としての才能を開花させてクラヴェリ伯爵家にパトロンをしてもらえることになったのがベルレアン家に残された運だったのかと思う。クラヴェリ伯爵は兄のパトロンとなるだけではなく、家の援助にも少なからず力を貸してくださった。

兄の絵はベルレアン家の支えになっている。だからこそ、兄の趣味にまで口出しする権利はないと思うが……

「兄の悪い癖だ」

非番故に暇潰しに来てみた兄の個展で、偶然アンリエット嬢と出会った。
絵画趣味の友人として接する許可をいただいたところで、兄の写実的な絵に対して「どこか神秘的ね」と言うから、つい口をついてしまった。

「ヴァーノンのお兄様の作品なの?」

不思議そうに首をかしげているアンリエット嬢に、こくりと頷いてやる。

「そうだ。ウィリー・ベルレアン……個展の出品者の名前を見なかったのか?」
「ふと思い立って来たものだから……クラヴェリ伯爵がパトロンをしていらっしゃることしかお聞きしていなくて」
「そうか」

どうやら兄が描いていることを知らなかったようだ。しっかりしている方だと思ったが、名前呼びの事と言い、今の事といい、アンリエット嬢はお茶目だったりうっかりだったりする面もあるらしい。
立ち振舞いは貴族らしく上品なのに、深窓の姫君のような儚さがない不思議なご令嬢だ。こんなご令嬢だから、元気にくるくる動かれる殿下とお付き合いできるのだろうかと、少し思ってしまった。

アンリエット嬢ばかりを見つめる訳にもいかないから、視線を絵に写す。
かなり大きな絵だ。細部まで緻密に描かれた舞踏会の絵。
これは去年製作していた絵だったか。じっくりと見ていると、アンリエット嬢が遠慮しがちに小さく尋ねられた。

「そういえば、お兄様の悪い癖って?」
「あぁ。気づかないか? 例えばこの舞踏会の絵。三つほどおかしなところがある」
「おかしなところ?」

気づいていないのか。それは勿体ない。
首を捻って悩むアンリエット嬢のために、すいっと絵の左端に見えるテーブルの花瓶を指差してやる。

「花を見てくれ」

花瓶へと視線を移したアンリエット嬢は、たっぷり十秒ほど絵を見つめると、「あら」と少し驚いたように目を見開いた。

どうやら絵の細工に気づいたようだな。
もう少し驚かせてやりたくて、花瓶に紛れた妖精の他に、白鳥の羽でできたドレスを纏う貴婦人、シャンデリアのガラス細工に紛れたユニコーンの存在を教えてやった。

「兄は気づかれないように、おかしなものを描く癖がある。今まで並べてあった絵にも、ちらほらある」
「本当?」

目を輝かせたアンリエット嬢。殿下の前だと毅然としていた様子だったのか、今の表情は少し幼く見え、面白そうにくるりと動くエメラルドの瞳にほだされそうになった。

だからだろうか。戻ってきた通路を戻るというマナー違反に注意をしなかったのは。子供のように無邪気に絵を見る、純粋に絵を楽しむその姿は生き生きとしていて咎める気が失せてしまった。

「貴方のお兄様って面白いことを考えるのね」
「面白い……まぁ見ている分には面白いな」

徹底的に写実的な絵を目指して日々模写をするくせに、兄はこうやって絵に細工をする。ここにあるのはマシだが、個人的嗜好のまま好き勝手に描く絵はたまに目も当てられないほどおどろおどろしいものもあるのがたまに傷だがな。今回はそういった絵は出品されていないのが救いだと思い、ついつい肩を震わせて笑ってしまった。
そういった絵を見たら、目の前のご令嬢はどんな反応するのか、少し気になったがまぁ無い物ねだりか。

「ここから向こうの絵もそうなのかしら?」
「そこから先は人物画が中心だ。クラヴェリ伯爵の依頼で描いたものばかりだという」

うずうずとしているアンリエット嬢にすっと手を差し出した。彼女は不思議そうにこちらを見上げてくる。
まるで小動物をてなづけるような気分になった。

「お手をどうぞ、レディ。エスコートしよう」
「あら、気が利くのね」

たぶんこのままでは手をとってくれないだろうと思い、一言添えるとようやく手を重ねてくれた。
細く、小さな手のひら。握ると折れそうな程に細いのは指だけではない。端から見ていてコルセットで締め付けているであろう腰。華奢な身体は足もきっと細いのだろう。

転ばないようにゆっくりと歩き出し、並べられた絵を見て回る。

ここから先はクラヴェリ伯爵一家一人一人の人物画だった。
ゆっくりと回っていると、アンリエット嬢に先日の殿下の言動の件を聞かれたので、とりあえずどうにかしたことを話しておいた。仮にも婚約者殿だ。心配をかけないためにも説教したとは言わないでおく。

殿下の話が出たついでだったが、どうやらアンリエット嬢が幼児性愛者という話はパトリックの誤解だったということを知った。
アンリエット嬢が腹立たしそうにパトリックの絵を睨み付ける。
彼女の機嫌が目に見えて急降下したので、ご機嫌とりをしようと思った。女性に対してあられもない噂を鵜呑みにした罪滅ぼしも兼ねて。

「機嫌を損ねてしまったのなら申し訳ない。時間があるなら是非埋め合わせをさせてくれ」
「あら、ひどく傷ついた乙女の心はそう簡単には癒せないわよ」
「何でも言うことを一つ聞こう。俺にできることなら何でも良い」
「そんなこと簡単に言って大丈夫?」
「主の婚約者だろう。禍根は残したくない」
「そうねぇ、私も暇だし……お茶を一緒にいかが? 美味しいお菓子のお店を教えてくださる?」
「喜んで」

アンリエット嬢が私に願ったのは一緒にお茶をすることなった。これは願ったり叶ったりか。

これでもう少しだけこのご令嬢と話ができるな。

なにくれと理由をつけてもう少し話していられる時間を作ることに成功した俺は、さっそく彼女をエスコートして個展のある公園の近くのカフェへと誘った。

よく……というほど頻繁ではないが、ときおりクラヴェリ伯爵家の末娘ローズ嬢と来る女性人気のカフェ。アンリエット嬢はあまりこういった場所へと来ないのか、しばらくメニュー表を見つめた後、ローズ嬢が気に入ってるものを頼んでほしいと言われたのでその通りにした。

注文した品が来るまでの間、ぼんやりとアンリエット嬢が窓の外を見つめているのに気がつく。

「何を見ている?」
「外。恋人同士が多いなぁって」

恋人……つられて窓の外を見れば、そこそこの数の男女が連れ添って歩いているのが見えた。ここでその会話は、独り身の俺ではさすがに気まずい。

「……そう、だな」
「もし私が恋愛するなら、どんな人を好きになるのかしらとちょっと物色してるの」

物色。
まさかの物色か。
ご令嬢の口からおよそ聞こえるとは思わなかった単語だな。

「物色とは。もう少し言葉を選べ」
「ふふ、どうせ恋愛なんてすることないからそれでいいのよ。……殿下が大人になる頃は、私はとっくに適齢期を過ぎてる。子供は産めるでしょうけど、甘ったるい恋人ごっこはできないのでしょうねぇ」
「あぁ……」

 アンリエット嬢は第三王子の婚約者だということは知っている。それが当然のことだと決めつけるように受け入れていたが……その言葉に含まれた真意に気がついてしまった。

きっとこのご令嬢は、羨ましいのだろう。
だからこうやって外を歩く男女に視線を向ける。
そしてクラヴェリ伯爵家のパーティーでつまらなさそうにしていた態度にも、すとんと納得がいってしまい、俺は目を細めた。

アンリエット嬢は確か今十七……だったか。恋に恋する年頃とでも言うべきか? つい最近、マリー嬢の婚約話が上がってきたと兄が話していたのを思い出す。確か政略結婚ではなく、純粋な恋愛結婚になるらしい。
きっとアンリエット嬢もそういったものに憧れていたのだろう。だからそんな言葉を不意に漏らしてしまう。

そこでふと、悪戯を思い付いた。俺が相手では不満かもしれんが、擬似的に体験できるなら彼女も喜ぶだろう。どんな反応をするのか楽しみで、つい唇の端がつり上がってしまう。

「恋人ごっこか。それを言うならこの状況そのものも恋人らしく見えるのではないか?」

彼女が意識するようにそう言えば、アンリエット嬢は慌てて周りを見わたした。
さすが女性人気の店だけあって女性客が多い。時折男もいるが、そういう者は大概逢い引きをしている雰囲気だ。

意識させるついでに、先程は幼女趣味(ロリコン)扱いされたお礼も兼ねて言葉を選ぶ。

「ローズ嬢の子守をデートというのなら、俺とのこれもデートだろう?」
「なっ、なっ」

案の定、意識したアンリエット嬢は顔を真っ赤にさせた。

さて、ここからどうやってつつこうかと思考を巡らせていると、ウェイターがちょうどメニューを運んできた。クリームのケーキか。

丁度良い。
これを使ってやろう。

にやりと笑って、アンリエット嬢の前に置かれたプレートからフォークを取り上げた。彼女は驚いたように勝手に動くフォークを見つめている。
そっと一口サイズにケーキを切り分けると、俺はそれを彼女の口元まで差し出した。

「そら、あーん」

ローズ嬢にやるようにケーキを差し出すと、アンリエット嬢は一瞬ぽかんとしてまじまじと俺の顔を見てくる。
それからようやく収まりかけていた顔をますます朱に染め直した。

「なっ、なっ」
「猫か」

ケーキを口に放り込むと、彼女は反射的に口を閉じてケーキを味わってくれた。それが嬉しくて、ついつい調子にのってしまう。
アンリエット嬢の口からフォークを抜き取ると、これ見よがしにフォークに残ったクリームをなめ取ってやった。

「~っ!!?」

アンリエット嬢はこれ以上ないほど頬を紅潮させる。ここまで表情をくるくると変えてもらえるなら、からかい甲斐があるというものだな。

「はは、冗談だ。からかっただけだ。そう怒るな」
「じょ、冗談にしてもたちが悪いわよ!?」
「ローズ嬢のように膝にのせて食わせた方が良かったか?」
「ご、ご遠慮しますっ」

ローズ嬢のように子供扱いがされるのが嫌なのか、それとも「恋人ごっこ」の言葉が効いたのかは分からないが断られてしまう。残念だな、半分本気だったんだが。
くくっと喉をならして笑っていると、アンリエット嬢は俺からフォークを取り上げた。

「もう、こんなこと女性にするなんて……勘違いされても知らないわよ」

アンリエット嬢が赤くなりながらも忠告してくるが、俺は飄々と返す。

「大丈夫だ。今までローズ嬢にしかやったことがない」

もっと言えば、貴女以外にやるつもりもない。

……付け足そうとした言葉は、思い止まった。なんといってもアンリエット嬢は主であるイレール殿下の婚約者だからな。分はわきまえる。

「……ヴァーノンって、意地悪なのね」

恨めしげに言われるが、なんてことはない。

「意地が悪いのはそちらではないのか」

軽口を叩くように言い返す。

嫌みの応酬よりは、アンリエット嬢をからかう方が断然楽しい。
だが本人に言ってしまえば新鮮な反応を見ることが出来なくなってしまうので控えておくか。

そう思ったからこそ、余計なことは言わず、その後も言葉で、行動で、アンリエット嬢をからかい続け、充実した非番を過ごすことができた。
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