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騎士団長に会いたくない

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 誰にでも言えない秘密くらい、一つや二つ、三つや四つくらいある。
 秘密の種類も様々で、子供の可愛い秘密から法に触れるような過激な秘密まで様々。
 かくいう彼女、アンジェ・ジベールもまた、秘密を抱える内の一人であるわけで。

「おいこらアンジェ! 出てこい! いるならせめて返事くらいしろ!!」

(いやぁぁぁ、今日も団長来てるぅぅぅ!)

 ドンドンと玄関が壊れるんじゃないかと思うくらい激しく扉が叩かれている音を聞きながら、アンジェは絶望にうちひしがれてプルプルと布団にくるまった。





 王都城下町にある小さな一軒家。
 アンジェの朝は、ここでスハール王国第三騎士団団長・ユルバンによる奇襲を籠城戦で断固防衛することから始まる。
 だいたい二年ほど行われているこの籠城作戦。
 くる日もくる日も、飽きもしないで寝坊することなく朝の鐘六つきっかりにユルバンはやって来る。
 アンジェが騎士団に出勤していた頃の起床時間よりも早くて、そろそろ生活習慣がユルバン標準になってきている気がするのは気のせいだろうか。二度寝しようにも煩すぎて目が冴えてしまうのがここ最近の悩みなくらい。
 そんな怠惰な生活を送りたがっているアンジェだが、一つだけ懸念していることがあった。
 それは、アンジェが現在進行形で騎士団をお休みしている真っ最中だということ。
 退職届を出したにも関わらず、団長が納得しないために受理されなかったのだ。
 その結果、アンジェは自主的なお休み───つまりサボり、ということになっている。
 アンジェとしては騎士団を辞めたつもりなのだけれども、団長は「認められない」との一言で棄却されてしまったという。

(なんでだ! 横暴だ! 辞めるって言ってんだから辞めさせてよ!)

 アンジェの抗議も何のその、団長はアンジェが退職届を提出しても聞き入れてくれない。
 でもアンジェは辞めたいのだ。
 むしろ心はもう辞めているからこそ、家に引きこもっているわけで。
 そうしたらどうだ。
 数日は病欠ということで認められたが、一ヶ月もすれば今日のように団長自らアンジェを連れ出しにやって来るようになった。
 朝っぱらから近所迷惑なので、いい加減やめて欲しい。

(そもそも私が騎士になるなんて、最初から無理があったんだって)

 それなのになんでこうも毎日毎日やって来るのか。
 アンジェを毎朝懲りずに呼び出そうとする団長に悪態をつきたいけど、そうなる原因を作ったのは自分自身なのでこの結果を甘んじて受けるべきなのか……。
 この国の騎士団は女子禁制である。
 それに対してアンジェは女。
 アンジェが騎士団をやめたい理由は、つまりはそういうことで。
 これには話すと深ぁくて長ぁい理由があるのだけれど、それはまぁ横に置いておく。過去の事を話したってどうにもならない。
 それでも事の次第をかいつまんで話せば、幼い頃に後見人がアンジェの性別に気づかないまま騎士団に推薦、からのトントン拍子の入団。
 めきめきとその腕を上げて精鋭の一人になった。
 後からアンジェが女だと気づいた後見人が「あ、ヤベ。でもま、アンジェならうまくやれるっしょ」って軽く考えてしまったせいで、アンジェも辞めるに辞めれず、アンジェはその性別を隠しながら騎士団での生活を余儀なくされてしまった。
 ───そして、その悲劇が起きたのは、アンジェがまさしく自分の性別が『女』だと意識し始めた頃だった。
 騎士の精鋭部隊は何事にも鼻が利く。
 それは比喩表現だけではなく、物理的に。
 特に団長。
 彼の鼻は良すぎる。
 特に血の臭いには敏感だ。
 そしてその無駄にハイスペックなスキルが、アンジェの心を傷つけた。
 ……かの団長様は、アンジェの月の道をその鼻の良さで嗅ぎ付けたのだ。
 素直に言ってキモチワルイ。
 最初は「怪我をしたのか?」ぐらいだったから身に覚えもなくて笑っていなしていたのだけれど、三日目には恐ろしい形相で医務室に行けと言われて強制連行されそうになった。
 アンジェにはたまったもんじゃない。
 後見人に女人禁制について教えてもらった後、アンジェは女であることを隠すために医務室には厄介になったことがない優良健康児として振る舞ってきた。
 剣術だって格闘術だって、傷一つつけてなるものかと磨きに磨いて、若いながらも今や精鋭騎士の一人として数えられるほどの腕前。
 でも、女だとバレてしまったら騎士団にはいられなくなる。
 なのに、物理的に犬のごとく鼻の良い団長ならいつか気がついてしまうに違いない。
 月の道が通い始めて以来、これはもう潮時かとアンジェはここぞとばかりに退職届を提示して家に引きこもった。
 引きこもったのに。

「チッ、そろそろ行かないと不味いか。おいアンジェ! 身支度したら騎士団に来るように!」

 そんなことを言われても、行く気がないから行くわけがない。
 団長の声が聞こえなくなったアンジェは、ようやく布団の中から這い出すと、そっとカーテンを開いて、赤髪の大男が去っていくのを見送った。
 そこまでしてようやく、そろそろと朝食の支度に取りかかる。
 疾きこと風のごとく。
 今日も団長が騎士団で仕事をしている間に出かけねばならないので、のんびりしている時間はない。


 ◇


 騎士団にて朝の点呼と訓練が終わると、団長であるユルバンの元に一人の精鋭部隊の騎士と見習い騎士がやって来た。

「団長、今日も駄目でしたか」
「ああ。完全に無視だな」

 副官であるケヴィンに声をかけられて、ユルバンは首を振る。
 今日の成果も何もない。
 むすっとして答えたユルバンに、ケヴィンも苦笑いしながら、もうそろそろ時効ではないのかと話を切り出した。

「アンジェとしては辞めた気満々なんでしょうねぇ。あんな良い腕した奴をそこらに放っておきたくない気持ちも分かりますが、いい加減二年も部隊に穴を開けておくのは大問題です」

 ケヴィンはそう言いながら手のひらを自分の背後にいた見習い騎士に向けた。

「彼はロランド。今年入った騎士ですが、入団前から良い腕の師にしごかれていたようで、前途有望な新人ですよ」

 金髪に青目を持つ、女性の目を惹く端正な容姿の少年が、憧れの団長に会えて嬉しいのか、にっこりと人懐こい笑顔で騎士の礼を取った。
 暗にさっさとアンジェの後釜を見繕えというケヴィンの思惑に、ユルバンは苦い気持ちで一杯になる。

「そうか。ロランド、これからも励んでくれ。その努力はお前を裏切らん」
「はいっ」

 軽く声をかけたユルバンが背を向け踵を返す。
 あまり手応えのなかったことに脱力したケヴィンが溜め息をつくと、ロランドが心配そうに彼を見た。

「お疲れですか?」
「いや……まったく、あのお馬鹿さんも、さっさとアンジェの後釜を決めればいいものを……」
「アンジェって、二年前に行方を眩ませたっていう精鋭騎士ですよね」
「そうです。行方を眩ませたと言っていますが、実のところ家に引きこもってるだけ。ですが、そんな彼の剣に惚れ込んでる奴は予想外に多いんですよ。団長もその口で……」

 遠い目をしたケヴィンは愚痴混じりにロランドに言って聞かせる。
 アンジェは男にしては小柄で華奢な体をしていた。
 かといって令嬢のような風が吹けば折れてしまいそうな華奢さではなく、柳のようにしなやかな芯を持った強い人間だった。
 その小柄な体格をアドバンテージとした小回りの利く速さ重視の戦法は、力押しする騎士の中では目を引くもの。中でも鋭利な突き技は彼の右に出る者など誰もいないくらいだった。
 このままいけば顔の綺麗さも合間って、いずれは栄えある近衛騎士に昇進となったのだろうが……そこに突然の退職届。
 当時、まだ十三歳の少年だった。
 八の時に前騎士団長に連れてこられ、十二の時に見習い騎士を最年少で卒業。
 駆け出し騎士として前途有望だった少年騎士の行動に、団員達は本当に驚いた。
 どうして彼は最年少での騎士団所属という名誉を返上して、退職届を出したのか。
 ユルバンが直前までアンジェに「怪我か病気か」と迫っていたことから、なんらかの不調があって退職を願い出たというのが専らの見解だ。
 かといって退職するその瞬間まで溌剌としていたアンジェ。
 アンジェが所属している部隊の隊長であるケヴィンに退職を届けに来たときすら軽い口調で、「これの受理お願いしまーす」と鼻唄混じりにやって来たほどだ。
 アンジェがどういう経緯で退職したいと思ったのかは分からないが、ユルバンが思うほど深刻な理由ではなさそうだとケヴィンは考えている。
 それならばいい加減、去った者に対して未練がましいことをするなと団長に言いたいが、団長が納得していない以上、説得も上手くいかない。
 ケヴィンは朝の点呼で使用した騎士の出勤簿を見る。
 未だ退職届が受理されないアンジェの名前の欄に、沢山の欠勤マークがついていた。

「まったく、団長も諦めが悪い……アンジェのことだからどこかでひょっこり、戻ってくるかもしれませんよ?」

 ケヴィンはぼやきながら隣に立つロランドを見た。
 もう二年も経つ。
 引きこもりの少年騎士は、次の誕生日を迎えたらもう十六になる。
 成人も目前だ。

「ロランドはいくつでしたっけ」
「僕ですか? 十六です」
「彼と同じくらいですか……」

 アンジェと同い年で、今現在見習い騎士として前途有望な若手騎士。
 アンジェのように飛び抜けた才能はなくとも、有能な者は幾らでもいることをユルバンは分かっていない。
 そろそろ潮時だろうと思いつつ、ケヴィンは少しだけ寂しそうに出勤簿を撫でた。
 さすがに騎士団総帥からも指摘されてるので、アンジェの名前が出勤簿から消えるのも時間の問題だ。
 溌剌として、第三騎士団に颯爽とした風を吹かせた少年騎士。
 惜しくはあるが、時間は止まらない。
 決別の時はもうすぐそこなのだ。
 ケヴィンは人の世の出会いと別れに思いを馳せてしんみりとした。





 ……だが、それから数時間後。
 アンジェとまったく同じ顔をした年頃の娘が、レイピア片手に、ワンピースを魔獣の返り血で染めているのが発見され、ユルバンを筆頭に騎士団が大きく揺れたのである。

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