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本編前のエピソード
雲の行き先 65 酒飲みの気持ち
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「何だ?」
視線を感じたドロフは、風に当たりながら言う。
閉店後の『馴染みの店』で身分を偽った者たちが動く中、この人はひたすら酒を飲んでいた。先ほど頭を抱えながら、『あの時は歯止めが効かなくなっていた』と言っていたが、正に言葉通りだった。誰とも何の情報も交わさずに、ただひたすら酒を酌み交わしていただけだった。
誰に酒を注いだなどは、ほとんど覚えていないだろう。
「本当に大丈夫なのか、気になってしまいました」
「今は無理だ。しかしもう少し治れば、また飲みたくなる」
「そうなのですね」
その顔を見てしまうと、にわかには信じられない。
「分からなかったかもしれんが、いずれ分かるようになる」
「そうならないように気を付けます」
「それはどういう意味だ?」
「特に深い意味はありません」
「そうか、そうなのだな。ならば仕方ない」
ドロフは水筒のスープを飲み干す。次に水を含み、口の中を洗い流す。
「勘違いするなよ。調子が悪いからといって、何も考えられないわけではない」
「そうなのですね」
気のない素振りを見せて、リュゼーは手綱を操る。道が悪くなっている所も速度を落とさずに通過する。それに伴って馬車は揺れる。
「そうくるか……」
「ハァッ!」
リュゼーは他の音をかき消すように声を上げる。それによりドロフの言葉は、途中でかき消されてしまう。
ドロフは顔を斜めにして頭を向け、目だけをリュゼーへと向ける。リュゼーはその視線を十分に感じているが、前を向いたままで手綱を操る。
「助かる。すでに揺れだけなら、気にならないほどに回復した」
「そうなのですね」
口調がしっかりしてきた。揺らしたところで無駄なのだろう。
「このまま遅れを取り戻すのも悪くない。この速度ならすぐに前に追いついて、横道に逸れる時間が取れるな」
「そうした方がいいかと思いまして」
このままだと危険だ。どうにかして再び気持ち悪くなってもらわないと、こっちが困る。
「後続は酒など飲んでいないからな」
「なぜそのような話を?」
リュゼーは白々しく尋ねる。
体調が戻ったのか、師は思い出してしまった。
「長テーブルでのお前の動きについて話をしていただろ。酒を飲む飲まないといったら、その話に決まっているだろうが」
その話をしている途中で気持ち悪いと言い出して、うやむやになっていた。その続きが始まる。起きた事象を今後に活かすものだが、自分の至らないところを振り返るのはいつだって心苦しい。
「ご指導をお願いします」
師の体調不良をいいことに、いつもより調子に乗ってしまったことを今になって後悔する。「しかしお前の、私は酒を飲めません、からのあの流れ。あれは素晴らしかったぞ、くだらなすぎてな」
リュゼーは「そう思われても、しょうがないことをしました」と、答えてから手綱を操る。
「飲まないための何かがあるかと思ったら、『エルドレではそうだから、それでお願いします』の一手だったのだからな。それだけで対応を相手に委ねるにしては、あまりにも弱すぎる。終いには、杯を手に持ったままだから酒を注がれてしまう始末。訳が分からん」
やはり口調が強い。どうせなら師には、ずっと酒を飲んでいてほしい。
「相手にとって生きていく上で少しも必要としない情報が、お前が頼りにしていたものだっと知った時は、我慢しきれずに笑い声が漏れてしまったぞ」
「笑われても仕方ありません」
「おっと、笑うのは失礼だな。耐えきれずに噴き出してしまったぞ」
何かを言い返したいけれど、あの場で起こったことが全てだ。
「チャントールに酒を注いだのだからそのまま酒瓶を手に持っていればいいものを、なぜそれをしない。酒瓶を持っていれば、杯を持たずにその場にいられる。酒を注ぎながら話もできる。温くなる前に酒瓶を持ち替えれば、手持ち無沙汰にもならない。周りにはどのように映る?」
「中々気の利く若者だなと、皆に思われます」
「例外はあるが、自分に利がある者を人は攻撃しない。お前のことを知らない人がいる場での立ち位置は、自分で勝手に作ってしまえ。コイツはこういうヤツなのだなとわかった方が、相手をしやすい。勝負事ではないのだ、距離は自分で詰めていけ」
「はい」
リュゼーはドロフに気付かれないように奥歯を噛む。
「酒好きの中には、酒を飲んだ時がそいつの本性だ、と考えるものがいる。イルミルズが良い例だ。そんなやつらは酒を飲ませたがる。それを回避するのに、お前の取った手は弱すぎる。規則や習慣を使うなら、重要性を先に説明した方がいい」
「その後、師はその話をしていました。実はそれでさえ、あの場で使うには弱いものだと、今となっては理解できます。他の家人が酒を絡めないのがそこで理解できました。」
「祝いの席だとゆるくなるのかもしれん。大事な荷はボウエーンにあるから、今は任務外なのかと思うかもしれん。テーブルの者は飲んでもいる。他にも色々と考え付くが、どれも思い付かないらしい」
「改めて考えると、視野の狭い策だと思います」
「酒飲みからしたら、『だからなんだ?』だからな。イルミルズが怒るのも理解できる」
「作り手のことを考えないのか? と、問われた時に激しく心が動きました」
「だから、後先考えずに酒を飲もうとしたのか?」
「それは……」
「食事会ではない、あれは晩餐会のひとつだ。酒を利用するにも色々あるが、あそこで飲もうとするかね。駄目だと思ったら諦めて退け。あの程度なら、幾らでも取り返せる。酒を飲んだ状態で、ヘヒュニと話すつもりじゃなかったよな?」
「次を考えていませんでした」
「使う手を間違えると、次に進めなくなる」
「後々それに気が付いた時、背筋が凍りました」
与えられた仕事をこなすだけでは、それでおしまい。評価はそこまで。酒を飲んでしまったら、長テーブルの場に行くことはできなかった。
視線を感じたドロフは、風に当たりながら言う。
閉店後の『馴染みの店』で身分を偽った者たちが動く中、この人はひたすら酒を飲んでいた。先ほど頭を抱えながら、『あの時は歯止めが効かなくなっていた』と言っていたが、正に言葉通りだった。誰とも何の情報も交わさずに、ただひたすら酒を酌み交わしていただけだった。
誰に酒を注いだなどは、ほとんど覚えていないだろう。
「本当に大丈夫なのか、気になってしまいました」
「今は無理だ。しかしもう少し治れば、また飲みたくなる」
「そうなのですね」
その顔を見てしまうと、にわかには信じられない。
「分からなかったかもしれんが、いずれ分かるようになる」
「そうならないように気を付けます」
「それはどういう意味だ?」
「特に深い意味はありません」
「そうか、そうなのだな。ならば仕方ない」
ドロフは水筒のスープを飲み干す。次に水を含み、口の中を洗い流す。
「勘違いするなよ。調子が悪いからといって、何も考えられないわけではない」
「そうなのですね」
気のない素振りを見せて、リュゼーは手綱を操る。道が悪くなっている所も速度を落とさずに通過する。それに伴って馬車は揺れる。
「そうくるか……」
「ハァッ!」
リュゼーは他の音をかき消すように声を上げる。それによりドロフの言葉は、途中でかき消されてしまう。
ドロフは顔を斜めにして頭を向け、目だけをリュゼーへと向ける。リュゼーはその視線を十分に感じているが、前を向いたままで手綱を操る。
「助かる。すでに揺れだけなら、気にならないほどに回復した」
「そうなのですね」
口調がしっかりしてきた。揺らしたところで無駄なのだろう。
「このまま遅れを取り戻すのも悪くない。この速度ならすぐに前に追いついて、横道に逸れる時間が取れるな」
「そうした方がいいかと思いまして」
このままだと危険だ。どうにかして再び気持ち悪くなってもらわないと、こっちが困る。
「後続は酒など飲んでいないからな」
「なぜそのような話を?」
リュゼーは白々しく尋ねる。
体調が戻ったのか、師は思い出してしまった。
「長テーブルでのお前の動きについて話をしていただろ。酒を飲む飲まないといったら、その話に決まっているだろうが」
その話をしている途中で気持ち悪いと言い出して、うやむやになっていた。その続きが始まる。起きた事象を今後に活かすものだが、自分の至らないところを振り返るのはいつだって心苦しい。
「ご指導をお願いします」
師の体調不良をいいことに、いつもより調子に乗ってしまったことを今になって後悔する。「しかしお前の、私は酒を飲めません、からのあの流れ。あれは素晴らしかったぞ、くだらなすぎてな」
リュゼーは「そう思われても、しょうがないことをしました」と、答えてから手綱を操る。
「飲まないための何かがあるかと思ったら、『エルドレではそうだから、それでお願いします』の一手だったのだからな。それだけで対応を相手に委ねるにしては、あまりにも弱すぎる。終いには、杯を手に持ったままだから酒を注がれてしまう始末。訳が分からん」
やはり口調が強い。どうせなら師には、ずっと酒を飲んでいてほしい。
「相手にとって生きていく上で少しも必要としない情報が、お前が頼りにしていたものだっと知った時は、我慢しきれずに笑い声が漏れてしまったぞ」
「笑われても仕方ありません」
「おっと、笑うのは失礼だな。耐えきれずに噴き出してしまったぞ」
何かを言い返したいけれど、あの場で起こったことが全てだ。
「チャントールに酒を注いだのだからそのまま酒瓶を手に持っていればいいものを、なぜそれをしない。酒瓶を持っていれば、杯を持たずにその場にいられる。酒を注ぎながら話もできる。温くなる前に酒瓶を持ち替えれば、手持ち無沙汰にもならない。周りにはどのように映る?」
「中々気の利く若者だなと、皆に思われます」
「例外はあるが、自分に利がある者を人は攻撃しない。お前のことを知らない人がいる場での立ち位置は、自分で勝手に作ってしまえ。コイツはこういうヤツなのだなとわかった方が、相手をしやすい。勝負事ではないのだ、距離は自分で詰めていけ」
「はい」
リュゼーはドロフに気付かれないように奥歯を噛む。
「酒好きの中には、酒を飲んだ時がそいつの本性だ、と考えるものがいる。イルミルズが良い例だ。そんなやつらは酒を飲ませたがる。それを回避するのに、お前の取った手は弱すぎる。規則や習慣を使うなら、重要性を先に説明した方がいい」
「その後、師はその話をしていました。実はそれでさえ、あの場で使うには弱いものだと、今となっては理解できます。他の家人が酒を絡めないのがそこで理解できました。」
「祝いの席だとゆるくなるのかもしれん。大事な荷はボウエーンにあるから、今は任務外なのかと思うかもしれん。テーブルの者は飲んでもいる。他にも色々と考え付くが、どれも思い付かないらしい」
「改めて考えると、視野の狭い策だと思います」
「酒飲みからしたら、『だからなんだ?』だからな。イルミルズが怒るのも理解できる」
「作り手のことを考えないのか? と、問われた時に激しく心が動きました」
「だから、後先考えずに酒を飲もうとしたのか?」
「それは……」
「食事会ではない、あれは晩餐会のひとつだ。酒を利用するにも色々あるが、あそこで飲もうとするかね。駄目だと思ったら諦めて退け。あの程度なら、幾らでも取り返せる。酒を飲んだ状態で、ヘヒュニと話すつもりじゃなかったよな?」
「次を考えていませんでした」
「使う手を間違えると、次に進めなくなる」
「後々それに気が付いた時、背筋が凍りました」
与えられた仕事をこなすだけでは、それでおしまい。評価はそこまで。酒を飲んでしまったら、長テーブルの場に行くことはできなかった。
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