夏の思い出

遠野 時松

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なんでそんなこと言うんだよ

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 敦仁は首の後ろが気になるのか、ハンドル片手にそっと自分の首をさすっている。寛明も真似をするように首の後ろに手を回す。チクチク、ヒリヒリとする痛みは、二人の真っ赤になった首を心配した朱音が塗ってくれたハンドクリームのおかげで少しはマシになっている。

 今、僕たちは、妹も大好きな橋の近くのファミリーレストランで夕御飯を食べた後に、狩りに行くにはまだ時間があるからとみんなでドライブをしている。
 日が落ちて辺りが暗くなる前に、親戚が椎茸栽培のために育てているくぬぎ林に行ってカブトムシ捕りの蜜を仕掛けたから準備は万端だ。

 虫籠の中には「ついでだからコクワでも捕るか」と、使い終わって積まれている木の隙間を探している時に「ラッキー。ヒロ、ちょっとこい」そう言われて捕まえたノコギリクワガタが入っている。
 昆虫採集はちょっと寄ってみるが大事らしい。探す場所が増えればその分確率も上がる。そして、大物を捕るにはみんなが見るところ以外も見る事が大事。みんなが見るって事はその場所にいたやつはもう捕られている。誰も探してないって事は獲物が取られてないって事。表紙に『秘伝の書』と手書きで書かれたノートにそう書かれていた。
 カブトムシのページには新しい紙が貼り付けられている。朱音ちゃんが秘伝の蜜の作り方をパソコンで作ってくれた。「料理のレシピみたいだね」なんて言ったら笑っていた。

「お前好きな人いねえの?」

 後ろの席で日和が好きな人の話をしているからか、あっちゃんが聞いてきた。

「いない」
「いるよ、同じクラスの草下さん」

 後ろの席から余計な一言が聞こえてくる。僕の眉根に皺が寄る。

「はぁ?お前何言ってんだよ。ちげーよ」
「何だよいるんじゃねーかよ」
「だから好きじゃねーし」

 敦仁は疑いの目を寛明に向ける。寛明が顔を逸らしたので敦仁はルームミラーで日向と目を合わせる。

「ひーちゃんその子どんな子なの?」
「可愛くてみんなの人気者。渋沢くんも草下さんの事好きなんだって」
「渋沢君てのは?」
「イケメン」
「イケメンかぁ。それなら相手にとって不足はねぇな」
「だから違うって言ってんの」

 あっちゃんのニヤケた顔に僕は語気を荒くする。

「そんな怒んなよ。そんなに怒ると認めた事になんぞ」
「あっちゃんがしつこいからだよ」
「あーそうかよ。ごめん、ごめん」

 後ろの席で朱音がクスクスと笑う。

「でもよ、みんなが好きだから好きじゃなくなるってのも違うからな。みんなが好きって事はそれだけいい女だって事だからな」
「だから…」
「分かってるよ、違うんだろ?これからの話だよ」

 よく聞けよ。と敦仁の顔が言っている。

「人から色々言われたら迷っちまうかもしれねえけど、人それぞれ好みが違うんだから自分がいい女だと思った女を口説くんだぞ」
「うん、好きな人できたらね」

 あっちゃんは朱音ちゃんと一緒に住むことが決まってからこういった話をよくする。
 それより日和のやつ余計な事を言いやがって。夕御飯を食べたら朱音ちゃんと日和はアパートに帰るはずだった。それなのに私も行きたいって無理矢理ついてきたんだから変な事言うな。
 ノコギリクワガタが捕れてついていると思ったのに、こんな事になるなんて全然ついていなかった。

「そろそろいい時間だしカブトムシ捕りにいくか」

 何も喋らなくなった寛明を微笑ましく感じた敦仁は、コンビニの駐車場に車を乗り入れた。
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