恋はあせらず

遠野 時松

文字の大きさ
33 / 33

孫とおばあちゃんの恋バナ 上

しおりを挟む
 なんでそんなこと言うの。せっかくおばあちゃんの思い出話で心が温まってたのに、これじゃあ台無しじゃない。

 鈴香は両肩を上げながら大きく息を吸うと、勢い良く鼻から吹き出すのと同時に肩を勢い良く、ズンと下げる。

 緩んだはずの宏の頬は、それを見たと同時に再び『ピキ』っと凍り付く。その変わり様は自分たち夫婦の馴れ初めを冷やかされた時とは全くの別物で、背筋を凍らせるそれは自ずとカウンターに座る二人の元に届けられる。

「す、鈴ちゃん、頼むから笑ってくれ。そうじゃねえと大変なことが起きちまう」

 源の切なる願いは叶えられることはなく、鈴香は「フン!」と力強く顔を横に振る。

「お、おう」

 その仕草に源は慌てる。

「な、なあ?」

 自分一人ではどうにも出来ないと思ったのか、源は正に助けを求める。

「そ、そうだな。えっとなぁ……」

 いつもの正なら軽口の一つや二つ出てきそうだが、何を言おうかと言葉を選んでいるのか、しきりに黒目が動くだけで待てど暮らせどその口からは何も出てこない。

 ゴクリ、と源は唾を飲み込む。

 そんなことは絶対にあり得ないのだが、恐怖と不安からか源は、包丁のありかをそっと目で確認する。その様な事態になることはあり得ないのだが、こと鈴香に関して宏に絶対は無いことは知っている。

 ひとり動じずにそのやり取りを見ていた佳子は、微笑みながら「鈴ちゃん」と、頬を膨らましている鈴香を優しく窘める。

「だって」

 駄々を捏ねながら、鈴香は佳子に顔で訴える。

「そうよね、おばあちゃんもそう思う。怒る理由も分かる。けれどね、このままだとおじいちゃんが大変なことになっちゃうの」
「でもね、でもね」
「うん、うん。分かるわよ」

 佳子は優しく頷き、そっと鈴香の頭を撫でる。何か言おうとしたのか鈴香は息を吸うが、そのまま鼻から息を吐き、キュッと唇を窄める。

 佳子は、口角を少しだけ上げてそれを眺める。それからカウンターに顔を向け、誰にともなく、「こら、ダメでしょ」とだけ言う。

 母親に悪戯を叱られる子どもみたいな顔をして、正と源は顔を見合わせる。宏もまた、強張らせた頬をぴくりと動かした後に目を伏せる。

「おばちゃんが代わりに怒っておいたからこれでお終い、ね?」
「……うん」

 小さく頷く鈴香を見て、佳子は「よし、良い子」と笑う。

 身長はすでに抜かされてしまったけれど、小さい頃に『おばあちゃん、おばあちゃん』と膝の上で笑っていた孫は相変わらず可愛く、大人と子どもを行ったり来たりするその姿が微笑ましく佳子の瞳に映る。

「鈴ちゃん」

 優しくゆっくりと名前を呼ばれた鈴香は、何も言わずに佳子の顔を見つめる。

「あのね。女性の気持ちを分からない男なんてぶっても……、あら、ご時世的にそれはダメね」

 佳子は、うふふと笑う。

「そんな男は懲らしめちゃって良いのよ」

 佳子は意味ありげに口角を上げると、ゆっくりと鈴香から源へと目を移す。
 鈴香は「うん」と頷くと、大きく息を吸う。

「源さん、正さんのバーーーカ」

 鈴香は目をギュッと瞑って、舌をベーッと出す。 

「良くできました」

 そう言うと佳子は、少しだけ鈴香に顔を寄せる。

「でもね鈴ちゃん、良い人がいないってのは悪いことでも恥ずかしいことでもないのよ。そんなことで鈴ちゃんの魅力は変わらないわ」

 鈴香は耳元で囁かれたその言葉にビクッと体を動かし、見つめていた頭を掻いている正から佳子へと視線を移す。

「何で——」

 『分かったの?』という次の言葉を鈴香は飲み込む。

「だって、おばあちゃんよ」

 目を見開いていた鈴香に向かって佳子は名探偵の顔で笑い返し、言葉を少なくすることにより正と源に鈴香の気持ちを悟られないように配慮する。

「はい、おばあちゃんの恋バナもこれでお終い」

 佳子は一度だけ手を叩く。それから自分と鈴香の湯呑みにお茶を注ぎながら、「次は鈴ちゃんの番よ」と語りかける。

「私の番?」
「そうよ。恋バナで鈴ちゃんがときめいたなら、おばあちゃんもときめきたいじゃない」
「でも私、友達にもそんな話したことないし」

 鈴香はモジモジと、皿についたクリームをフォークで掬う。残り一口となったロールケーキは、皿の端に大切に寄せられている。

「恋バナは嗜みなんでしょ?」
「そうだけど……」
「芸事でも何でも、聞いているだけじゃ上手くならないの。何事も慣れは大事よ」
「そうなんだけどさ」

 そう言うと鈴香はフォークを咥え、眉根を上げてその間にうっすらと皺を寄せる。

 再び佳子は、鈴香の耳元に口を近付ける。

「お付き合いしている人がいなくたって恋バナはできるでしょ? 恥ずかしがらなくても良いのよ」

 鈴香は小さく首を横に振りながら、「恥ずかしいわけじゃなくて」と、口ごもりながら答える。

「そうなの?」

 優しく語りかけても、鈴香からの返事は無くなる。

 自分のお見合い話を聞いていた時とは打って変わり、自分語りが恥ずかしいのか本当に話すことがないのか、話すのを禁じられているかと思えるほどに黙り込んでしまった孫の姿に、佳子は再び目尻に優しいシワを寄せる。

「それならこっちから質問しちゃおうかな。好きとまではいかないけれど、気になる人はいるの?」
「俳優さんとかアイドルとか、推しのキャラクター以外でだよね?」
「……。あら、あら」

 口にした言葉の前に言おうとした、『当たり前じゃない』を胸に仕舞いながら真剣に考える鈴香を見て佳子は、孫は自分語りが恥ずかしいのでは無く、本当に恋愛から遠いところにいるのだと理解する。
 高校生にもなれば周りもお付き合いをしだす頃だし、恋愛も大人のそれに近付く時期でもある。幸せそうな顔を見れば羨ましくも思うだろう。だからこそ恋をするというものに興味を持ち、お付き合いをしている人がいない自分に劣等感にも似た感情を抱いていることを、これまでのやり取りから感じ取る。

「そうね、できれば身近な人の方が良いかもね」
「うーーーん」

 鈴香の頭の中にはコマ送りで身近な男子の映像が流れる。

 佳子は鈴香の表情が一瞬だけ変化したことに気が付く。しかしその顔は、お世辞にも恋する乙女といったものでは無い。

「いない」

 それを裏付ける様に、鈴香の口調が幾分か強い。

「いないの?」
「うん」
「意外ね」
「意外なの?」
「そうよ恋愛のお話が好きなら、意中の人がいるのかと思ったわ」
「でも私だって、付き合ったことはあるよ」

 鈴香の顔が、ふふん、と鼻を鳴らす様なものから、しまった、というものに変わる。
 プライドからか、自分にも恋愛経験があることを示したかったのかもしれないが、あまり良い思い出では無いらしい。それが鈴香の恋愛観に影響を与えているのかもしれない。

「そうなの? すごいじゃない」
「小さい時だけどね」

 その口調と鈴香の顔から、自分の取り越し苦労だったと佳子は安堵する。

「鈴ちゃんは、おませさんだったのね」
「そんなんじゃ無いくて、お互い好きってわけでも無くて……」
「好きじゃないの?」
「その時は好きだったけど今は好きじゃないっていうか、むしろ大嫌いっていうか。でもあの時は仲が良かったから嫌じゃなかったっていうか」
「なんだか難しい関係なのね。告白とかはなかったの?」
「そういうのは無くて、なんて言うか無理矢理付き合わされた感じ」
「どういうこと?」
「色々あるの!」
「あら、あら」

 これ以上この話をしても孫を怒らせることになりそうだと、鈴香の勢いに負けて佳子は話題を変えることにする。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

籠の鳥〜見えない鎖に囚われて✿❦二人の愛から…逃れられない。

クラゲ散歩
恋愛
私。ユリアナ=オリーブ(17)は、自然豊かなオータム国にあるグローパー学院に在籍している。 3年生になって一ヶ月が経ったある日。学院長に呼ばれた。技術と魔術の発展しているフォール国にある。姉妹校のカイト学院に。同じクラスで3年生の男子3名と女子3名(私を含め)。計6名で、半年の交換留学をする事になった。 ユリアナは、気楽な気持ちで留学をしたのだが…まさか学院で…あの二人に会うなんて。これは…仕組まれていたの?幼い頃の記憶。 「早く。早く。逃げなきゃ。誰か〜私を…ここから…。」

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...