【完結】負けず嫌いが過ぎて、王子と婚約することになりました〜ただ言い返してただけなのに、どういう訳か気にいられてます〜

ぽぽよ

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6愚かな令嬢

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 あの侍女が呼んできたのだろう。
 慌てた様子でハンスとブレイ伯爵がやってきた。
 ハンスが恐る恐るフランシーヌの頬に触れた。

「ああ……腫れてる……痛かったろう、フランシーヌ……」

 特に痛みはなかった。しかし、頬が赤く腫れていることにフランシーヌは驚いた。頬に触れたハンスの方が、叩かれたフランシーヌよりも、よほど痛そうな顔をしていた。

「これくらい平気」と言おうとしたところで、わっと泣き声が響いた。ミラリアだった。幼児のように声を上げ、ミラリアはブレイ伯爵に縋り喚きだした。

「あの子が私を叩いたのよ!!」

 ミラリアが赤く腫れた頬をブレイ伯爵に見せつけるようにして訴えた。

 未だ地に尻をつけたままのミラリアに、ブレイ伯爵は寄り添うように身体を低くしていたのだが、彼はそのまま地に膝をつけると、深々と平伏した。

「娘が大変なご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません」

 ミラリアは、平伏する父を見て、目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。

「やめて!やめてよ!お父様は何も悪くないじゃない!!」

 悲鳴のように声を上げ、ミラリアは父に縋った。
 ブレイ伯爵は、それを振り払うとミラリアの頬を張った。

 バチン、と庭に高く響くほどの音が鳴った。

 殴られたミラリアは芝生の上を滑るようにして後方へ飛ばされた。よろよろと身体を起こし、唖然とした表情で顔を上げたミラリアに、ブレイ伯爵が吠えた。

「バカモノが!! まだ理解できんのか!!」

 空気が震えるほどの怒声に、場の緊張感が増した。茶会会場は、しんと静まり返る。

 様子を伺っていた令嬢達の中には、倒れてしまいそうなほど顔色の悪い令嬢がいた。貴族の男性が声を荒げることなど滅多にない。ミラリアの度が過ぎているのだ。

 それでも愚か者は気づかない。

「あ、だ、だって、お父様……ぁ、あの女が……」

 震える声で、ミラリアが尚も保身の言葉を吐いた。
 フランシーヌの横で、ハンスが息を吸う音が聞こえた。しかし、ハンスが反論するより先に、再度、ブレイ伯爵の怒声が響き渡った。

「まだ言うのか!! なんて愚かなんだお前は!! お前のような人間が殿下の婚約者になど望むことすら烏滸がましいわ!!」

 その言葉にミラリアの顔色が変わった。何かが彼女の琴線に触れたらしい。ミラリアは、一瞬にして憤怒の表情を浮かべ、近くのティーポットを掴むと、フランシーヌに向けて中身をぶちまけた。

 一瞬の出来事だった。唖然としている間にそれは起き、気づいた頃にはフランシーヌは紅茶でずぶ濡れになっていた。まだ熱い紅茶が湯気を上げ、芳ばしい香りが辺りを包んだ。

「お前!! 何をしているんだ!!」

 慌ててブレイ伯爵がミラリアを取り押さえたが、ミラリアはティーポットを手にしたまま、掴みかからんばかりにフランシーヌに言い募る。

「こいつは平民なのよ!! 下賎な生まれの分際なのよ!! なんで私が怒られなきゃならないの!! こいつの方こそ相応しくないじゃない!! 下民のくせに!! 山猿のくせに!! あんたが、あんたがいけないのよ!! 全部全部あんたのせいよ!!」


 吠えるミラリアに、フランシーヌはため息を吐いた。紅茶に濡れ、顔に張り付いた髪を避け、フランシーヌはミラリアを見据えた。

 歯を剥き出し、唸るミラリア。まるで、野犬のようだなとフランシーヌは思った。

 人ごとのように感じているが、数年前はフランシーヌだってミラリアに負けないくらい粗野であり愚かであった。今のミラリアのように、いや、それ以上に粗野に感じられただろう。

 だが、フランシーヌは変わった。野犬から飼い犬くらいの品の良さは備わったはずである。今では調教された野犬が、血統に混じって戯れている。

 人は変われる。けれど、出自は変えられない。フランシーヌは、血統ではないのだ。確かに血統を重んじる場所に、野犬はふさわしくないだろう。

 しかし――

「直情的で短絡的な性格。私も大概だけど、あなたも、王太子妃に相応しくないわね」

 フランシーヌは、ふん、と鼻を鳴らしミラリアに告げた。たとえ血統が良くあったとしても、誰彼構わず噛みつく犬は、調教された野犬にも劣る。そんな意味を込めて告げれば、ミラリアが切れた。

「――――っ!!!」

 獣のような唸り声を上げて、ミラリアがティーポットを振り上げた。ブレイ伯爵を引きずる勢いで、ミラリアはフランシーヌに飛びかかろうとする。目を吊り上げ、歯を剥き出し、赤い顔で怒る彼女は、とても淑女とは言い難かった。

「ほらね、私が言ったとおり。あなたは、すぐ手が出る」

 指摘したことが確信を得れて愉快だった。フランシーヌは、濡れた髪を後ろに払いながら、我を忘れて暴れる令嬢に言った。

「殴りたければ殴ったらいいわ。家庭教師に習わなかった? 王族は常に冷静であることが求められるのよ? それなのに、こんな場所で、そんなに感情的になって凶器まで振り翳して騒いでおいて、どうしてこんな劇物みたいな人間を王家が受け入れると思えるの?」

 フランシーヌの言葉が届いたのか、ミラリアの身体から力が抜けた。ミラリアは、しばし唖然とした後、自身のティーポットを握る手を見るや、怯えるようにして手を離した。

 落下したティーポットは、大きな音を立てて割れた。飛び散った紅茶と茶葉が芝生を汚した。ミラリアは、怯えるように後退り、その場に崩れるように座り込んだ。

 顔から水滴を垂らしたフランシーヌが、ミラリアを見下ろす。

 本当に怖いのは、王家云々の前に、今回の騒動の相手が他国の人間だった場合である。もしフランシーヌではなく、他国の、しかも要人であったなら、国を巻き込んだ大騒動になっていただろう。怒りで我を忘れる危うさを、フランシーヌは他人事のように恐ろしく思った。

 フランシーヌはハンスを見上げた。ハンスが青い顔をして呆然としていた。

 フランシーヌは、軽くハンスの袖を引っ張った。ハンスと目が合い、ハンスは戸惑いながらも頷く。ドレスが紅茶で濡れたことを良いことに、早々に帰宅する理由ができた。ちょうどいいとフランシーヌはほくそ笑んだ。

「ドレスが汚れたことですし、本日は退席させていただきます。皆様、お騒がせしてしまい申し訳ございませんでした」

 朗々と述べ、フランシーヌは見本のようなカーテシーを披露した。

 さあ、帰ろうと踵を返そうとして、フランシーヌははたと止まる。そうそう、と何かを思い出し、フランシーヌはミラリアの元まで来ると、こっそりと耳打ちした。

「あなた、そのくせ直さないと、いつか人を殺すわよ?」

 こっそりと、親切心でそう告げると、令嬢は小さな悲鳴を上げた。

 その悲鳴はどういう意味か。もしかしたら、もうすでに一悶着あった後なのかもしれない。なんて考えて、フランシーヌは自身の頭から不穏な憶測を消した。

 令嬢は、青を通り越して白い顔で、フランシーヌを見上げた。少しは現実が見えただろうか。フランシーヌは満足して小さく笑うと、立ち上がった。

「さあ、帰りましょうか。お父様」

 フランシーヌは、ハンスの腕に手を乗せると、王太子に会わずに会場を後にした。
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