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8たぬき爺と練度の上がった侍女達
しおりを挟む王城での一幕から一ヶ月。
フランシーヌの屋敷には、ようやく穏やかな日々が戻っていた。
リッツ商会は海外進出を発表し、拠点を他国へ移したという。ミラリアも遊学と称してどこかへ行くらしい――噂話の域を出ないけれど、国外でやり直すなら、それもまあ、悪くないのかもしれない。
茶会であれだけの醜態を晒した後だ。本国ではまともな縁談など望めないだろう。それに、あの傲慢さと愚かさは矯正すべきだ――
自分のことは棚に上げて、フランシーヌは静かにため息をついた。
「先生、完成しました」
フランシーヌは、出来上がった刺繍を広げた。講師のイザベルが、しげしげとフランシーヌの力作を見つめた。
なかなか上手くいったんじゃなかろうか。黄色と茶色で仕上げたそれを見つめて、フランシーヌは満足げに微笑んだ。
「まあ、元気なヒマワリですわね」
イザベルの声に、フランシーヌの表情がすん、と固まった。濁った瞳で、フランシーヌはイザベルを見た。
「獅子です。先生」
「……」
イザベルが視線を白い布の上に戻した。
白い布の上でフランシーヌの力作が、雄々しく存在感を放っていた。確かに言われてみればヒマワリに見えなくもない。しかし、フランシーヌは獅子を刺繍したのであって、ヒマワリを刺繍わけではない。
これでも、以前は形にもならなかったのだ。ずいぶん上達している――はずだった。
フランシーヌは、じっとイザベルを見つめた。
「……つ、次は何を刺しましょうか」
イザベルが、わざとらしく手を叩き、話題を変えた。
フランシーヌが無言でイザベルを見つめ続けると、イザベルはあからさまに目を逸らした。
(なぜこっちを見ないのですか?先生)
気まずい沈黙が部屋を満たした。
その時、扉を叩く音が聞こえた。
「失礼します」とロバートが銀のトレーを持って入ってきた。それを見たイザベルがなぜか喜色を浮かべて急に荷物を片付けはじめた。
「今日はこの辺にいたしましょう」
早口に告げてイザベルは逃げるように退室していった。
(解せない)
フランシーヌは、下唇を突き出し、剣呑な表情でそれを見送った。
「お嬢様、お手紙でございます」
ロバートが銀のトレイをフランシーヌに差し出した。銀のトレイには、手紙が一通載っていた。
手紙は既に開封されていた。手紙の内容は祖父、あるいは父が確認済みということだ。
フランシーヌは、ロバートを見上げた。
「手紙、開いてるけど」
「旦那様が一度確認されました」
ならば、なぜ自分に聞くのか。わざわざ授業を止めてまで?
フランシーヌは片眉を上げて、じっと、ロバートを見つめた。ロバートは、笑顔のまま動じない。
「こちらは王家からのお手紙でございます。ただいま使者の方がお待ちでございますので、恐れ入りますが、できるだけお早めにお返事をお願いいたします」
返事が要るような内容らしい。とたんに、フランシーヌの眉間にしわが寄った。
前回の茶会が脳裏を掠めた。ミラリアに絡まれ、頬を張られ、紅茶をかけられた。侮辱には慣れていたが、髪や服が汚れるのは勘弁だ。それに、帰宅後の母と祖父の大騒ぎも二度と御免だ。
王家が平民風情の娘に何の用があるというのか。歓迎されないのが分かっていて、のこのこ出て行くのも馬鹿らしい。読むまでもないだろう。
「謹んでお断りしてちょうだい」
フランシーヌは即答した。
部屋が、しんと静まり返った。王家の手紙を断るなど、不敬も良いところだろう。しかし、ロバートは動じなかった。むしろ、にこやかに頷いた。
「かしこまりました――と申し上げたいところなのですが、既に旦那様がお返事をお伝えしております」
――は?
一瞬、理解が追いつかなかった。
「ならなんで聞いたのよ」
フランシーヌは眉をひそめた。嫌な予感がした。
ロバートが相変わらずの好々爺の表情で告げた。
「そういう訳でして」
パンパンと彼が二度手を叩いた。瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。
「失礼いたします、お嬢様」
侍女達が、ぞろぞろと入ってきた。侍女長のリアーナを先頭に、側付きのアンヌ、メイドのエナ、ミルル、シエナ。手には、華やかなドレスやアクセサリー、化粧道具、靴箱まで。
既視感があった。いや、既視感どころではなかった。
「は!? どういうことよ!ちょっと――」
「さあさあ、お支度を始めましょう」
リアーナが、てきぱきと指示を出し始めた。
「待って、私、行かないって――」
「お時間がございませんので、急ぎませんと」
「だから、断るって言ったじゃない!」
しかし、侍女達が容赦なくフランシーヌを囲み、四方八方から手を伸ばして支度を始めた。アンヌが髪飾りを外し、エナが化粧道具を広げ、ミルルとシエナがドレスの準備を開始した。
「ちょっと、ロバート!説明なさい!」
「お嬢様、動かれますと――」
「動くわよ!ロバート!ロバート!!」
フランシーヌは、必死に声を上げた。振り返ると、ロバートは扉の前に立っていた。にこやかに、実ににこやかに、満足げに笑っていた。
「ロバート!?」
「お支度でございます」
「だから行かないって――」
「使者の方には、既に『喜んで参ります』とお伝えしております」
「ふざけるんじゃないわよ!」
フランシーヌの叫びも虚しく、ロバートは恭しく一礼した。
「それでは、馬車の準備をして参ります」
「待ちなさい!戻ってきなさい!ロバートっ!」
扉が、静かに閉まった。
「お嬢様、お顔をこちらへ」
「さあ、お嬢様。まずはお着替えを」
「いやあああああ!!」
フランシーヌの悲鳴が、屋敷中に響き渡った。
しかし、侍女達の手は止まらなかった。てきぱきと、流れるような動きで、フランシーヌの支度が進められていった。まるで、あの時の茶会のように。いや、あの時よりも手際が良い。連携の取れた動きで、無駄がない。
侍女達は、明らかに練度を上げてきていた。
――これ、裏で練習してるんじゃないでしょうね。
フランシーヌは、ようやく気づいた。ロバートは、最初から断らせる気などなかったのだ。いや、それどころか、断ることを見越して準備していた。
「あんのたぬきジジイ……!」
フランシーヌの呪詛も、侍女達の忙しない足音にかき消された。
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