オッズ

兵馬俑

文字の大きさ
11 / 35
高配当

しおりを挟む
 兄は中学卒業と同時にボートレーサー養成所に入所した。全寮制で、帰省は夏と冬の2回だけ。冬に帰郷した時、瑠衣は無邪気にこう聞いた。

「転覆した時ってどんな感じ?」

 兄はよくぞ聞いたとばかりにニコリと笑い、答えた。

「あ、死ぬっ! って感じ。いきなり冷たい水に浸かるんだ。もう、冷たくて冷たくて、地獄だよ。一瞬のことで、何が起こったのかわからないんだけど、でも絶対ハンドルを離しちゃいけないんだ。ボートの下から出たら、後続艇に轢かれて命を落とすことになるからね。だから冷たくて頭も真っ白だけど、手だけはハンドルから離さない」

 あ、死ぬっ! って感じ。

 そういう兄の口調は軽かった。

 頭から水に浸かりながら、瑠衣は兄の言葉を反芻した。

 もう、冷たくて冷たくて。

 あ、死ぬっ! って感じ。

 意識が朦朧とした。この日は桜庭に呼び出され、大阪駅近くの高級ホテルに来ていた。屋上プールは時間制で、他に客がいないのを良いことに、桜庭はプールでしたがった。

 瑠衣は肛門に水が入ることだけ気にしていたが、甘かった。桜庭はいつも以上に容赦なかった。後ろから犯しながら、頭を押さえつけてプールに沈めるのだ。

 口が開き、ボコボコと泡が立つ。次の瞬間、ふっと体から力が抜けた。



「はあっ」

 口から水を噴き出し、瑠衣は目を覚ました。

「ああ、良かった。ごめんね。ちょっとやりすぎた」

 額に張り付いた前髪をそろりと退かしながら、桜庭が言った。

 瑠衣はまだ意識が判然としなかった。虚な目を彷徨わせ、プールを見て、一気に記憶が蘇る。微笑みを浮かべる桜庭が悪魔に見えた。パチンと手を払いのけ、瑠衣は体を起こす。手をつきながら、プールサイドを後退った。

「まいったな」

 やれやれというように、桜庭は後頭部をかいた。

「蘇生? きみのために頑張ったんだよ? お礼くらい言ったら?」

 桜庭はゆっくりと立ち上がった。二歩で瑠衣に迫る。

「やっ……来るなっ……うあっ」

 足で頬を横殴りされ、倒れ込む。桜庭はプールに入ると、瑠衣の足を引っ張って、プールに引き摺り込んだ。

「やだっ……もうっ、いやだっ!」

 瑠衣はハシゴにしがみ付いた。無防備な尻を桜庭が鷲掴む。ブワッと鳥肌が立った。これまで自分に触れてきたどの人間よりもおぞましかった。

「やだっ、もうやだっ、やだっ」

 後ろから貫かれ、焼けるような痛みに襲われる。

「どうしちゃったの、瑠衣くん。痛いのは慣れてるだろ?」

 桜庭は笑いながらそう言って、瑠衣の頭を水中に埋めた。

「もう嫌になっちゃった? でもこうすると瑠衣くんのここ、すっごく締まるよ」

「ふはっ、あっ、ああっ!」

 桜庭は、ハシゴにしがみつく瑠衣の手に手を添えた。中指を握り、反対方向に向かって力を込める。

 まさか、と思った時には鋭い激痛が脳天を貫いた。

「ああああっ」

 悲鳴はすぐさま、頭を押さえつけられ、水中に消えた。



 折られたのは左手の中指と、左腕だけだった。あの後、桜庭の知り合いが経営している病院に連れられ、傷つけられた箇所は適切な処置がなされた。

 手切れ金代わりに、桜庭からはマンションと五百万円を貰った。これで卒業まで働かずに済む。そう思うと、あの地獄のような時間も素直に良かったと思えた。

「まあ……瑠衣がそう言うんやったら、俺からはなんも言わんよ。思うことはぎょうさんあるけどな」

 拓也の声は怒りに滲んでいた。

「明日、兄さんと会うんだ」

「そか。良かったやん」

「なんて言おう……」

 拓也には正直に事情を話せても、兄にはとてもじゃないが話せない。

 スプーンを持ったまま固まっていると、向かいから拓也が手を伸ばしてきた。ティッシュで口元を拭われる。

「競艇場で絡まれたって言えばええやろ。俺と会うた日に」

「無理に決まってるじゃん……心配かけたくない」

「俺が止めに入らんと、そのくらいの怪我はしとったかもしれへんで」

「……」

 確かにあの日、拓也が止めに入らなければ、これくらいの怪我をしていたかもしれない。

 今になって、感謝の念が込み上げた。気づけば拓也を頼ってばかりいる。見下しているから、わがままばかり言ってしまう。愛想を尽かして拓也が離れていくことも考えずに。途端に鳩尾が冷たくなった。

「……ありがとね」

「なんや急に、気色悪い」

 拓也は照れくさそうに言った。

「なんか、拓也に頼りっきりだなと思って」

「もっと頼ってええよ」

 意識したようにそっけなく、拓也は言った。

「……うん。頼ると思う」

 拓也は目を細めた。その優しい眼差しを見るといつも、瑠衣の胸に暗い影が差す。もう一度、出会いからやり直したくなってしまう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

透けるほどうすい/溶けるほどあつい

鴻上縞
BL
 日々何をするでもなく適当に生きていた真柴久志が知人の紹介で入った会社で真柴の教育係になった堂前哲は、仕事は出来るが口調は荒く乱暴で無愛想な取っ付きづらい男だった。しかし歓迎会の席で明かされた哲の驚くべき過去は、真柴の若い好奇心を掻き立てた。  歓迎会の後、真柴は好奇心を抑えきれず、酔に任せて哲に手を出してしまう。  一夜明けて酔いが覚め、気まずさを抱え一応謝罪をしたものの、哲の態度が負けず嫌いな真柴に火を付けて────。  足場鳶職人達の、身体から始まる軽薄で微かに純情な恋物語。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

余命半年の俺を、手酷く振ったはずの元カレ二人が手を組んで逃がしてくれません

ユッキー
BL
半年以内に俺は一人寂しく死ぬ。そんな未来を視た。きっと誰も悲しむ人は居ないだろう。そう思っていたから何も怖くなかった。なのにそんな俺の元に過去手酷く振り、今では世界的スターとなった元カレ二人がやってきた。彼らは全てを知っていた。俺がどうして彼らを振ったのか、そして俺の余命も。 全てを諦めた主人公と、主人公を諦めきれないイケメンサッカー選手とシンガーソングライターの再会が導く未来は?

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

処理中です...