オッズ

兵馬俑

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 トップレーサーばかりが五十人、大村競艇場に集まった。前検日のこの日、選手らは一つの部屋に集まり、モーターとボートの抽選会を行う。

 部屋は学舎のように机が並び、選手は席について本を読んでいたり、親しい仲間と雑談したりしている。

 さすがに空気が違うなと凛義は思った。和やかに会話をしていても、誰かが入室するたびに鋭い視線が飛び交う。中には露骨に敵対心を向ける者もいた。長い競技人生の中で、確執や軋轢、確固たるコミュニティが出来上がっていることが伺い知れた。

「よう、宗ちゃん」

 甲斐が入ってくると、後方から親しげな声が飛んだ。

「ぐっさん! 久しぶりじゃのう!」

 甲斐が明るい声を出す。凛義は視線を送ったが、甲斐は気づかず、自分を呼ぶ声の方へと行ってしまった。

 その様子を、何人かの選手が疎ましそうに見つめる。甲斐はそういう立ち位置だった。親しい相手とそれ以外との好悪の差が激しいのだ。

 わからなくもなかった。甲斐の走りは強引で、妨害行為スレスレなのだ。また、同県や同期の選手が1号艇、2号艇と並んだ場合には、2号艇は1号艇を潰さない「差し」を選択するのが暗黙の了解だが、甲斐はそれを守らない。

 もっとも、必ず守らなければいけないわけではないから、甲斐のようにそれを守らない選手はそれなりにいる。甲斐の仲間がそうだ。要するに似た者同士が集まっているのだ。

 ふいに、会話が途切れた。室内の視線が一斉に一人の男へ注がれる。

 奥秀人……凛義は胸の中で呟いた。勝率8超えのバケモンだ。

「奥ー、ホームプールじゃ負けへんで」

 長崎支部のベテランレーサーが声を掛け、奥は「っす」とだけ短く返した。

 伏せ目がちな奥の目が、チラと甲斐の方へ向かったのを、凛義は見逃さなかった。二人は同期で同い年。強い絆で結ばれていそうだが、甲斐はけして奥の方を見ようとはしない。

 よほど気が合わないのだなと凛義は思った。奥のイメージは寡黙で真面目。かといって気難しいわけではない。

 奥はメディアやイベントに積極的に参加し、ボートレースのPRやイメージアップに貢献している。端麗な容姿が話題を呼んで、ホームプールである多摩川競艇場は客層がガラリと変わったらしい。

 対して甲斐はメディア嫌いで有名だった。写真はどれも仏頂面で、コメントは使い回し。記者への態度も悪いから、特集が組まれることはほとんどない。だから世間的な知名度は低いが、競艇ファンの間では奥と並ぶ知名度だ。二人は同期で同い年という他に、二十歳でトップルーキーに選出されたという共通点がある。

 凛義にはひとつ気になることがあった。

 もし、甲斐が八百長をすることなく、期間中、真面目にレースに取り組んだら。

 奥と同じ、8点台をマークするのではないか……

「奥さん、初めましてっ、俺っ、群馬支部の……」

 若手レーサーが、席についた奥の元へと駆け寄った。途切れていた会話が再開し、室内がまた騒がしくなる。

 視線を前に戻そうとして、ふと気になって甲斐を見た凛義は、ハッと息をのんだ。甲斐は奥の背中を、まるで遠いものでも眺めるように見つめていた。

 初めて見る表情だった。気が合わないと乱暴に決めつけたものがぐらつく。

 気が合わないのではなく、特別な関係なのではないか。

 奥秀人こそが、甲斐の……



 三日目。

『さあ全艇0台の激しいスリット合戦っ! 力強い旋回で押し切った6号艇甲斐がバックストレッチで一歩前に出たっ! しかし3号艇大倉が迫るっ! ほぼ並走状態で3周目に突入っ! 一騎打ちを制したのは甲斐っ!』

 ボートの並んだ装着場から、凛義は甲斐のレースを見ていた。

「甲斐の奴、6号艇で逃げ切りかよ。すげえな」

 誰かが感嘆の声を上げた。凛義も胸の中で同意する。やっぱり甲斐はうまい。ハズレモーターを引き当てたのに、全くそれを感じさせないのだ。

 ボートを降りた甲斐が、装着場に入ってくる。ヘルメットを取り、前髪をかき上げた。

「甲斐さ」

 凛義が駆け寄ろうとした時、誰かが前を横切った。

 奥だった。甲斐が目を見開く。奥が短く何かを告げると、甲斐の表情がふっと和らいだ。

 その日の夜、凛義は甲斐の部屋を訪ねた。ベッドとクローゼットがあるだけのこぢんまりとした部屋だ。シングルサイズのベッドの上でじゃれ合いながら、何気なく聞いた。

「装着場で奥さんに何を言われたんですか?」

「忘れた」

「甲斐さん、嬉しそうだった」

 細い体を膝に乗せ、目の前にきた乳首に吸い付く。甲斐の体がビクッと震え、瞬く間に体温が上がった。ねちっこく舌先で転がし、甘噛みする。翌日のレースに響くからと、セックスは拒まれてしまったが、触れられるだけで凛義は幸せだった。

「んっ……」

「あんな顔するんですね」

「あっ……あ……はっ……」

「……なんて言われたんですか?」

「そ……がいに、気に、なるん……?」

「気になりますよ」

「んっ……」

 指に唾液を絡ませ、後ろの窄まりにソッと触れる。甲斐の体が身構えるように強張った。

「そっちは……すなや」

「指だけ」

「わしが……指だけじゃ足ら……んっ……」

 ゆっくりと押し込めていく。指の腹で、ほぐすように中を擦る。乳首を口に含み、舌先でもてあそぶ。たまらないというふうに甲斐の腰が揺れた。

「んっ……あっ……」

 湿っぽい声に煽られて、凛義も腰を動かす。乳首を甘噛みしながら、ぐりぐりと前立腺を責め立てた。

「も……いれえや」

「レースに響きますよ」

「じゃ……指っ……抜けっ」

「嫌です」

 甲斐が凛義の体にしがみつく。首筋にガブリと噛み付いてきた。痛みに思わず顔をしかめる。でもこんなの、平和島の事故に比べたら可愛いものだ。

「んっ……」

 甲斐の体がビクンと大きく波打つ。中に入れた指がきつく食い締められた。中に入れた指をゆっくりと前後に動かすと、甲斐は身悶えるように身をよじった。

 あまりにも甘美な時間に、この関係はいつまで続けられるのだろうかと不安になった。

 ぐったりと脱力した甲斐の中から指を抜き、ベッドに寝かせる。覆い被さり、汗にまみれた顔にたくさんキスをした。

「痕は……つけたらいけんよ……っ」

「本命に怒られるから?」

「ん……」

 ああ、イライラする。甲斐は本命の存在を隠そうともしない。なんなら嫉妬に苛立つ反応を楽しんでいる気さえする。

 そしてなんとなく、これは想像でしかないが、相手の男よりも、甲斐の方が思いが強い気がする。

「……甲斐さんの本命って、奥さんですか?」

 自分の首を絞める行為と知りながら、つい聞いてしまった。

「あほ」

 甲斐は、答えなかった。凛義もそれ以上は聞けず、不安を打ち消すように唇を重ねた。



 凛義は健闘したが、優出することはできなかった。最終日、優勝戦の第12Rには甲斐と奥の名前が並んでいた。

『優勝戦第12レース。進入インから1番2番3番、4番5番6番です。まもなくスタート。……1秒! 2号艇奥、コンマ09の好スタート! しかし1号艇桑原と5号艇甲斐がまくり差しで強襲っ! 3者がバックストレッチで並走状態っ!』

 凛義は装着場からそのレースを見ていた。

『3周目1マーク、1号艇桑原のターンがやや膨らんだ! 5号艇甲斐が押し出されたっ! トップは奥っ! このまま逃げ切るかっ! 奥、ゴールイン! 強いっ! モーターボート誕生祭を制したのは2号艇奥っ! 今節オール2連対っ!』

 甲斐は4着でゴールした。

 走り終えた選手たちが装着場に入ってくる。早速、若い記者が奥の元へと駆けていく。

 自分は関係ないとでもいうふうに、さっさと歩を進める甲斐の肩を、奥が掴んだ。甲斐がビクリと振り返る。奥の表情は険しい。まるで責めるように一言告げた。

 甲斐は困ったように苦笑した。短く何か言い、奥の元を離れていく。

 一連のやり取りに、凛義の思い込みは白紙に戻った。あの様子は親密な関係とは程遠い。

 まさか八百長を見抜かれたのだろうか……

「甲斐さんっ」

 凛義は甲斐に駆け寄った。インタビューを受ける奥をチラチラと見ながら、「もしかして」と言い掛け、ハッと口をつぐむ。記者もいる場で、迂闊なことは口にできない。

「よいよ、しつこい男じゃ」

 奥を眺めながら、甲斐が言った。

 表情にも、声音にも、焦りの色はない。むしろ疑われていることを楽しんでいるように見えた。
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