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第9章 使、命
第357話 釘
しおりを挟む「めでたい中に、おっさんの話で申し訳ないんだけどよ!」
兄が部屋にやってきた。どかりと椅子に座ると、茶を出そうとした華南に「俺に余計な気を回さんでいいぞ~」と笑って、彼女にも座るよう命じた。
とりあえず1週間は寝室を出る事を禁じられた翠玉には華南によって定期的に状況報告がされる事になっている。
冬隼は、戦のことなんて考えずにゆっくりしてほしいと主張したが、翠玉の性分がそれを許さなかった。
色々気になったら、部屋から出ていってしまうかも……と脅すように言われて、彼は渋々彼女の願いを聞き入れた。
そして情報を仕入れに本部へ行った華南とともにやってきたのは兄だった。どうやら彼直々に話をしてくれるらしい。
兄の言うおっさんは、どうやら堯牙浪のことらしい。先ほど移送されてきた彼と対面したそうだ。
「簡単に言えば、奴はこちらに寝返る。まぁ色々条件はついてるがな」
「は?」
兄の言葉に翠玉は信じられない思いで彼を見上げた。
彼が寝返る意思があるのにも驚きだが、捕虜になったのに、条件を付けてきたのかと、呆れたのだ。
「湖紅の手は借りたくないない、湖紅軍は一歩も領土に入れたくない……だそうだ。随分恨まれてるな」
「あぁ……なるほど」
昨日の敵武将の様子からも、納得してしまった。
「話を聞いてみれば、奴らはまんまと紫瑞に利用されていたらしいな。自国を守るには大国の庇護下に入る事が急務と思ったらしい。それですり寄ったのが紫瑞ってのが気の毒というか、考えなしだったというか」
「まぁ、董伯央にはいいカモだったのよね」
首を傾けて辛辣に言うと、兄がまぁまぁと取り成すように笑った。
「今緋堯は紫瑞軍が占拠しているらしい。皇帝だけはなんとか国外に出したらしい。おそらく茶楊のどっかの部族にでも金を積んだのだろうな。このまま行けば、緋堯は完全に紫瑞の手に落ちる」
その構図は翠玉も理解している。
この戦を勝利しても、すぐ隣の国に紫瑞軍が常駐しているという状況は変わらなくて……それは国境が接してる碧相にも頭が痛い。
「そこで、とりあえず奴に碧相の傘下に入らないかを持ちかけてみた。もちろん既存の王政は残して属国扱い。主権は緋堯国民」
「これ以上ない好条件ね? 勝手に決めちゃって大丈夫なの?」
翠玉の問いに兄は首をすくめる。
「碧相はもうそれほど領土を増やしたくないからな。前々から緋堯を属国にって話はあったのを紫瑞に先んじられてしまった」
「じゃあ碧相にとっても好機なのね?」
「そういう事だろうな……数日中に俺の義兄……碧相の第3王子が派遣されてくるだろうな。そこで正式な話が詰まる」
そこまで言うと、兄は少しだけ憂鬱そうに息を吐いた。
碧相はその国土の広さから、各所に有能な王子を配し、王の名代として政治を行なっている事は有名な話である。
そしてこの近く……兄の領土の周辺を収める第3王子というのは、なかなかの曲者だというのは有名で……。
「あの、悪鬼と言われる方?」
恐る恐る聞いてみれば、兄はちらりとこちらを見て。ため息と共に頷いた。
「悪鬼というか、悪ガキというか、異常者というか……俺は今すぐ紫瑞軍に荷物をまとめて緋堯領から出ていく事を勧めたいよ」
「そ、そんなに?」
話にしか聞いてない翠玉には、誇張した噂なのだろうと思っていたのだが。
「あの人、少し前まで南部の海賊討伐に行ってたんだ。この話だって最初あの人と俺の二人にきたんだ、なのに『消極的な戦いは好かん! 俺は他と連携するような面倒くさいのはやらん』って王命を突っぱねて、『お前1人で行け!』ってこっちに投げてきたんだ」
「王命を!?」
そんな事が出来るのか、王命に背けば反意ありと疑われてもおかしくないのに。
「まぁあの人の性格上断るだろうなと、王も思ってたみたいだけどな」
「で、その人が来るの?」
「そりゃあまぁ、こっからは侵略戦争みたいなもんだしなぁ、あの人の大好物だ」
「なるほど……」
「そういうわけで、湖紅さえ良ければあとは、うちの第3王子の部隊が緋堯の堯牙浪からの要請を受けた形で、紫瑞軍を追い出す役目を担うから、ここで戦は終了になるな」
お疲れさんと、兄の大きな手で頭をポンポンと叩かれる。
「今紫瑞軍は?」
「まだ、うちと湖紅の軍と睨み合ってる。退却したくても、いつ背後から襲われるかもしれないから逃げられんみたいだな。おそらく今夜辺り和平交渉でもしてくるだろうが……まぁ引き伸ばすだけ伸ばしてやるよ」
「董伯央がそんな簡単にいくのかしら……」
「いや、奴もすぐ気づくだろうな。まぁ後は状況次第と言うところかな。
とにかくお前の出番は終わったみたいだから、あとはゆっくり休んでおけ。全く無茶しやがって!話を聞いた時には肝が冷えたなんてもんじゃなかっだぞ」
そう言って頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。
「送り出した後に、妊娠を知らされた冬将軍の心情を思うと、同情を禁じ得ない。さぞ不安だっただろうな。妊娠は夫婦双方の責任だが、やはり妻を窮地に落とす事になってしまったと自分を責めただろうよ」
兄の言葉に、なんとなく思い至る部分があったのでうなずく。
冬隼からは、懐妊の兆候に気づく事が出来なかった事については詫びられていた。その他にも戦場での懐妊になり、結果的に翠玉を危険に晒してしまう事になった事も彼は悔いているはずだ。
しかし新たな命を前にして、それを授かった事に対して「申し訳ない」と言葉にすることはしなかった。翠玉もそれは望んでいない事を彼も理解してくれているのだ。
あの彼の「ありがとう」には、そんな気持ちも含まれていたのだろう。
「分かってるちゃんと理解してるわ」
そう兄に笑えば、彼は眉を下げた。
「こうなると産まれるまで男は無力だ。ただ心配することしか出来んからな。」
「経験談?」
少し意地悪に笑って見上げれば、彼は参ったようにため息をこぼした。
「1人目なんて産まれるまでずっと心配だった。2人目は少し余裕があったが、大きな腹で逢吏を追いかける彼女を見ればいつもハラハラしていた」
普段豪快なくせに、意外と弱気な兄の言葉に翠玉は驚く。
思わず華南と顔を見合わせる。
彼女も、驚いた顔をしていた。
「頼むから、お利口にしていろよ。俺だって姪か甥は自分の子供とはまた別に愛しい存在なんだからな」
言い聞かせるような兄の言葉に苦笑する。
報告をしにきたと言うより、彼の目的は翠玉に釘を刺すためだったらしい。
「わかったわ、兄様。ありがとう」
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