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第9章 使、命
第367話 優秀
しおりを挟む数ヶ月にわたって頭を悩ませたその大軍勢の引き際を、翠玉は自室の窓から見送った。
夕を迎えて影が落ち始めた大地に、煌々と松明の明かりが列をなす。
「なんだか、呆気ない幕切れね」
ポツリと呟くと、卓で書き物をしていた2人の少年が顔を上げて、同じように窓の外を眺めた。
時を同じくして、部屋の扉が開いて華南が戻ってきた。
「今し方、紫瑞側からこちらの条件には従えない。ゆえに休戦要請を取り消すと、通達があったみたいです」
報告を聞いて、翠玉は頷いて再度窓の外を眺める。
「結局、董伯央は誤った道を選択してしまったみたいね。もしかしたら、これでまた大きく各国の力関係が変わるかもしれないわ」
翠玉と窓の外の光景を見比べて戸惑った顔をしている2人の少年に視線を移して、苦笑する。
「お2人とも、よく覚えておいて下さいね。道を示す者の傲りと欲は一つ間違えば、大きな不易をもたらします。欲望や志を高くする事は悪いことではありません。しかし使いどころと引き際を間違ってはなりません。そこで流れるのは国民の血です」
稜寧と、幸悠。まだ、純真さを含んだ相貌がしっかりと翠玉を見つめていた。
「お2人とも、とても優秀であることはご自分でも分かっているでしょう?ですが優秀な者でも間違うことも、思い通りに行かない事もあるのです。優秀は完璧ではない。董伯央がいい例ですね、彼は優秀が故に、負けることが少ない。だから引くことができない。冷静に考えているつもりでも、矜恃が邪魔をして冷静な判断ができなくなる。それがもたらす犠牲がどんなものであるのか……その行く末をよく見ておかれると良いでしょう」
2人の唇にグッと力が入るのが分かった。
この少年達はいずれこの国になくてはならない立場になるだろう。だからこそ、今日ここで彼らにこの光景を見せたかった。
「翠玉様は、董伯央はどの段階で引くべきだったのだと思われますか?」
しばらく窓の外と翠玉を見比べていた稜寧が、口を開いた。
その問いに翠玉は少し考えるそぶりをみせて「2人は何処だったと思う?」と問うた。
思いがけない逆質問に2人が息を飲むのを見て、翠玉はその素直な反応に、くすりと笑みをこぼした。
「明日までの宿題にしましょうか?それぞれ考えてみて下さいね」
釈然としない顔をする2人にそう言って翠玉はまた窓の外に目を向ける。
薄暗くなった大地に西へ向けて列をなす紫瑞軍に、南西から追い立てるように近づいていく碧相軍の姿が見えてくる。
董伯央の引き際は、数多にあった。
雲梯を使った策が破られた時、夜襲に失敗して堯雅浪の身柄をこちらに取られた時、そして休戦交渉条件を提示された時。
しかし翠玉ならば、そのどれも取らなかったと思うのだ。
なぜならこの戦を起こした事こそが彼が判断を見誤った結果だと思っているからだ。
緋堯を属国としたところでひとまず満足していれば良かったのだ。緋堯の内政を取り込んで、数年をかけて、緋堯の兵力を増強して、まとめ上げた後に、この戦に持ち込めていたのならば随分と違っただろう。
堯雅浪が、幼い皇帝を隠し、その所在が掴めなかった事が、まず彼の想定外だったはずなのだ。
そこで、堯雅浪はじめ臣下や皇帝を抑えておけなかった事が後に自分の首を締める事になった。
所詮は小国の幼き皇帝と摂政の治める国……大国の政治を欲しいままにし、皇帝の信の厚い彼に傲りがなかったと言えようか。
緋堯を足がかりに、湖紅や碧相に手を伸ばすにはいささか時期尚早であったのだ。
もし翠玉が董伯央であれば、緋堯の皇帝の身柄を押さえられなかった時点で、一旦策をとめただろう。
自身の万能感ゆえに、その大きな抜けを些事と捉えてしまったに違いない。
「優秀というのも、不便なものね」
少年達を夕食に向かわせて、自身も夕餉を取りながら、同じように目の前の卓で食事をする華南に投げかけると、彼女は苦笑した。
「翠玉様も十分優秀かと」
その言葉に翠玉は、一瞬だけ目を見開いて、カラリと笑った。
「わたし!?ないない!私の師が優秀だっただけよ!本来の私は好きに突っ込んでいく質だもの!それを師の教えがなんとか歯止めになってるだけよ~」
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