後宮の棘

香月みまり

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第9章 使、命

第368話 大好物

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何とか逃げ切ってやった


背後に見える炎が作る朱色の3つの光を確認して、董伯央は安堵と共に口角を上げた。

当初の予定とは随分と違って寂しい成果ではあったが、それでもここまで逃げ切り、緋堯国民をとり込む口実もできた。

一度立て直して、緋堯の内政を安定させた上でまた挑めばいい。

緋堯が手中にある限り、我が国が有利な事には変わりがないのだ。

このまま半日走りきれば平原地帯が終わる。王都に残していた部下が、防衛戦を築いてくれているはずだ。まずはそれと合流して、数日後に川を渡って追ってくる敵軍を迎え撃つ準備をしよう。


騎上でこの先の段取りまでを練る。

時間はある……落ち着いて策を練ればいい。今度はこちらに地の利がある場所での戦だ。
敵軍の策士はどのような手に出てくるのだろうか。



「閣下!前方が何やら浮き足立っているようですが」

不意に思考の中に、腹心の声が混じりハッと顔を上げる。

前方?殿しんがりを務める後方ではなくてか?


訝しく思いながら、前方に視線を向けて目を凝らす。
暗闇に連なる松明の灯りが、たしかに不規則に重なり揺れている。

風に乗って兵たちの騒ぐ声と、かすかな錆びた香りが伯央の肌にまとわりつく。

瞬間、ゾクリと背筋を得体の知れない不安感が襲う。

そこへ前方から一騎の騎馬が走り寄ってくる。

「報告いたします!側面より敵軍の奇襲!すう将軍が討ち死、ばく将軍が鄒軍もまとめつつ、応戦しております。閣下におきましては進路を北に移して、早急に離脱をされよとのこと」

「なんだって!?」

声を上げたのは伯央ではなく、腹心の満影だ。
伯央は手綱を固く握る。

「っ……承知した……満影、進路を北へ!」

腹心に指示を出して、今し方報告をした伝令兵を見る。

「お前はそのまま下がって後方のたん軍に莫軍の援護につくよう伝えてくれ!殿しんがりだん軍が逃げ切るまででいい、なんとか持たせよと伝えろ」

「かしこまりました。」

指示を聞いた兵はすぐに騎馬の速度を落として、後方へ下がっていく。

「くそっ、、、なんでこんな所に!」

一通り部下たちに指示を出し終えた満影が苛立ちをあらわに呟く。

「位置からして、碧相軍だな……やつらこちら側の国境を張っていたのだろう」

「しかし、碧相のこちら側は樹海では?まさか樹海で張っていたというのですか!?」

信じられないという様子の満影に伯央も頷く。

碧相と緋堯の国境線は広大で鬱蒼とした樹海になっている。そしてこの樹海は長い歴史の中で何度も異国の侵略から碧相国を守ってきた。踏み込めば最後、前後の感覚を失い、出ようとも何故か誘い込まれるように奥に奥に誘われる。もう200年も昔、やはりここを突破しようとした緋堯の正規軍の2万全てが消息を絶ったのは、有名な話だ。
ゆえにこの樹海は碧相側からも緋堯側からも人が踏み入れない場所となっていたはずなのだ。

実際に、戦の前に樹海界隈を念のために視察もしていたのだが、、、。

「どうやら、奴らは樹海を攻略したのかもしれないな」

その200年前の出来事で、緋堯国は徐々に衰退を見せていた筈だ。大国の尾にもかからない小国を警戒したのだろうか?
そこまでの危険を犯して開墾する益が碧相側にあるとは、伯央には理解ができない。


どちらにせよ、すでに敵軍は緋堯の領土に侵略してきている。

否、碧相に堯雅浪の身柄があるのならば、彼等は救済者で、我々こそが侵略者なのだ。


どうやら彼ら連合軍はどこまでも容赦なく紫瑞軍を追い立てるつもりらしい。


じわりと汗が額に浮き出る。
体の芯は冷えていくような感覚なのに、皮膚だけはじりじりと焼かれるように熱い不思議な感覚だ。

奮闘する自軍の後方を通り過ぎた折、その中から、一騎の騎馬が飛び出してくる。

「ご報告いたします。敵軍の旗印を確認いたしました。旗印は三つ目の鷹、碧相国、第3皇子の碧凰訝でございます」

「「なんだって!?」」
今度は満影と同時に声を上げていた。


全身の毛穴が開いて泡立つ。

碧凰訝。

碧相国で最も厄介で警戒していた男だ。


もともと伯央は、碧相の西部を守る彼がこの戦に出てくる事は予想していたのだ。

しかしどう考えても伯央とは相性の悪い性質の男である。だから徹底して彼の性格や趣向を調べ尽くした。
そして、彼が連合軍や、防衛戦を好かない事を把握した。そして逆に彼が好む侵略や討伐、その餌を与えればいいのだと理解した。


広大な海の資源の恩恵を受ける紫瑞と碧相は古から海賊との戦いは切っても切れない。
闘うこともあれば、互いに利用し合う事もある。
海賊共に金を握らせて、碧相西部の海域で悪さをさせる事など造作ない。成功の暁には碧相西部の豊富な資源を含んだ領海を好き勝手できるとあれば、海賊共にも利は大きい。

案の定、碧凰訝はそちらに食いついた。

代わりに出てきた将は、李周英というあまり聞いたことのない将だったが、碧凰訝でなければいいと思っていたのだ。


「なぜ!やつが、こちらに来たのでしょうか!?」

悲痛な満影の心情は伯央には痛いほど理解できた。なぜ、今になってやつが!!


そこまで考えて、自分がとんでもなく大切な事を見落としていた事に気がついた。


それは先程自分が、考えていたではないか……。


今の彼らが展開しているのは防衛戦ではない。 

奴の

碧凰訝の大好物である、討伐戦ではないか。
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