後宮の棘

香月みまり

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番外編ー清劉戦ー

3日目夜 対峙①

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翠玉達が踏み込むと。そこは一国の宮廷の中とは思えないほどの空間だった。

上座に座る初老の女は間違いなく皇太后だった。彼女の左右には若い男が1人ずつ半裸の状態で侍っており、一人の男の膝に上体をしなだれかからせて、もう一人の膝に両の脚を投げ出して、その脚を揉ませている。
そしてもう1人世話をする……これもまた上半身に衣を纏わない若い男が、彼女の口に酒や煙草を運んでいる。

 部屋の中はむわりと、甘くてきつい香の香りが漂っており、そのせいか部屋全体の空気に薄靄がかかっているように感じる。

笛の音と二胡の音は、突然の来訪者に驚いて曲が止まった。それもそのはずで、回廊から広間に翠玉達が現れた時、室内の誰よりもその姿を早く見とめたのは、部屋の片隅の板間に座らされていた弾き手の女官達だからだ。
そして、もっと言えば、彼女達はかなり古参の皇太后付きの女官達で、翠玉の顔はもちろん、自分の主がどんな仕打ちを翠玉にしてきたのかも知っている者達なのだ。
故に翠玉の姿を見とめた彼女達は、翠玉がなぜこの場に来たのかと言うことを一瞬で理解したことだろう。

「っ……あぁっ……ぁ……お、許し、を‼」
ずんずんと迫って来る翠玉たちの手にしている抜き身の剣を目にしたせいだからなのか……それとも自分達に向かって来る翠玉の冷え切った双眸に睨みつけられているからなのか、彼女たちは腰を浮かせると、よろよろと立ち上がって主たちのいる広間の方へ逃げて行く。

突然曲が止まったことに、いら立った皇太后が、彼女達を睨みつけたタイミングと、それは同時で……。

「っ‼︎お前は……!」

逃げて来る女官達の後方に翠玉の姿を見とめ、急いで起き上がった皇太后が息を飲む。
彼女の隣に侍っていた男達が、慌てて自身の後方に置いていた剣を手に取る。
随分と鍛えた体の男達だと思えば、呆れた……彼らはどうやら近衛のようだ。

「こんばんは、皇太后陛下。お楽しみのところを失礼します」
自分で思った以上に冷たく刺すような声が出た。ここへきて更にこの女を軽蔑することになるとは思いもしなかった。
「話には聞いていましたが、実物を目の当たりにするとこれほどの嫌悪感を覚えるとは……」

冷ややかに皇太后を見下ろしながら近づいて行くと、皇太后を囲む半裸の男達が剣を構えて牽制してくる。しかし翠玉は彼らを一瞥するだけにして、かまわず彼らに近づいていく。

「っ……動くな‼︎」
男の一人が一歩前に出て翠玉に斬りかかろうとする。しかし彼の切っ先が翠玉に届くよりもかなり手前で、その腕がごとりと床に落ちる。
途端に吹き上がった血しぶきに周囲に控えていた女官達の甲高い悲鳴が上がり、次いで自身に起こった事を理解できた男が崩れ落ちて叫び声を上げた。

「大した実力もないくせに不用意に斬りかかるからよ」
腕を押さえてのたうち回る男を、冷たく見下ろして太刀に付着した血を払った華南が呟く。

そうして彼女の視線は、皇太后を守るように囲っている男達に向けられる。
「随分と鍛えた身体をしていると思ったけれど、どうやらただの見せかけの様ね。対峙している相手の気からその力量も推し量れないないなんて」

そう言うと、切っ先を彼らに向けて構えなおす。

「あんた達程度の奴等に、翠玉様の太刀を使わせたくないの。私に斬られるか、今すぐ剣を捨てて投降するかどちらか選びなさい」

順に男達を睨みつけた華南が不敵に微笑む。
普通であれば、とびきりの美女に微笑まれて、舞い上がりたくもなるだろうが、今の彼等は、華南が目で追うのもやっとなほどの速さで太刀を振るい、一切の躊躇もなく男性の太い腕を一振りで切り落とした現場をすぐ目の前で目撃しているのだ。
次はあんたたちの首を間違いなく落とすぞ……という雰囲気がひしひしと伝わっているはずだ。

「っ……」
ごくりと男達が息を飲む。

「何を戸惑っておる! 私の宮を血で汚しおって‼︎早くこの無礼な小娘どもをねじ伏せよ‼︎」
自身を守る男達に迷いが見て取れたのだろう。苛立った皇太后が声を上げて男達に命令を下す。

「あらぁ、別にいいのよ? このところ私、実践から遠のいていて色々と溜まってるの。どうしてもお相手して欲しいって事なら大歓迎! でもよく考えなさい。貴方達が守っているその色情ババア、あんたたちが命を懸けて守るほどの価値があるのかしらね?」

「っな! 無礼者‼︎ 不敬罪に処す! だれかこの女を捉えよ!」

 華南の言葉を聞いてすぐさま怒り出した皇太后は華南を指して怒り狂う。
若い頃は後宮の中でも1.2を争う美しさと言われたその顔を怒りに歪ませて、ピクピクと眉を痙攣させるその顔は、今は亡い彼女の娘によく似ている。
この母親の気性がなければ、あの異母姉ももっとまともな人生が送れただろうに……。
出立の際に、春李と共に見送りに出て来た惺の不安気な顔を思い浮かべると、やるせない気持ちがこみあげて来て、翠玉はグッと喉に力を入れる。


バタバタと複数の足音がこちらに向かってくる音がする。

凪が侵入経路からこの広間までの導線の敵は一掃してるものの、それ以外の場所に配置されている者達が騒ぎを聞きつけて来るのは時間の問題であることは、皆が理解している事だ。

翠玉の後ろに控えていた隆蒼や部下達が、何も言葉を発する事なく、部屋の端々に散開する。

ジリリと、翠玉の後ろで冬隼が警戒する気配も感じた。

同じように足音を聞いた皇太后はすぐに援軍がくるとわかったのだろう。
少しだけ溜飲が下がったように、皮肉気に微笑んだ。

彼女はまだ、翠玉が単独で、おおよそ母や兄弟達の復讐程度の名目で乗り込んできたと思っているのだ。

今、本殿が……彼女が罪を重ねてまで頂きに押し上げた、息子が誰と対峙し、どうなっているのかも知らずに。

「なんとまぁ愚かな事。せっかく大嫌いなこの王宮を出られたと言うのに、くだらない怨恨に引きずられて命を落としにやって来るとは」

手にしていた扇子をパチリと彼女が鳴らすのと、広間に近衛がなだれ込み、怒声が上がるのは同時だった。

すぐに始まった剣撃の音に、皇太后の朱に塗られた唇が、笑みをたたえる。
その様子を翠玉は眉一つ動かすことなく冷ややかに見据えた。


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