後宮の棘

香月みまり

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番外編ー清劉戦ー

3日目夜 対峙②

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「皇太后陛下‼︎ ご無事で! 今そちらへ!」

怒号と喧騒の中ひと際大きな声が上がり、無謀にもひとりの男が、部下たちや自身の味方をも押し退けて押し入って来るのを翠玉は視線の端で捉えた。

「どけ!」と苛立ちをそのままに、毒づきながら姿を現した男は、翠玉にも馴染みのある男だった。

「貴方は⁉︎」

 どうやら、攻め入って来た敵が翠玉である事に気づいたらしい彼は声を上げた。

「お久しぶりですね。前後宮付き近衛長官様?」

冷ややかな視線を向けると、猪のごとく突進して来ていた、男が少し怯んだように脚を止めた。

古くから皇太后と癒着し、長官職を終えても、皇太后の子飼いとなっている男だ。

翠玉がなぜここにいるのか……こうして翠玉がくる意味は瞬時に理解できたらしい。

それはそうだろう。
彼に身に覚えはあるのだから。

「翠姫様っ……まさか、貴方様がこの様な……」

「まさか私が?本気でそう思っているの?貴方が?随分と能天気なのね?」

ヒヤリと鋭利な言葉を返せば、ゴクリと彼が唾を飲みこむのが分かる。過去、皇太后の命に従い、彼が裏で何をしていたのか……翠玉は知っている。

まさか……などと言えるような事ではないはずなのに……それがこの男が抱いている罪悪感の程度なのだ。

それが分かっただけで十分だとでも言うように、翠玉は彼から視線を外すと、再び皇太后に向き合う。

「まさか私が、皇太后陛下、貴方だけを標的にここまで来たとお思いで?随分と昔の勘が鈍っておられるようですね」

 何人もの側室や世継ぎを葬って来た彼女は、昔は随分と用意周到で狡猾だったはずだ。

 十年という歳月が、随分と彼女の頭の回転を鈍らせてしまったらしい。

「ふん!そのくらいわかっておるわ!華遊が身罷った今、湖紅が友国などとは端から思うておらぬわ!どうせ湖紅の皇帝やそこの旦那を唆したのであろう?全く母子揃うて、男に媚びるのが上手いこと!」

 そう言って先ほどから静かに翠玉の後ろに立っている冬隼にチラリと視線を移した彼女は、眉を歪めて皮肉気に笑った。

 
「っ!母様を侮辱するな。父様の寵愛が先にいた貴方から母に移ったのは、貴方自身の問題だ。母は祖国と、子のために妃としてあるべき振る舞いをしただけ……その奥底に隠していた気持ちも知らないくせに」 

 手にした剣の柄を強く握る。翠玉が湖紅国に嫁ぐまで知らなかった過去の母の想い人の話。
その話を聞くまで、疑いようもなく父と母は想いあっていたと思っていた。
それは一重に母が心を押し込めて、良い妃であり、良い皇妃であり、良い母であろうと努力した結果だ。

母が身罷る直前の数日間。
母は皇后宮の庭に植えられた2本の木を頻りに眺めていた。
思えばあれが初めて、翠玉が目にした母の本当の想いを表した行動だった。


「そんなもの知りたくもない!売国奴め!自らの私怨のために、国を他国に引き渡そうとする女がよく言えたものよ!それともお前が頂きに登るか⁉︎そんな事を朝廷や国民が許すと思うてか?あぁなるほど……そのために惺皇子を手元に置いたか」

なおも揶揄するように微笑む彼女は、翠玉の裏に兄の存在が有る事など微塵も考え付いていないのだろう。

どこまでも翠玉の私怨。
自らがそうであったゆえに、そうであるとしか思っていないのだ。
惺の境遇すらも……。
まだ小さなあどけないあの子どもを、利用する道具としか思っていないのは、祖母である自分の癖に。

「ご期待に添えず申し訳ありませんが、そのどちらでもありません。しかしご心配いただかずとも、皇座は正当な者のもとに戻ります。あなた方が10年何の進展も得られずにいた以上の成果を手に……ね。そのために周到に練られたのがこれです。こちらも生半可な気持ちではありませんゆえ」


キーンと、間近で刃物がぶつかり合う音がする。
先程の男が、追い縋る翠玉の部下達を蹴散らして、こちらに突進して来た所だった。

それを受けたのは、翠玉の側に控えていた冬隼で、彼は一度翠玉にチラリと視線をよこすと。
「いいのだな?」
 と問うてくる。

「えぇ、ここにいるのはこの女の臣下だから。おそらく残しても兄様の邪魔になるだけだわ」

 もし、彼等に少しでもあの頃の事を悔いている気持ちがあるならば……そう思わないことも無かったが、どうやらその必要もない。

彼等にとっては、ただ過ぎた事だったのだ。

「分かった……」

 翠玉の言葉の意味をおそらく冬隼はすぐに飲み込んだらしい。


激しい剣撃の音が間近で響き、やがて冬隼ではない男のうめき声と共に、ドスンと重たいものが崩れ落ちる鈍い音が響く。

目の前の皇太后の表情がみるみる青白くなるのを、翠玉は静かに見つめる。

この女の頼みの綱の一人である男が、わずか数撃で目の前に骸となって倒れたのだ。

キャァと、近くに固まって小さくなっていた女官達の悲鳴が響き、ようやく皇太后の顔に浮かんでいた余裕が消え去った。

 
 

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