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番外編ー清劉戦ー
継承
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「老師……お久しぶりにございます。ようやくこうして詣でる事が叶いました。遅くなって申し訳ありません」
卓牙と榛花……そしてずっと後ろに控えていた華南も少し離れた場所に移動したのを確認して、翠玉は石碑に向かって静かに話しかける。
本来であれば、老師の訃報を耳にした時、すぐにでも詣でたかったが、その頃の翠玉の立場では、壁家に関わる事で、壁家がいらぬ疑惑をもたれてしまうだろうと……随分と自身に言い聞かせて踏みとどまったのだ。
宮廷の片隅の古びた小さな書庫。
そこで翠玉は随分と多くを学んだ。
そして、本当の孫のように愛情をかけてもらったように思う。
今でも思い出すのは、華奢な身体からは想像できない、節くれだった大きな手。
時折、ささくれ立った翠玉を慰めたあのざらりとして、でも温かくて力強い手の感触だ。
自分や家族の立場を考えたら、翠玉なんかには関わらない方がよかったはず。
それでもずっと翠玉を支え続けてくれた。
「おかげさまで、私は自分の生きる場所と、いただいた知の使い場所を見つけました。そして……これから先の世へ、きちんと継承させていただきます」
それが翠玉にできるせめてもの恩返しだと思っている。すでに湖紅では、若き芽が育ちつつある。
そして数年後、この国が老師の愛し守ろうとした、本来の姿に戻った時。この清劉にも然るべき継承者に伝承する予定だ。
きっと師はこの場所から、それを見守っていてくれるに違いない。
ゆっくりと立ち上がると、一度祈りを捧げて、踵を返す。
語りたいことは多いが、長話をあまり好まなかった人だ。叱られる前に退散しようと、廟を出ようとしたところで、チリチリと小さな鈴の音が鳴ったような気がした。
老師がよく手にしていた、扇子の飾りについていた小さな鈴の音のような音を耳にして、翠玉は微笑む。
老師が、またおいでと、言ってくれているような……そんな気がした。
「もう、よろしいのですか?」
廟の入り口に戻れば、待っていた華南に驚かれて、翠玉は肩をすくめる。
「あまり長話が好きな方では無いのよ。怒られる前に退散してきちゃった! それに……やらないといけない事はまだあるし」
説明して、その少し先で待っている卓牙に向き直る。
「越宥はいいと言ってくれたけれど、本当に、老師のまとめたあの書を、私が見せてもらってもいいのね?」
この後、壁家に戻り、老師が心血を注いで完成させた書を見せてもらう事になっているのだ。他国の軍に片足を突っ込んでいる立場である翠玉が閲覧する事は普通で有れば出来ない代物だ。
しかし、今やどの国を探しても、壁杜朴の知略を継承された者は翠玉しかいない状況だ。加えて今後数十年に渡り湖紅と清劉は軍事的にも政治的にも深い友好関係を築く事となるのだ。
数年後、清劉から湖紅へ留学生が送られ、翠玉が直接指導をする事がすでに決められた。
「問題ありませんよ。なによりも蓉芭様からのご指示ですからね」
特にこだわっていない様子でさらりと頷かれて、翠玉は苦笑する。
流石というべきか、きちんと自国でも回収する手立てを早いうちから打ってくる兄の抜かりのなさには脱帽する。
「実際俺たちが見ても、なるほど~と思うくらいで、どういう考え方をしたらそこに行き着くのか分からないんですよね。2年やそこら直接ジジ様に習った程度じゃあ……まぁ理解できる素質が無いと見極めたからこそ、2年で指導が終わったともいいますが……」
自虐的に言った卓牙の言葉に、隣の榛花がくすくすと笑う。
「あの頃の卓牙、お爺様の授業の前になるとよくお腹が痛くなっていたものね」
「素質のない者に取ってみたら、本当に辛い時間だったんだぞ。どう頭を捻ってもどん詰まりのままなんだよ。毎回自分の頭の回転の限界を見せつけられて、自尊心がすり減る一方だった」
当時を思い出して、胸焼けでも起こしたのか、自身の胸元を摩って首を横に振る卓牙の様子に、翠玉と榛花は顔を見合わせて、またくすくすと笑った。
「そう言うわけなんで、我が家にとってあの書は宝の持ち腐れでしかありませんから、どうぞ姫様がお持ちください。複製はきちんと作ってありますので」
疲れたように言う卓牙の言葉に、翠玉は笑いが収まらないまま頷く。
「それなら、遠慮なくそうさせていただくわ」
卓牙と榛花……そしてずっと後ろに控えていた華南も少し離れた場所に移動したのを確認して、翠玉は石碑に向かって静かに話しかける。
本来であれば、老師の訃報を耳にした時、すぐにでも詣でたかったが、その頃の翠玉の立場では、壁家に関わる事で、壁家がいらぬ疑惑をもたれてしまうだろうと……随分と自身に言い聞かせて踏みとどまったのだ。
宮廷の片隅の古びた小さな書庫。
そこで翠玉は随分と多くを学んだ。
そして、本当の孫のように愛情をかけてもらったように思う。
今でも思い出すのは、華奢な身体からは想像できない、節くれだった大きな手。
時折、ささくれ立った翠玉を慰めたあのざらりとして、でも温かくて力強い手の感触だ。
自分や家族の立場を考えたら、翠玉なんかには関わらない方がよかったはず。
それでもずっと翠玉を支え続けてくれた。
「おかげさまで、私は自分の生きる場所と、いただいた知の使い場所を見つけました。そして……これから先の世へ、きちんと継承させていただきます」
それが翠玉にできるせめてもの恩返しだと思っている。すでに湖紅では、若き芽が育ちつつある。
そして数年後、この国が老師の愛し守ろうとした、本来の姿に戻った時。この清劉にも然るべき継承者に伝承する予定だ。
きっと師はこの場所から、それを見守っていてくれるに違いない。
ゆっくりと立ち上がると、一度祈りを捧げて、踵を返す。
語りたいことは多いが、長話をあまり好まなかった人だ。叱られる前に退散しようと、廟を出ようとしたところで、チリチリと小さな鈴の音が鳴ったような気がした。
老師がよく手にしていた、扇子の飾りについていた小さな鈴の音のような音を耳にして、翠玉は微笑む。
老師が、またおいでと、言ってくれているような……そんな気がした。
「もう、よろしいのですか?」
廟の入り口に戻れば、待っていた華南に驚かれて、翠玉は肩をすくめる。
「あまり長話が好きな方では無いのよ。怒られる前に退散してきちゃった! それに……やらないといけない事はまだあるし」
説明して、その少し先で待っている卓牙に向き直る。
「越宥はいいと言ってくれたけれど、本当に、老師のまとめたあの書を、私が見せてもらってもいいのね?」
この後、壁家に戻り、老師が心血を注いで完成させた書を見せてもらう事になっているのだ。他国の軍に片足を突っ込んでいる立場である翠玉が閲覧する事は普通で有れば出来ない代物だ。
しかし、今やどの国を探しても、壁杜朴の知略を継承された者は翠玉しかいない状況だ。加えて今後数十年に渡り湖紅と清劉は軍事的にも政治的にも深い友好関係を築く事となるのだ。
数年後、清劉から湖紅へ留学生が送られ、翠玉が直接指導をする事がすでに決められた。
「問題ありませんよ。なによりも蓉芭様からのご指示ですからね」
特にこだわっていない様子でさらりと頷かれて、翠玉は苦笑する。
流石というべきか、きちんと自国でも回収する手立てを早いうちから打ってくる兄の抜かりのなさには脱帽する。
「実際俺たちが見ても、なるほど~と思うくらいで、どういう考え方をしたらそこに行き着くのか分からないんですよね。2年やそこら直接ジジ様に習った程度じゃあ……まぁ理解できる素質が無いと見極めたからこそ、2年で指導が終わったともいいますが……」
自虐的に言った卓牙の言葉に、隣の榛花がくすくすと笑う。
「あの頃の卓牙、お爺様の授業の前になるとよくお腹が痛くなっていたものね」
「素質のない者に取ってみたら、本当に辛い時間だったんだぞ。どう頭を捻ってもどん詰まりのままなんだよ。毎回自分の頭の回転の限界を見せつけられて、自尊心がすり減る一方だった」
当時を思い出して、胸焼けでも起こしたのか、自身の胸元を摩って首を横に振る卓牙の様子に、翠玉と榛花は顔を見合わせて、またくすくすと笑った。
「そう言うわけなんで、我が家にとってあの書は宝の持ち腐れでしかありませんから、どうぞ姫様がお持ちください。複製はきちんと作ってありますので」
疲れたように言う卓牙の言葉に、翠玉は笑いが収まらないまま頷く。
「それなら、遠慮なくそうさせていただくわ」
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