後宮の棘

香月みまり

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番外編

華に秘め君想う 3巻発売御礼

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時系列的には、戦準備のために帝都を訪問していた冬隼の妹、鈴明が帝都を離れた後
のお話です。(3巻2~3章)
本編を一度お読みいただいた方でも「あの部分かな?」とお分かりいただける内容になっています。


----------------------------------


「奥方様。そろそろ御屋敷に到着いたします」
「そう、ありがとう。あなた達もお疲れ様。もう少しお願いね」
 御者の声かけに微笑んで鈴明は、窓の外に視線を向ける。
 建物が多く、整備された石畳が美しい帝都から、馬車で5日。
 剥き出しの茶色い土を硬く固めた曽州独特の道と、緑が茂る畦道。その先に20件ほどの家が肩を寄せ合う集落が見える。
 集落の中から天に伸びる不自然なほど大きな煙突からは、煙が立ち上がる。おそらく鋳造用の釜を焚いているのだ。これも曽州独特の光景だ。

 帰ってきたのね……

 不意にそんな思いに駆られて、苦笑する。帝都に到着した時と比べ、曽州に戻った方が、ほっとしたのだ。

 もう、ここが私のいる場所になったのね……

 15にも満たない歳で、この曽州に嫁いでからもう随分と歳月が経った。
 久しぶりに帝都に行けば、記憶にあったものがなくなっていて、新しいものができているなんて事はざらだ。今更そんな事には驚かなくなったものの、今回の帰都では驚く事が沢山あった。結婚をずっと拒み続けていて、生涯独身を貫くと思っていた兄の冬隼が妻を娶って……しかもその妻に健気なほどに心を寄せていたのだ。

まさか冬兄様が、女性に対してあんな風に心を砕く事になるなんて、誰が想像できたかしらね?

 その上、義姉となった翠玉は、剣術の腕もさることながら、軍の指揮にも深く関わり、策を練る才能もあるという。

「ふふふ……」

 出立の朝、ちょっとしたお節介を焼いた鈴明を、ぽかんと見返してきた兄の顔を思い出す。

 あとは冬兄様がもうひと押しするだけなのに……

 禁軍の将なんていう重職に就いていながら、なぜそうした所では意気地がないのか。
 兄の置かれた環境を思えば致し方ないとは思うけれど……

『今度は何に落ち込んでいるのやら……奥方のこととなると少し今までとは違いすぎて、どこまで口を出すべきやら、わからないんですよね……』

 困ったように笑う兄の乳兄弟の言葉を思い出す。
 あの泰誠が手を焼いているのだ。確かに義姉の翠玉は、色恋には疎い感じではあるし、致し方ないのかもしれないが……

 根気よく想い続ければ、必ず成就する事は間違いないと、両者の想いを知っている鈴明は確信している。


兄夫妻には、幸せになってもらいたい。
政略結婚で相愛となれる夫婦は稀だ。

好きだと伝えられて、手を伸ばし抱きしめることが許される……そんな幸せな事はないだろう。

チリンと馬車の揺れに合わせて、手にしていた扇についている鈴が鳴る。

 扇の親骨を指でなぞる。小さな薔薇の彫刻が刻印されたそれは、年季が入って初めて手にした頃よりも薄汚れ、良家の妻が持つものとしては似つかわしくないものになってきた。

 それでも手放せないのは、それを鈴明にくれた人物が、鈴明には好意を告げる事も許されなかった想い人だからだ。

 細い親骨に控えめな小さな薔薇が絡み合うそれは、彫刻の技術としては最高峰のもので、随分と趣向を凝らして作らせたものである事は、嫁入り当時まだ年若かった鈴明には理解できてはいなかった。

 ただ控えめに挿された紅梅色が意味する事は知っていた。
 紅梅色の薔薇の花言葉は「幸福」だ。

好きでもない10も歳上の男に嫁ぐ鈴明にとって、思いを寄せる男からそんなものを送られ、当時はそれが皮肉としか取れなかった。
 結局、彼は鈴明の事を妹程度にしか思っていなかったのだと、帝都を離れる馬車の中で、人知れず涙したものだ。

 あとになって、それがどれほど趣向を凝らしたものであるのか、薔薇の花言葉が幸福以外にもあると言う事を知った。

可愛い人、愛している

 それを知ったのは、曽州に嫁いで2年ほどが経ち、1人目の子供を産んだばかりの頃だった。
初産だったせいか、産後の体調がなかなか戻らず、半年ほど床で過ごす事になった際、退屈凌ぎに読んだ書でそれを見つけた時、なんとも言えない気持ちになった。

まったく、回りくどいのよ……

きっとそれが彼の狙いだったことも分かる。幼い頃より、鈴明はずっと兄達の後ろをついて歩いていたのだ。
 初めの頃は兄達の剣を振るう様子を見るのが楽しかったから……
 次第にそれが、1人の人物を追うためになっていた。
 そんな鈴明の気持ちに、聡い彼が気付かないわけなどないのに、彼はずっと惚けたように、鈴明の視線を躱していた。

 最後まで、惚けたように、鈴明にこの扇を贈った彼は本当に策士だ。
 鈴明が、花の意味などに深い興味がなく、代表的なものしか知らないであろう事を知っていた。その上であの刻印を選んだのだろう。

 もし、鈴明が紅梅色の薔薇が持つ他の意味を知った時、その時に、鈴明が大切に扇を持っていたならば、彼が彫刻に込めた真の意味を理解する。
しかし、すでに扇を手放して、紅梅色の薔薇の彫刻の事など忘れていたら……きっと鈴明は彼の想いに気づく事は無かっただろう。


知ることができて良かったのだろうか……それとも知らなかった方が良かったのか……

 不意に高蝶妃の邸で彼女と、翠玉と話した事を思い出す。

 愛する人と一時でも心を通じる事ができた事が幸運なのか……それとも、どうせ共にいられず分たれる事になるのなら、そんな想いを知らない方が良かったのだろうか……

 鈴明にも、その答えはわからない。

 私には……選ぶことも出来なかった……でも、きっとそれが、泰誠が私に望んだ事だったのだ。

 もし、輿入れの前に、彼と想いが通じていたら、自分はどんな思いで、この曽州の地を踏んだだろうか……

 きっと、輿入れの前に「私を攫って!」くらいの無謀な事は言っただろう。あの頃の自分は随分幼くて、考えが浅かった。自分達の身分差では許されない事と真の意味で理解をしていなかったに違いない。

 そんな所まで彼は、鈴明を理解していたのだ。

「憎らしい男ね……」
 思わず、らしくない言葉が出る。
 今回の帰都の内、彼が鈴明の前に姿を見せたのは5回。4回は公の場での事。そして1回は兄と、義姉のギクシャクした様子を心配して、やむに止まれず彼から、鈴明に相談してきた時のみだ。
 
 鈴明が、薔薇の意味に気づいた事を彼は知らない。ただ対峙した時、彼の視線が一度だけ鈴明の手の中にある扇を見とめ、瞳をほんのわずかに見開いたのを、鈴明は見逃さなかった。

 だが、それだけだ。

 別に……何かを期待していたわけでも無いけれど……

 チリンと鈴をひとつ鳴らして苦笑する。

 外を眺めれば、馬車は邸の門を潜った所だった。

「お母様!」
「お帰りなさいませ!!」
「かーたま!」

「ただいま。私の宝物達!」
 馬車が停まれば、待てないとばかりに飛びついてくる愛しい我が子達を順に抱きしめる。

 ここの曽州に来て、4人の子を産んだ。この宝物のいない日々など、考えられない。

 陽の光のようなあたたかな香りを吸い込んで、あぁ帰ってきたのだと、心が落ち着く。

「無事に戻られて何よりです」

 ひとしきり飛びついてきた子供達と抱擁を交わし終えると、それを静かに見守っていた夫が穏やかに声をかけてくる。
 兄達にも負けない長身と、職人ゆえの逞しい身体、見た目こそ威圧感がある人相をしているものの、微笑むと子供のように無邪気な表情が覗く彼の片腕には、2歳になる末の息子がちょこんと乗っている。

「留守の間、子供達をありがとうございました」

 末息子を受け取り、抱き上げる。
 久しぶりの母にしがみついてくる小さな身体を抱き寄せる。上の子共達とは違う甘い香りに頬を寄せていると、夫が穏やかな笑みをうかべ、子どもの頭を優しく撫でる。

「いえ、皆良い子にしていましたから。帝都はいかがでしたか? 懐かしい方々と……お目当ての方とはお会いできましたか?」

 その問いに、鈴明は「ふふふ」と笑う。対する夫も眉を上げて、口角をわずかに上げた。

「もちろん! 冬兄様の奥様、あなたと私の予想通以上に、面白い方でしたわ! ふふふ、早く色々話したいわ」
「それは楽しみだ。帰還にあわせて貴方のお好きな葡萄酒を取り寄せてありますから」

全てが片付いた後、ゆっくりと夫婦で楽しもうと、告げる夫の言葉に、胸が跳ね上がる。

 派手さや権威もなく、武術にも明るくはない。無骨な見た目の夫だが、心根は穏やかで、何よりも鈴明と子ども達を大切にしてくれる。彼と過ごす時間は穏やかで、鈴明の心を温める。

幼い頃から見てきた、父の寵を競った女達のぶつかり合い。突然亡くなる兄弟達。毎日が張り詰めていた後宮での日々はここにはない。

「そう、曽州に……それは大変ね……息災で」
 曽州に嫁ぐ事を告げた時の産みの母の言葉は、まるで他人事だった。幼い頃から娘である鈴明に一切興味を示さなかった彼女に期待を持つ事も、拠り所を求めることも諦め、会うことはない。

 ここに来て鈴明は息を上手く吸う事ができるようになった。
 皇女の殻を脱いで、1人の男のただ1人の妻として、子供達の母として愛しい人達のことを想って生きることができる。
だから、悔いてはいない。
今回の帝都の訪問で、心の底から鈴明はそれを感じた。
もうここは自分の居場所ではない。そして彼への気持ちも、過去の想いに変わっている事も……

 冬兄様が、奥方を娶ったのだ。彼もその内に立場としても妻を娶る事になるだろう。

リンと鈴の音が鳴る。

 今度はあなたの幸福を祈ります。愛しかった人。
 
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