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番外編
父の願い
その日の仕事を終えて自邸に戻ると、冬隼は一目散に妻子のいる部屋に向かう。
このところ、彼の行動は一貫していて、一緒に帰宅した泰誠と護衛達は、意を理解してすぐさま自分たちから離れていく主を何も言わずに見送った。
途中の回廊で陽花に行き合い、妻子の様子を伺うと、少し前に授乳をしていたから赤子は寝ているかもしれないと言われた。
そのまま歩を進めて部屋の扉を静かに開いて部屋に滑り込む。
部屋の中は物音一つしない。どうやら二人揃って眠ってしまっているらしい。よくある事だ。
ゆっくりと寝台に近づいて行けば、寝台の上では、最近ぷくぷくと肉厚になってきた両手を上に挙げて気持ち良さそうに眠る我が子と、その我が子の隣で、すやすやと寝息を立てている妻の姿があった。
ゆっくりと近づいて、覗き込んでみれば、おそらく授乳後にそのまま力尽きたのだろう、わずかに翠玉の着物の襟元がはだけている。
恐る恐る手を伸ばして両側から布を引いて襟元を整えると、翠玉の髪をそっと梳く。
ピクリとも動かないところを見ると、随分熟睡しているらしい。無理もない。
子供が産まれてからと言うもの、翠玉は朝も晩もなく子供にかかりきりになっているのだ。
特に授乳は彼女のたっての希望で乳母をつけずに行っているので、夜中は2度ほど定期的に起きている。
日中もしかりで、同じ期間で腹が空く赤子のために、仮眠をとっても少しの時間しか休めずにいるのだ。
妊娠中はあれほど動き回りたがっていたのに、最近は外に出るよりは眠りたい! と言っているところを見ると相当身体が辛いのだろう。
心配になり、陽花や桜季に相談してみたが
「産後はそう言うものです! ようやく奥様が普通の女性の枠に収まっただけですから!」とはっきり言われてしまった。
普段からあれほど体力が有り余っている翠玉ですらこのようになるのだ、出産とは本当に大変なものなのだと男の身ながらも恐ろしく思った。
とはいえ、しっかりと休ませてやりたいが、授乳を替わるわけにはいかないため、どうしたものかと歯痒い思いで様子を見ているしかできないことが辛い。
まさかこんな所で無力感を感じるとは、情けない。
おそらく少し前に眠ったであろう翠玉と赤子を起こしては可哀想だと思い直し、寝台からゆっくり離れて部屋を出ようと戸口へ向かう。
「ふぇっ……ふぇぇ」
わずかな衣ずれのせいか、それとも何かしらの気配を察したのか、赤子がもぞりと動きだして声を上げた。
この声はその後に泣き出す前兆だ。
瞬間的にそれを察した冬隼は、物凄い速さで寝台に戻ると、顔をくしゃりとさせている我が子を抱き上げる。
少し前に眠ったはずの翠玉を起こしてしまうのは忍びない。
抱き上げてトントンと尻を叩いてやると、我が子はくしゃくしゃにしていた顔を緩めてきょとんと見上げてきた。
しばらく親子で見つめ合う。
とりあえずは泣かれる事は無さそうで安心した。
ほっと息を吐くと、腕の中の我が子はふにゃあっと可愛らしく欠伸をしたものの黒目がちの瞳をパチリと開いて真っ直ぐ父を見上げてきた。
おそらくこのまま寝ると言う事はないだろう。
苦笑する。
「父と行くか? 春李」
「おや、お珍しい。姫さまもご一緒ですか?」
執務室に行けば、先に残務を片付けていた泰誠が、春李を抱いた冬隼を見て目を丸くした。
「起こしてしまってな。たまには俺も役に立たねば」
そう笑って、春李を見れば手をパタパタと動かしながらこちらをじっと見ている。
「可愛らしいですね。以前見た時より随分しっかりなさいましたね」
そう言って覗き込んできた泰誠が春李の手をチョンと突くと春李はその手をギュッと握った。
「はぁっ、柔らかい。赤子ってこんなに柔らかいものなんですねぇ」
泰誠が頬を緩めきってそう呟くので、冬隼はその姿を見守りながら、腹黒の彼でも可愛らしいものには心動かされるのか。と密かに感心した。
春李はひとしきり泰誠の指を振り回して、しばらくの後に用済みとばかりにポイッと離した。
その様子に互いに苦笑して、仕事に移った。
しかしそこで問題が起きた。
春李は冬隼が座ると不満なのか泣き出すのだ。
仕方なしに立ちながら左右に揺れて書類を片付けるという貴重な経験をすることになった。
そうして仕事を片付け終えて、腕の中を確認すると、いつの間にか春李はすやすやと眠ってしまっていた。
仕事を終えた泰誠を見送って、ようやく椅子に座ると大きく息を吐いてもう一度愛娘の寝顔を眺める。
両親どちらかと言えば、翠玉の面影の強い可愛らしい顔はどれほど見ていても飽きる事はない。
どんな子に育つのだろうか。
「頼むから、無鉄砲だけはやめてくれよ」
すやすやと眠る我が子の深層に届くように願う。
ハラハラさせらる相手は一人で十分だ。
そんな父の悲しい願いが、届いていなかった事を知るのはそれから3年ほど後の事になる。
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ここまで後宮の棘をお楽しみいただきありがとうございます。
これにてこのお話の定期更新を終了させていただきます。
合わせまして、清劉王座奪還編「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の連載をスタートいたしました。合わせてこちらも楽しんでいただけたら幸いです。
こちらのお話の進捗と合わせまして、後宮の棘でも不定期に番外編を更新していく予定となっておりますのでお楽しみいただけたら幸いです。
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