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番外編ー清劉戦ー
戦の前の憂い1
兵達が立てる剣戟の音と、砂塵を眺めながら冬隼は、本日何度目かになるため息を吐いた。
朝から彼は心ここにあらずという状態で、鋭い眼光で兵達を睨み据えているものの、その視線はわずかにそれている。
そんな彼のわずかな変化に気付ける者は、2人しかいない。
一人は彼の妻で、もう一人は長年にわたり彼に仕える副官である泰誠だ。
泰誠は朝から彼の変化には気づいていたものの、どうせ昼を過ぎれば気もまぎれて落ち着くだろうと、放置を決め込んでいたのだが、、、。
午後になっても一向に様子が変わらないどころか、なんだかどんどん陰鬱な空気を纏い出した上司を見て「こりゃあダメなやつだ」と諦めを付けた。
真面目で堅物とまで言われ、仕事には一切手を抜くことのない彼が、こんな風になる原因は一つしかない。
「奥方と何かあったんですか?」
低い声で聞いてみれば、それだけで彼の眉がピクリと動き、そして眉間に深い、、、深い皺が寄った。
「なぜ、、、分かる」
なぜ分かるって、、、あんた、そりゃぁねぇ
そんな言葉がつい口から出てきてしまいそうになるのを慌てて飲み込む。
「殿下がこのように思い詰めた顔をされている時は、奥方様の事で何かお悩みの事が多いですから」
そう、やんわりと説明すれば、彼は「やはり顔に出ているのか」と自己嫌悪に陥るように首を垂れた。
すぐに訓練中であることを思い出して顔を上げたものの、その顔は浮かない。
「喧嘩でもなさったのです?」
普段から仲睦まじい夫婦ではあるが、奥方が同じように禁軍に籍を置いている関係上、時には衝突する事もある。しかし、それもその場限りのもので、いつも後に引くことなく、数時間で互いにけろりとしているのだが、、、。
「喧嘩、、、と言うよりか、一方的に怒らせている」
後頭部をガシガシ掻いた彼は、本当に参っているという顔で、またも大きく息を吐く。
「出産からふた月が経っただろう。そろそろ本格的な鍛錬に戻ると翠玉が言い出したんだ」
「確かにそろそろそんな頃ですね」
産前、奥方が医師や出産経験のある軍の女兵士の意見を聞いて決めた復帰時期は確かに産後2か月後だったことを泰誠も覚えているし、なんなら夫である彼も「医師や経験者がそれで大丈夫という意見であるならば」と承諾していたはずだ。
「だが、、、俺にはどう見ても、今の翠玉には早い気がするんだ」
兵達の訓練を見ているようで見ていない、遠い目をしている。
なるほど、どうやらそれが喧嘩の発端という事だろうと合点がいく。
「どういう事です?」
首を傾けてみると、彼は少しだけ視線をさ迷わせて、最後に大きく息を吐いた。
「確かに体の方は回復しているかもしれない。しかし赤子の世話で睡眠不足や疲労は増している。そんな所に訓練なんぞ入れたら、身体を壊してしまいそうで、、、ついまだ早いと言ってしまったんだ」
「それで、、、怒らせてしまったと?」
冬隼が頷く。だいたいの互いの主張が理解できてしまった。
要は、次の戦まで猶予がなくて焦る妻に対して、心配のあまり「無理をするな」と言ってしまったのだろう。
普段なら「もぅ本当に過保護だわ」と呆れつつも笑っている翠玉だが、彼女自身が産後の不安定な体調と精神状態に焦燥感が相まってピリピリしてしまっていたのだろう。
「「私の体力と積み重ねてきたものをなめるな!前々からあなたは私を過小評価し過ぎなのよ!」と怒鳴られて、寝室から追い出された」
「あ、そっちですか?」
流石奥方だなぁと苦笑する。
そう言えば彼女は手合わせでも手を抜かれる事をとても嫌う。特に夫である冬隼はどうしても彼女を思うあまり無意識に遠慮することがあるため、それに苛立っている事は度々ある。
それが今回、この状況で爆発したらしい。
「それは素直に誤解を解いて謝るしかありませんね」
首を傾けて見れば、バツの悪そうな顔で彼は頷いた。
「口をきいてくれればいいのだがな」
++++
赤子の胸をとんとんと優しく叩きながら、翠玉はぼんやりと昨晩の夫とのやり取りを思い出した。
流石にちょっと大人げなかったわよねぇ。
今思うと、寝室から追い出すまでしなくても良かったように思う。
でも、腹が立ったのは立ったわけだし。
思い出すだけで、ムムッと唇が突き出る。
確かに出産後ひと月ほどは、体調も体力的にも辛い時もあったが、ここひと月ほどは、随分と身体も軽くなり、休息も取れるようになってきていたのだ。
それなのに、、、
「私って冬隼にとってそんなに弱いのかしら?」
つい1年ほど前は、肩を並べて戦場に立ち、随分と厚い信頼を寄せてくれていると思っていたのだ。それなのにすでに彼の中には武人の翠玉は消え去って、ただの女の翠玉になってしまったのだろうか?
私の力量を信頼してくれていないのだろうか?そう思ってしまったら唐突に悲しくなって怒りがこみあげてしまったのだ。
春李に上掛けをかけると、隣室に控えていた乳母にその場を任せて、部屋を出る。
最近になりようやく乳母が見つかり、春李を預けるようになった。
2月後にはここを離れ、清劉に旅立たねばならない。
我が子を置いていかなければならないのは心苦しく身を裂かれるような気分だが、かと言って兄の大義も叶えてやりたい。
そうでなければ、母や殺された兄が報われない。
いい加減過去を清算しなければ私たちは前に進めない。
子供達の生きるこれからの世にすこしでも憂をなくしたい。
紫瑞が何を考えているかわからない今、清劉の動向は非常に重要だ。
兄があの国を収めてくれるのなら随分と憂いがなくなる。
中庭に出れば、華南がすでに模擬刀を用意して待っていてくれている。
「とりあえずは流し打ちをいたしましょう。どれだけお身体が鈍っているのかを見て、そこから対策を練りましょう」
華南の言葉に頷いて模擬刀を手にする。
「本気で来てちょうだい。そうじゃなければ測れないから」
朝から彼は心ここにあらずという状態で、鋭い眼光で兵達を睨み据えているものの、その視線はわずかにそれている。
そんな彼のわずかな変化に気付ける者は、2人しかいない。
一人は彼の妻で、もう一人は長年にわたり彼に仕える副官である泰誠だ。
泰誠は朝から彼の変化には気づいていたものの、どうせ昼を過ぎれば気もまぎれて落ち着くだろうと、放置を決め込んでいたのだが、、、。
午後になっても一向に様子が変わらないどころか、なんだかどんどん陰鬱な空気を纏い出した上司を見て「こりゃあダメなやつだ」と諦めを付けた。
真面目で堅物とまで言われ、仕事には一切手を抜くことのない彼が、こんな風になる原因は一つしかない。
「奥方と何かあったんですか?」
低い声で聞いてみれば、それだけで彼の眉がピクリと動き、そして眉間に深い、、、深い皺が寄った。
「なぜ、、、分かる」
なぜ分かるって、、、あんた、そりゃぁねぇ
そんな言葉がつい口から出てきてしまいそうになるのを慌てて飲み込む。
「殿下がこのように思い詰めた顔をされている時は、奥方様の事で何かお悩みの事が多いですから」
そう、やんわりと説明すれば、彼は「やはり顔に出ているのか」と自己嫌悪に陥るように首を垂れた。
すぐに訓練中であることを思い出して顔を上げたものの、その顔は浮かない。
「喧嘩でもなさったのです?」
普段から仲睦まじい夫婦ではあるが、奥方が同じように禁軍に籍を置いている関係上、時には衝突する事もある。しかし、それもその場限りのもので、いつも後に引くことなく、数時間で互いにけろりとしているのだが、、、。
「喧嘩、、、と言うよりか、一方的に怒らせている」
後頭部をガシガシ掻いた彼は、本当に参っているという顔で、またも大きく息を吐く。
「出産からふた月が経っただろう。そろそろ本格的な鍛錬に戻ると翠玉が言い出したんだ」
「確かにそろそろそんな頃ですね」
産前、奥方が医師や出産経験のある軍の女兵士の意見を聞いて決めた復帰時期は確かに産後2か月後だったことを泰誠も覚えているし、なんなら夫である彼も「医師や経験者がそれで大丈夫という意見であるならば」と承諾していたはずだ。
「だが、、、俺にはどう見ても、今の翠玉には早い気がするんだ」
兵達の訓練を見ているようで見ていない、遠い目をしている。
なるほど、どうやらそれが喧嘩の発端という事だろうと合点がいく。
「どういう事です?」
首を傾けてみると、彼は少しだけ視線をさ迷わせて、最後に大きく息を吐いた。
「確かに体の方は回復しているかもしれない。しかし赤子の世話で睡眠不足や疲労は増している。そんな所に訓練なんぞ入れたら、身体を壊してしまいそうで、、、ついまだ早いと言ってしまったんだ」
「それで、、、怒らせてしまったと?」
冬隼が頷く。だいたいの互いの主張が理解できてしまった。
要は、次の戦まで猶予がなくて焦る妻に対して、心配のあまり「無理をするな」と言ってしまったのだろう。
普段なら「もぅ本当に過保護だわ」と呆れつつも笑っている翠玉だが、彼女自身が産後の不安定な体調と精神状態に焦燥感が相まってピリピリしてしまっていたのだろう。
「「私の体力と積み重ねてきたものをなめるな!前々からあなたは私を過小評価し過ぎなのよ!」と怒鳴られて、寝室から追い出された」
「あ、そっちですか?」
流石奥方だなぁと苦笑する。
そう言えば彼女は手合わせでも手を抜かれる事をとても嫌う。特に夫である冬隼はどうしても彼女を思うあまり無意識に遠慮することがあるため、それに苛立っている事は度々ある。
それが今回、この状況で爆発したらしい。
「それは素直に誤解を解いて謝るしかありませんね」
首を傾けて見れば、バツの悪そうな顔で彼は頷いた。
「口をきいてくれればいいのだがな」
++++
赤子の胸をとんとんと優しく叩きながら、翠玉はぼんやりと昨晩の夫とのやり取りを思い出した。
流石にちょっと大人げなかったわよねぇ。
今思うと、寝室から追い出すまでしなくても良かったように思う。
でも、腹が立ったのは立ったわけだし。
思い出すだけで、ムムッと唇が突き出る。
確かに出産後ひと月ほどは、体調も体力的にも辛い時もあったが、ここひと月ほどは、随分と身体も軽くなり、休息も取れるようになってきていたのだ。
それなのに、、、
「私って冬隼にとってそんなに弱いのかしら?」
つい1年ほど前は、肩を並べて戦場に立ち、随分と厚い信頼を寄せてくれていると思っていたのだ。それなのにすでに彼の中には武人の翠玉は消え去って、ただの女の翠玉になってしまったのだろうか?
私の力量を信頼してくれていないのだろうか?そう思ってしまったら唐突に悲しくなって怒りがこみあげてしまったのだ。
春李に上掛けをかけると、隣室に控えていた乳母にその場を任せて、部屋を出る。
最近になりようやく乳母が見つかり、春李を預けるようになった。
2月後にはここを離れ、清劉に旅立たねばならない。
我が子を置いていかなければならないのは心苦しく身を裂かれるような気分だが、かと言って兄の大義も叶えてやりたい。
そうでなければ、母や殺された兄が報われない。
いい加減過去を清算しなければ私たちは前に進めない。
子供達の生きるこれからの世にすこしでも憂をなくしたい。
紫瑞が何を考えているかわからない今、清劉の動向は非常に重要だ。
兄があの国を収めてくれるのなら随分と憂いがなくなる。
中庭に出れば、華南がすでに模擬刀を用意して待っていてくれている。
「とりあえずは流し打ちをいたしましょう。どれだけお身体が鈍っているのかを見て、そこから対策を練りましょう」
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