美形×平凡 短編BL小説集2

鯛田オロロ

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君の心の片隅に(幼馴染・現代)

君の心の片隅に

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高校の卒業式の日、いつものように友人の辰巳と高校の最寄駅までの川沿いの道を歩いていた。三月初旬、その日は真冬並みに寒かった。

「卒業か、実感ねえな」

辰巳が空を見上げて言った。

「そうだね」

「春からそっち東京だもんな」

「うん」

「都会の絵の具に染まらないで帰ってきてね」

いたずらっぽく辰巳が笑う。その表情にどきっとしてしまう。まだ少年のあどけなさを残した男らしく整った顔に、きらきらと光る生き生きとした目。

辰巳とは、中学、高校が同じで、親友と言って差し支えない関係だった。性格は正反対に近かったが、何故かお互い気が許せた。

しかし俺は辰巳のことを、大事な友人であると同時に、恋愛の対象として、好きだった。中学三年の冬から、段々と男らしくなる辰巳を意識するようになってしまった。

「……なにそれ」

「親がよく歌ってるやつ」

「へえ」

他愛ない会話をしながらの登下校も今日が最後だ。俺は覚悟を決めていた。今日、辰巳に好きだと言おうと。

恋心は自分の中だけに秘めておくにはあまりに大きく、苦しく、言わないではいられなかった。

卒業後は、俺は東京の大学へ、辰巳は地元の大学へと進学することが決まっていた。

万に一つもかなわない恋を、地元に置いていってしまいたかった。

もとより玉砕は確定していた。辰巳は長くは続かないが彼女もいたし、エロ動画も見る異性愛者だ。俺とは違う。辰巳のお気に入りのエロ動画を勧められて困り果てたこともある。

好きだなどと言われても困ってしまうだろうし、もう友人ではいられないだろう。裏切りと感じるかもしれない。彼女ができるたび、別れろ別れろと念じる友人なんて友人とは言えないか。

何にせよ、辰巳なら言いふらしたりはしないだろうという、信頼があった。

「あのさ、ちょっと話したいことあるんだ。その、ちょっと誰にも聞かれたくなくてさ」

「ん、なんだよ、こええな」

「ちょっと、橋の下、行こうよ」

「いいけど」

二人で階段を下りて、橋の下に行く。

「なんだよ、緊張すんじゃん」

俺の口の中は、辰巳よりよほど緊張でからからに乾いていた。

「……俺、辰巳のこと、好きなんだ……」

ようやく、絞り出した声はみっともなくかすれていた。

そんな俺を見て、辰巳が吹き出した。

「キッモ! お前、こんな手の込んだ冗談よせよ!」

俺は呆然と、笑い崩れる辰巳を見ていた。

「俺も愛してんよ、犬居のこと」

涙を目尻にためた辰巳が、ばんばんと俺の背中を叩いた。

キッモ。

その一言で、俺の心は木っ端微塵の粉々に砕け散った。

「……は、はは、ごめん」

「はあ、冗談きついな。告白みてえじゃん」

君は冗談だと思って笑ったんだろうけど、俺もその場では笑ってみせたけど。

キモい。

想像以上のダメージだ。

辰巳がそんなつもりで言ったのではないのはわかっている。しかし、俺が告白したのは「きもい」ことでしかないのだ。真意が伝わらなかった告白を、やり直す気力はなかった。

わかりきっていたはずなのに、キモいがいつまでもいつまでも脳内をリフレインした。

卒業式後、すぐに家を出て、東京の一人暮らしのアパートに引っ越した。準備もあるだろうと早めに契約しておいてよかった。

後で、辰巳の母が歌う歌の歌詞を調べたら、東京から帰れないって。恋人の元には帰れないって。

おしまい、もう二度と二人の人生は交わらない。

それから、もう四年が経つが、なんだかんだと理由をつけて疎遠にして、会うことはなかった。

『まじで東京染まっちゃってんじゃん! 俺たちあんなに一緒だったのに!』

『なあ、今度、東京の犬居んち行っていい?』

そんなメッセージが時々届く。

『ごめん、忙しくて。時間無いからさ』

そう返事すると、

『なあ、俺、なんかした?』

と返信がくる。それには、何にもしてないよ、忙しいだけと返信をした。電話が掛かってきても出なかった。

新しい人間関係を辰巳は築いたのだろう。連絡はやがて途絶えた。

実家にもほとんど寄り付かないから、親にも親不孝者と嘆かれている。同窓会も行かず、成人式にも帰らなかった。

就職も東京で決めた。

俺は帰らない。



「よっ!」

見慣れた人物が、大学の卒業式の数日後、アパートの玄関ドアの前に立っていた。

「な……にしてるんだよ、辰巳」

辰巳だった。

ぐわっと、なにか大きな塊が突き上げてくるような、衝撃を感じた。何年も前の激情が、そのままに呼び起こされる。

久々に見る辰巳は、人懐っこい瞳はそのままに少年らしさがすっかり抜けていた。服装も髪型も。体つきも。

急に息が苦しくなる。どくどくと心臓の音がうるさい。

「ん? 来ちゃった。すげーな、東京。人いっぱいでヘトヘト。あれ、友達……?」

俺は、セフレのタイガくんを駅まで迎えに行って帰ってきたところだった。

もともとマッチングアプリで知り合い、お互いに恋愛したいわけではないのが気に入って度々会っている。本名も知らないが、歳は五つ上らしい。

タイガくんは、どこかネコ科を思わせる端正な美貌の大人の男性だ。俺の友達、には見えないかもしれない。

「はじめまして。タイガです」

固まってしまっている俺を見かねて、友達ともなんとも言わずにタイガくんが挨拶している。

「はじめまして、辰巳です。あの、あ、俺、邪魔?
だった?」

流石にばつが悪そうだ。急に現われて、何をいうかと思えば。邪魔に決まっている。

親が住所を教えたのだろうか、誰にも教えるなと言ってあったのに。辰巳はうちの家族にも抜群に受けが良かったからこうなったのか。

苦しい。

周りから酸素が減ったみたいだ。喉のあたりが締め付けられているような不快感もある。

タイガくんが、辰巳から見えないように俺をつついた。どうするんだ、と。

「……辰巳、俺、ゲイなんだよ」

するりと唐突なカミングアウトの言葉が口をついて出た。自分でも驚いたが、言った事自体間違っていないとすぐに思った。そもそも、一度告白しようとして砕け散っているわけだ。

「え?」

辰巳が、きょとんとした顔をしている。それはきょとんともするよな。おかしくて変な笑いがこみ上げてくる。

「だから、帰れよ」

「いや……ちょっと……待って。あのさ、俺、別に……驚いたけど、偏見とか、その、ないつもり、だし」

「帰りな」

「いや、お前がゲイでも、俺ら友達じゃん!」

友達、ね。とうとうけらけらと笑い出した俺を辰巳が眉根を寄せいぶかしんだ。

「今からこの人とセックスするんだ」

そう言って、タイガくんに腕を絡め、しなだれかかる。タイガくんは、一瞬身をこわばらせたが何も言わなかった。

「……は?」

「だから、帰って。邪魔だから」

辰巳が大きく目を見開く。信じられない物を見たとでもいう顔になる。

「それとも……3Pしたい?」

不思議なくらい意地が悪くそういう言葉が出てきた。

さあ、軽蔑しろよ。

はじめ固まってしまった辰巳が、顔を真っ赤やら真っ青やらにした。

そして、俺とタイガくんの横を走り抜けていった。流石元陸上部。相変わらず足の速い。

心臓がいつもより速く打っている。

息が苦しい。

「……大丈夫、じゃない、よな?」

「……うん」

「俺、帰ったほうがいい?」

「……一人になりたくない」

タイガくんは優しく、わかった、と言ってくれた。

「とりあえず、家入ろっか」

「うん」

家の中に入り、立っているのがしんどくてベッドに座り込んだ。横にタイガくんが座る。

「お茶飲む?」

来る途中のコンビニでタイガくんが買ってくれていたペットボトルのお茶が差し出される。

「ありがとう」

受け取ろうとして、自分の手が血の気を失い白くなり尋常じゃなく震えているのに気がついた。

「わ、すごい……」

自分の震えを見て、間抜けな感想が出た。

「ごめん、まだ飲めそうにないかも」

「うん」

ダイガくんが渡しかけたお茶をすぐそばのテーブルの上に置いた。

「は、はは、ごめん。変なのに巻き込んじゃって」

声も震えている。さっき辰巳と話すときは不思議と声が出ていたのに。

「いや、さっきのがヨシくんの言ってた片想いしてた子?」

「……そう」

ヨシくんとは、本名の佳幸からとった俺の通名である。

タイガくんと初めてセックスしたあと、恋愛は考えられないという話になった。片想いしていた友人に告白したときに、冗談だと思った相手が「キモっ!」と言ったことを話した。それ以来、人を好きになれずにいると。

タイガくんの方は、同じ会社の先輩が好きだけど、絶対に無理だけど好きなのをやめられないでいると話してくれた。

それでお互いに、ちょうどいいな、となったのだ。

タイガくんの前に出会った一人が何度か会ううち俺を好きになってしまったみたいで、参ってしまったことがあった。下手に連絡先を教えると大惨事だとそのとき学んだ。

「タイガくん、ちょっとさ……抱きしめてくれない?」

「うん」

ベッドに並んで座ったまま、タイガくんが抱きしめてくれた。温かさが心地良い。

友達でも兄弟でもないけど、タイガくんはそのどちらのようでもある。ほっとする不思議な関係だ。恋愛に発展することもない。

お互いに本名こそ知らないが、家族すら知らない俺のセクシャリティや過去を話せた。いや、本名すら知らないからか。人肌が恋しい体を重ね合わせている。

「エッチ、する?」

しばらく抱き合って、大分落ち着いてきたとき、タイガくんがそう言った。

「うん」

その提案に乗る。本当に彼は俺のことがよくわかる。今は抱かれて辰巳のことを脳内から追い出したかった。

タイガくんはそっと俺の眼鏡を外しテーブルに置くといたわるようにキスをして、そっと俺をベッドに押し倒した。



タイガくんと事後もうだうだして、夕飯にピザをとって食べて、タイガくんは帰っていった。辛くなったら呼んで、と言い残して。

一人になった。

そうすると、追い出しきれなかった辰巳のことが頭の大部分を占めてしまった。

ベッドに横たわりながら、両手で顔を覆う。

君は自分勝手だな、相手に聞きもせず訪ねて来るなんて。俺がメッセージアプリで相手にしなかったからだろうけど。

今も大勢の友達がいるんだろう。俺なんかに構うなよ。

君が、俺に無邪気に笑いかけるのを、なんの気無しに俺の肩を抱くのを、俺の飲み物を突然奪って一口飲むのを、俺がどう思っていたと思う。

俺のことなんか、なんにも知らないで。

君はまた格好良くなったんだね。前から格好良かったけど。相変わらず、きらきらとしていた。開けっぴろげな君には人に言えないことなんて、何一つないんだろう。

君は美しい。君は綺麗。俺は醜い。俺は汚い。俺は、お前のせいで、もう恋もできないよ。

君に会うだけで、俺の心は千々に乱れる。とりとめなく酷い考えが沸いてくる。

辰巳は酷い。辰巳なんか大嫌いだ。

もう、俺を搔き乱さないでくれ。



その日、夢を見た。

中学一年生になりたてのころの夢だ。

中学校はいくつもの小学校から生徒が寄せ集められていて、クラスは見知らぬ顔ばかりだった。

昼休み、いたたまれなくて本を読んでいると、話しかけられた。辰巳だった。

「おーい、おーい」

はじめは俺に話しかけているとは思わなかった。

「なあ、お前だって! なあ!」

耳の近くで声が発せられて、ようやく自分に話しかけられていることに気づいた。

「えっ!? 僕!?」

「そうそう! サッカーやるのに、人数合わねえから入ってよ」

目が、キラキラしていた。気がつけば、圧倒され頷いていた。

「……下手くそで、いいなら」

「全然いい! ほら、行こう」

ぐいっと手が引っ張られて、椅子から立ち上がる。

「あとさ、僕じゃなくて、俺って言ってみ?」

「えっ?」

「ほら」

そう言って、辰巳はにっと笑った。

そこで夢から目が覚めた。

一人称を僕から俺へ変えたきっかけだ。辰巳に言われてやめたんだ。それだけで、何か悪いことをしているような、ちょっと大人になったような、そんな気がした。

辰巳は人の輪の中心で、明るくて強引で、それが格好良かった。たちまち俺は辰巳に夢中になった。何故か辰巳のほうでも俺を気に入ってくれたみたいで、俺は辰巳に引っ張られてクラスメイトと関わることができた。

あのときは良かった。満たされていた。

なのに、なんで俺はそれで満足出来なくなってしまったんだろう。

ベッドから下りて、スマホを見る。

流石に辰巳からの着信はなかった。

3Pしてみたいか、なんてよく聞けたものだ。自分がこんなことを言う機会があるとは思ってもみなかった。

あんなことを言ったのだ、これでもう辰巳から連絡はあるまい。



春休みが終わって、入社式があって、研修があって、配属されて、新生活が始まった。

社会人としてのマナーや生活にも慣れ、会社の同期や先輩とも段々と打ち解けた。

「ねえ、犬居くんって彼女いるの?」

「なあ、犬居ってどんな女の子がタイプ?」

「犬居って今まで彼女何人いた?」

またこの手の質問に合うことになる。中学でも高校でもことあるごとに聞かれたことだ。曖昧に流そうとすると、逆に興味を引いてしまうことは経験上知っていた。

「いや、初恋の子が今でも好きで忘れられないんだ」

そう適当に答えていると、それはどんな子だったのかと振られて、適当に答える。その後、じゃああなたは、と質問を返す。人は自分の話をしているときが幸せだってどこかで見たから、結構な確率でうまくいった。

辰巳を適当に女の子に置き換えて話す度に、辰巳のことを思い出さずにはいられなかった。

入社して半年。

「私が忘れさせてあげよっか」

同期の女の子が冗談めかしてそう言った。大人は冗談だよと言える余地を作るのだろうか。俺が辰巳に告白したときにはその余裕がなかったのに、冗談のようになってしまったけど。

俺に好意を抱く女の子もいるらしかった。

「いや、忘れたくないんだよ」

申し訳ないけど、面倒に思った。そう女の子を牽制すると、女の子は、意味がわからないと思うようだ。

俺の心は結局辰巳にあるのだ。辰巳以外を好きになれないまま。二度と交わることのない辰巳だけを。

着信を拒否しなかった理由もそれだ。辰巳から連絡の手段をなくしたくなかった。

いつまで、何年も前の、大した意味もなく発せられた、キモい、を引きずって引っ張り出して、辰巳のせいで誰も愛せないなどと嘆いていて。

忘れたくない、というのはまごうことなき本音だ、と言ってから気づいて苦笑する。初恋を忘れられない。今でもずっと好き。これも真実。

まだ辰巳が好きなくせに、辰巳を酷いとなじることで、自分の心を守っていた。

俺は、君が突然アパートに来るのをどこかで待ってたんだ。迷惑だ、邪魔だ、俺に関わるなと言いながら、訪ねてきたことを喜んでいた。辰巳が俺を忘れていなかったことを喜んでいた。

君の顔を、君の瞳を、曇らせたかった。粉微塵になった意趣返しをしたかった。

救いようのない男だ、俺は。

わかっている。俺は俺という友人を急に辰巳から奪ったのだ。

辰巳は何も悪くない。異性愛者に告白しようなんて無謀を試みた俺が悪い。告白成功率ゼロ、嫌われて、避けられて、気色悪がられても仕方ない。それなのに、キモいの一言を恨みに思って。

俺は、辰巳が好きだ。

それをようやく認めるまでに、もう五年も経っていた。

「はは……ああ、好きだ……」

俺の春は、真冬並みに寒かった高校の卒業式で止まっていた。

その春から、季節を一歩進めてみよう。

やっとそう思えた。



桜も散って、黄緑色の新芽が芽吹いている。季節は春が終わり、初夏に移ろうとしていた。

タイガくんに会わなくては、と思った。話がしたいと、個室のある居酒屋まで来てもらった。

駅前の居酒屋の店の前で待っていると、タイガくんがやってきて開口一番こう言った。

「なんか、いい顔になったね」

「そうかな?」

店に入り、名前を告げると席に案内された。おしぼりとお通しが運ばれてきたあと、タイガくんが言った。

「辰巳くんのこと、吹っ切れたんだ?」

「いや、逆かな。好きだなあって」

「知ってたよ、それ」

「はは、そっか」

それから、飲み物や料理を注文して、とりとめのない雑談をして、声をひそめて今日の本題を切り出した。

「それで……もう、セックスはできないなって」

それが、今日タイガくんに言わなければならないと思っていた事だ。個室になっているとはいえ、人に聞かれるのははばかられた。

「うん」

タイガくんがうなづく。

これで、さようならかもしれない。

こちらからすれば今後もタイガくんと会って話がしたいが、タイガくんからすればセックス抜きで会う意味はないかもしれない。

俺にとってタイガくんの存在がどれだけありがたかったか。感謝しかないけれど。

「その、今まで、ありがとう」

「いやいや、ちょっと待ってよ。今生の別れみたいなのやめよ」

タイガくんが苦笑する。

「飯ぐらい、一緒に食ってもいいでしょ。これからは友達として、ね」

「……ありがとう」

泣いてしまいそうだ。実際、涙が滲んだ。

辰巳を切り捨て、地元の友人も切り捨て、親とも疎遠になっている今、タイガくんの申し出は泣きたくなるほど嬉しかった。

誰にも言えない俺のセクシャリティを知った上で、初めて友達ができたのだった。



あともう少しすれば、きっといい思い出になる。

その思い出を抱いて、また、誰かを好きになれればいいし、なれなくてもいい。

これが生涯ただ一つの恋だっていい。あとは時間が解決してくれる。

そんな風に思っていた。



社会人三年目の春。仕事中に携帯のバイブが鳴った。親からの着信だった。仕事中だって知っているだろうに。

高齢の祖父母に何かあったのだろうか。胸騒ぎがして、何食わぬ顔で立ち上がり、建物を出て、折り返した。

「どうしたの、何かあった?」

『佳幸、辰巳くんがね、辰巳くんが昨日事故にあって』

「辰巳が?」

『うん。重体なんですって。辰巳くんのお父さんが、佳幸にも来てほしいって言ってくれて』

母親は何か続けていたけど、何を言っているのかわからなかった。

オフィスに戻ると、同僚に声を掛けられた。

「おい、大丈夫かよ!?」

「え、大丈夫だよ」

そこで、ぼろぼろと涙がこぼれているのに気がついた。涙腺が壊れたみたいだった。

「何かあった? やばいって」

「友達が重体だって」

自分が喋っているのに自分が喋っていないような感覚だった。

「課長、犬居の友達、重体ですって!」

「えっ、犬居くん、大丈夫?」

「今日帰れ、な?」

あれよあれよと、なぜか社用車で駅まで送り届けてもらうことになった。震えが止まらない。涙が止まらない。

変だな、俺は普通なのに。どうして、涙と震えが止まらないんだろう。


普通のはずなのに、なぜか切符も買えない俺を見かねて、改札まで見送りに来た同僚が切符を買ってくれた。

「本当に気をつけて行けよ、な。気をつけろよ」

ニ回も言わなくても。俺は大人だよ。

特急電車に乗り、車内で母親にメールをした。急に帰ったらびっくりするだろうから。

今電車に乗ったよ、とそれを打つだけでえらく時間がかかった。手が震えてうまく打てず、一回はスマホを床に落としてしまった。それを拾うのも一苦労だった。

特急を乗り継いで、地元までたどり着いた。

駅には母親が待っていて、俺を辰巳の入院している病院に連れて行くのだという。

「母さん、俺、辰巳に合わせる顔がないよ」

「何言ってるの、馬鹿ね!」

母親が厳しい口調でそう言った。

病院に付き、案内された部屋に向かう。俺は全然頭に入らなくて、母親に腕を引かれてついていった。

「面会時間までもうすぐだから、待ってましょうね」

それからしばらくして、待合室から面会のために出てきた辰巳の両親に会った。中学高校時代、よく辰巳と俺はお互いの実家に泊まったりしたものだった。その時に随分とお世話になった。辰巳と同じ、明るく開けっぴろげなご両親のことが俺も好きだった。

憔悴しきった顔だった。俺を見ると、よく来てくれたね、とお父さんが言った。

「私、ここで待ってるから」

母親が俺の手をはなす。俺は辰巳の両親と一緒に面会に向かった。ビニールのガウンのようなものを着て、消毒して、やっと病室に入る。

そこには、たくさんの機械、管に繋がれ、包帯が巻かれ、目を閉じ、ベッドに横たわる辰巳がいた。

これは現実の出来事なのか。

「瑛太、犬居くん来てくれたわよ」

辰巳のお母さんが辰巳の手を握り話しかける。

「良かったな、瑛太」

「犬居くんも、話しかけてあげて」

「あ……」

俺なんかが、何を話しかけてあげられるだろうか。何をのこのこと来てしまったんだろう。

合わせる顔なんて、ないのに。 

「……辰巳、ごめんな、ごめん」

出てくるのは謝罪の言葉だけだった。

「辰巳、辰巳……ごめん」

告白なんかしてごめん。

君には、随分と酷いことをしてしまった。

目を覚まして、俺を罵ってくれよ。

お前は最低だって。

どうして、君が、いつもきらきらして、生きる希望に満ち溢れていた君が。健康な肉体に健康な精神を宿している君が。

たくさんの管に、人工呼吸器に、点滴に繋がれて、青白い顔で横たわっているんだ。

なあ、早く目を開けて。

君の宝石みたいにきらきら光る目を開けてくれよ。

お願いだよ。

「辰巳、ごめんな、ごめんな」

視界が歪んでいる。また俺は泣いているのか。

「犬居くん、この子ね、犬居くんに悪いことしたって、そう言ってたの」

涙でぼやけた視界で辰巳のお母さんを見る。

「謝っても許されることじゃないって」

それは違う、辰巳は何も悪くない。

「だから、きっと、おあいこなんじゃないかしら」

「違います! 違うんです……」

ふと、辰巳をじっと見ていたお母さんが、辰巳の顔を覗き込んだ。

「……瑛太!?」

「瑛太!? 先生、先生!」

お父さんとお母さんのただならない様子にふらふらと近寄って見ると、辰巳の目が開いて、人工呼吸器をつけられた口元が何かを話すようにぱくぱくと動いていた。

意思が感じられた。

へなへなと倒れそうな俺を、看護師さんが外へ連れ出した。

「佳幸、帰りましょう」

母親が立っていた。本当は、もう少し、病室とは言わないから、同じ建物にいたかった。

「……うん」

なんだか、力が入らない。歩くのがやっとの俺を、母親が支えてくれる。

良かった。辰巳は死なない。

きっと死なない。

良かった。



その日は久しぶりに実家で母親の作った晩ご飯を食べたあと、翌日も仕事があるからと東京にとんぼ返りしてきた。

なんだか頭がぼうっとしていたけど、今度は自分で考えて自分で動いてると実感できた。自分では普通のつもりで、異常そのものだったわけだ。

母親は不満そうだったけど、会社員はそういうものだと父親がなだめていた。



「すみません。昨日はご迷惑おかけしました」

翌朝出社し、心配を掛けた同僚や上司に挨拶をした。

「その、大丈夫か?」

「はい、おかげさまで。持ち直したみたいです」

「よかったな」

「はい、ありがとうございます」

そうして、また一日がはじまった。この世界に生きて辰巳がいる一日が。



それから数日して、辰巳が命の危機を脱したという話を母親から電話で聞いた。

「そっか、よかった」

『お見舞い来れないの? もう一般病棟に移るって』

「いや、いいよ」

『仲直りしなくていいの?』

「いいんだって。電話、ありがとうね。じゃあ」

強引に電話を切った。結局話せることなんて何もないのだから。



『ちゃんと会って話したい』

事故から二ヶ月ほど経ったころ、辰巳からそうメッセージが届いた。母親から退院したことは聞いていた。

オフィスで昼休みに何気なくメッセージアプリを開いて、思わずすぐ閉じてしまった。心臓がどくどくと痛いくらいに鳴っている。

なんとなく、意識のない辰巳に謝ったことで禊になった気がしていたが、それは俺が自分勝手にそう思ったに過ぎない。

俺は最低な受け身の人間なのかもしれない。ごめんなさいと、意識のない辰巳にしか言えなかった。

しかし、どんな顔で会えるというのか。怖かった。今更会って何を話すというのか。

傷つけようという意図を持って傷つけた相手だ。弁解の余地もない。

このままでは既読無視になる。いや、よく考えて返信しよう。

会うか会わないか。その判断が下せなかった。

気分を変えようと、外に出る。初夏の眩しい日差しに目を細める。

折角だから近くのコンビニまで行こうと門を出た。

コンビニに行く途中、男子高校生の一団とすれ違った。この時間に歩いているのは今日はテストか何かだったのだろうか。

「は?」

「まじありえねえ」

「うっわ」

けらけらと楽しそうに笑い合っている。

たった七年といえば七年しか経っていないというのに、随分遠くへ来てしまったものだ。



金曜日の仕事終わりにタイガくんのマンションにお邪魔した。大理石のタイルが張られた瀟洒なエントランスを抜ける。

タイガくんの部屋は、なんだかよくわからない生き物の置物とかがあって独特な空間だった。曰く、目が合うと買っちゃうんだよね、とのことだ。

この部屋でタイガくんとセックスしたのも遠い昔のことのようだ。

ビールやハイボール、テイクアウトのカレーを持参した。タイガくんと飲み食いしながら話す。

「どうなりたくて、こんなメッセージくれたんだと思う?」

「仲直りしようとか?」

「……だよね」

高校の卒業式にされたのが告白だったと、流石にもう気がついているはずだ。その後、ゲイでも友達じゃないか、と言った辰巳をひどい態度で拒絶した。

「でもさ、仲直りのしようがないっていうか、悪かったってお互い思ってるけど、もうそれ以上どうしようもないっていうか」

ある意味、症状の固定してしまった古傷のようなものだ。何の手の施しようもない。

「和解したいんじゃない?」

生死の間をさまよって、心境の変化があったのかもしれない。

「ごめんなさいってお互いに言って、それで終わりにできたらそれでいいんじゃない? きっと辰巳くんも苦しいんだと思うよ」

そうか、そうかもしれない。

辰巳も苦しんでいる、という視点を今までそう強く意識していなかったかもしれない。俺がいなくても辰巳ならすぐにもっと仲のいい友人が作れる。俺の抜けた穴なんてたちどころに埋まる。そう思っていたから。

会って辰巳が楽になるのなら、会ってみるのもいいかもしれない。謝罪や罵倒、軽蔑。全てを受け入れよう。

「……会ってくる」

「うん、そうしなよ」

タイガくんが優しく微笑む。俺は背中を押してほしかったのか。タイガくんに言われて初めて気がついた。情けない。やっぱり俺はどうしようもない。



三時間かけて地元の駅につく。二ヶ月ぶりだが、その時は周りに目をやる余裕はなかった。

何もない町だと思っていた。

東京のように人が人の波を縫うように歩くこともない。人通りも車通りもない。寂れていると一言で言えると、昔は思っていた。

この山から吹き下ろす風を、澄んだ気を吸って育ったのだ。

駅からバスに乗って、辰巳の実家に向かう。今日は両親居ないから。話しにくいことも話せるということだろう。

よく知った懐かしい平屋建ての家にたどり着き、意を決してインターホンを押した。すぐに両脇で松葉杖抱えた辰巳が出てきた。もう顔色もいいなと思った。

辰巳の瞳が、まっすぐにこちらを見据える。逸したいのに逸らせない。また目を開けてくれと切望した、きらきらと光る力強い目。

「いらっしゃい」

「……お邪魔、します」

向きを変えるときによろける辰巳を支える。

「だ、大丈夫?」

久しぶりの辰巳の体温、辰巳の匂い。

変にどきどきしている。高校のころ、よく肩を抱かれてどぎまぎしたのを思い出した。

「悪い……まだ慣れてなくて」

辰巳がもう大丈夫と自分で立った。

「そっか……」

生死の境にいたのはつい二ヶ月前なのだ。退院したのもつい先日のことだ。見慣れた廊下をついて歩く。

辰巳が話しだした。

「こういうとき、平屋っていいな。昔は家に階段あるの憧れてたけど」

「そんなこと言ってたね」

そう言えば辰巳は、俺のうちに来るたびに、階段があって羨ましいと言っていた。

不思議だ。普通に話せている。

廊下の行き止まりの辰巳の部屋に通される。ここも散々泊まった部屋だ。

入ると、当時あった大きな学習机もなくなって、少し広く感じた。ベッドが生々しく感じられて見ないようにした。下半身が勝手に疼く。

好きな子の部屋に通された中高生ではあるまいし。辰巳と俺とが寝るわけもない。

俺はゲイで、辰巳は異性愛者で、たとえゲイ同士だってお互いにその気になれなければ寝ない。

何を考えているのかと、自戒する。俺は馬鹿だ。



辰巳がベッドに腰を下ろす。どうしたものかと思って、とりあえず床に座った。自然と辰巳を見上げる形になる。

「人生初骨折だわ」

死にかけたんだから、初骨折どころじゃないだろう。不謹慎なのに笑ってしまった。

「骨ってどのくらいでくっつくの?」

「半年ぐらいかな? 先生には、君回復早いねってさ」

「流石だね」

急に沈黙が訪れた。

そうだ、今日は何も世間話をしに来たのではない。

「人生は有限なんだなって、死にかけてわかったっていうか」

ぽつりと辰巳が言った。

「お前とこんな状態で死にたくないって」

辰巳の中では友人と喧嘩別れした状態で、和解したいということか。

「……辰巳、俺、その、本当に……ごめん」

七年ぶりに、本人に直接謝罪することが出来た。思っていたより簡単に言えた。

「それ、聞こえてた。病院来てくれただろ」

まさか聞こえているとは思わなかった。

「それで、俺、死んだんだって思ったんだぜ? 犬居の声が聞こえるなんてさ」

辰巳が笑っている。

「謝んなよ、俺のほうこそ謝んなくちゃって。本当に、ごめん」

「……君は、悪くないだろう」

「悪いよ。お前が告白してきたとき、俺、馬鹿だから本当に冗談だと思って。お前が東京行って、地元の俺らのこと切ってから、あれが原因かなって。けど、そんなんあり得ないし……」

「ゲイなんてあり得ない、って?」

また感じ悪く鼻で笑ってしまった。

そんな俺見て、辰巳が口元を押さえた。

辰巳にとっては、差別意識は無くてもいざ自分がゲイに好かれたら、気持ち悪くて、あり得ないと。それが普通の異性愛者の偽らざる本音なのかもしれない。

俺だって、辰巳が好きだと気づいたときには死にたい気持ちになった。家族にも世間にも隠さなければと思っている。他ならぬ自分が、同性愛者の自分を恥じて差別している。

辰巳の、キモい、への過剰とも言える反応は、辰巳ならばどんな自分も受け入れてもらえると過剰に期待していたからかもしれない。

自分だって受け入れきれていないものを。若さゆえに無鉄砲で楽観的だった。なんの根拠もなく無邪気に信じて裏切られた気持ちになった。

「……いや、身近にいるって考えたことなかったから」

「いるよ。結構いるんだよ、普通にさ」

「当時の俺の理解を超えてたっていうか。確認するの怖くて、冗談のままで流そうって……最低だよな」

今となっては当時の自分よりも、辰巳の方に共感できる。

「……親友がゲイで、自分のことが好き、なんて最低の事態の一つだと思うよ」

自分で言って、そのとおりだと思う。友情に対する手酷い裏切りだ。なんだかよくわからないけど、笑っている自分がいる。表情筋が勝手に笑いのかたちを作っている。

「犬居……そんなこと、言うなよ……」

「君は、悪くないよ。本当にごめん。元気でね」

「あ、ちょっと!」

帰る俺に続いて、辰巳が立ち上がろうとする。すると、ベッドに立て掛けた辰巳の松葉杖が大きな音を立てて床に倒れた。

「ああ! もう……!」

辰巳が、苛立って叫んだ。骨折してままならない体のもどかしさが伝わってくる。

帰る前に、松葉杖をベッドに立て掛け直す。

その腕を掴まれた。痛いくらいだ。

「俺が悪くないとかどうでもいいよ……! お前じゃなきゃ駄目なんだよ!」

切実な強い瞳に射抜かれる。くらりときそうになる。

かぶりを振った。

「……俺たちは、友達にはなれないんだよ! なんでわからないんだよ……!」

「あの人と、まだ付き合ってるのか!?」

「あの人!?」

「お前のアパートで会った、イケメンの!」

何故今タイガくんのことを聞いてくるのか。一瞬言いよどむが、どうとでもなれと叫んだ。

「……あの人はセフレ!」

「せ……」

辰巳が、絶句してる。

真面目だけが取り柄の俺から一番縁が遠そうな言葉に違いない。

「今は友達だけどね」

軽蔑しろよ。

謝罪して穏やかに別れることもできないのかと悲しくもなった。

辰巳の手が、俺の腕をぎりぎりと締め上げた。

「……っ!」

「俺、お前があの人とやってるとこが浮かんで仕方なかった。すげえやだった。お前が、あの人とって思ったら」

親友が男と寝ているところを想像するなんてトラウマ級の出来事かもしれない。辰巳を傷つけたいという俺の歪んだ欲求はかなえられていたらしい。

「なのにさ、それで、抜いちゃって、すげえ最悪だった」

「……は?」

腕が痛い。辰巳が言っていることも理解しがたい。

「そんで、俺もゲイなのかなって。認められなくて。絶対に違うって。偏見ないとかほざいといてさ、自分がゲイかもってのは全然認められなくて。他の男になんか勃たないし、普通に女の子ともエッチ出来たしさ、だから俺はゲイじゃないって」

辰巳が、ゲイだと。

そんな馬鹿なことがあるものか。

「そんで、セックスする犬居もなんか、俺、認められなくて。お前にはずっと、そんな俗なことはしてほしくなかったっていうか。すげえ、なんだか腹が立ってさ。もう、何言ってんだかわかんないけど」

辰巳ががっくりと項垂れる。それと、同時に辰巳の手からも力が抜けた。

「……悪い」

手がじんじんとしびれている。

「友達っていいながら、お前のそういうとこ勝手に想像してさ。俺が汚しちゃってんじゃん、みたいな」

開けっぴろげな辰巳には人に言えないことなんて、何一つないんだろうと。悩みなんてないんだろうと。

こんなに俺のしたことで辰巳を苦しめていたとは知らなかった。

『今からこの人とセックスするんだ。それとも……3Pしたい?』

俺の傷つけるための言葉が、辰巳を苦しめていたのか。

「辰巳、違うよ。君は、ゲイじゃないよ。大丈夫」

俺に変な影響を受けてしまっただけだ。

「なんで、そう言い切れるんだよ」

辰巳が俺を見上げた。

「俺も、馬鹿なりによく考えたよ。こんなこと今更言われてもうざいだろうけど」

辰巳が俺の両の手首を掴む。

「俺は、犬居が好きです」

熱のこもった真っ直ぐな瞳。かすかに震える声。不安げにしかめられた眉。

なにより、瞳が辰巳の言葉に嘘偽りがないことを伝えていた。

どうしたらいいのかわからない。

喜びよりも、ずっと戸惑いのほうが大きい。

俺に流されて、そういうふうに辰巳が歪められてしまったのではないかという思いもある。

どうしたらいいのかわからない。

ただ、体が震えている。とても情けない顔をしている気がする。

辰巳に手首を握られたまま、どうともできずただ立ちすくんでいた。



おわり


初出 2021/04/14
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