美形×平凡 短編BL小説集2

鯛田オロロ

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夢は春野を駆ける( BADEND注意、オメガバース・ファンタジー)※

夢は春野を駆ける※

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大陸を征服しつくしたエスタル皇帝エイサンは、後宮を造った。

各地の美しい女たちが集められた。

その中には、たったひとり、男性機能を去勢された、男のオメガがいた。



エスタル皇帝エイサンは、幼少の頃を敵国ゴーデン王国の人質として過ごした。

屈辱に耐えた十年間だったという。十四のとき、父王が死に、即位するために国に返された。

それからエイサンは、国を富ませ、兵を鍛え、二十歳の時に征服戦争を始めた。

歯向かう国は滅ぼし王侯も皆殺しにして直轄地とし、恭順を示す国は属国として貢納を課す間接統治とした。

そして、たった八年で大陸を制覇した。



シーナは、今はなきゴーデン王国の、たった一人残された王族だった。

彼はゴーデンのたったひとりの王子だった。

世間に言われるように、ゴーデンは、エイサンを粗末に扱ったり、いたぶるようなことはなかったと、シーナは知っている。事実無根である、と。

ゴーデンは、王家や大公家の子女たちとエイサンを同じように教育した。

シーナとシーナの従兄弟たちとエイサンは、机を並べ教育係から授業を受けた。

礼儀作法も、数学も、外国語も、地政学も、音楽も、詩作も、剣術も、乗馬も、エイサンは全く同じ教育を受けた。

エイサンは、美しいが、子供ながら感情の抑制がきいていた。怒ることも、腹を抱えて笑うこともなかった。

同い年なのだし、エイサンがもっと打ち解けてくれればいいと、常々シーナは思っていた。

なにくれとなく話しかけ遊びに誘った。エイサンは、羽目を外すことないが、それなりに楽しそうにしていた。

本日はありがとうございました、といつも慇懃に礼を述べて帰っていった。

しかし、シーナは、学友でもある従兄弟に言われて、気付かされた。

『エイサン王子は君の誘いを迷惑がっているぞ。わからないのか? 彼は愛想笑いをしているだけだ』

エイサンは人質として不本意ながらここにいるのだと。シーナからの誘いに喜ぶわけがないのだと。エイサンが心を開くことはないのだと。

シーナは急に恥じ入って、エイサンに用もないのに話しかけるのも、遊びに誘うのもやめた。

その翌年、エイサンは母国に帰ったのだった。



エスタル王となったエイサンが真っ先に攻めたのはゴーデン王国だった。

ゴーデンがエスタルに降る道理などない。

ゴーデンは徹底抗戦の末、無惨に破れ、王侯は皆殺しにされた。

シーナを除いて。



ゴーデンの王侯が皆殺しにされた夜、エイサンはシーナを閉じ込めた塔に、護衛の騎士とともにやってきた。

護衛の騎士を扉の外に残して室内に入ってきたエイサンは、数年前に会ったときよりも、一層雄々しく美しかった。

禍々しいほどに。

そしてエイサンは、シーナの前にひざまずいた。

「あなたを、愛しています」 

シーナの目をまっすぐに見つめて、そう言った。

ずっとお慕いしていました、と薄笑いさえ浮かべて。

「ふ、ふざけたことを!」

「私の愛を、全てあなたに捧げます」

「戯言を! 私のことも、父上のように、母上のように、殺せ!」

「何故、愛しているあなたのことを、私が殺さねばならないのです?」

「貴様が、愛など口にするな!」

「愛するあなたのご両親ですから、ゴーデン王と王妃は丁重に葬りましょう」

悪夢のようだった。これほどの悪い冗談があろうか。

「恩知らずの悪魔め!」

シーナは叫び、皆の仇を、歯を食いしばり涙を流し睨めつけた。

「……自害など、お考えになりませんよう」

エイサンがすっと立ち上がる。

エイサンのほうが、ずっと上背がある。

「あなたが、自害なされば、あなたの乳母を殺します。護衛騎士を殺します。家庭教師たちを殺します。庭師を殺します。馬丁を殺します。楽に死なせたりはしません。嬲り殺しにします」

「なっ……!!」

「今後、あなたがゴーデンの王子であることを、誰にも言ってはなりません。言えば、同様に殺します」

エイサンが一歩一歩と、距離を詰める。

「あなたが、私を拒めば、同様に殺します」

噛んで含めるように、ゆっくりと、優しくさえ聞こえる声音で、エイサンは言った。

「これからは、シーナとお名乗りください」

シーナの本来の名は、アレイシーナエナと言った。シーナは名も奪われた。

エイサンは、怒りと恐怖に震えるシーナの体を優しく抱きしめた。

嫌だ。触るな。父上を、母上を殺した手で、私に触れるな。

内心そう思っても、口に出すのは許されない。

歯噛みするシーナに、エイサンは口付けた。

シーナは拒むこともできず、じっと耐えた。シーナの愛する人たちが人質に取られたようなものだった。シーナが拒めば、彼らが嬲り殺される。

「口を開けて」

口惜しく思いながら口を開けると、舌がすべりこみ、シーナの舌に絡んだ。

「うっ、くっ……んっ……」

舌を甘く噛まれ、舌を吸われた。いっそ、その舌を噛み切ってやりたかった。

幼い日に人質として過ごした屈辱に対する復讐なのだろうか。シーナごときのつまらぬ話に付き合わされ、遊びに連れ回されたことが、それほど許しがたかったのか。

エイサンは口を吸ったまま、シーナの裾を持ち上げて下着の紐を解いた。

はらりと下着が床に落ちる。

エイサンが、シーナの丸みない薄い尻を撫ですさった。

びくりと体が強張り、鳥肌が立つ。

これからエイサンに犯されるのだろうかと、シーナは思った。

古来から、男に屈辱を与え尊厳を踏みにじる手段として、男が男を犯すことは行われてきた。

敵国の王の権威を喪失させるため、敵兵の戦意を喪失させるため。

エイサンにそれほど憎まれていたのかと、シーナは思った。

そうでなければ、今や美丈夫となったエイサンが、どうして容色に恵まれぬオメガのシーナを犯すだろう。

シーナの不浄の穴に、エイサンが触れた。

「んっ……!」

尻を揉みながら、エイサンの指がシーナの穴をもてあそぶ。

穴を撫で、押し込み、つつく。それを、延々と繰り返す。

そのうちに、シーナのオメガの体は彼の意思に反して濡れはじめる。

立ったまま、エイサンの指がついにシーナの中に侵入を始めた。

小さくうごめかしながら、指が入ってくる。

シーナは自慰ですらそこに触れたことはなかった。世継ぎとして育てられたシーナは男として育てられ、いずれ隣国の姫が成人に達すれば娶る手筈となっていた。

シーナのそこは、生涯、性行為に使われるはずのない場所であった。発情期には、分厚い布を幾重にも巻かれて両手を縛られた。

「ふっ、ううっ……!」

僅かな痛みはすぐに消えてしまった。

代わりに、未知の感覚がシーナを襲った。

足ががくがくと震え出す。

知らず、シーナは憎いエイサンにしがみつく羽目になった。

くちゅ、くち、ぐちゅ、にち。

シーナの穴から、恥ずべき水音がしていた。

エイサンの指が根本まで入ると、シーナはその指に支えられて、やっと立っているような状態だった。

「い、いや、いやだ……」

口付けの隙間から、拒否の声が漏れた。すぐにはっとした。皆が殺されてしまう。

「愛しい人」

エイサンはふっと笑うと、口付けを深くした。より深く指を突き入れた。その長い指が子宮口に触れる。

「うっ……!?」

そこを撫でられ、押し上げられると、じんわりと腹の奥が熱くなる。

指が、シーナを一層泣かせた。怒りと、羞恥と、恐怖。エイサンに反応することに、自身の肉体に裏切られているように感じた。

「ひっ、んんっ……!!」

エイサンの指が、二本に増やされる。

その指が、ゆっくりと抜き差しされる。

もう嫌だ、やめてくれ、止めてくれ。

シーナの願いは通じることなく、エイサンはゆっくりとシーナの肉体の快感を目覚めさせ、引き出していった。



息が詰まるほど喘ぎ、体を震わせ、足腰の立たなくなったシーナを、エイサンは寝台に横たえた。

ようやく引き抜いた彼の指は、べったりとシーナの分泌した愛液で濡れていた。

シーナのふるふると震える足を開かせ、エイサンは、自身をぴったりとシーナにあてがった。

「ううっ……ああ……ああ………」

拒否の言葉は封じられている。

男根で犯されれば、いよいよ自身が男でなくされてしまう。シーナは二十年、男として、王子として生きてきた。それが、終わってしまう。

「愛しています」

エイサンは、この期に及んでそう言ってから、シーナの中に自身を埋めていった。

指とはまるで質量が違う。

穴の縁を限界まで引き伸ばしてしまう。めりめりと音がするようだった。

「力を抜いてください」

シーナは、顔を涙でぐちゃぐちゃにして、指はシーツを力の限り握り締めている。

できないとは、言えない。シーナはどうにか、力を抜こうとしたが、うまく行かない。

エイサンは、ゆっくりとゆっくりと、進んでいった。

親族をことごとく殺した男でなければ、それを優しさだと思っただろう。

ようやく根本まで受けれいれたとき、シーナは息をするのもやっとだった。胸は大きく上下していた。

痛い。苦しい。内臓を押し上げられて、吐き気がする。

体の中心に楔を打ち込まれたようだった。あと一撃で肉体を左右に引き裂かれそうだ。

しかし、エイサンは、シーナの脂汗に濡れて額に落ちた髪を戻してやって、優しく撫でた。

ようやく息が整ってきたころ、シーナは己の肉体の変化を感じた。

苦しいほど広げられた肉壁がうねりだして、憎いエイサンの肉棒を食むように締め付けだしたのだ。

「うっ、な……!?」

何故?

びくびくと、下腹が波打つ。先程、指で暴かれた快感が蘇ろうとしていた。

これなら、余程、痛いほうがいい。シーナは、眉をきつくしかめ、顔を歪めた。

シーナの変化を感じたエイサンが、腰をゆったりと使いはじめる。

粘膜を広げられ、圧迫され、奥をじんわりと押されると、快感が生まれて、シーナは逃げ出したくなった。

たまらず身をよじるが、軽々とねじ伏せられる。

嬌声を漏らすまいと、きつく噛みしめた唇から血の味がした。

「噛んではいけません」

エイサンがシーナの下唇を撫でて、噛むのをやめさせた。

エイサンが抜き差しを早めていく。

シーナのなかで、何かが膨らんでいった。腹の奥底が熱い。射精感とも似ているが、少し違う。何かが漏れ出そうだ。

「ま、って、漏れ、漏れてしまう……!! 止まって、止まって……!!」

「怖がらなくていいのですよ」

「い、いやっ! いやだ!」

エイサンは薄く微笑むのみだ。

シーナのなかで、破裂しそうに膨らんでいたものが、突如弾けた。

「はうっ!? あっ、ああっ! うっ……!!」

眼の前が白み、腰をがくがくと反らして、肉壁がびくびくと、強く収縮と弛緩を繰り返す。

白んだ視界の中で、エイサンが笑っていた。



シーナはすすり泣いていた。

快感のためであった。

外に護衛の騎士が立っていることも、もうとうに頭にない。

シーナは、後ろから抱きかかえられて、エイサンに犯されていた。すっぽりと抱え込まれて、うなじにキスを落とされながら、薄い胸を揉まれていた。

エイサンの指が、シーナの胸の尖りを摘んで、転がす。強弱をつけて、責め苛む。

シーナは自身の乳首がこれほどの快感を生むとは知らなかった。そこから生まれた快感が、全身を走り、頭の天辺からつま先までを甘く痺れさせる。

自重で常に子宮を押し上げられているところを、下から不意に突き上げられると、シーナは泣き叫んだ。

しかし、その声は明らかに艶めいて甘い。シーナには、自身の声が、気味が悪くて仕方がなかった。

また、なにかが弾け、視界が明滅し、肉壁がぎゅんぎゅんとうねった。

先程、エイサンから、それがオメガにとっての気をやるとか、絶頂するとか、イく、ということなのだと教えられた。

「ほら、シーナ。教えたでしょう? 何と言うのですか?」

シーナが恥辱から言わずにいると、促すように、エイサンがシーナを突き上げた。

「あぐっ! い、イきまし、た……もう、イきまし、た!」

「ちゃんと、イくときに言わなくてはいけませんよ」

エイサンが、きゅっと乳首をつねり、引っ張った。

「あうっ! ああーーーッッ!!」

軽い痛みが走ると同時に、シーナはまたしても達したのだった。



エイサンが、身支度を整えている。

シーナは、彼に背を向けて見ようともしなかった。

その前に、エイサンに指で中を掻き出されて、彼の三度吐き出した大量の白濁を処理された。処理する指で、またシーナは達してしまった。

それが、シーナの最後の矜持を粉々にしたのだ。



その晩、エスタル軍の軍医がやって来て、シーナは男性機能を薬剤で奪われた。

親族を殺されて、身を穢され、名を奪われ、男性であることも奪われた。

この屈辱の中で、シーナは死ぬことも許されなかった。シーナの双肩に大勢の命がかかっていた。



シーナは、エイサンの軍に付き従った。シーナの世話係には乳母のメリがついた。

再会の喜びに泣く乳母は、

「シーナ様!」

と、シーナを呼んだ。乳母は、よくよく、言い聞かされていた。

シーナは、アレイシーナエナという名前を奪われ、もはや王子ではなく、エイサンの性奴隷となっているということを。

乳母に、落ちぶれ穢れた我が身を知られるのは辛かった。



エイサンは、国を滅ぼすたびに、軍の後方で待つシーナを呼んで犯した。

しかし、シーナの発情期には、決して抱こうとしなかった。

その代わりに、張形でシーナを犯した。

発情期のシーナは、理性をなくして、怒りも恨みも忘れて、ひたすらにエイサンを求めた。

「エイサン、お願い、挿れて、挿れてください……!!」

「駄目ですよ、シーナ」

「なんで! いつも、みたいに、してください! めちゃくちゃにして!」

「身ごもらせて、万一あなたが死んでしまっては、私は耐えられません」

「どうして……! エイサン!」

シーナはエイサンの腕をあらん限りの力で掴んだ。

「前にも、言ったでしょう? 私の母は、私を産んで死にました。母を愛していた父は、気が触れてしまった。私もあなたを失えばそうなるでしょう」

「いいから、挿れて、挿れて! エイサンが欲しい……!!」

「聞き分けないことを言わないでください。私もこらえているのですから」

オメガの発情の匂いの立ち込めるなか、アルファのエイサンはよく理性を保っていた。それが、シーナには恨めしかった。

エイサンが張形を激しく抜き差しする。シーナを黙らせようとでも言うように。

シーナは物足りなくて悶えた。もはや、エイサンでなくては満たされなかった。



大陸を平らかにしたエイサンは、エスタル王国を帝国に格上げし、初代エスタル皇帝となった。

信教の自由を認め、どの宗教も平等とした。かつてエスタルで絶大な権威を誇った神聖教会は、広大な教会領のほとんどを皇帝に召し上げられ、免税の特権も取り上げられた。

ゴーデン王国の国教だった、新福音教会もまた同様だった。



シーナは今、エスタル帝国の後宮にいた。

並み居る美姫をおいて、エイサンは毎夜、シーナの元に通う。

シーナの発情期に限って、エイサンは後宮の美姫たちの元へ通った。

その結果として、何人もの女が、エイサンの子を孕み、産んだ。女たちは、得意げに子を抱いて、シーナに見せつけた。

女たちにとって、美しい陛下が夜ごとに通う、容色に劣るシーナの存在は目障りだった。陛下はなぜあの男のもとに通われるのかと。

そして、嘲笑の対象でもあった。

毎夜抱かれながら、もっとも辛い発情期には捨て置かれ、子種だけはもらえない。

シーナの横を通り過ぎるとき、くすくすと笑った。陛下の道化だわ、と聞こえるように言うものもいた。追求しても、道化の話をしておりましたのよ、とかわされるだけだ。



エイサンの言う、出産時に母を亡くしたから、シーナを孕ませたくないなど、シーナは嘘だと思った。

こんなに美しい女ばかりを集めて、抱き、女たちを孕ませ、子を産ませておいて。

「これでは、私は、嫉妬しているようではないか。私は、奴の子が、欲しいのか」

気づくと声に出ていた。

違う、違う、違う!

奴は、親族の仇だ。愛しているなどとほざきながら、私を脅し、玩弄し、私の尊厳を踏みにじった。

シーナは枕を目一杯寝台に叩きつけた。何度も、何度も。

枕の中の羽根が、舞い上がった。

部屋にやってきた乳母が一瞬驚いた顔をして、羽根を片付け始めた。



その晩、シーナはエイサンに抱かれた。

エイサンはシーナを腕に抱いて、穏やかに眠っている。暖炉の火が、エイサンをほのかに照らしている。

信じがたいほど、美しい男だ。どれだけの人間を無惨に殺したかわからない男なのに。

はじめて会ったとき、まだ少年のエイサンを天使のようだと思った。

今は彼が悪魔であると知っている。

それとも、あのときは、本当に天使で、どこかの時点で堕天して、悪魔となったのか。

ふと、エイサンが常に身につけている懐刀がテーブルの上に置いてあるのを思い出した。

これも覚えている。まだ子供の頃、エイサンの誕生日にシーナが贈ったのだ。宮廷の刀鍛冶に頼んで刃を作らせ、鞘や柄には金銀細工師による見事な彫金が施してある。

そっと腕から抜け出して、刀を手に取って、鞘から抜いた。

それを、眠るエイサンの首元に当てた。切っ先が肌を傷つけ、血がつうと流れた。

シーナの柄を握る手を、素早くエイサンが掴み、より強く自身の喉に当てた。

「殺すなら殺してください。その刀で、あなたになら、殺されても構わない」

シーナは、もう、何も出来なかった。

脱力して崩れ落ちた。狂ったように、泣き叫び続けた。



シーナが後宮に入って、十年の月日が流れた。

エイサンは乳母を伴って後宮内の図書館に向かっていた。

後宮の中を、ぱたぱたと小さな子らが走っていく。

後宮の中には、皇子と皇女のための教育機関があった。

一流の教師たちが、皇子と皇女に指導していた。それはまるで、亡国となったゴーデンのようだった。

皇子と皇女たちに、シーナは昔の自分、従兄弟たち、そしてエイサンを重ねた。私たちにも、あのような時期が確かにあった、と。

どうして、こんなことになったのだろう。

私たちの何が、エイサンの怒りを買ったのだろう。

その時、エイサンの一番年長の皇子が、シーナにぶつかって尻もちをついた。

シーナは手を差し伸べて助け起こそうとしたが、皇子は無礼にもシーナの腕を払いのけ、一人で立ち上がると黙って駆けていった。

乳母は平然としているが、内心は不快に思っていることが、シーナには手に取るようにわかった。

シーナは、乳母に目配せし、そのまま図書館へと向った。



図書館から戻った乳母は、ぷりぷりと怒りながら、お茶を淹れた。

「先程の皇子は、アシェラ貴妃のお子ですよ。まあ、よく教育の行き届いていらっしゃること!」

アシェラ貴妃は、エイサンの皇子を二人産んでいて、得意の絶頂であった。

皇子の行いを咎めれば、きっと面倒なことになる。

「メリ、やめなさい」

どこで誰が聞いているかわからない。

シーナはぺらぺらと、本のページをめくっていた。近頃は、世界各地の宗教の本を読み漁っていた。

シーナは、心を穏やかにする手がかりを求めていた。神聖教会も、神聖教会から分かれた新福音教会も、シーナの心を救いはしなかった。

一生、エイサンを憎んで憎みぬこうと思っていた。仇を憎み続けようと。

しかし、父母の声も今や忘れ、輪郭も曖昧になっていた。当初はそれを薄情で罪深いことだと、自身を責めた。

けれど、月日が経つうちに、憎み続けることでエイサンに心を縛られていることに気が付いた。これでは、エイサンの思う壺だと。

父母は、シーナに人を憎むことを教えはしなかったのだから。



アシェラ貴妃は、絶海の孤島の修道院に行くことになった。

聞けば、泣いて許しを乞う貴妃の剃髪を、エイサン自らしたのだという。美しく豊かな黒髪が剃り落とされた。

貴妃は事実無根の讒言をしたのだという。

彼女の二人の皇子からは、皇位継承権が剥奪された。



シーナの腹が、赤く血に染まっている。

熱い。

二人の皇子が、シーナを前から後ろから、刺した。何度も、何度も。

「母上の仇!」

シーナは、単純だな、と思った。こんなときに、酷く冷静だった。

アシェラ貴妃は、子のいないシーナが妬んで、子どもたちを害する気だと、エイサンに讒言した。皇子を転ばせて、助けもしなかったと。

嫉妬に狂ったシーナが、今にもっと酷いことをするに違いない、と。

修道院に送られて三年、アシェラ貴妃は、絶海の孤島で、自害したのだという。

エイサンは、貴妃の未来も、二人の皇子の未来も、完全に奪いはしなかったというのに。

「わかります、か。あなたがたは、ご自身で、未来を台無しになさったの、ですよ」

「黙れ、皇帝に取り入る悪党!」

「穢らわしいオメガめ!」

二人の皇子は、シーナを足蹴にした。シーナは、廊下に倒れた。



乳母の悲鳴。衛兵の足音。

「メリ、怪我は、ないか」

「ございません! ああ、なんてこと!」

「寒いんだ、メリ」

シーナは、ただただ寒かった。

メリは震える手でケープを外すと、シーナに掛けた。

世界各地の宗教に関する本を読み漁り、ようやく、何かがわかりかけていたのに。

ああ、エイサンにそろそろ暇を乞おうと思っていたのに。もういいでしょうと。

一人静かに、余生を過ごしたかったのに、叶いそうにない。



暗くなっていくシーナの視界に、夢か現か、エイサンが映った。

ああ、あのエイサンが泣いているじゃないか。

「シーナ、逝かないでください、シーナ!」

エイサンがシーナの手を握る。

「もう、お互い、自由になりましょう……」

「シーナ!」

エイサンの顔が、歪む。そんな顔でさえ、美しい。

エイサンは本当に私を愛していたのかもしれない。

そして、私も、エイサンを愛していたのかもしれない。

そう気が付き、シーナは最期の瞬間に、自嘲の笑みを浮かべた。



目を閉じると、風が吹き、頬を撫でた。

春風が野を渡っていく。

シーナは、走っていた。

シーナが振り返ると、エイサンがいた。

ああ、そうだ、ふたりで王領の野原を、走っていたのだ。

体は驚くほど軽い。

二人なら、どこまででも走っていけそうだ。



初出:2025/01/19
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