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夢は春野を駆ける( BADEND注意、オメガバース・ファンタジー)※
夢は春野を駆ける※
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大陸を征服しつくしたエスタル皇帝エイサンは、後宮を造った。
各地の美しい女たちが集められた。
その中には、たったひとり、男性機能を去勢された、男のオメガがいた。
エスタル皇帝エイサンは、幼少の頃を敵国ゴーデン王国の人質として過ごした。
屈辱に耐えた十年間だったという。十四のとき、父王が死に、即位するために国に返された。
それからエイサンは、国を富ませ、兵を鍛え、二十歳の時に征服戦争を始めた。
歯向かう国は滅ぼし王侯も皆殺しにして直轄地とし、恭順を示す国は属国として貢納を課す間接統治とした。
そして、たった八年で大陸を制覇した。
シーナは、今はなきゴーデン王国の、たった一人残された王族だった。
彼はゴーデンのたったひとりの王子だった。
世間に言われるように、ゴーデンは、エイサンを粗末に扱ったり、いたぶるようなことはなかったと、シーナは知っている。事実無根である、と。
ゴーデンは、王家や大公家の子女たちとエイサンを同じように教育した。
シーナとシーナの従兄弟たちとエイサンは、机を並べ教育係から授業を受けた。
礼儀作法も、数学も、外国語も、地政学も、音楽も、詩作も、剣術も、乗馬も、エイサンは全く同じ教育を受けた。
エイサンは、美しいが、子供ながら感情の抑制がきいていた。怒ることも、腹を抱えて笑うこともなかった。
同い年なのだし、エイサンがもっと打ち解けてくれればいいと、常々シーナは思っていた。
なにくれとなく話しかけ遊びに誘った。エイサンは、羽目を外すことないが、それなりに楽しそうにしていた。
本日はありがとうございました、といつも慇懃に礼を述べて帰っていった。
しかし、シーナは、学友でもある従兄弟に言われて、気付かされた。
『エイサン王子は君の誘いを迷惑がっているぞ。わからないのか? 彼は愛想笑いをしているだけだ』
エイサンは人質として不本意ながらここにいるのだと。シーナからの誘いに喜ぶわけがないのだと。エイサンが心を開くことはないのだと。
シーナは急に恥じ入って、エイサンに用もないのに話しかけるのも、遊びに誘うのもやめた。
その翌年、エイサンは母国に帰ったのだった。
エスタル王となったエイサンが真っ先に攻めたのはゴーデン王国だった。
ゴーデンがエスタルに降る道理などない。
ゴーデンは徹底抗戦の末、無惨に破れ、王侯は皆殺しにされた。
シーナを除いて。
ゴーデンの王侯が皆殺しにされた夜、エイサンはシーナを閉じ込めた塔に、護衛の騎士とともにやってきた。
護衛の騎士を扉の外に残して室内に入ってきたエイサンは、数年前に会ったときよりも、一層雄々しく美しかった。
禍々しいほどに。
そしてエイサンは、シーナの前にひざまずいた。
「あなたを、愛しています」
シーナの目をまっすぐに見つめて、そう言った。
ずっとお慕いしていました、と薄笑いさえ浮かべて。
「ふ、ふざけたことを!」
「私の愛を、全てあなたに捧げます」
「戯言を! 私のことも、父上のように、母上のように、殺せ!」
「何故、愛しているあなたのことを、私が殺さねばならないのです?」
「貴様が、愛など口にするな!」
「愛するあなたのご両親ですから、ゴーデン王と王妃は丁重に葬りましょう」
悪夢のようだった。これほどの悪い冗談があろうか。
「恩知らずの悪魔め!」
シーナは叫び、皆の仇を、歯を食いしばり涙を流し睨めつけた。
「……自害など、お考えになりませんよう」
エイサンがすっと立ち上がる。
エイサンのほうが、ずっと上背がある。
「あなたが、自害なされば、あなたの乳母を殺します。護衛騎士を殺します。家庭教師たちを殺します。庭師を殺します。馬丁を殺します。楽に死なせたりはしません。嬲り殺しにします」
「なっ……!!」
「今後、あなたがゴーデンの王子であることを、誰にも言ってはなりません。言えば、同様に殺します」
エイサンが一歩一歩と、距離を詰める。
「あなたが、私を拒めば、同様に殺します」
噛んで含めるように、ゆっくりと、優しくさえ聞こえる声音で、エイサンは言った。
「これからは、シーナとお名乗りください」
シーナの本来の名は、アレイシーナエナと言った。シーナは名も奪われた。
エイサンは、怒りと恐怖に震えるシーナの体を優しく抱きしめた。
嫌だ。触るな。父上を、母上を殺した手で、私に触れるな。
内心そう思っても、口に出すのは許されない。
歯噛みするシーナに、エイサンは口付けた。
シーナは拒むこともできず、じっと耐えた。シーナの愛する人たちが人質に取られたようなものだった。シーナが拒めば、彼らが嬲り殺される。
「口を開けて」
口惜しく思いながら口を開けると、舌がすべりこみ、シーナの舌に絡んだ。
「うっ、くっ……んっ……」
舌を甘く噛まれ、舌を吸われた。いっそ、その舌を噛み切ってやりたかった。
幼い日に人質として過ごした屈辱に対する復讐なのだろうか。シーナごときのつまらぬ話に付き合わされ、遊びに連れ回されたことが、それほど許しがたかったのか。
エイサンは口を吸ったまま、シーナの裾を持ち上げて下着の紐を解いた。
はらりと下着が床に落ちる。
エイサンが、シーナの丸みない薄い尻を撫ですさった。
びくりと体が強張り、鳥肌が立つ。
これからエイサンに犯されるのだろうかと、シーナは思った。
古来から、男に屈辱を与え尊厳を踏みにじる手段として、男が男を犯すことは行われてきた。
敵国の王の権威を喪失させるため、敵兵の戦意を喪失させるため。
エイサンにそれほど憎まれていたのかと、シーナは思った。
そうでなければ、今や美丈夫となったエイサンが、どうして容色に恵まれぬオメガのシーナを犯すだろう。
シーナの不浄の穴に、エイサンが触れた。
「んっ……!」
尻を揉みながら、エイサンの指がシーナの穴をもてあそぶ。
穴を撫で、押し込み、つつく。それを、延々と繰り返す。
そのうちに、シーナのオメガの体は彼の意思に反して濡れはじめる。
立ったまま、エイサンの指がついにシーナの中に侵入を始めた。
小さくうごめかしながら、指が入ってくる。
シーナは自慰ですらそこに触れたことはなかった。世継ぎとして育てられたシーナは男として育てられ、いずれ隣国の姫が成人に達すれば娶る手筈となっていた。
シーナのそこは、生涯、性行為に使われるはずのない場所であった。発情期には、分厚い布を幾重にも巻かれて両手を縛られた。
「ふっ、ううっ……!」
僅かな痛みはすぐに消えてしまった。
代わりに、未知の感覚がシーナを襲った。
足ががくがくと震え出す。
知らず、シーナは憎いエイサンにしがみつく羽目になった。
くちゅ、くち、ぐちゅ、にち。
シーナの穴から、恥ずべき水音がしていた。
エイサンの指が根本まで入ると、シーナはその指に支えられて、やっと立っているような状態だった。
「い、いや、いやだ……」
口付けの隙間から、拒否の声が漏れた。すぐにはっとした。皆が殺されてしまう。
「愛しい人」
エイサンはふっと笑うと、口付けを深くした。より深く指を突き入れた。その長い指が子宮口に触れる。
「うっ……!?」
そこを撫でられ、押し上げられると、じんわりと腹の奥が熱くなる。
指が、シーナを一層泣かせた。怒りと、羞恥と、恐怖。エイサンに反応することに、自身の肉体に裏切られているように感じた。
「ひっ、んんっ……!!」
エイサンの指が、二本に増やされる。
その指が、ゆっくりと抜き差しされる。
もう嫌だ、やめてくれ、止めてくれ。
シーナの願いは通じることなく、エイサンはゆっくりとシーナの肉体の快感を目覚めさせ、引き出していった。
息が詰まるほど喘ぎ、体を震わせ、足腰の立たなくなったシーナを、エイサンは寝台に横たえた。
ようやく引き抜いた彼の指は、べったりとシーナの分泌した愛液で濡れていた。
シーナのふるふると震える足を開かせ、エイサンは、自身をぴったりとシーナにあてがった。
「ううっ……ああ……ああ………」
拒否の言葉は封じられている。
男根で犯されれば、いよいよ自身が男でなくされてしまう。シーナは二十年、男として、王子として生きてきた。それが、終わってしまう。
「愛しています」
エイサンは、この期に及んでそう言ってから、シーナの中に自身を埋めていった。
指とはまるで質量が違う。
穴の縁を限界まで引き伸ばしてしまう。めりめりと音がするようだった。
「力を抜いてください」
シーナは、顔を涙でぐちゃぐちゃにして、指はシーツを力の限り握り締めている。
できないとは、言えない。シーナはどうにか、力を抜こうとしたが、うまく行かない。
エイサンは、ゆっくりとゆっくりと、進んでいった。
親族をことごとく殺した男でなければ、それを優しさだと思っただろう。
ようやく根本まで受けれいれたとき、シーナは息をするのもやっとだった。胸は大きく上下していた。
痛い。苦しい。内臓を押し上げられて、吐き気がする。
体の中心に楔を打ち込まれたようだった。あと一撃で肉体を左右に引き裂かれそうだ。
しかし、エイサンは、シーナの脂汗に濡れて額に落ちた髪を戻してやって、優しく撫でた。
ようやく息が整ってきたころ、シーナは己の肉体の変化を感じた。
苦しいほど広げられた肉壁がうねりだして、憎いエイサンの肉棒を食むように締め付けだしたのだ。
「うっ、な……!?」
何故?
びくびくと、下腹が波打つ。先程、指で暴かれた快感が蘇ろうとしていた。
これなら、余程、痛いほうがいい。シーナは、眉をきつくしかめ、顔を歪めた。
シーナの変化を感じたエイサンが、腰をゆったりと使いはじめる。
粘膜を広げられ、圧迫され、奥をじんわりと押されると、快感が生まれて、シーナは逃げ出したくなった。
たまらず身をよじるが、軽々とねじ伏せられる。
嬌声を漏らすまいと、きつく噛みしめた唇から血の味がした。
「噛んではいけません」
エイサンがシーナの下唇を撫でて、噛むのをやめさせた。
エイサンが抜き差しを早めていく。
シーナのなかで、何かが膨らんでいった。腹の奥底が熱い。射精感とも似ているが、少し違う。何かが漏れ出そうだ。
「ま、って、漏れ、漏れてしまう……!! 止まって、止まって……!!」
「怖がらなくていいのですよ」
「い、いやっ! いやだ!」
エイサンは薄く微笑むのみだ。
シーナのなかで、破裂しそうに膨らんでいたものが、突如弾けた。
「はうっ!? あっ、ああっ! うっ……!!」
眼の前が白み、腰をがくがくと反らして、肉壁がびくびくと、強く収縮と弛緩を繰り返す。
白んだ視界の中で、エイサンが笑っていた。
シーナはすすり泣いていた。
快感のためであった。
外に護衛の騎士が立っていることも、もうとうに頭にない。
シーナは、後ろから抱きかかえられて、エイサンに犯されていた。すっぽりと抱え込まれて、うなじにキスを落とされながら、薄い胸を揉まれていた。
エイサンの指が、シーナの胸の尖りを摘んで、転がす。強弱をつけて、責め苛む。
シーナは自身の乳首がこれほどの快感を生むとは知らなかった。そこから生まれた快感が、全身を走り、頭の天辺からつま先までを甘く痺れさせる。
自重で常に子宮を押し上げられているところを、下から不意に突き上げられると、シーナは泣き叫んだ。
しかし、その声は明らかに艶めいて甘い。シーナには、自身の声が、気味が悪くて仕方がなかった。
また、なにかが弾け、視界が明滅し、肉壁がぎゅんぎゅんとうねった。
先程、エイサンから、それがオメガにとっての気をやるとか、絶頂するとか、イく、ということなのだと教えられた。
「ほら、シーナ。教えたでしょう? 何と言うのですか?」
シーナが恥辱から言わずにいると、促すように、エイサンがシーナを突き上げた。
「あぐっ! い、イきまし、た……もう、イきまし、た!」
「ちゃんと、イくときに言わなくてはいけませんよ」
エイサンが、きゅっと乳首をつねり、引っ張った。
「あうっ! ああーーーッッ!!」
軽い痛みが走ると同時に、シーナはまたしても達したのだった。
エイサンが、身支度を整えている。
シーナは、彼に背を向けて見ようともしなかった。
その前に、エイサンに指で中を掻き出されて、彼の三度吐き出した大量の白濁を処理された。処理する指で、またシーナは達してしまった。
それが、シーナの最後の矜持を粉々にしたのだ。
その晩、エスタル軍の軍医がやって来て、シーナは男性機能を薬剤で奪われた。
親族を殺されて、身を穢され、名を奪われ、男性であることも奪われた。
この屈辱の中で、シーナは死ぬことも許されなかった。シーナの双肩に大勢の命がかかっていた。
シーナは、エイサンの軍に付き従った。シーナの世話係には乳母のメリがついた。
再会の喜びに泣く乳母は、
「シーナ様!」
と、シーナを呼んだ。乳母は、よくよく、言い聞かされていた。
シーナは、アレイシーナエナという名前を奪われ、もはや王子ではなく、エイサンの性奴隷となっているということを。
乳母に、落ちぶれ穢れた我が身を知られるのは辛かった。
エイサンは、国を滅ぼすたびに、軍の後方で待つシーナを呼んで犯した。
しかし、シーナの発情期には、決して抱こうとしなかった。
その代わりに、張形でシーナを犯した。
発情期のシーナは、理性をなくして、怒りも恨みも忘れて、ひたすらにエイサンを求めた。
「エイサン、お願い、挿れて、挿れてください……!!」
「駄目ですよ、シーナ」
「なんで! いつも、みたいに、してください! めちゃくちゃにして!」
「身ごもらせて、万一あなたが死んでしまっては、私は耐えられません」
「どうして……! エイサン!」
シーナはエイサンの腕をあらん限りの力で掴んだ。
「前にも、言ったでしょう? 私の母は、私を産んで死にました。母を愛していた父は、気が触れてしまった。私もあなたを失えばそうなるでしょう」
「いいから、挿れて、挿れて! エイサンが欲しい……!!」
「聞き分けないことを言わないでください。私もこらえているのですから」
オメガの発情の匂いの立ち込めるなか、アルファのエイサンはよく理性を保っていた。それが、シーナには恨めしかった。
エイサンが張形を激しく抜き差しする。シーナを黙らせようとでも言うように。
シーナは物足りなくて悶えた。もはや、エイサンでなくては満たされなかった。
大陸を平らかにしたエイサンは、エスタル王国を帝国に格上げし、初代エスタル皇帝となった。
信教の自由を認め、どの宗教も平等とした。かつてエスタルで絶大な権威を誇った神聖教会は、広大な教会領のほとんどを皇帝に召し上げられ、免税の特権も取り上げられた。
ゴーデン王国の国教だった、新福音教会もまた同様だった。
シーナは今、エスタル帝国の後宮にいた。
並み居る美姫をおいて、エイサンは毎夜、シーナの元に通う。
シーナの発情期に限って、エイサンは後宮の美姫たちの元へ通った。
その結果として、何人もの女が、エイサンの子を孕み、産んだ。女たちは、得意げに子を抱いて、シーナに見せつけた。
女たちにとって、美しい陛下が夜ごとに通う、容色に劣るシーナの存在は目障りだった。陛下はなぜあの男のもとに通われるのかと。
そして、嘲笑の対象でもあった。
毎夜抱かれながら、もっとも辛い発情期には捨て置かれ、子種だけはもらえない。
シーナの横を通り過ぎるとき、くすくすと笑った。陛下の道化だわ、と聞こえるように言うものもいた。追求しても、道化の話をしておりましたのよ、とかわされるだけだ。
エイサンの言う、出産時に母を亡くしたから、シーナを孕ませたくないなど、シーナは嘘だと思った。
こんなに美しい女ばかりを集めて、抱き、女たちを孕ませ、子を産ませておいて。
「これでは、私は、嫉妬しているようではないか。私は、奴の子が、欲しいのか」
気づくと声に出ていた。
違う、違う、違う!
奴は、親族の仇だ。愛しているなどとほざきながら、私を脅し、玩弄し、私の尊厳を踏みにじった。
シーナは枕を目一杯寝台に叩きつけた。何度も、何度も。
枕の中の羽根が、舞い上がった。
部屋にやってきた乳母が一瞬驚いた顔をして、羽根を片付け始めた。
その晩、シーナはエイサンに抱かれた。
エイサンはシーナを腕に抱いて、穏やかに眠っている。暖炉の火が、エイサンをほのかに照らしている。
信じがたいほど、美しい男だ。どれだけの人間を無惨に殺したかわからない男なのに。
はじめて会ったとき、まだ少年のエイサンを天使のようだと思った。
今は彼が悪魔であると知っている。
それとも、あのときは、本当に天使で、どこかの時点で堕天して、悪魔となったのか。
ふと、エイサンが常に身につけている懐刀がテーブルの上に置いてあるのを思い出した。
これも覚えている。まだ子供の頃、エイサンの誕生日にシーナが贈ったのだ。宮廷の刀鍛冶に頼んで刃を作らせ、鞘や柄には金銀細工師による見事な彫金が施してある。
そっと腕から抜け出して、刀を手に取って、鞘から抜いた。
それを、眠るエイサンの首元に当てた。切っ先が肌を傷つけ、血がつうと流れた。
シーナの柄を握る手を、素早くエイサンが掴み、より強く自身の喉に当てた。
「殺すなら殺してください。その刀で、あなたになら、殺されても構わない」
シーナは、もう、何も出来なかった。
脱力して崩れ落ちた。狂ったように、泣き叫び続けた。
シーナが後宮に入って、十年の月日が流れた。
エイサンは乳母を伴って後宮内の図書館に向かっていた。
後宮の中を、ぱたぱたと小さな子らが走っていく。
後宮の中には、皇子と皇女のための教育機関があった。
一流の教師たちが、皇子と皇女に指導していた。それはまるで、亡国となったゴーデンのようだった。
皇子と皇女たちに、シーナは昔の自分、従兄弟たち、そしてエイサンを重ねた。私たちにも、あのような時期が確かにあった、と。
どうして、こんなことになったのだろう。
私たちの何が、エイサンの怒りを買ったのだろう。
その時、エイサンの一番年長の皇子が、シーナにぶつかって尻もちをついた。
シーナは手を差し伸べて助け起こそうとしたが、皇子は無礼にもシーナの腕を払いのけ、一人で立ち上がると黙って駆けていった。
乳母は平然としているが、内心は不快に思っていることが、シーナには手に取るようにわかった。
シーナは、乳母に目配せし、そのまま図書館へと向った。
図書館から戻った乳母は、ぷりぷりと怒りながら、お茶を淹れた。
「先程の皇子は、アシェラ貴妃のお子ですよ。まあ、よく教育の行き届いていらっしゃること!」
アシェラ貴妃は、エイサンの皇子を二人産んでいて、得意の絶頂であった。
皇子の行いを咎めれば、きっと面倒なことになる。
「メリ、やめなさい」
どこで誰が聞いているかわからない。
シーナはぺらぺらと、本のページをめくっていた。近頃は、世界各地の宗教の本を読み漁っていた。
シーナは、心を穏やかにする手がかりを求めていた。神聖教会も、神聖教会から分かれた新福音教会も、シーナの心を救いはしなかった。
一生、エイサンを憎んで憎みぬこうと思っていた。仇を憎み続けようと。
しかし、父母の声も今や忘れ、輪郭も曖昧になっていた。当初はそれを薄情で罪深いことだと、自身を責めた。
けれど、月日が経つうちに、憎み続けることでエイサンに心を縛られていることに気が付いた。これでは、エイサンの思う壺だと。
父母は、シーナに人を憎むことを教えはしなかったのだから。
アシェラ貴妃は、絶海の孤島の修道院に行くことになった。
聞けば、泣いて許しを乞う貴妃の剃髪を、エイサン自らしたのだという。美しく豊かな黒髪が剃り落とされた。
貴妃は事実無根の讒言をしたのだという。
彼女の二人の皇子からは、皇位継承権が剥奪された。
シーナの腹が、赤く血に染まっている。
熱い。
二人の皇子が、シーナを前から後ろから、刺した。何度も、何度も。
「母上の仇!」
シーナは、単純だな、と思った。こんなときに、酷く冷静だった。
アシェラ貴妃は、子のいないシーナが妬んで、子どもたちを害する気だと、エイサンに讒言した。皇子を転ばせて、助けもしなかったと。
嫉妬に狂ったシーナが、今にもっと酷いことをするに違いない、と。
修道院に送られて三年、アシェラ貴妃は、絶海の孤島で、自害したのだという。
エイサンは、貴妃の未来も、二人の皇子の未来も、完全に奪いはしなかったというのに。
「わかります、か。あなたがたは、ご自身で、未来を台無しになさったの、ですよ」
「黙れ、皇帝に取り入る悪党!」
「穢らわしいオメガめ!」
二人の皇子は、シーナを足蹴にした。シーナは、廊下に倒れた。
乳母の悲鳴。衛兵の足音。
「メリ、怪我は、ないか」
「ございません! ああ、なんてこと!」
「寒いんだ、メリ」
シーナは、ただただ寒かった。
メリは震える手でケープを外すと、シーナに掛けた。
世界各地の宗教に関する本を読み漁り、ようやく、何かがわかりかけていたのに。
ああ、エイサンにそろそろ暇を乞おうと思っていたのに。もういいでしょうと。
一人静かに、余生を過ごしたかったのに、叶いそうにない。
暗くなっていくシーナの視界に、夢か現か、エイサンが映った。
ああ、あのエイサンが泣いているじゃないか。
「シーナ、逝かないでください、シーナ!」
エイサンがシーナの手を握る。
「もう、お互い、自由になりましょう……」
「シーナ!」
エイサンの顔が、歪む。そんな顔でさえ、美しい。
エイサンは本当に私を愛していたのかもしれない。
そして、私も、エイサンを愛していたのかもしれない。
そう気が付き、シーナは最期の瞬間に、自嘲の笑みを浮かべた。
目を閉じると、風が吹き、頬を撫でた。
春風が野を渡っていく。
シーナは、走っていた。
シーナが振り返ると、エイサンがいた。
ああ、そうだ、ふたりで王領の野原を、走っていたのだ。
体は驚くほど軽い。
二人なら、どこまででも走っていけそうだ。
初出:2025/01/19
各地の美しい女たちが集められた。
その中には、たったひとり、男性機能を去勢された、男のオメガがいた。
エスタル皇帝エイサンは、幼少の頃を敵国ゴーデン王国の人質として過ごした。
屈辱に耐えた十年間だったという。十四のとき、父王が死に、即位するために国に返された。
それからエイサンは、国を富ませ、兵を鍛え、二十歳の時に征服戦争を始めた。
歯向かう国は滅ぼし王侯も皆殺しにして直轄地とし、恭順を示す国は属国として貢納を課す間接統治とした。
そして、たった八年で大陸を制覇した。
シーナは、今はなきゴーデン王国の、たった一人残された王族だった。
彼はゴーデンのたったひとりの王子だった。
世間に言われるように、ゴーデンは、エイサンを粗末に扱ったり、いたぶるようなことはなかったと、シーナは知っている。事実無根である、と。
ゴーデンは、王家や大公家の子女たちとエイサンを同じように教育した。
シーナとシーナの従兄弟たちとエイサンは、机を並べ教育係から授業を受けた。
礼儀作法も、数学も、外国語も、地政学も、音楽も、詩作も、剣術も、乗馬も、エイサンは全く同じ教育を受けた。
エイサンは、美しいが、子供ながら感情の抑制がきいていた。怒ることも、腹を抱えて笑うこともなかった。
同い年なのだし、エイサンがもっと打ち解けてくれればいいと、常々シーナは思っていた。
なにくれとなく話しかけ遊びに誘った。エイサンは、羽目を外すことないが、それなりに楽しそうにしていた。
本日はありがとうございました、といつも慇懃に礼を述べて帰っていった。
しかし、シーナは、学友でもある従兄弟に言われて、気付かされた。
『エイサン王子は君の誘いを迷惑がっているぞ。わからないのか? 彼は愛想笑いをしているだけだ』
エイサンは人質として不本意ながらここにいるのだと。シーナからの誘いに喜ぶわけがないのだと。エイサンが心を開くことはないのだと。
シーナは急に恥じ入って、エイサンに用もないのに話しかけるのも、遊びに誘うのもやめた。
その翌年、エイサンは母国に帰ったのだった。
エスタル王となったエイサンが真っ先に攻めたのはゴーデン王国だった。
ゴーデンがエスタルに降る道理などない。
ゴーデンは徹底抗戦の末、無惨に破れ、王侯は皆殺しにされた。
シーナを除いて。
ゴーデンの王侯が皆殺しにされた夜、エイサンはシーナを閉じ込めた塔に、護衛の騎士とともにやってきた。
護衛の騎士を扉の外に残して室内に入ってきたエイサンは、数年前に会ったときよりも、一層雄々しく美しかった。
禍々しいほどに。
そしてエイサンは、シーナの前にひざまずいた。
「あなたを、愛しています」
シーナの目をまっすぐに見つめて、そう言った。
ずっとお慕いしていました、と薄笑いさえ浮かべて。
「ふ、ふざけたことを!」
「私の愛を、全てあなたに捧げます」
「戯言を! 私のことも、父上のように、母上のように、殺せ!」
「何故、愛しているあなたのことを、私が殺さねばならないのです?」
「貴様が、愛など口にするな!」
「愛するあなたのご両親ですから、ゴーデン王と王妃は丁重に葬りましょう」
悪夢のようだった。これほどの悪い冗談があろうか。
「恩知らずの悪魔め!」
シーナは叫び、皆の仇を、歯を食いしばり涙を流し睨めつけた。
「……自害など、お考えになりませんよう」
エイサンがすっと立ち上がる。
エイサンのほうが、ずっと上背がある。
「あなたが、自害なされば、あなたの乳母を殺します。護衛騎士を殺します。家庭教師たちを殺します。庭師を殺します。馬丁を殺します。楽に死なせたりはしません。嬲り殺しにします」
「なっ……!!」
「今後、あなたがゴーデンの王子であることを、誰にも言ってはなりません。言えば、同様に殺します」
エイサンが一歩一歩と、距離を詰める。
「あなたが、私を拒めば、同様に殺します」
噛んで含めるように、ゆっくりと、優しくさえ聞こえる声音で、エイサンは言った。
「これからは、シーナとお名乗りください」
シーナの本来の名は、アレイシーナエナと言った。シーナは名も奪われた。
エイサンは、怒りと恐怖に震えるシーナの体を優しく抱きしめた。
嫌だ。触るな。父上を、母上を殺した手で、私に触れるな。
内心そう思っても、口に出すのは許されない。
歯噛みするシーナに、エイサンは口付けた。
シーナは拒むこともできず、じっと耐えた。シーナの愛する人たちが人質に取られたようなものだった。シーナが拒めば、彼らが嬲り殺される。
「口を開けて」
口惜しく思いながら口を開けると、舌がすべりこみ、シーナの舌に絡んだ。
「うっ、くっ……んっ……」
舌を甘く噛まれ、舌を吸われた。いっそ、その舌を噛み切ってやりたかった。
幼い日に人質として過ごした屈辱に対する復讐なのだろうか。シーナごときのつまらぬ話に付き合わされ、遊びに連れ回されたことが、それほど許しがたかったのか。
エイサンは口を吸ったまま、シーナの裾を持ち上げて下着の紐を解いた。
はらりと下着が床に落ちる。
エイサンが、シーナの丸みない薄い尻を撫ですさった。
びくりと体が強張り、鳥肌が立つ。
これからエイサンに犯されるのだろうかと、シーナは思った。
古来から、男に屈辱を与え尊厳を踏みにじる手段として、男が男を犯すことは行われてきた。
敵国の王の権威を喪失させるため、敵兵の戦意を喪失させるため。
エイサンにそれほど憎まれていたのかと、シーナは思った。
そうでなければ、今や美丈夫となったエイサンが、どうして容色に恵まれぬオメガのシーナを犯すだろう。
シーナの不浄の穴に、エイサンが触れた。
「んっ……!」
尻を揉みながら、エイサンの指がシーナの穴をもてあそぶ。
穴を撫で、押し込み、つつく。それを、延々と繰り返す。
そのうちに、シーナのオメガの体は彼の意思に反して濡れはじめる。
立ったまま、エイサンの指がついにシーナの中に侵入を始めた。
小さくうごめかしながら、指が入ってくる。
シーナは自慰ですらそこに触れたことはなかった。世継ぎとして育てられたシーナは男として育てられ、いずれ隣国の姫が成人に達すれば娶る手筈となっていた。
シーナのそこは、生涯、性行為に使われるはずのない場所であった。発情期には、分厚い布を幾重にも巻かれて両手を縛られた。
「ふっ、ううっ……!」
僅かな痛みはすぐに消えてしまった。
代わりに、未知の感覚がシーナを襲った。
足ががくがくと震え出す。
知らず、シーナは憎いエイサンにしがみつく羽目になった。
くちゅ、くち、ぐちゅ、にち。
シーナの穴から、恥ずべき水音がしていた。
エイサンの指が根本まで入ると、シーナはその指に支えられて、やっと立っているような状態だった。
「い、いや、いやだ……」
口付けの隙間から、拒否の声が漏れた。すぐにはっとした。皆が殺されてしまう。
「愛しい人」
エイサンはふっと笑うと、口付けを深くした。より深く指を突き入れた。その長い指が子宮口に触れる。
「うっ……!?」
そこを撫でられ、押し上げられると、じんわりと腹の奥が熱くなる。
指が、シーナを一層泣かせた。怒りと、羞恥と、恐怖。エイサンに反応することに、自身の肉体に裏切られているように感じた。
「ひっ、んんっ……!!」
エイサンの指が、二本に増やされる。
その指が、ゆっくりと抜き差しされる。
もう嫌だ、やめてくれ、止めてくれ。
シーナの願いは通じることなく、エイサンはゆっくりとシーナの肉体の快感を目覚めさせ、引き出していった。
息が詰まるほど喘ぎ、体を震わせ、足腰の立たなくなったシーナを、エイサンは寝台に横たえた。
ようやく引き抜いた彼の指は、べったりとシーナの分泌した愛液で濡れていた。
シーナのふるふると震える足を開かせ、エイサンは、自身をぴったりとシーナにあてがった。
「ううっ……ああ……ああ………」
拒否の言葉は封じられている。
男根で犯されれば、いよいよ自身が男でなくされてしまう。シーナは二十年、男として、王子として生きてきた。それが、終わってしまう。
「愛しています」
エイサンは、この期に及んでそう言ってから、シーナの中に自身を埋めていった。
指とはまるで質量が違う。
穴の縁を限界まで引き伸ばしてしまう。めりめりと音がするようだった。
「力を抜いてください」
シーナは、顔を涙でぐちゃぐちゃにして、指はシーツを力の限り握り締めている。
できないとは、言えない。シーナはどうにか、力を抜こうとしたが、うまく行かない。
エイサンは、ゆっくりとゆっくりと、進んでいった。
親族をことごとく殺した男でなければ、それを優しさだと思っただろう。
ようやく根本まで受けれいれたとき、シーナは息をするのもやっとだった。胸は大きく上下していた。
痛い。苦しい。内臓を押し上げられて、吐き気がする。
体の中心に楔を打ち込まれたようだった。あと一撃で肉体を左右に引き裂かれそうだ。
しかし、エイサンは、シーナの脂汗に濡れて額に落ちた髪を戻してやって、優しく撫でた。
ようやく息が整ってきたころ、シーナは己の肉体の変化を感じた。
苦しいほど広げられた肉壁がうねりだして、憎いエイサンの肉棒を食むように締め付けだしたのだ。
「うっ、な……!?」
何故?
びくびくと、下腹が波打つ。先程、指で暴かれた快感が蘇ろうとしていた。
これなら、余程、痛いほうがいい。シーナは、眉をきつくしかめ、顔を歪めた。
シーナの変化を感じたエイサンが、腰をゆったりと使いはじめる。
粘膜を広げられ、圧迫され、奥をじんわりと押されると、快感が生まれて、シーナは逃げ出したくなった。
たまらず身をよじるが、軽々とねじ伏せられる。
嬌声を漏らすまいと、きつく噛みしめた唇から血の味がした。
「噛んではいけません」
エイサンがシーナの下唇を撫でて、噛むのをやめさせた。
エイサンが抜き差しを早めていく。
シーナのなかで、何かが膨らんでいった。腹の奥底が熱い。射精感とも似ているが、少し違う。何かが漏れ出そうだ。
「ま、って、漏れ、漏れてしまう……!! 止まって、止まって……!!」
「怖がらなくていいのですよ」
「い、いやっ! いやだ!」
エイサンは薄く微笑むのみだ。
シーナのなかで、破裂しそうに膨らんでいたものが、突如弾けた。
「はうっ!? あっ、ああっ! うっ……!!」
眼の前が白み、腰をがくがくと反らして、肉壁がびくびくと、強く収縮と弛緩を繰り返す。
白んだ視界の中で、エイサンが笑っていた。
シーナはすすり泣いていた。
快感のためであった。
外に護衛の騎士が立っていることも、もうとうに頭にない。
シーナは、後ろから抱きかかえられて、エイサンに犯されていた。すっぽりと抱え込まれて、うなじにキスを落とされながら、薄い胸を揉まれていた。
エイサンの指が、シーナの胸の尖りを摘んで、転がす。強弱をつけて、責め苛む。
シーナは自身の乳首がこれほどの快感を生むとは知らなかった。そこから生まれた快感が、全身を走り、頭の天辺からつま先までを甘く痺れさせる。
自重で常に子宮を押し上げられているところを、下から不意に突き上げられると、シーナは泣き叫んだ。
しかし、その声は明らかに艶めいて甘い。シーナには、自身の声が、気味が悪くて仕方がなかった。
また、なにかが弾け、視界が明滅し、肉壁がぎゅんぎゅんとうねった。
先程、エイサンから、それがオメガにとっての気をやるとか、絶頂するとか、イく、ということなのだと教えられた。
「ほら、シーナ。教えたでしょう? 何と言うのですか?」
シーナが恥辱から言わずにいると、促すように、エイサンがシーナを突き上げた。
「あぐっ! い、イきまし、た……もう、イきまし、た!」
「ちゃんと、イくときに言わなくてはいけませんよ」
エイサンが、きゅっと乳首をつねり、引っ張った。
「あうっ! ああーーーッッ!!」
軽い痛みが走ると同時に、シーナはまたしても達したのだった。
エイサンが、身支度を整えている。
シーナは、彼に背を向けて見ようともしなかった。
その前に、エイサンに指で中を掻き出されて、彼の三度吐き出した大量の白濁を処理された。処理する指で、またシーナは達してしまった。
それが、シーナの最後の矜持を粉々にしたのだ。
その晩、エスタル軍の軍医がやって来て、シーナは男性機能を薬剤で奪われた。
親族を殺されて、身を穢され、名を奪われ、男性であることも奪われた。
この屈辱の中で、シーナは死ぬことも許されなかった。シーナの双肩に大勢の命がかかっていた。
シーナは、エイサンの軍に付き従った。シーナの世話係には乳母のメリがついた。
再会の喜びに泣く乳母は、
「シーナ様!」
と、シーナを呼んだ。乳母は、よくよく、言い聞かされていた。
シーナは、アレイシーナエナという名前を奪われ、もはや王子ではなく、エイサンの性奴隷となっているということを。
乳母に、落ちぶれ穢れた我が身を知られるのは辛かった。
エイサンは、国を滅ぼすたびに、軍の後方で待つシーナを呼んで犯した。
しかし、シーナの発情期には、決して抱こうとしなかった。
その代わりに、張形でシーナを犯した。
発情期のシーナは、理性をなくして、怒りも恨みも忘れて、ひたすらにエイサンを求めた。
「エイサン、お願い、挿れて、挿れてください……!!」
「駄目ですよ、シーナ」
「なんで! いつも、みたいに、してください! めちゃくちゃにして!」
「身ごもらせて、万一あなたが死んでしまっては、私は耐えられません」
「どうして……! エイサン!」
シーナはエイサンの腕をあらん限りの力で掴んだ。
「前にも、言ったでしょう? 私の母は、私を産んで死にました。母を愛していた父は、気が触れてしまった。私もあなたを失えばそうなるでしょう」
「いいから、挿れて、挿れて! エイサンが欲しい……!!」
「聞き分けないことを言わないでください。私もこらえているのですから」
オメガの発情の匂いの立ち込めるなか、アルファのエイサンはよく理性を保っていた。それが、シーナには恨めしかった。
エイサンが張形を激しく抜き差しする。シーナを黙らせようとでも言うように。
シーナは物足りなくて悶えた。もはや、エイサンでなくては満たされなかった。
大陸を平らかにしたエイサンは、エスタル王国を帝国に格上げし、初代エスタル皇帝となった。
信教の自由を認め、どの宗教も平等とした。かつてエスタルで絶大な権威を誇った神聖教会は、広大な教会領のほとんどを皇帝に召し上げられ、免税の特権も取り上げられた。
ゴーデン王国の国教だった、新福音教会もまた同様だった。
シーナは今、エスタル帝国の後宮にいた。
並み居る美姫をおいて、エイサンは毎夜、シーナの元に通う。
シーナの発情期に限って、エイサンは後宮の美姫たちの元へ通った。
その結果として、何人もの女が、エイサンの子を孕み、産んだ。女たちは、得意げに子を抱いて、シーナに見せつけた。
女たちにとって、美しい陛下が夜ごとに通う、容色に劣るシーナの存在は目障りだった。陛下はなぜあの男のもとに通われるのかと。
そして、嘲笑の対象でもあった。
毎夜抱かれながら、もっとも辛い発情期には捨て置かれ、子種だけはもらえない。
シーナの横を通り過ぎるとき、くすくすと笑った。陛下の道化だわ、と聞こえるように言うものもいた。追求しても、道化の話をしておりましたのよ、とかわされるだけだ。
エイサンの言う、出産時に母を亡くしたから、シーナを孕ませたくないなど、シーナは嘘だと思った。
こんなに美しい女ばかりを集めて、抱き、女たちを孕ませ、子を産ませておいて。
「これでは、私は、嫉妬しているようではないか。私は、奴の子が、欲しいのか」
気づくと声に出ていた。
違う、違う、違う!
奴は、親族の仇だ。愛しているなどとほざきながら、私を脅し、玩弄し、私の尊厳を踏みにじった。
シーナは枕を目一杯寝台に叩きつけた。何度も、何度も。
枕の中の羽根が、舞い上がった。
部屋にやってきた乳母が一瞬驚いた顔をして、羽根を片付け始めた。
その晩、シーナはエイサンに抱かれた。
エイサンはシーナを腕に抱いて、穏やかに眠っている。暖炉の火が、エイサンをほのかに照らしている。
信じがたいほど、美しい男だ。どれだけの人間を無惨に殺したかわからない男なのに。
はじめて会ったとき、まだ少年のエイサンを天使のようだと思った。
今は彼が悪魔であると知っている。
それとも、あのときは、本当に天使で、どこかの時点で堕天して、悪魔となったのか。
ふと、エイサンが常に身につけている懐刀がテーブルの上に置いてあるのを思い出した。
これも覚えている。まだ子供の頃、エイサンの誕生日にシーナが贈ったのだ。宮廷の刀鍛冶に頼んで刃を作らせ、鞘や柄には金銀細工師による見事な彫金が施してある。
そっと腕から抜け出して、刀を手に取って、鞘から抜いた。
それを、眠るエイサンの首元に当てた。切っ先が肌を傷つけ、血がつうと流れた。
シーナの柄を握る手を、素早くエイサンが掴み、より強く自身の喉に当てた。
「殺すなら殺してください。その刀で、あなたになら、殺されても構わない」
シーナは、もう、何も出来なかった。
脱力して崩れ落ちた。狂ったように、泣き叫び続けた。
シーナが後宮に入って、十年の月日が流れた。
エイサンは乳母を伴って後宮内の図書館に向かっていた。
後宮の中を、ぱたぱたと小さな子らが走っていく。
後宮の中には、皇子と皇女のための教育機関があった。
一流の教師たちが、皇子と皇女に指導していた。それはまるで、亡国となったゴーデンのようだった。
皇子と皇女たちに、シーナは昔の自分、従兄弟たち、そしてエイサンを重ねた。私たちにも、あのような時期が確かにあった、と。
どうして、こんなことになったのだろう。
私たちの何が、エイサンの怒りを買ったのだろう。
その時、エイサンの一番年長の皇子が、シーナにぶつかって尻もちをついた。
シーナは手を差し伸べて助け起こそうとしたが、皇子は無礼にもシーナの腕を払いのけ、一人で立ち上がると黙って駆けていった。
乳母は平然としているが、内心は不快に思っていることが、シーナには手に取るようにわかった。
シーナは、乳母に目配せし、そのまま図書館へと向った。
図書館から戻った乳母は、ぷりぷりと怒りながら、お茶を淹れた。
「先程の皇子は、アシェラ貴妃のお子ですよ。まあ、よく教育の行き届いていらっしゃること!」
アシェラ貴妃は、エイサンの皇子を二人産んでいて、得意の絶頂であった。
皇子の行いを咎めれば、きっと面倒なことになる。
「メリ、やめなさい」
どこで誰が聞いているかわからない。
シーナはぺらぺらと、本のページをめくっていた。近頃は、世界各地の宗教の本を読み漁っていた。
シーナは、心を穏やかにする手がかりを求めていた。神聖教会も、神聖教会から分かれた新福音教会も、シーナの心を救いはしなかった。
一生、エイサンを憎んで憎みぬこうと思っていた。仇を憎み続けようと。
しかし、父母の声も今や忘れ、輪郭も曖昧になっていた。当初はそれを薄情で罪深いことだと、自身を責めた。
けれど、月日が経つうちに、憎み続けることでエイサンに心を縛られていることに気が付いた。これでは、エイサンの思う壺だと。
父母は、シーナに人を憎むことを教えはしなかったのだから。
アシェラ貴妃は、絶海の孤島の修道院に行くことになった。
聞けば、泣いて許しを乞う貴妃の剃髪を、エイサン自らしたのだという。美しく豊かな黒髪が剃り落とされた。
貴妃は事実無根の讒言をしたのだという。
彼女の二人の皇子からは、皇位継承権が剥奪された。
シーナの腹が、赤く血に染まっている。
熱い。
二人の皇子が、シーナを前から後ろから、刺した。何度も、何度も。
「母上の仇!」
シーナは、単純だな、と思った。こんなときに、酷く冷静だった。
アシェラ貴妃は、子のいないシーナが妬んで、子どもたちを害する気だと、エイサンに讒言した。皇子を転ばせて、助けもしなかったと。
嫉妬に狂ったシーナが、今にもっと酷いことをするに違いない、と。
修道院に送られて三年、アシェラ貴妃は、絶海の孤島で、自害したのだという。
エイサンは、貴妃の未来も、二人の皇子の未来も、完全に奪いはしなかったというのに。
「わかります、か。あなたがたは、ご自身で、未来を台無しになさったの、ですよ」
「黙れ、皇帝に取り入る悪党!」
「穢らわしいオメガめ!」
二人の皇子は、シーナを足蹴にした。シーナは、廊下に倒れた。
乳母の悲鳴。衛兵の足音。
「メリ、怪我は、ないか」
「ございません! ああ、なんてこと!」
「寒いんだ、メリ」
シーナは、ただただ寒かった。
メリは震える手でケープを外すと、シーナに掛けた。
世界各地の宗教に関する本を読み漁り、ようやく、何かがわかりかけていたのに。
ああ、エイサンにそろそろ暇を乞おうと思っていたのに。もういいでしょうと。
一人静かに、余生を過ごしたかったのに、叶いそうにない。
暗くなっていくシーナの視界に、夢か現か、エイサンが映った。
ああ、あのエイサンが泣いているじゃないか。
「シーナ、逝かないでください、シーナ!」
エイサンがシーナの手を握る。
「もう、お互い、自由になりましょう……」
「シーナ!」
エイサンの顔が、歪む。そんな顔でさえ、美しい。
エイサンは本当に私を愛していたのかもしれない。
そして、私も、エイサンを愛していたのかもしれない。
そう気が付き、シーナは最期の瞬間に、自嘲の笑みを浮かべた。
目を閉じると、風が吹き、頬を撫でた。
春風が野を渡っていく。
シーナは、走っていた。
シーナが振り返ると、エイサンがいた。
ああ、そうだ、ふたりで王領の野原を、走っていたのだ。
体は驚くほど軽い。
二人なら、どこまででも走っていけそうだ。
初出:2025/01/19
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