死んだことにした悪役令嬢、 辺境で騎士団長に溺愛されつつ帝国を建て直します

桃我タロー

文字の大きさ
33 / 70
第一章 ヴァルム試験国家編

第二十話 引き金の重さ(2)

しおりを挟む
 昼過ぎ。団長室。

 窓際の机には地図と帳簿が広がり、インクと乾いた紙の匂いに、鉄と革と汗の匂いがうっすら混ざっていた。

 カイは椅子に腰かけ、報告書に目を通している。右手に持ったペンの先が、紙の上でかすかに震えていた。酔いではなく、眠気でもない震えだと、シュアラは知っている。

「……そうか」

 リオの件を最後まで聞き終え、カイが短く息を吐いた。

「リオは、自分でそう言ったんだな」

 彼は報告書から視線を外さずに問う。

 シュアラは一呼吸置いてからうなずいた。

「はい。自分の言葉でした」

「お前は、それをよしとした」

「今の彼にできる選択としては、最良だと判断しました」

 どこか聞き慣れた言い回しになってしまい、自分で少し眉をひそめる。父が会議で好んで使った語だ。

 カイはペン先を紙から離し、ようやく顔を上げた。

「なら、それでいい」

 それ以上は何も言わない。ただ、机の上の地図の一点をしばらく見つめていた。右手は、まだペンを握ったまま微かに震えている。

 その震えに触れずに部屋を出ることが、この場の礼儀のように思えた。

 シュアラは黙って一礼し、団長室を辞した。扉を閉めた瞬間、廊下の冷たい空気が頬を撫でる。ようやく、自分の肩もふっと落ちた。

 ***

 夕刻。砦の門前。

 細い笛の音が二度、短く鳴った。斥候隊帰還の合図だ。

 門番が毛布を肩にかけ直し、掛け金を引き上げる。鉄が擦れ合う音が、手袋越しの指先まで響いた。

 冷気と一緒に、泥と汗と馬の匂いが流れ込んでくる。

「ただいま戻りましたっと」

 軽い声とともに、茶色い髪を雑に束ねた男――フィンが門をくぐった。頬には泥が飛び、息は荒いが、目はちゃんと笑っている。

 数人の斥候たちが後に続く。足取りは重いが、「もう戻らない者」の歩き方ではない。今日のところは、とりあえず死者ゼロだ。

 ちょうど門の近くを通りかかったシュアラに、フィンが片手を振った。

「お、軍師殿。ちょうどいいとこに」

「お帰りなさい。怪我人は?」

 問いかけながら、彼らの歩幅に合わせて歩く。門番が差し出した水袋を、フィンが乱暴に受け取った。

「軽い捻挫が一人。あとは腹が減って死にそうってくらいだな」

 冷たい水を喉に流し込みながら、フィンが肩を回す。ごくり、という音が聞こえてきそうだった。

 門番が「おかわりは戻ってからだ」と水袋を取り上げる。その短い言葉で、門の内側にいつもの空気が少し戻る。

「で、だ」

 フィンは声を少しだけ落とした。

「悪い知らせと、もっと悪い知らせがあるんだが、どっちから聞きたい?」

「順番にお願いします。悪いほうから」

「真面目だねえ」

 肩をすくめながら、フィンは門のわきの雪の上にしゃがみ込む。指でざっくりと地図を描き始めた。

「ここがヴァルムで、ここが東の村」

 雪の上に丸を二つ。

「あんたが襲われた山道がこの辺で……」

 その向こう側。フィンはそこに、小さな点をいくつか打った。

「前に見たときは、旗が二つとか三つだったんだよ。小領主様の家紋らしきやつが」

 指先で点を二度、三度叩く。

「それがな、さっき見たら五つに増えてた」

「五つ」

 雪の上の点が、やけに黒く見える。

「見慣れたのが三つ。残り二つは初見。どう見ても“うちの偉いさんたちだけで遊びに来ました”って数じゃねえな」

 唇には笑いを乗せているが、声の底は硬い。

「それが“悪いほう”ですか」

「いや、そっちはまだマシなほう」

 フィンは指先をしゃくった。

「もっと悪いのは、連中がどこを狙ってるかだ」

「……燻製小屋、ですか」

 自分で口に出した瞬間、胸の奥がざわっとした。煙と肉の匂いが、記憶の中で一度だけ濃くなる。

 フィンは、ぱちりと片目をつぶった。

「話が早くて助かる」

 雪の上の「東の村」の丸をぐりぐりと広げる。

「向こうの谷の飲み屋でな、“東のほうからいい匂いが流れてくる”って噂になってんだよ」

 言葉の調子は軽いが、指先の力は緩まない。

「“冬だってのに、あの村は旨そうな煙を上げてやがる”ってな」

 雪の上の村の印が、急に無防備に見えた。

(煙は、「ここにまだ食べ物があります」という旗)

 あの村で、自分が村人たちに説明した言葉が、そのまま刃になって戻ってきた気がした。

「小領主様方がそれを聞きつけないわけがない。雪が完全に道を塞ぐ前に一発かまして、人と食い物をまとめてかっさらうつもりだろうさ」

「時期の目安は」

「道の雪次第だが……早けりゃ、一月も待たねえだろうな」

 フィンは立ち上がり、手についた雪を払った。指先が赤くなっているのを見て、シュアラは昼のリオの指を思い出した。

「ま、そういうわけで。あんたの盤面の端っこが、また一つうるさくなってきたってこった」

「助かりました」

 シュアラは、きちんと頭を下げた。

「あなたの命も、その盤面の端に乗っていますので。大事に使います」

 一瞬だけ、フィンの眼が見開かれる。

 次の瞬間には、いつもの調子で笑った。

「やっぱり怖えな、あんた」

 笑いながら言う。

「でも、そう言われると、ちょっとだけ得した気もする」

 彼は仲間たちと一緒に兵舎の方へ歩いて行った。泥と汗と皮革の匂いが、ゆっくりと遠ざかっていく。

 門の外に目を向けると、遠くの山並みが薄く霞んでいた。山肌の白と灰色のあいだに、見えないはずの旗が五つ、脳裏に並ぶ。

 誰かが、向こう側でも引き金に指をかけている。こちらが弦を引く理由を探しているあいだに、向こうは別の計算で「撃つ理由」を揃えているのだろう。

 シュアラは外套の内ポケットから手帳を取り出した。

 昼間のページには、「リオ――仲間と村人を守るために撃つ」と、自分の字で書き足してある。昨夜破って捨てた「矯正案」のページは、炉の隅で灰になりかけているはずだ。

 その下の余白に、新しい見出しを書き込む。

『初戦準備(仮)』

 中身はまだ空っぽだ。敵の兵数も、こちらの布陣も、避難経路も、何一つ決まっていない。

 ただ一つだけ確かなのは――少なくとも、「引き金の重さ」を知った狙撃手が一人、盤面に乗ったということだ。

 恐怖と責任を抱えたまま、それでも矢を番えると決めた少年。
 そして、復興しつつある村を切り取りに来る、小領主たちの旗。

 どちらの指が、どれだけの命を動かすのか。

 冬の風が、砦の門の前を抜けていった。冷たいはずなのに、さっきよりは少しだけ穏やかに感じる。

 シュアラは手帳を閉じ、懐に戻した。紙の束が、指先にいつもの重みで返ってくる。

 門の上では、門番の男がいつものように壁にもたれかかっていた。目を閉じているようで、耳だけは外の音を拾っている。

(少なくとも、あの人の番のあいだは、まだ大丈夫だと思いたいですね)

 そう心の中でつぶやき、シュアラは砦の中庭へ歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」 豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。 しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

王子、おひとり様で残りの人生をお楽しみください!

ちゃっぴー
恋愛
「ラーニャ、貴様との婚約を破棄する!」 卒業パーティーの真っ最中、ナルシストな第一王子ウィルフレッドに身に覚えのない罪で断罪された公爵令嬢ラーニャ。しかし、彼女はショックを受けるどころか、優雅に微笑んで拍手を送った。 なぜなら、ラーニャはとっくに王子の無能さに愛想を尽かし、この日のために完璧な「撤退準備」を進めていたからだ。

お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました

夏見ナイ
恋愛
伯爵令嬢リリアーナは、強大すぎる聖女の力を隠し「地味で無能」と虐げられてきた。婚約者の第二王子からも疎まれ、ついに夜会で「お前のような地味な女は不要だ!」と衆人の前で婚約破棄を突きつけられる。 全てを失い、あてもなく国を出た彼女が森で出会ったのは、邪悪な呪いに蝕まれ死にかけていた一人の美しい男性。彼こそが隣国エルミート帝国が誇る「氷の皇子」アシュレイだった。 持て余していた聖女の力で彼を救ったリリアーナは、「お前の力がいる」と帝国へ迎えられる。クールで無愛想なはずの皇子様が、なぜか私にだけは不器用な優しさを見せてきて、次第にその愛は甘く重い執着へと変わっていき……? これは、不要とされた令嬢が、最高の愛を見つけて世界で一番幸せになる物語。

『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』

鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」 幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された 公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。 その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、 彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。 目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。 だが、中身は何ひとつ変わっていない。 にもかかわらず、 かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、 「やり直したい」とすり寄ってくる。 「見かけが変わっても、中身は同じです。 それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」 静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。 やがて彼女に興味を示したのは、 隣国ノルディアの王太子エドワルド。 彼が見ていたのは、美貌ではなく―― 対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。 これは、 外見で価値を決められた令嬢が、 「選ばれる人生」をやめ、 自分の意思で未来を選び直す物語。 静かなざまぁと、 対等な関係から始まる大人の恋。 そして―― 自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。 ---

偽聖女と追放された私は、辺境で定食屋をはじめます~こっそり生活魔法で味付けしていたら、氷の騎士団長様が毎日通ってくるんですけど!?~

咲月ねむと
恋愛
【アルファポリス女性向けHOTランキング1位達成作品!!】 あらすじ 「役立たずの偽聖女め、この国から出て行け!」 ​聖女として召喚されたものの、地味な【生活魔法】しか使えず「ハズレ」の烙印を押されたエリーナ。 彼女は婚約者である王太子に婚約破棄され、真の聖女と呼ばれる義妹の陰謀によって国外追放されてしまう。 ​しかし、エリーナはめげなかった。 実は彼女の【生活魔法】は、一瞬で廃墟を新築に変え、どんな食材も極上の味に変えるチートスキルだったのだ! ​北の辺境の地へ辿り着いたエリーナは、念願だった自分の定食屋『陽だまり亭』をオープンする。 すると、そこへ「氷の騎士団長」と恐れられる冷徹な美形騎士・クラウスがやってきて――。 ​「……味がする。お前の料理だけが、俺の呪いを解いてくれるんだ」 ​とある呪いで味覚を失っていた彼は、エリーナの料理にだけ味を感じると判明。 以来、彼は毎日のように店に通い詰め、高額な代金を置いていったり、邪魔する敵を排除したりと、エリーナを過保護なまでに溺愛し始める。 ​最強の騎士団長と騎士たちに胃袋を掴んで守られながら、エリーナは辺境で幸せなスローライフを満喫中?

処理中です...