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SIDE コンラッド
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ガキン、と剣が鳴る。弾けて地面に落ちた剣を見て、同僚が腕を痛そうに振った。手の中からこぼれた剣でこすったのだろう。
「お前、お嬢様の剣の相手をしてる割に、また強くなったんじゃないか?」
「これしか取り柄がないから」
「馬番のお前が騎士になるなんて、誰も考えていなかったよ」
嫌味なのか、本気で言っているのか、同僚は休憩しようと行ってしまった。たまに訓練に入ると、ああやって相手から逃げられてしまう。クロディーヌ様との練習をやっかむ者が多いからと思っていたが、この騎士団に自分の相手ができる者が少なくなっているのだ。
騎士団に入った頃、誰もそんな予想なんてしなかっただろう。
俺を勧誘してくれた、当時の団長には感謝したい。
俺は親のない子で、馬の世話の手伝いをして金を得ていた。親が馬の売買をしていた業者だったからだ。
貴族に贈った馬がすぐに怪我をして損をしたからと、暴力を振るってきた。その傷が元で父親が倒れ、庇った母親はその場で死んだ。
こんなことがまかり通っていいのか。
不憫に思った同業者が俺を引き取って、馬の世話をさせてくれた。城に連れていってくれたのも、その人だ。貴族なんて関わりたくないと駄々をこねたが、領主の城に集まる貴族たちに顔を覚えられた方がいいと、無理やり連れて行かれた。将来も馬の関係で仕事をするのだろうとこっぴどく叱られて、仕方なく従った。
そのうち筋がいいと言われ、城の馬番の手伝いをするようになった。小間使いが必要だったのだろう。小さな子供ならば金をやらずに一日のパンだけで使えるからだ。それもしっかりやれば後で信用されると言われて、言うことを聞いた。助けてくれる人がいても、俺にとっていつまで続くかわからない関係でしかなかったからだ。
捨てられたら、簡単に飢え死にしてしまう。平民の子供だからこそ、その危機感が常にあった。
「うわ!」
「きゃっ!」
いつも通り馬に水をやっていたら、小屋の前にいた女の子に驚いて、手桶を落としてしまった。しかも避けようとして転んだうえに、女の子の方に手桶を倒してしまったのだ。女の子のピンク色のスカートが、草のついた泥水で汚れた。
どうしよう。お嬢様に。
俺は血の気が引いた。女の子は、この屋敷で見かける黒髪のお嬢様だった。年下で、小さくて、見たことがないほど愛らしい顔をしている。近くで見たのは初めてだった。けれど、この屋敷のお嬢様だ。かわいらしくても貴族。親のように殺されるかもしれない。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!」
俺は急いでひざまずいて許しを乞うた。殺されるのが怖くて、なにをされるのかわからなくて、恐怖で震えて年下の女の子の前で泣きそうになりながら謝った。
けれど、女の子が最初に言った言葉は、ごめんなさい。だった。
「ごめんなさい! お仕事の邪魔して! 大丈夫!? お膝、怪我したんじゃない??」
一瞬聞き間違えたかと思った。お嬢様が肩に手をのせてきたからだ。この女の子は貴族で間違いない。平民とは思えない服装をしている。屋敷の中に入っていくのを何度か見かけたことがある。馬車に乗っているのも見たことがある。だから間違いなく貴族の女の子で領主様の娘なのに、俺に謝るのだ。
「どうしたの。シャルリーヌ」
「お姉様。この人転んじゃったの。どうしよう。お膝を怪我したのかもしれない!」
「治療してあげるわ。こっち来なさい」
「え」
後ろから同じ顔をした女の子がやってきた。同じ服装で同じ顔。同じすぎてどっちがなにを言ったのかわからないほどだった。
「お姉様は薬草に詳しいのよ。あっ、膝から血が出てる! 早く治してもらわなきゃ」
「あの、俺、ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「水を、馬の水をかけてしまって」
「私もやったことあるわ。重いのよね」
俺は拍子抜けした。貴族の女の子が馬の水を替えたりするのだろうか。
「お嬢様が、馬の水を運ぶんですか?」
「だって、私の馬だもの。私がお世話しなくて、誰がするの? もちろん、あなたたちが手がけてくれるのは知ってるけど、餌や水をあげるのは当然でしょ? 私の馬っていうか、お父様の馬だけど」
「あれ、馬じゃなくて、ポニーよ」
「え、馬じゃないの……?」
後ろから同じ顔の女の子が突っ込むと、女の子はショックを受けたように口を開けて目を見開いた。まあ、馬だけど。という付け足された言葉に、またももう一人の女の子が呆然とした顔をする。その顔を見て、俺はさっきまで泣きそうだった気持ちが一瞬でなくなった。
その後、女の子は名前を教えてくれた。シャルリーヌ様。双子の妹の方。
それが、初めてシャルリーヌ様と話した時だった。
クロディーヌ様とシャルリーヌ様は同じ顔をしているが、クロディーヌ様は姉らしくシャルリーヌ様より冷静な感じのする女の子で、シャルリーヌ様はクロディーヌ様の後を追うような、妹らしい女の子だ。クロディーヌ様のすることを真似ばかりして、剣の得意なクロディーヌ様の横で、剣を振るうふりをしていた。
馬の世話をしている俺のところに来て、その腕前を披露してくれる。それは、とてもつたないものだったけれど。
そのうち、俺にそのふりを教えてくれるようになった。その辺で拾った棒を使い、クロディーヌ様に教えてもらった型を真似する。
それを当時の騎士団長に見られて、咎められると思ったが、団長は演習場に来て剣の練習をしないかと言ってくれた。
「お嬢様のおかげです」
「え、なあに?」
シャルリーヌ様がいたから、騎士になれたのです。
それなのに。口付けなんて。
「なんてバカな真似をしたんだ……」
責任なんて持てないのに。
身分が違いすぎる。許されるはずがない。たとえ許されても、ただの騎士。シャルリーヌ様の身分が下がってしまう。
許されなかったら、どうなるかわからない。そんなことは、耐えられない。彼女に会うこともできなくなる。
感謝している。自分の道を開いてくれて。だから必ず、礼をしたい。
結婚などできなくてもいいから、彼女を見守っていたい。
そう思っていたのに。
彼女を幸せにできないのだろうか。身分を俺に合わせてくださいと言うのか?
もし、本当に、シャルリーヌ様が身分を合わせてくれなら、どんなことだって耐えてみせるのに。
そう考えて、我に返る。
「ついてきてくれるわけがないだろ。家を捨てることになるんだから」
自分で口にして、体と心に重しをされているような気分になった。
「お嬢様? 今日は、剣は?」
シャルリーヌ様がパンツ姿で現れたが、剣を持っていない。
いつもの笑顔はなく、沈んだ顔をしている。
なにかあったのか?
そう問う前に、シャルリーヌ様がぶつかるように俺の胸に抱きついてきた。
「お、お嬢様!?」
「婚約者が決まったの」
「え?」
一瞬、耳を疑った。今、なんと言った?
「婚約者って」
「嫌よ! 絶対に嫌!」
シャルリーヌ様は俺に抱きついたまま離れない。腕に力を入れて、絶対に嫌だと子供のように繰り返した。
シャルリーヌ様に婚約者。
その言葉の意味を、考えたくなかった。
いや、クロディーヌ様の婚約者が決まった時から、この時が来るのはわかっていた。それを、考えぬようにしていただけだ。姉が決まれば妹だって決まる。
それで、どうなると言う。
身分が違う。貴族の令嬢にとって婚約は義務のようなものだ。親から命令されて、従うだけの。
そこに、拒否する権利はないも同然だった。
けれど、
「お嬢様」
「名前で呼んで。呼んでって言ったでしょう!?」
泣きじゃくるシャルリーヌ様に、俺は歯噛みしそうになる。
呼びたい。堂々と、彼女の名前を。
誰にも渡したくない。
「俺と、一緒に生きる気はありますか?」
「え?」
「お前、お嬢様の剣の相手をしてる割に、また強くなったんじゃないか?」
「これしか取り柄がないから」
「馬番のお前が騎士になるなんて、誰も考えていなかったよ」
嫌味なのか、本気で言っているのか、同僚は休憩しようと行ってしまった。たまに訓練に入ると、ああやって相手から逃げられてしまう。クロディーヌ様との練習をやっかむ者が多いからと思っていたが、この騎士団に自分の相手ができる者が少なくなっているのだ。
騎士団に入った頃、誰もそんな予想なんてしなかっただろう。
俺を勧誘してくれた、当時の団長には感謝したい。
俺は親のない子で、馬の世話の手伝いをして金を得ていた。親が馬の売買をしていた業者だったからだ。
貴族に贈った馬がすぐに怪我をして損をしたからと、暴力を振るってきた。その傷が元で父親が倒れ、庇った母親はその場で死んだ。
こんなことがまかり通っていいのか。
不憫に思った同業者が俺を引き取って、馬の世話をさせてくれた。城に連れていってくれたのも、その人だ。貴族なんて関わりたくないと駄々をこねたが、領主の城に集まる貴族たちに顔を覚えられた方がいいと、無理やり連れて行かれた。将来も馬の関係で仕事をするのだろうとこっぴどく叱られて、仕方なく従った。
そのうち筋がいいと言われ、城の馬番の手伝いをするようになった。小間使いが必要だったのだろう。小さな子供ならば金をやらずに一日のパンだけで使えるからだ。それもしっかりやれば後で信用されると言われて、言うことを聞いた。助けてくれる人がいても、俺にとっていつまで続くかわからない関係でしかなかったからだ。
捨てられたら、簡単に飢え死にしてしまう。平民の子供だからこそ、その危機感が常にあった。
「うわ!」
「きゃっ!」
いつも通り馬に水をやっていたら、小屋の前にいた女の子に驚いて、手桶を落としてしまった。しかも避けようとして転んだうえに、女の子の方に手桶を倒してしまったのだ。女の子のピンク色のスカートが、草のついた泥水で汚れた。
どうしよう。お嬢様に。
俺は血の気が引いた。女の子は、この屋敷で見かける黒髪のお嬢様だった。年下で、小さくて、見たことがないほど愛らしい顔をしている。近くで見たのは初めてだった。けれど、この屋敷のお嬢様だ。かわいらしくても貴族。親のように殺されるかもしれない。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!」
俺は急いでひざまずいて許しを乞うた。殺されるのが怖くて、なにをされるのかわからなくて、恐怖で震えて年下の女の子の前で泣きそうになりながら謝った。
けれど、女の子が最初に言った言葉は、ごめんなさい。だった。
「ごめんなさい! お仕事の邪魔して! 大丈夫!? お膝、怪我したんじゃない??」
一瞬聞き間違えたかと思った。お嬢様が肩に手をのせてきたからだ。この女の子は貴族で間違いない。平民とは思えない服装をしている。屋敷の中に入っていくのを何度か見かけたことがある。馬車に乗っているのも見たことがある。だから間違いなく貴族の女の子で領主様の娘なのに、俺に謝るのだ。
「どうしたの。シャルリーヌ」
「お姉様。この人転んじゃったの。どうしよう。お膝を怪我したのかもしれない!」
「治療してあげるわ。こっち来なさい」
「え」
後ろから同じ顔をした女の子がやってきた。同じ服装で同じ顔。同じすぎてどっちがなにを言ったのかわからないほどだった。
「お姉様は薬草に詳しいのよ。あっ、膝から血が出てる! 早く治してもらわなきゃ」
「あの、俺、ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「水を、馬の水をかけてしまって」
「私もやったことあるわ。重いのよね」
俺は拍子抜けした。貴族の女の子が馬の水を替えたりするのだろうか。
「お嬢様が、馬の水を運ぶんですか?」
「だって、私の馬だもの。私がお世話しなくて、誰がするの? もちろん、あなたたちが手がけてくれるのは知ってるけど、餌や水をあげるのは当然でしょ? 私の馬っていうか、お父様の馬だけど」
「あれ、馬じゃなくて、ポニーよ」
「え、馬じゃないの……?」
後ろから同じ顔の女の子が突っ込むと、女の子はショックを受けたように口を開けて目を見開いた。まあ、馬だけど。という付け足された言葉に、またももう一人の女の子が呆然とした顔をする。その顔を見て、俺はさっきまで泣きそうだった気持ちが一瞬でなくなった。
その後、女の子は名前を教えてくれた。シャルリーヌ様。双子の妹の方。
それが、初めてシャルリーヌ様と話した時だった。
クロディーヌ様とシャルリーヌ様は同じ顔をしているが、クロディーヌ様は姉らしくシャルリーヌ様より冷静な感じのする女の子で、シャルリーヌ様はクロディーヌ様の後を追うような、妹らしい女の子だ。クロディーヌ様のすることを真似ばかりして、剣の得意なクロディーヌ様の横で、剣を振るうふりをしていた。
馬の世話をしている俺のところに来て、その腕前を披露してくれる。それは、とてもつたないものだったけれど。
そのうち、俺にそのふりを教えてくれるようになった。その辺で拾った棒を使い、クロディーヌ様に教えてもらった型を真似する。
それを当時の騎士団長に見られて、咎められると思ったが、団長は演習場に来て剣の練習をしないかと言ってくれた。
「お嬢様のおかげです」
「え、なあに?」
シャルリーヌ様がいたから、騎士になれたのです。
それなのに。口付けなんて。
「なんてバカな真似をしたんだ……」
責任なんて持てないのに。
身分が違いすぎる。許されるはずがない。たとえ許されても、ただの騎士。シャルリーヌ様の身分が下がってしまう。
許されなかったら、どうなるかわからない。そんなことは、耐えられない。彼女に会うこともできなくなる。
感謝している。自分の道を開いてくれて。だから必ず、礼をしたい。
結婚などできなくてもいいから、彼女を見守っていたい。
そう思っていたのに。
彼女を幸せにできないのだろうか。身分を俺に合わせてくださいと言うのか?
もし、本当に、シャルリーヌ様が身分を合わせてくれなら、どんなことだって耐えてみせるのに。
そう考えて、我に返る。
「ついてきてくれるわけがないだろ。家を捨てることになるんだから」
自分で口にして、体と心に重しをされているような気分になった。
「お嬢様? 今日は、剣は?」
シャルリーヌ様がパンツ姿で現れたが、剣を持っていない。
いつもの笑顔はなく、沈んだ顔をしている。
なにかあったのか?
そう問う前に、シャルリーヌ様がぶつかるように俺の胸に抱きついてきた。
「お、お嬢様!?」
「婚約者が決まったの」
「え?」
一瞬、耳を疑った。今、なんと言った?
「婚約者って」
「嫌よ! 絶対に嫌!」
シャルリーヌ様は俺に抱きついたまま離れない。腕に力を入れて、絶対に嫌だと子供のように繰り返した。
シャルリーヌ様に婚約者。
その言葉の意味を、考えたくなかった。
いや、クロディーヌ様の婚約者が決まった時から、この時が来るのはわかっていた。それを、考えぬようにしていただけだ。姉が決まれば妹だって決まる。
それで、どうなると言う。
身分が違う。貴族の令嬢にとって婚約は義務のようなものだ。親から命令されて、従うだけの。
そこに、拒否する権利はないも同然だった。
けれど、
「お嬢様」
「名前で呼んで。呼んでって言ったでしょう!?」
泣きじゃくるシャルリーヌ様に、俺は歯噛みしそうになる。
呼びたい。堂々と、彼女の名前を。
誰にも渡したくない。
「俺と、一緒に生きる気はありますか?」
「え?」
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