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船に乗って
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「ヤァ、どうも」
水面から、男性が顔を覗かせていた。暗闇でもわかるほどの明るい金髪に高い鼻。異国の人間だった。私はさらに悲鳴を漏らす。
目を細め、口角をあげた彼はパシャリと水飛沫をあげる。
「どうも」
平然と返事をした槙野は手の動きを止め、男性をじっと見つめた。私も、食い入るように彼を見つめる。不意に、深淵のごとく黒い水面にちらりと何かが見えた。
艶やかなその表面に、心臓が跳ねる。
「に、人魚!」
彼の下半身は、魚だ。薄暗がりでわかりにくいが、真紅の鱗に覆われている。
ふと、だいぶ前に家に迎えた金魚を思い出していた。夏祭りでたまたま見かけて、飼ってもらった金魚。餌や水槽を揃えて育てようとした矢先、金魚は仮住まいのコップの中で死んでしまった。浮いた死骸を見て、わんわんと泣いた。
急激に蘇った記憶に、少しだけ頬が熱くなった。
「そう、人魚。珍しい?」
目を細める彼に、そりゃ珍しいに決まっているじゃないかと強く頷く。
「何か用事があるの?」と槙野が静かに問う。彼女にとってこの状況は特に違和感がないらしい。
「魚群が、来るよ。それはそれは大きな、魚の群れが」
人魚が嬉しそうにケタケタと笑った。その笑みに、槙野が片眉を上げた。「ご忠告、どうも」。彼女は短く答える。
おもむろに人魚が自分の下半身を水面から出した。鱗に爪をたて、カリカリと掻いている。やがて鱗をべろりと剥ぐ。人魚は痛みを感じているわけではなさそうだ。私は、一部始終を見逃さぬように目で追った。
剥がれた部分からじわりと血が滲んだ。人魚は指を止めない。どんどんと剥ぎ出す。水面に鱗が浮いていく。
徐々に人魚の下半身は血まみれになった。
「やめてよ、なんでそんなことをしているの」
私はハッと我に返り、人魚に手を伸ばし静止する。しかし、人魚はやめない。とうとう剥いだ鱗が船の周りを覆い尽くす。
人魚は役目を終えたとばかりに微笑み「良い旅を!」と言い、水の中へ沈んでいく。彼は浮かんでくることなく、ぶくぶくと泡を立てながら真っ黒な海へ溶けた。
残された鱗がほんのりと光を放ち、周りを照らす。それはまるでウミホタルのようだ。
呆然と一連の流れを見ていた私を気にすることなく、槙野が再び漕ぎ出す。掻き乱される水に鱗が巻き込まれ、キラキラと輝きを増す。
「あの……」
「なに」
「……なんでもないです」
私は混乱していた。
────一体、何がどうなっているんだろう。
美しい光景とは裏腹に、よく分からない事態が繰り広げられている。
「そういえば」
槙野が口を開いた。私は背筋を正して彼女の言葉に耳を傾ける。
「魚群が、来るね」
魚群、とは。私は理解もしていないのに「そうですね」と返した。
瞬間、槙野が指を差した。その指先は私へ向いていた。正確には、私の後ろに向いていた。
「来た」
彼女がひとりごちた途端、真横を魚が通過した。それは一匹の魚である。しかし、どう見ても。
「た、たい焼き……」
水面から、男性が顔を覗かせていた。暗闇でもわかるほどの明るい金髪に高い鼻。異国の人間だった。私はさらに悲鳴を漏らす。
目を細め、口角をあげた彼はパシャリと水飛沫をあげる。
「どうも」
平然と返事をした槙野は手の動きを止め、男性をじっと見つめた。私も、食い入るように彼を見つめる。不意に、深淵のごとく黒い水面にちらりと何かが見えた。
艶やかなその表面に、心臓が跳ねる。
「に、人魚!」
彼の下半身は、魚だ。薄暗がりでわかりにくいが、真紅の鱗に覆われている。
ふと、だいぶ前に家に迎えた金魚を思い出していた。夏祭りでたまたま見かけて、飼ってもらった金魚。餌や水槽を揃えて育てようとした矢先、金魚は仮住まいのコップの中で死んでしまった。浮いた死骸を見て、わんわんと泣いた。
急激に蘇った記憶に、少しだけ頬が熱くなった。
「そう、人魚。珍しい?」
目を細める彼に、そりゃ珍しいに決まっているじゃないかと強く頷く。
「何か用事があるの?」と槙野が静かに問う。彼女にとってこの状況は特に違和感がないらしい。
「魚群が、来るよ。それはそれは大きな、魚の群れが」
人魚が嬉しそうにケタケタと笑った。その笑みに、槙野が片眉を上げた。「ご忠告、どうも」。彼女は短く答える。
おもむろに人魚が自分の下半身を水面から出した。鱗に爪をたて、カリカリと掻いている。やがて鱗をべろりと剥ぐ。人魚は痛みを感じているわけではなさそうだ。私は、一部始終を見逃さぬように目で追った。
剥がれた部分からじわりと血が滲んだ。人魚は指を止めない。どんどんと剥ぎ出す。水面に鱗が浮いていく。
徐々に人魚の下半身は血まみれになった。
「やめてよ、なんでそんなことをしているの」
私はハッと我に返り、人魚に手を伸ばし静止する。しかし、人魚はやめない。とうとう剥いだ鱗が船の周りを覆い尽くす。
人魚は役目を終えたとばかりに微笑み「良い旅を!」と言い、水の中へ沈んでいく。彼は浮かんでくることなく、ぶくぶくと泡を立てながら真っ黒な海へ溶けた。
残された鱗がほんのりと光を放ち、周りを照らす。それはまるでウミホタルのようだ。
呆然と一連の流れを見ていた私を気にすることなく、槙野が再び漕ぎ出す。掻き乱される水に鱗が巻き込まれ、キラキラと輝きを増す。
「あの……」
「なに」
「……なんでもないです」
私は混乱していた。
────一体、何がどうなっているんだろう。
美しい光景とは裏腹に、よく分からない事態が繰り広げられている。
「そういえば」
槙野が口を開いた。私は背筋を正して彼女の言葉に耳を傾ける。
「魚群が、来るね」
魚群、とは。私は理解もしていないのに「そうですね」と返した。
瞬間、槙野が指を差した。その指先は私へ向いていた。正確には、私の後ろに向いていた。
「来た」
彼女がひとりごちた途端、真横を魚が通過した。それは一匹の魚である。しかし、どう見ても。
「た、たい焼き……」
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