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船に乗って

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「戦わなきゃ」
「どうして」
「あの化け物の先に、あなたのゴールがある。そこまで、行こう。私が道案内するから」

 槙野の声は静かだったが、けれど力強かった。じっと黒い目に見つめられ、無意識に頷く。
 槙野が立ち上がると同時に鱗たちが彼女の周りへまとわりついた。眩い光に包まれ、私は顔を伏せる。

「一体、何……」

 言いかけた私は目を見開いたまま固まった。槙野が王子様みたいな格好をしていたからだ。
 凛々しい槙野がこちらへ振り返り、手を差し伸べる。

「来て」

 その手を掴み、立ちあがろうとした私は転びそうになった。何故なら丈の長いスカートを履いていたからだ。

「えっ、えっ、えっ」

 私は困惑のあまり言葉を詰まらせる。身につけているものがパジャマから、艶やかなドレスへ変貌していた。服を手で確認しながら何度も声を漏らす。
 横に立つ槙野と合わせて、御伽噺に出てくるスタンダードな王子と姫のようだ。
 槙野が、いつの間にか持っていた剣をたい焼きの化け物へ翳した。

「そこを退きなさい」

 けれど、たい焼きの化け物は微動だにしない。むしろ腕を振り上げ、襲い掛かろうとする始末だ。
 槙野は剣を翻し、腕を切り付ける。ぐらりと傾いたたい焼きの化け物を見て好機だと思ったのか、槙野が船から一歩外に出た。「危ない」。悲痛な声を漏らしたが、水に落ちるような音は聞こえなかった。
 海に落ちると思っていた私の予感は外れた。鱗たちが足場を作ってくれていたのだ。キラキラ輝く鱗は、まるで天の川である。その上を駆け、槙野はたい焼きの化け物と対峙できる場所まで辿り着いた。

「邪魔よ」

 剣を振り上げた槙野が、たい焼きの化け物を一刀両断する。スパンと切れたたい焼きは、やがて個別のたい焼きへと戻り、宙を泳ぎながら闇へと消えた。

「怪我はない?」

 槙野が船へ戻り、私へ問う。その姿は本当に王子様のようで、惚れてしまいそうだった。「ないよ」と返すと、槙野は満足げに頷いた。

「ほら、あれを見て」

 槙野が闇の中へ指を差す。遠くに光り輝く小さな何かがあった。「あれが目的地。旅の終点」。槙野が静かにそう呟く。彼女は白い手袋を外し、櫂を掴んだ。

「早く、行こう。みんな待ってるから」

 みんな。みんな。みんな。私は彼女の言葉を反復させる。みんなって、誰。そう問いたかったけど、問えなかった。ずきりと頭が痛む。何かを思い出せそうで、思い出せない。
 ドレスの裾を握っていた手に汗が滲む。徐々に近づく光は、どうやら水面にポツンと浮いた扉の隙間から漏れているものらしい。
 扉へ近づくたびに、私の体にまとわりついていた鱗が剥がれ落ちる。それは、槙野も同様だった。元のヨレたTシャツとスウェット姿に戻っていく。
 鱗が剥がれおち、一塊になって、水面に浮かぶ扉までの道標を作った。

「行って、早く」

 漕いでいた手を緩やかに止め、槙野が促した。私は頷き、水面にできた鱗の道を走る。走るたびに身についていた鱗が剥がれ落ち、私は元々着ていた薄ピンクのパジャマへ戻っていく。
 ドアノブへ手を置き、振り返ると遠くで船に乗った槙野がこちらを見ていた。
 手を振り、穏やかに微笑んでいる。

「またね」

 槙野がひとりごちる。私はドアノブを回し、扉を開けた。眩い光に包まれ、視界が遮られる。
 ピ、ピ、ピ、と継続的な音が静かな世界に溢れた。

「────めでたし、めでたし」

 槙野の声だ。私は顔をあげたかったけれど、しかし出来なかった。
 体を浮遊感が支配する。
 目を、開けた。
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