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船に乗って
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◇
「さて、次は何を読もうかなぁ」
抑揚のない声が聞こえ、私は重たい瞼を開けた。差すような光が眼球を刺激し、反射的に閉じてしまう。
ガサガサと何かを漁る音が鼓膜の奥で反響する。ピ、ピ、ピ、という機械的な音と混じり合った。
「ま、き……」
先ほど聞いた声の主は、槙野だ。私は彼女の名前を呼ぼうとした。だが、喉から声を絞り出すのが難しかった。まるで数十年も水を与えられていない花壇の土みたいだ。
もう一度、目を開けてみる。光が痛かったけど、今度は開けることができた。
白い天井、私を覗き込む槙野。視界の端には薄いカーテンがあった。
「……えっ」
ヨレたTシャツとスウェットを着た槙野は、絵本を片手に固まっている。その顔は強張っていて、目をまんまるとさせていた。
「起きた……?」
彼女の声に、頷いてみる。途端、弾けたように槙野が叫んだ。
「看護師さん、看護師さん、起きた、まゆちゃん、起きた!」
声を荒げ慣れてないのか、槙野の声はところどころ裏返っていた。「へんなこえ」と喉から搾り出した声は槙野の「看護師さん、看護師さん」と連呼する音に揉み消された。
安藤まゆ。それが私の名前らしい。年齢は十歳。小学校四年生。父は友重、母は留美。誕生日には欲しがっていた新作の携帯ゲーム機を買ってもらった。クリスマスには新発売のゲームソフトを買ってもらう予定。
友達はまりあ、ゆき、さくらこ。いつもこの三人とつるんでいる。最近ハマっているのはバトミントン。好きな食べ物はチョコミント。嫌いな食べ物はタケノコ。
私は家族で近所の川で遊んでいたところ、溺れたようだ。母が急用の仕事で先に家へ帰り、父が私の面倒を見ることになった。
ところが、父は私の面倒を見ることなく、携帯端末から目を離そうとしなかった。結果、私は川の深い部分へ足を滑らせ、溺れてしまった。そのまま意識不明になり、この病院に入院している。
色んな管に繋がれた光景を眺めてる私に、看護師が必死に説明していた。
そういえば、そうだったかもしれない。急に足がつかなくなって、川の流れが激しくなって。助けを求めたけれど声は出なくて、ただ波にのまれた。
しかし、その記憶よりも鮮明に私の脳裏を駆けるのは、先程まで夢で見ていた女性────槙野のことだ。彼女は私が目覚めた時、傍らにいた。
目だけを動かし、あたりを見渡す。だが、何処にもいない。「どうしたの? お父さんと、お母さんを探しているのね。今、仕事場から駆けつけているところだから」。看護師がひどく穏やかな声でそう言った。
「さっきの」。私は声を絞り出した。看護師が耳を澄ませるように私の口元に近づいた。「どうしたの? まゆちゃん」。彼女が呟く。
「さっきの女の人、誰」
看護師は固まった。やがて言葉の意味を理解したのか「あぁ」と甲高い声を上げた。
「槙野さんね、槙野しおり。この病院に入院している女性よ。あなたのことが心配でね、いつも絵本を読んだりしているの」
あぁだから御伽話が煮詰まったような夢を見ていたのか。まだハッキリとしない脳内で、ぼんやりそんなことを思う。夢の内容を思い出す。たい焼きを食べた記憶がふわりと蘇った。
「たいやき」
ぼそっとひとりごちると看護師がハッとした顔をした。「匂いでわかるの?」と問われ、首を傾げる。
「槙野さん、よくいつもここでたい焼き食べるのよ。あなたが起きた時のためにも余分に持ってくるんだけど、起きないから自分で食べちゃってね。大好物みたいよ、あの人の」
窓際でたい焼きを食べながら外を眺める槙野が安易に想像できた。
私は目を瞑る。「疲れちゃったわね、お母さんたちが来るまでゆっくりしていて」。静かな声に包まれた。
「さて、次は何を読もうかなぁ」
抑揚のない声が聞こえ、私は重たい瞼を開けた。差すような光が眼球を刺激し、反射的に閉じてしまう。
ガサガサと何かを漁る音が鼓膜の奥で反響する。ピ、ピ、ピ、という機械的な音と混じり合った。
「ま、き……」
先ほど聞いた声の主は、槙野だ。私は彼女の名前を呼ぼうとした。だが、喉から声を絞り出すのが難しかった。まるで数十年も水を与えられていない花壇の土みたいだ。
もう一度、目を開けてみる。光が痛かったけど、今度は開けることができた。
白い天井、私を覗き込む槙野。視界の端には薄いカーテンがあった。
「……えっ」
ヨレたTシャツとスウェットを着た槙野は、絵本を片手に固まっている。その顔は強張っていて、目をまんまるとさせていた。
「起きた……?」
彼女の声に、頷いてみる。途端、弾けたように槙野が叫んだ。
「看護師さん、看護師さん、起きた、まゆちゃん、起きた!」
声を荒げ慣れてないのか、槙野の声はところどころ裏返っていた。「へんなこえ」と喉から搾り出した声は槙野の「看護師さん、看護師さん」と連呼する音に揉み消された。
安藤まゆ。それが私の名前らしい。年齢は十歳。小学校四年生。父は友重、母は留美。誕生日には欲しがっていた新作の携帯ゲーム機を買ってもらった。クリスマスには新発売のゲームソフトを買ってもらう予定。
友達はまりあ、ゆき、さくらこ。いつもこの三人とつるんでいる。最近ハマっているのはバトミントン。好きな食べ物はチョコミント。嫌いな食べ物はタケノコ。
私は家族で近所の川で遊んでいたところ、溺れたようだ。母が急用の仕事で先に家へ帰り、父が私の面倒を見ることになった。
ところが、父は私の面倒を見ることなく、携帯端末から目を離そうとしなかった。結果、私は川の深い部分へ足を滑らせ、溺れてしまった。そのまま意識不明になり、この病院に入院している。
色んな管に繋がれた光景を眺めてる私に、看護師が必死に説明していた。
そういえば、そうだったかもしれない。急に足がつかなくなって、川の流れが激しくなって。助けを求めたけれど声は出なくて、ただ波にのまれた。
しかし、その記憶よりも鮮明に私の脳裏を駆けるのは、先程まで夢で見ていた女性────槙野のことだ。彼女は私が目覚めた時、傍らにいた。
目だけを動かし、あたりを見渡す。だが、何処にもいない。「どうしたの? お父さんと、お母さんを探しているのね。今、仕事場から駆けつけているところだから」。看護師がひどく穏やかな声でそう言った。
「さっきの」。私は声を絞り出した。看護師が耳を澄ませるように私の口元に近づいた。「どうしたの? まゆちゃん」。彼女が呟く。
「さっきの女の人、誰」
看護師は固まった。やがて言葉の意味を理解したのか「あぁ」と甲高い声を上げた。
「槙野さんね、槙野しおり。この病院に入院している女性よ。あなたのことが心配でね、いつも絵本を読んだりしているの」
あぁだから御伽話が煮詰まったような夢を見ていたのか。まだハッキリとしない脳内で、ぼんやりそんなことを思う。夢の内容を思い出す。たい焼きを食べた記憶がふわりと蘇った。
「たいやき」
ぼそっとひとりごちると看護師がハッとした顔をした。「匂いでわかるの?」と問われ、首を傾げる。
「槙野さん、よくいつもここでたい焼き食べるのよ。あなたが起きた時のためにも余分に持ってくるんだけど、起きないから自分で食べちゃってね。大好物みたいよ、あの人の」
窓際でたい焼きを食べながら外を眺める槙野が安易に想像できた。
私は目を瞑る。「疲れちゃったわね、お母さんたちが来るまでゆっくりしていて」。静かな声に包まれた。
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