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船に乗って

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「さて、次は何を読もうかなぁ」
 抑揚のない声が聞こえ、私は重たい瞼を開けた。差すような光が眼球を刺激し、反射的に閉じてしまう。
 ガサガサと何かを漁る音が鼓膜の奥で反響する。ピ、ピ、ピ、という機械的な音と混じり合った。

「ま、き……」

 先ほど聞いた声の主は、槙野だ。私は彼女の名前を呼ぼうとした。だが、喉から声を絞り出すのが難しかった。まるで数十年も水を与えられていない花壇の土みたいだ。
 もう一度、目を開けてみる。光が痛かったけど、今度は開けることができた。
 白い天井、私を覗き込む槙野。視界の端には薄いカーテンがあった。

「……えっ」

 ヨレたTシャツとスウェットを着た槙野は、絵本を片手に固まっている。その顔は強張っていて、目をまんまるとさせていた。

「起きた……?」

 彼女の声に、頷いてみる。途端、弾けたように槙野が叫んだ。

「看護師さん、看護師さん、起きた、まゆちゃん、起きた!」

 声を荒げ慣れてないのか、槙野の声はところどころ裏返っていた。「へんなこえ」と喉から搾り出した声は槙野の「看護師さん、看護師さん」と連呼する音に揉み消された。



 安藤まゆ。それが私の名前らしい。年齢は十歳。小学校四年生。父は友重、母は留美。誕生日には欲しがっていた新作の携帯ゲーム機を買ってもらった。クリスマスには新発売のゲームソフトを買ってもらう予定。
 友達はまりあ、ゆき、さくらこ。いつもこの三人とつるんでいる。最近ハマっているのはバトミントン。好きな食べ物はチョコミント。嫌いな食べ物はタケノコ。
 私は家族で近所の川で遊んでいたところ、溺れたようだ。母が急用の仕事で先に家へ帰り、父が私の面倒を見ることになった。
 ところが、父は私の面倒を見ることなく、携帯端末から目を離そうとしなかった。結果、私は川の深い部分へ足を滑らせ、溺れてしまった。そのまま意識不明になり、この病院に入院している。
 色んな管に繋がれた光景を眺めてる私に、看護師が必死に説明していた。
 そういえば、そうだったかもしれない。急に足がつかなくなって、川の流れが激しくなって。助けを求めたけれど声は出なくて、ただ波にのまれた。
 しかし、その記憶よりも鮮明に私の脳裏を駆けるのは、先程まで夢で見ていた女性────槙野のことだ。彼女は私が目覚めた時、傍らにいた。
 目だけを動かし、あたりを見渡す。だが、何処にもいない。「どうしたの? お父さんと、お母さんを探しているのね。今、仕事場から駆けつけているところだから」。看護師がひどく穏やかな声でそう言った。
 「さっきの」。私は声を絞り出した。看護師が耳を澄ませるように私の口元に近づいた。「どうしたの? まゆちゃん」。彼女が呟く。

「さっきの女の人、誰」

 看護師は固まった。やがて言葉の意味を理解したのか「あぁ」と甲高い声を上げた。

「槙野さんね、槙野しおり。この病院に入院している女性よ。あなたのことが心配でね、いつも絵本を読んだりしているの」

 あぁだから御伽話が煮詰まったような夢を見ていたのか。まだハッキリとしない脳内で、ぼんやりそんなことを思う。夢の内容を思い出す。たい焼きを食べた記憶がふわりと蘇った。

「たいやき」

 ぼそっとひとりごちると看護師がハッとした顔をした。「匂いでわかるの?」と問われ、首を傾げる。

「槙野さん、よくいつもここでたい焼き食べるのよ。あなたが起きた時のためにも余分に持ってくるんだけど、起きないから自分で食べちゃってね。大好物みたいよ、あの人の」

 窓際でたい焼きを食べながら外を眺める槙野が安易に想像できた。
 私は目を瞑る。「疲れちゃったわね、お母さんたちが来るまでゆっくりしていて」。静かな声に包まれた。
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