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第一章

4話

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 4話

 初めて会ったあの夜から、一週間も経たないうちにギルバートさんはお店にやってきた。
 今回は田中さんも佐々木さんもおらず、一人での来店だ。前回よりもラフなワイシャツとリネンのパンツだが、ボタンを開けた胸元からはち切れそうな筋肉が見えていた。この間よりは疲れていないような様子で、約束通り私を指名してくれた。羨ましそうな女の子たちの視線の中をギルさんの待つテーブルに行くと、

「アヤさん。貴方に会いに来ました。」

 そうまぶしい笑顔で言われるとさすがに照れる。

「ギルさん!こんなに早く会いに来てくれるなんて嬉しい!」

 この笑顔の前で駆け引きは難しいよ。

 席につくと私はすぐに彼の手を握る。前回とはちがい驚く様子もなく自然に握り返してくれた。オーナーが挨拶し前回約束していたお酒を頼み、機嫌よさそうに乾杯する。
 問題はここからだ、二時間ほどおしゃべりをして、あっさりとギルさんは帰っていった。オーナーは上機嫌だったが、私はもう次はないかなと思っていた。この二時間、話をするのはもっぱら私ばかりでギルさんのことは何一つ分からなかった。そもそもなぜ私が気に入られたのかもイマイチ分からない。
 前回仕事に対する姿勢を誉められたのは嬉しかったが、それだけでわざわざキャバクラに来るだろうか。彼のような人なら店に来なくても女性はたくさん寄ってくるだろうし、それこそ結婚相手を探しているならキャバクラに来ている場合ではないと思う。

 ぐだぐだとそんなことを考えながら、仕事終わり控え室で着替えをしていた。こんなに考えて彼にまた会いたいのだろうか。たしかにイケメンでお金持ちそうだが、それだけではない何かがひっかかる。そんなとき後ろから声がかかる

「あの人また来てたね。オーナー喜んでた。」

 ナンバーワンのアリサだった。前回ギルさんたちが帰ってから、もっと話したかったと言ってたっけ。

「そうですね。良かったです、でももう次はないかもですけど…。今日のは前回の義理で来たって感じだったし…。」
「えっ!そうかな、すごい寛いでるかんじに見えたけど。」

 そう言ってアリサは自分の着替えをはじめた。私はそこで考えるのをやめた、きっともう会うことはないだろう。

 しかし私の予想とは裏腹に一週間後、ギルさんはまたお店にやってきた。

 * * *

 その日は朝から大雨でお店が開く夜になっても雨足が強くて、お客様がとても少なかった。
 またもギルさんは一人でやってきて、私を指名した。こんな大雨の日に来ることも、そもそもまた来てくれたことにもびっくりした私は

「ギルさん!また来てくれるとは思わなかった!」

 と、ものすごく素直に口にだしてしまった。これじゃ来てほしくなかったみたいだ。

「アヤさんは私に会いたくなかったですか?」

 案の定ギルさんは傷ついたような顔をしてみせた。潤んだ瞳が大型犬みたいで可愛い。いやいや、そんなことを思ってる場合じゃない。

「会いたかったに決まっているじゃないですか!こんな雨の日に来てくれるとは思わなくてびっくりしちゃって。」

 すると彼は嬉しそうに笑った。

 席についたギルさんと私は、シャンパンで乾杯をした。以前よりさらに距離感が近く、恋人同士みたいな距離だ。警戒心のようなものを感じていた前回に比べ、今日はそういうのも感じない。少しずつだが、心を許してくれているのだろうか。
 ギルさんは自分のことを話し始める。日本にはあと1ヶ月くらいしか居られないこと、毎日のように結婚相手候補の女性と会っていてひどく疲れていること。女性と会っているとき以外、秘書か運転手が付いてくるので一人になる時間がないことなど…。なるほど、それなら疲れるのも頷ける。

「今日も秘書の方は一緒じゃないんですか?」
「外で運転手と一緒に待ってもらってるんだ。さすがに四六時中一緒だと疲れるから。」

(なるほど、このお店なら一人になれるってことなのか。だからまた来てくれたってことね。)

「どうしてそんなに結婚を急ぐんですか?まだお若いのに」

 ギルさんはどれだけ歳を上にみても、40歳には届いていないと思うし、この容姿なら気に入る相手が見つかったらでいいのでは…?

「なんて言ったらいいのか…、私の国ではもっともっと若い時に結婚するのが一般的でこの歳で伴侶が居ないというのは本当に珍しいんです。」

 日本とはだいぶ違うみたいだ。そういう理由なら周りが急がせるのもしょうがないのだろうか?

「初めてお会いしたとき、結婚相手に対する理想は高くないと言ってましたけど、なにか決められない理由があるんですか?」
「うーん……。」

 そんな質問をした途端、聞いてほしくないことだったのか、ギルさんは俯いてしまった。
 落ち込んでいる姿も犬みたいで可愛い。私はつい、ずっと思っていたことを試したくなる。
 俯いてしゃべらなくなってしまった彼の手を握り、指一本一本を愛撫するようにゆっくりと撫でていく。指の先、指と指の間、関節の窪み、ひとつひとつ確かめるように丁寧に撫でる。すると彼は驚いたように顔をあげ、私の目を見つめた。

「ギルさんって可愛いですよね。」

 彼の耳元で囁く。するとみるみる顔が赤くなり、耳まで真っ赤になってしまった。

「なっ……!?俺は男ですよ、可愛いだなんて……!」

 はじめてみる狼狽えた表情に自然と私は笑顔になってしまった。そんな反応は無視してずっと聞きたかったことを聞いてみる。

「初めてお会いした時に聞きそびれてしまったんですが、ギルさんはどちらの国の方ですか?」

 目を見開き、驚いた表情を一瞬浮かべたが、それをすぐに隠し冷静な声で

「中東の方で、小さな国なのでご存知ないかと思います。」

 目をそらしながら彼は言った。

「そうなんですか、そちらはやっぱり男性が女性よりも立場が上のような考えのある国なのでしょうか?」

 質問の意図が分からないのか、彼は首をかしげる。

「立場が上というのはよく分かりませんが、私の周りの女性は淑やかな方が多いように思います。見合い相手の方もですが。」

「それは……」

 彼の太ももに手を添えながら、耳元で

「ベッドの中でもそうなんですか?」

と聞いてみる。ゆっくりと目を合わせるとみるみる彼の顔が羞恥の表情に歪んでいった。

 つぎの瞬間、ギルさんはバッと立ち上がり、
「今日はこれで失礼します!」と足早に帰っていってしまった。後ろからでも分かるくらい耳を赤くして。

 彼は驚くほど初心だった。あの見た目からは想像できないくらい。そしてちょっとMっ気もありそう。性癖というのだろうか、多分本人も無自覚なのかもしれない。

 全て憶測だけれど、彼の周りの女性はベッドの中で積極的に動いたりしないのだ。日本だとマグロなんて言われるが、国が変わったらそれはもう文化のひとつだろう。しかしそんな女性と付き合って体を重ねても、初心でMっ気のある彼はあんまり感じられないのだと思う。だから物足りないんじゃないかな、いろんな意味で。本当に憶測だけど。

 そして、あの恥ずかしがりかた。こんなふうに面と向かって下ネタを言ってくるような女もいないんだろうな。正直私からしたら下ネタにも入らないようなことだけど。それにしても真っ赤だったなぁ。話し方とかも上品だし、どこかのお坊ちゃまなのかな、ギルさんは。

 秘書である田中さんがお見合い相手を選んでくるのかは分からないが、同じような女性を紹介し続けても、ギルさんとは上手くいかないだろう。

 わたしのことはさすがに下品な女だと思われただろうな。でも、日本にいられるのあとちょっとなんだし、本気で結婚相手探さないと、母国に帰っても相手を探すのは大変そう。

 頑張って!ギルさん!

 正直あの潤んだ瞳と恥ずかしさに歪む顔がとても好みだけれど、それよりもお似合いの相手がいるといいなーなんて思いながら、3回目の来店は終わった。


 しかし驚くことに一週間後、またギルさんはお店にやってきたのだった。

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