出来損ないと呼ばれた公爵令嬢の結婚

奏千歌

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3 魔法使いさん

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 歩き疲れ、靴ずれで足がズキズキと痛むのも限界に達した頃に、そこに辿り着きました。

 王都から離れた位置にある町です。

 シルバーノームと呼ばれており、初めてくる場所でした。

 この町は、以前は炭鉱が栄えていたそうですが、今は農業が中心に営まれ、裕福とは言えない経済状況のようです。

 でも不思議と、犯罪発生率は極端に低い地域だとは聞いたことがあります。

 それは新しい情報ではないので、変わっていないことを願います。

 魔法使いさんの家は、そこからさらに、町からはほんの少しだけ離れている場所にありました。

 そして、見上げた建物は、魔法使いに対して畏怖する思いもありましたが、オレンジ色の屋根にベージュ色の土壁のお家は、何だか可愛らしいものでした。

 壁には、所々に煉瓦が埋め込まれています。

 緩やかな傾斜の上に建ち、大きな木に同化しているようにも見えます。

 いったい、どのような方が住んでいるのか。

 ハーバートさん。

 24歳であるという、名前と年齢しか知らされませんでした。

 私の8つ上になります。

 会ったこともない人と結婚することは、貴族間ではよくあることですが……

 やはり、ここに立ってみても、不安が大きく占めていました。

 玄関扉に続く数段の階段を上がり、木目がよく分かる焦げ茶色のドアをノックしてみましたが、返事がありません。

「しつれいしまーす?」

 そっと扉を開けると、鍵はかかっていないようでした。

 勝手に入っていいはずもないのは分かっていましたが、中に人がいないかだけ確認して、すぐに出るつもりでした。

 入ってすぐの一室が、一階の全てのようで、綺麗に整理された空間にはキッチンと何かの棚とテーブルと椅子、ソファーが並べられていました。

 テーブルの上には一枚のメモが置かれていて、何か文字が書かれているようですが、私には読めません。

「魔法使いさん?ハーバートさん?」

 中に入ることはせず、扉の隙間から声をかけても、やはり誰もいないようでした。

 諦めて扉を閉めます。

 外に視線を巡らすと、玄関の横がテラスになっていて、そこにもイスと小さな丸テーブルが置かれていました。

 扉前の階段に腰掛けます。

 いつ頃帰ってこられるのでしょうか。

 避けられたのか、急用ができたのか、私が来ることは知らされていると思いたいですが………

 初日からこれでは、後にも不安しか抱けません。

 ここでも追い出されてしまっては、どうすればいいのか。

 家に帰ることもできないのに。

 このまま、受け入れてもらえなかったら、貴族として私ができる唯一の責務すら果たせず、絶望するしかないのでしょうか。

 もう、いっそのこと、ただの平民として、お手伝いとして、ここで雇ってもらえないでしょうか。

 平民としてなら、字が読めなくても学がなくても、おかしくはありません。

 無為に時間は過ぎていきました。

 影が向こうまで伸びた夕暮れ時。

 もう今日は帰ってはこないのでしょうか。

 辺りは静まりかえって、人の訪れる気配はありません。

 お腹がすきました。

 お金はほとんどないので、何かを買って食べることもできませんが、歩き疲れた為、今は何もしたくはありません。

 明日、近くの林に食べられる野草を探しに行こうかと思います。

 でも、今日はもう、限界でした。

 空腹よりも疲労感が勝り、カバンから肩掛けを取り出して体に巻き、手すりにもたれると、自然と目を閉じてしまっていました。

 座ったまま眠りについて、夢を見ていたのかもしれません。

 誰かが私に微笑んでくれました。




『大丈夫か?』




 夢の中ですら、人からそんな風に声をかけられたのは、いつぶりでしょうか。

 私を心配してくれる人など、もういないと思っていました。




『具合が悪いのか?』




 このまま、夢の中の優しい声に見送られて、お母様のところに行けたら……

 ───にたい

 そうすれば、辛いことも、怖いことも、我慢しなくて済むのに……





 その手が肩に置かれ、人の体温が触れて、反射的に顔を上げていました。

 ぱちっと目を開けた視界の中に、私を覗きこむように見ている真っ青な瞳を映していました。

 突然のことで、口は半開きとなったまま、その人をジッと見つめてしまっていました。

「顔色が悪いな。君は、いつからここにいるんだ?」

 私の傍らにしゃがみ、片膝をついて、気遣うような声をかけてくれている男性……

 この方が、ハーバートさん?

 黒い髪に、真っ青な瞳。

 理知的な雰囲気がありました。

 黙って見つめたままの私を、やはり心配そうに見てくれています。

 何か言わなければと思っても、心の準備ができていなくて、言葉が出てきませんでしたが、

「私は、あの、ビルソン家の……」

 無理やり捻り出したことがこれで、

「ビルソン家?もしかして君は、ここに残れと言われたのか?置き去りにされたのか?君の主人は随分と酷いことをするんだな」

 このみすぼらしい服装では、私が公爵家の娘と思われなくても仕方がありませんが、どうやら勘違いをされてしまったようです。

「………」

 どう言えばいいのか、返答に困りました。

「どこの貴族も似たり寄ったりだ。クソみたいな連中だ」

「申し訳ありません……」

 穏やかそうな方だと思えましたが、その口調から察するに、ハーバートさんはかなり貴族がお嫌いのようです。

「君が謝る必要はない。ああ、そうか、すまない。公爵家に勤めているのなら、君も貴族なのか」

「あの、いえ、私は……平民で……」

 昨日考えていたことではありますが、いっそのこともう、そう思って欲しくて、嘘をつきました。

 貴族だから嫌われて、ここから追い出されたら、どこにも行き場がありません。

 これが覚えている限りでは、生まれて初めてついた嘘なのではないでしょうか。

「そうなのか?君は、代わりにここにいろと言われたのか?」

「……はい」

「それはいつまで?」

「……帰ってくるなと」

 ハーバートさんは、怒りを抱いたように見えました。

 柔和だった視線が鋭くなって、私が怒られているように錯覚してしまいます。

「君の家は?家族は?」

 矢継ぎ早に質問されていました。

 私にはもう、家族と呼べる人は……

「いません……」

「なら、君が責めを負わないように、好きにするといい」

「ここにいても、いいのですか?」

 ハーバートさんをこれ以上怒らせないようにと考えていたのに、随分とあっさりとした対応に驚きました。

 こんなに簡単にいてもいいと言ってもらえるとは思いませんでした。

 会ったばかりの私の心配をしてくれるこの方は、本当にとても優しい方のようです。

 そう言えば、自分のことばかりでハーバートさんの功績を聞いてはいませんでした。

 いったい、何をされた方なのでしょうか。

 書類に書いてあったのかもしれませんが、出来の悪い私には読むことができません。

 家を出る時は、お父様に聞くどころか声をかけることもできませんでしたから。

「名前は?」

「エリ……」

 うっかり本名を言いそうになって、慌てて口を閉じました。

「エリか。俺はハーバートだ。公爵令嬢だけがお帰りになったということは、テーブルのメモは見たんだな?」

 メモ……

「あの、多分、でも私は、字が、読めないので、私は見てなくて……」

 ここでお世話になる以上は、黙っておくわけにもいかず、それを告げるのは、とても、惨めな思いでした。

 また、目で見られるのかと思うと……

 でも、ハーバートさんの反応は、少し違いました。

「貴族の屋敷に勤めているものが珍しいな。学校に行けなかったのか?」

 意外だと、見つめられますが、

「いえ……いくら学んでも、頭の悪い私では、字を覚えることができなくて……」

「読字障害か?」

「?」

 ハーバートさんが問いかけてきた言葉は、初めて聞くものでした。

 言葉の意味が分からなくて首を傾げた私に、ハーバートさんは嫌な顔をすることなく説明してくれました。

「本人がどれだけ努力しても、読んだり書いたりすることができない者が時々いるんだ。それは、本人が悪いわけじゃない。勉強の仕方を工夫したり、時間をかけたりすれば、克服できることもある」

 それを聞いて、なんだか目の前の、閉ざされていた扉が開かれたような気がしました。

「私が悪いわけじゃない……?私の努力が足りなかったわけじゃない?私でも、字が、読める?」

「学びたいという思いがあったのなら、努力が足りなかったわけじゃない。君が悪いわけじゃない」

 お母様以外の人で字が読めないことを、初めてバカにされませんでした。

 それどころか……

 誰かに言ってもらいたいと思いながらも、自分ですら認めてあげることができなかったのに、この方が、それを言ってくれました。

 努力が足りなかったわけじゃないと。

 私が悪いわけではないと。

 私の傷口に、薬を塗り込んでくれるように……

 目頭が熱くなりました。

 こんな所で、初対面のハーバートさんの前で泣くのもみっともなくて我慢しますが、鼻の奥がツーンとしていました。

「あの、私、家のことなら何でもします。器用ではないですが、一生懸命働きます。ここで少しの間でもいいので、働かせてもらえませんか?今、帰ると、きっとビルソン家からお叱りを受けるので」

 立ち上がったハーバートさんが家の扉を開けながら、

「君が呼び戻されるまでは、好きに過ごしていいよ」

 そう仰ってくれました。

 頼み込むつもりだったのに、ハーバートさんの返事はこの時も、とてもあっさりとしたものでした。




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