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「山」の正体
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水の力ってすごいものなんだ、と痛感したのも洪水の時でした。
朝。人なんか簡単に流されてしまうような水の流れがなくなって、みんなで山を下りてお寺の門を出た時、私たちは「山」を見ました。前夜、濁流にのまれそうなわたしたち姉妹のすぐ近くに現れた黒々とした大きな山。田んぼの真ん中に居座るそれを見た時は、驚いたなんてものじゃありませんでした。
その「山」の正体は家です。わたしの家から少し下流の方にある藁屋根の大きな家が、お寺の前まで移動して、田んぼの真ん中に鎮座していたのです。「山ゆうのは家じゃったんか……」と近所の人たちも驚きました。
古い家というのは釘を使わず木を組んで作ってあって頑丈ですし、屋根も当時多かったのは瓦ではなく藁。木と藁の家は水に浮かびやすいでしょうから、流されてもバラバラに壊れずにすんだのかもしれません。あの家がうまく水流を受け止めてくれたから、激しい流れの中でも泳ぐことができたのかもしれません。ただ、あの時、家は水に流されて動いている最中だったので、もう少し脆い建物だったり、水の勢いがもっと強かったり、水が流れる方向が違っていたら、わたしたちも危なかったでしょう。
とはいえ、水の勢いで滅茶苦茶に押されて数百メートルを移動したのです。今にも倒壊しそうでとても人が住めるような状態ではありませんでした。家の中の家財道具を辛うじて取りに入れるくらいだったようです。
さて、数百メートルの移動をした家の娘さんは、お嫁に行く直前でした。嫁入りといえば、人生で最も大きなイベントのひとつ。田舎ですから派手で豪華な物は支度していません。それでも、嫁入り道具や衣装は、お嫁さんの実家の家柄や格を表す大事なものでした。揃えた物は、家の身の丈に合っていて、それでいてきちんと最大限に「家」をアピールする。嫁いでいく娘さんに必要な身の回りの物を整える以上の役割が嫁入り道具にはあったのです。
家の人たちがなんとか中に入って、準備していた嫁入り道具を外に出していましたが、無事な物はほとんどなかったようでした。嫁入り道具は台無し、家も住める状態ではない。必要なこと以外は喋らずに片付けをしていた当家の人たちの姿。支度していた着物はどれも染料が水で流れ出して混ざり合って迷彩のような模様になってしまっていたことも、子ども心に印象的でした。
物でも命でも、誰がどんな状況でも、平然と通り道のものを洗い流してしまう水の恐ろしさと悲しさ、そして切なさ。これだけはいくら時代が移り変わっても変わることはありません。だから、過去の災害を忘れてはいけないのです。もちろん、ずっと災害の恐怖を抱えていたら疲れてしまいますから、月日が過ぎて生活も気持ちも落ち着いた頃には忘れて生活してもいい。でも、必要な時に「あの時は……」と思い出せるように記憶して、後世に伝えて繋ぐこと。それが、大事なものをなくさないための「記憶」ではないかと思っています。
朝。人なんか簡単に流されてしまうような水の流れがなくなって、みんなで山を下りてお寺の門を出た時、私たちは「山」を見ました。前夜、濁流にのまれそうなわたしたち姉妹のすぐ近くに現れた黒々とした大きな山。田んぼの真ん中に居座るそれを見た時は、驚いたなんてものじゃありませんでした。
その「山」の正体は家です。わたしの家から少し下流の方にある藁屋根の大きな家が、お寺の前まで移動して、田んぼの真ん中に鎮座していたのです。「山ゆうのは家じゃったんか……」と近所の人たちも驚きました。
古い家というのは釘を使わず木を組んで作ってあって頑丈ですし、屋根も当時多かったのは瓦ではなく藁。木と藁の家は水に浮かびやすいでしょうから、流されてもバラバラに壊れずにすんだのかもしれません。あの家がうまく水流を受け止めてくれたから、激しい流れの中でも泳ぐことができたのかもしれません。ただ、あの時、家は水に流されて動いている最中だったので、もう少し脆い建物だったり、水の勢いがもっと強かったり、水が流れる方向が違っていたら、わたしたちも危なかったでしょう。
とはいえ、水の勢いで滅茶苦茶に押されて数百メートルを移動したのです。今にも倒壊しそうでとても人が住めるような状態ではありませんでした。家の中の家財道具を辛うじて取りに入れるくらいだったようです。
さて、数百メートルの移動をした家の娘さんは、お嫁に行く直前でした。嫁入りといえば、人生で最も大きなイベントのひとつ。田舎ですから派手で豪華な物は支度していません。それでも、嫁入り道具や衣装は、お嫁さんの実家の家柄や格を表す大事なものでした。揃えた物は、家の身の丈に合っていて、それでいてきちんと最大限に「家」をアピールする。嫁いでいく娘さんに必要な身の回りの物を整える以上の役割が嫁入り道具にはあったのです。
家の人たちがなんとか中に入って、準備していた嫁入り道具を外に出していましたが、無事な物はほとんどなかったようでした。嫁入り道具は台無し、家も住める状態ではない。必要なこと以外は喋らずに片付けをしていた当家の人たちの姿。支度していた着物はどれも染料が水で流れ出して混ざり合って迷彩のような模様になってしまっていたことも、子ども心に印象的でした。
物でも命でも、誰がどんな状況でも、平然と通り道のものを洗い流してしまう水の恐ろしさと悲しさ、そして切なさ。これだけはいくら時代が移り変わっても変わることはありません。だから、過去の災害を忘れてはいけないのです。もちろん、ずっと災害の恐怖を抱えていたら疲れてしまいますから、月日が過ぎて生活も気持ちも落ち着いた頃には忘れて生活してもいい。でも、必要な時に「あの時は……」と思い出せるように記憶して、後世に伝えて繋ぐこと。それが、大事なものをなくさないための「記憶」ではないかと思っています。
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