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山の上で
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わたしと4歳下の妹が命懸けの避難をした川の氾濫は、流域での死者85名、家屋の全半壊200戸以上、家屋浸水2700戸余りという被害を記録しました。被害が大きくなった原因はいくつか思い浮かびます。大正時代までは毎年のように氾濫していた川だったこと、大正末期から始まった治水工事が完了していなかったこと、大きな台風の直撃、それから、上流のダムが決壊寸前だということで一気に放水したことなどでしょう。
わたしたちが避難を開始した瞬間というのは、水が増えた早さからして、おそらく近くの堤防が決壊すると同時くらいだったのでしょう。自宅より下流部分の堤防が決壊して、集落の中に一気に水が流れ込んできたのです。
あの時代、被害を少なくするために土手にはわざと弱い部分を作ってありました。堤防の弱い部分は身分制度が存在していた時代に「えた」とか「非人」とか呼ばれた人たちが住んでいた場所の近くです。わたしたちの地域ではそういう人たちのことを「よつ」と呼んでいました。ご近所の付き合いだけでなく、命の扱いまで身分で分かれていたのです。身分制度が廃止されて随分と経っていましたが、わたしが子どもの頃は古い時代の差別がまだ残っていました。同級生にも「仲良くしてはいけない家柄の子」がいました。昔の話ですが、覚えている人が誰もいないほど昔のことでもないんです。
さて、お寺の裏山に避難した妹とわたしのその後に話を戻しましょう。
濁流に飲み込まれそうになりながらも、なんとかお寺の塀の中に入ったわたしたち姉妹。境内も水浸しでしたが、外の道よりは地面が高いことと、塀が水流を抑えてくれていたので、そこから先は大した苦労もなく、お寺の裏山に避難することができました。
裏山に避難したとき、わたしは先に避難していたおとなたちに「来しな(来る途中)の田んぼに山ができとった」と話しました。でも「そりゃあ門の外のでかい石塔を見間違うたんじゃろう」とか「幻覚でも見たんじゃろ」とか言って誰も信じてくれません。わたしが山を見た場所をみんなに見てもらおうにも、あたりは真っ暗で山の上からは田んぼなど見えません。当然、危険すぎてお寺の裏山を下りて確認するわけにもいきません。結局、わたしの見間違い、その時はちょっと頭がどうかなっていた、ということで片付けられてしまいました。
わたしたち姉妹に、当然、近所の大人たちは「他の家族はどうした?」と聞きます。流されずにすんだ安堵と恐怖で震えながらも「大丈夫だって言って、家に残った」と答えると「この水じゃあ家はどうなったか分からんのう」と大人たちが口々に言いました。いつもは賑やかに話をする妹も、この時ばかりは黙ったままで何も言わなかったことが印象的でした。暗がりの中にぼんやりと家々の影が浮かんでいましたが、見えているのは屋根だけであとは全て濁流に沈んでいるようでした。山の上から見える竹林もすっぽりと水に浸かってしまっていて、背の高い竹の先っぽが水面からちょっと出ているくらいなのが見えました。どこの誰が声をかけてくれたか覚えていませんが、顔見知りの人たちが「かわいそうになあ」「あんたらだけになったなあ」「気を落とさんようになあ」と慰めてくれていたことを覚えています。でも、事態が大きすぎて気持ちも頭も追いつきません。「ああ、妹と2人きりになったのか……」と思いながら、水没した村を眺めたことを覚えています。
そうやって何時間か経った時です。ぼんやりと村を見下ろしていると、ふと暗闇の中、眼下で何かが光るのが見えました。チラチラ、チラチラ、みんなで避難した山のすぐ下で小さな灯りが揺れています。光が揺れている場所は、わたしの家のあたりです。「おいおい、生きとるぞ」と誰かが言いました。
そのうちに夜が明け始めました。空が薄っすらと白くなり、暗闇の中で影だけだった家々の様子が色彩を持って見え始めました。明るくなってくると、自分の家の庭を人影がいくつか動いているのが見えるようになりました。上から見えた小さな灯りは、家族の誰かが懐中電灯を持って庭に出て、お寺の裏山に見えるように振っていたものでした。
大水が出ても大丈夫な家、というのは嘘ではなかったのです。でも、土地や床を高くしても、多少の床上浸水は免れなかったみたいでした。家に残った母や叔父、叔母、いとこたちに話を聞くと、母屋でも離れでも、畳や家財道具が濡れてしまわないように動かしたりして大変だったそうです。水かさがどんどん上がってきて「畳が濡れたら困る」と思っていたところに、桶が浮いてきたのだそうです。あの時期は、ちょうど、味噌や醤油を作るために大豆をしぼっていた桶がかまどの近くにいくつか置いてあったのです。それがプカプカ浮き始めた様子を見て「ああ、あの桶を台にして、その上に畳を積もう」と思ったのだと母親が話していました。もちろん、桶の中にあった味噌や醤油の材料は全部だめになってしまいましたが。
この後も、川は何度か氾濫してましたが、時代が進んで治水工事も完了したので大勢の死者が出るような洪水は起きていません。今でも、ひどい雨が降ると家屋が浸水する地域はあるみたいですけど……。
ちなみに、この大水の後片付けが本当に大変だったのですが、それはまた別の機会にお話しします。だって、一度にたくさん書くと大変ですから。
わたしたちが避難を開始した瞬間というのは、水が増えた早さからして、おそらく近くの堤防が決壊すると同時くらいだったのでしょう。自宅より下流部分の堤防が決壊して、集落の中に一気に水が流れ込んできたのです。
あの時代、被害を少なくするために土手にはわざと弱い部分を作ってありました。堤防の弱い部分は身分制度が存在していた時代に「えた」とか「非人」とか呼ばれた人たちが住んでいた場所の近くです。わたしたちの地域ではそういう人たちのことを「よつ」と呼んでいました。ご近所の付き合いだけでなく、命の扱いまで身分で分かれていたのです。身分制度が廃止されて随分と経っていましたが、わたしが子どもの頃は古い時代の差別がまだ残っていました。同級生にも「仲良くしてはいけない家柄の子」がいました。昔の話ですが、覚えている人が誰もいないほど昔のことでもないんです。
さて、お寺の裏山に避難した妹とわたしのその後に話を戻しましょう。
濁流に飲み込まれそうになりながらも、なんとかお寺の塀の中に入ったわたしたち姉妹。境内も水浸しでしたが、外の道よりは地面が高いことと、塀が水流を抑えてくれていたので、そこから先は大した苦労もなく、お寺の裏山に避難することができました。
裏山に避難したとき、わたしは先に避難していたおとなたちに「来しな(来る途中)の田んぼに山ができとった」と話しました。でも「そりゃあ門の外のでかい石塔を見間違うたんじゃろう」とか「幻覚でも見たんじゃろ」とか言って誰も信じてくれません。わたしが山を見た場所をみんなに見てもらおうにも、あたりは真っ暗で山の上からは田んぼなど見えません。当然、危険すぎてお寺の裏山を下りて確認するわけにもいきません。結局、わたしの見間違い、その時はちょっと頭がどうかなっていた、ということで片付けられてしまいました。
わたしたち姉妹に、当然、近所の大人たちは「他の家族はどうした?」と聞きます。流されずにすんだ安堵と恐怖で震えながらも「大丈夫だって言って、家に残った」と答えると「この水じゃあ家はどうなったか分からんのう」と大人たちが口々に言いました。いつもは賑やかに話をする妹も、この時ばかりは黙ったままで何も言わなかったことが印象的でした。暗がりの中にぼんやりと家々の影が浮かんでいましたが、見えているのは屋根だけであとは全て濁流に沈んでいるようでした。山の上から見える竹林もすっぽりと水に浸かってしまっていて、背の高い竹の先っぽが水面からちょっと出ているくらいなのが見えました。どこの誰が声をかけてくれたか覚えていませんが、顔見知りの人たちが「かわいそうになあ」「あんたらだけになったなあ」「気を落とさんようになあ」と慰めてくれていたことを覚えています。でも、事態が大きすぎて気持ちも頭も追いつきません。「ああ、妹と2人きりになったのか……」と思いながら、水没した村を眺めたことを覚えています。
そうやって何時間か経った時です。ぼんやりと村を見下ろしていると、ふと暗闇の中、眼下で何かが光るのが見えました。チラチラ、チラチラ、みんなで避難した山のすぐ下で小さな灯りが揺れています。光が揺れている場所は、わたしの家のあたりです。「おいおい、生きとるぞ」と誰かが言いました。
そのうちに夜が明け始めました。空が薄っすらと白くなり、暗闇の中で影だけだった家々の様子が色彩を持って見え始めました。明るくなってくると、自分の家の庭を人影がいくつか動いているのが見えるようになりました。上から見えた小さな灯りは、家族の誰かが懐中電灯を持って庭に出て、お寺の裏山に見えるように振っていたものでした。
大水が出ても大丈夫な家、というのは嘘ではなかったのです。でも、土地や床を高くしても、多少の床上浸水は免れなかったみたいでした。家に残った母や叔父、叔母、いとこたちに話を聞くと、母屋でも離れでも、畳や家財道具が濡れてしまわないように動かしたりして大変だったそうです。水かさがどんどん上がってきて「畳が濡れたら困る」と思っていたところに、桶が浮いてきたのだそうです。あの時期は、ちょうど、味噌や醤油を作るために大豆をしぼっていた桶がかまどの近くにいくつか置いてあったのです。それがプカプカ浮き始めた様子を見て「ああ、あの桶を台にして、その上に畳を積もう」と思ったのだと母親が話していました。もちろん、桶の中にあった味噌や醤油の材料は全部だめになってしまいましたが。
この後も、川は何度か氾濫してましたが、時代が進んで治水工事も完了したので大勢の死者が出るような洪水は起きていません。今でも、ひどい雨が降ると家屋が浸水する地域はあるみたいですけど……。
ちなみに、この大水の後片付けが本当に大変だったのですが、それはまた別の機会にお話しします。だって、一度にたくさん書くと大変ですから。
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