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Round.6 料理で胃袋ガッチリ作戦
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恋する乙女は、時として思いもよらない分野に挑戦する。
特に、それが愛する人のためであるならば——
雲がかかった午前中、カミラは寝台の上で『淑女のための恋愛指南書』を開いていた。窓の外は少し曇っているが、それがかえって落ち着いた雰囲気を作り出している。サイドテーブルに置かれた白い百合の花が、静かな美しさを湛えていた。昨日のアシュランとの激しいやりとりを思い出すたび、胸が高鳴ってしまう。
あの時の彼の瞳の奥に宿っていた炎のような光、壁に拳を当てて自分を制御しようとしていた姿——全てが鮮明に蘇ってくる。
「次は第七の秘訣……かと思いましたが」
ページをそっとめくっていると、別の秘訣が目に留まった。まるで指南書が彼女の心を読み取ったかのように、金の文字が優しく光を帯びている。
『第十の秘訣:男性の胃袋を掴む——手料理という最強の武器』
『どんな男性も、愛する女性の手料理には勝てません。心を込めて作られた料理は、彼の心に直接届くのです。ただし、味よりも「愛情」が最も大切な調味料であることをお忘れなく』
「手料理……」
カミラは首をかしげた。リラリエ公爵家の令嬢として、これまで料理をしたことなど一度もない。厨房に足を踏み入れたことすらなかった。使用人たちが美しく盛り付けられた料理を運んでくるのを、当たり前のこととして受け取るだけの生活だった。
でも、指南書の挿絵を見ていると、エプロンを身に着けた女性が幸せそうに料理をしている。その表情には、愛する人への想いが溢れていた。
「アシュラン様のためなら……」
昨日の彼の辛そうな表情を思い出す。もっと自然に、優しくアプローチする方法があるかもしれない。激しい感情のぶつかり合いではなく、静かで温かな愛情を伝える方法が。
カミラは立ち上がり、姿見の前で髪を整えた。今日は料理をするのだから、動きやすい服装に着替えなければ。
「よし、決めましたわ」
カミラの決意と共に、指南書がパチパチと音を立てた。まるで祖母が応援してくれているかのように。
*
王宮の厨房は、カミラが想像していたよりもずっと大きく、そして不思議だった。石造りの壁に囲まれた広い空間には、巨大なかまどが三つも並んでいる。
そして何より驚くべきことに、調理器具たちが生きているのだ。
フライパンはガチャガチャと音を立てて、仲間たちと楽しげにおしゃべりをしている。食器棚の皿やグラスは配膳に備えて、少しでも美味しい食事でもてなせるようにとダンスでウォーミングアップをしていた。おたまは鍋と共に美しいハーモニーを奏でながら、スープを作る準備をしている。
壁には魔法で保存された食材が美しく陳列され、厨房全体を芳しい香りで満たしている。
「カミラ様、本当に料理をなさるのですか?」
厨房長のマチルダが、困惑した表情で尋ねた。彼女は王宮の厨房を三十年も取り仕切ってきたベテランで、その腕前は王国随一と言われている。白いエプロンに身を包んだ彼女の前で、カミラは少し緊張していた。
「はい。アシュラン様に手料理をお作りしたくて」
カミラの言葉に、厨房にいた十数名の料理人たちがざわめいた。鍋を磨いていた手が止まり、切り方が気に食わないとナイフで取っ組み合っていた料理人たちの動きも止まる。
「リ、リラリエ様が……料理を……?」
「まさか、あの美しいお手で包丁を……?」
「今日は王国の祝日でしたっけ?」
「いえいえ、きっと世界の終わりが近いのです!」
料理人たちが口々に驚きの声を上げる中、一人の年配の料理人が涙を浮かべた。
「私、この歳まで生きてきて良かった……この目で伝説を見ることができるなんて」
まるで奇跡を目撃したかのような反応を前に、カミラは困惑した。
「でしたら、私どもがお手伝いを——」
「いえ、自分の手で作りたいのです」
カミラは可愛らしいエプロンを身に着けながら答えた。薄いピンクのエプロンが、彼女の美しさを一層引き立てている。リボンを後ろで結ぶ仕草も、見ているだけで絵になるほど優雅だった。
「何を作られるご予定でしょうか?」
「えっと……」
カミラは困った。何を作ればいいのか、全く分からない。
「簡単なスープから始めてはいかがでしょう?」
マチルダが優しく提案した。
「それでお願いします」
マチルダの指導の下、カミラは野菜を切り始めた。しかし、慣れない包丁使いに四苦八苦する。包丁は危なっかしいその手つきに、先ほどまでの威勢はどこやら、すっかり大人しくなってしまった。まるで「この方に怪我をさせてはならない」と言わんばかりに。
「包丁は猫の手で持った野菜を支えて……」
マチルダが優しく指導するが、カミラの手はぎこちない。普段はペンしか持たない繊細な指が、包丁の重さに慣れていないのだ。
「痛っ」
小さく指を切ってしまったカミラ。その瞬間、感情の高ぶりで魔法が暴発した。
ぽん、ぽん、ぽん。
まな板の上の野菜が、次々と宙に浮き上がってしまう。人参がくるくると回転し、玉ねぎが踊るように跳ね回る。セロリは宙で優雅にワルツを踊り、ジャガイモは厨房の天井近くまで舞い上がった。
「まあ、野菜が……」
「カミラ様の魔法ですわ!」
「生きた野菜の舞踏会じゃ!」
「これぞリラリエ家の真髄!」
料理人たちが慌てふためく中、若い見習いたちが感動の声を上げる。リラリエ家の魔法を間近で見るのは初めてだった。
その騒ぎを見て、フライパンたちも興奮してガチャガチャと音を立て始める。お皿たちは「私たちも踊りたい!」とばかりに、食器棚の中でカタカタと音を立てていた。
「ごめんなさい、また魔法が……」
カミラは顔を真っ赤にした。指の傷と恥ずかしさで、さらに魔法が不安定になってしまう。
「大丈夫ですよ、カミラ様」
マチルダは慣れた様子で、浮いている野菜を一つずつ捕まえていく。長年王宮で働いているため、魔法の暴発には慣れっこだった。
「感情が高ぶると魔法が出るのは、リラリエ家の特徴ですからね。先代の公爵夫人様も、よく庭の花を咲かせていらっしゃいました」
何とか野菜を切り終え、今度は煮込み作業に入る。カミラは鍋に水を張り、丁寧に火加減を調整した。鍋も嬉しそうにコポコポと音を立てて、美味しいスープを作る準備をしている。
しかし、ここでも問題が発生した。
カミラが愛情を込めて鍋をかき混ぜていると、またも魔法が暴発。今度はスープの色が虹色に変化してしまった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫——まるで液体の虹が鍋の中で踊っているようだった。
「え……なぜこんな色に?」
「カミラ様の魔法が、スープに混ざってしまったようですね」
マチルダは苦笑いを浮かべた。見た目には美味しそうとは言えない品である。
「でも、害はございません。きっと愛情の味がしますよ」
実際、虹色のスープからは普通の野菜スープとは違う、不思議な香りが立ち上っていた。甘くて、温かくて、どこか懐かしいような——まさに愛情の香りだった。
結局、三時間かけてようやく完成したのは、虹色のスープと、少し焦げたパンだった。見た目は決して美しいとは言えないが、カミラの愛情がたっぷりと込められている。
「完璧ではありませんが……」
カミラは不安そうにスープを見つめた。本当にこれでいいのだろうか。
「きっとアシュラン様に喜んでいただけますよ」
マチルダが励ますように言った。
*
昼下がり、カミラは銀のトレイに料理を載せて、アシュランの執務室を訪れた。トレイに並べられたスプーンやフォークも、カミラに「頑張って」と声をかけるように輝いている。廊下を歩く間も、虹色のスープが光を反射してキラキラと輝いていた。
重厚な扉の前で、カミラは深呼吸をした。これまでの作戦とは違う、もっと自然で温かなアプローチ。アシュランを困らせるのではなく、純粋に喜ばせたいという気持ちが胸に溢れている。
ノックの音に、中から「どうぞ」という声が聞こえる。いつものアシュランの穏やかな声に、カミラの心臓が跳ねた。
「失礼いたします」
扉を開けると、アシュランが書類から顔を上げた。午後の陽光が彼のプラチナブロンドの髪を照らし、まるで天使のような美しさだった。
「やあ、カミラ。今日はまた随分と良い香りが……」
アシュランは香りに気づいて、眉を上げた。普通の料理とは明らかに違う、魔法的な香りが執務室に漂っている。
「実は、お料理をお作りしたのです」
カミラはトレイを机に置いた。パンも少し焦げているが、愛情がたっぷりと込められているのが伝わってくる。
「君が料理を?」
アシュランは心底驚いた表情を見せた。彼の知っているカミラは、料理どころか厨房に足を踏み入れたこともない令嬢だった。
「はい。アシュラン様に召し上がっていただきたくて」
カミラは頬を染めながら答える。エプロンの紐を解きながら、恥ずかしそうに俯いた。その仕草があまりにも愛らしくて、アシュランは心臓を鷲掴みにされる。
「ありがとう。とても嬉しいよ」
アシュランは心から喜んでいるような微笑みを浮かべた。そして、銀のスプーンを手に取る。
「ただ……色が少し変わっているね」
「あの、魔法が暴発してしまって……」
カミラは申し訳なさそうに説明した。頬がほんのりと桃色に染まっている。
「味の方は大丈夫でしょうか」
不安そうなカミラを前に、アシュランは迷うことなくスープを口に運んだ。
カミラは固唾を呑んで見守る。心臓が早鐘を打つように鳴り響いて、今にも破裂してしまいそうだ。
(失敗していたらどうしましょう……変な色になってしまったし、きっと味も……)
その瞬間、アシュランの瞳がわずかに見開かれる。
「これは……」
カミラの心臓がドキリと跳ねた。やはり失敗してしまったのだろうか。変な味がしているに違いない。
(ああ、アシュラン様が困った顔を……きっとまずくて……)
「とても……心が温まる味がするね」
アシュランの声が、穏やかに響いた。
カミラは安堵のあまり、思わずその場にへたり込みそうになった。
「本当ですか?」
「ああ。君の愛情が、ちゃんと伝わってくる」
実際、スープは少し塩味が強く、野菜も不揃いだった。しかし、カミラが一生懸命作ってくれたという事実が、どんな高級料理よりも美味しく感じさせていた。
「君の作った料理なら、何でも美味しいよ」
アシュランの言葉に、カミラの瞳が輝いた。
「でも、カミラ」
アシュランは少し困ったような表情を見せた。
「君が料理なんてしなくても……。怪我でもしたらどうするんだい」
「え?」
「君のような美しい手に、傷などつけさせたくない」
アシュランの過保護ぶりに、カミラは少し拗ねたような表情を見せた。
「でも、私も貴方の奥様になる準備をしたいのです」
その言葉に、アシュランのスプーンを口に運んでいた手が止まった。カミラの瞳に宿る真剣な想いと、頬に浮かぶ薄紅が、彼の理性を静かに揺さぶる。
「奥様に……」
「はい。アシュラン様のお役に立てるよう、色々なことを覚えたくて」
カミラが一歩、無意識に近づく。その仕草には、年齢以上の色香が混じっていた。アシュランの心臓が激しく鼓動する。
(この子は本当に……僕のことを想ってくれているんだな)
「そうか……それなら」
アシュランは立ち上がった。
「次回は僕も一緒に作らせてもらおう」
「え?」
「君一人では危険だからね。僕が隣でサポートしよう」
アシュランの提案に、カミラは嬉しそうに頷いた。
「本当ですか?」
「もちろんだ。君のためなら何でもするよ」
その言葉に、カミラの魔法がまた暴発した。今度は小さなハートの形をした光が、二人の周りを舞い踊る。花びらのような軽やかさで宙を舞い、執務室全体を幻想的な雰囲気に包んでいく。
「また魔法が……」
「気にしないでくれ。君の魔法は、いつも美しい」
アシュランは穏やかに微笑みながら、舞い踊るハートを眺めていた。その光景に、胸の奥がじんわり熱を帯びる。
「今度はもっと上手に作れるよう、頑張りますわ」
「楽しみにしているよ」
アシュランの言葉に、カミラの瞳がきらりと輝いた。
*
その日の夕方、カミラは自室で指南書を開いていた。
「今日の作戦も、成功でしたわね」
アシュランの嬉しそうな表情を思い出すと、胸が温かくなる。料理は決して完璧ではなかったが、彼は喜んでくれた。
「次回は一緒に作ってくださるなんて……」
そう思うと、また魔法が暴発しそうになる。慌てて深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。
「今度こそ、美味しい料理を作ってみせますわ」
カミラは指南書を胸に抱いて、新たな決意を固めた。
婚前交渉バトル——恋する令嬢の挑戦は、今度は厨房という新たな戦場で続いていく。
ただし、今度は愛する人と一緒に。
特に、それが愛する人のためであるならば——
雲がかかった午前中、カミラは寝台の上で『淑女のための恋愛指南書』を開いていた。窓の外は少し曇っているが、それがかえって落ち着いた雰囲気を作り出している。サイドテーブルに置かれた白い百合の花が、静かな美しさを湛えていた。昨日のアシュランとの激しいやりとりを思い出すたび、胸が高鳴ってしまう。
あの時の彼の瞳の奥に宿っていた炎のような光、壁に拳を当てて自分を制御しようとしていた姿——全てが鮮明に蘇ってくる。
「次は第七の秘訣……かと思いましたが」
ページをそっとめくっていると、別の秘訣が目に留まった。まるで指南書が彼女の心を読み取ったかのように、金の文字が優しく光を帯びている。
『第十の秘訣:男性の胃袋を掴む——手料理という最強の武器』
『どんな男性も、愛する女性の手料理には勝てません。心を込めて作られた料理は、彼の心に直接届くのです。ただし、味よりも「愛情」が最も大切な調味料であることをお忘れなく』
「手料理……」
カミラは首をかしげた。リラリエ公爵家の令嬢として、これまで料理をしたことなど一度もない。厨房に足を踏み入れたことすらなかった。使用人たちが美しく盛り付けられた料理を運んでくるのを、当たり前のこととして受け取るだけの生活だった。
でも、指南書の挿絵を見ていると、エプロンを身に着けた女性が幸せそうに料理をしている。その表情には、愛する人への想いが溢れていた。
「アシュラン様のためなら……」
昨日の彼の辛そうな表情を思い出す。もっと自然に、優しくアプローチする方法があるかもしれない。激しい感情のぶつかり合いではなく、静かで温かな愛情を伝える方法が。
カミラは立ち上がり、姿見の前で髪を整えた。今日は料理をするのだから、動きやすい服装に着替えなければ。
「よし、決めましたわ」
カミラの決意と共に、指南書がパチパチと音を立てた。まるで祖母が応援してくれているかのように。
*
王宮の厨房は、カミラが想像していたよりもずっと大きく、そして不思議だった。石造りの壁に囲まれた広い空間には、巨大なかまどが三つも並んでいる。
そして何より驚くべきことに、調理器具たちが生きているのだ。
フライパンはガチャガチャと音を立てて、仲間たちと楽しげにおしゃべりをしている。食器棚の皿やグラスは配膳に備えて、少しでも美味しい食事でもてなせるようにとダンスでウォーミングアップをしていた。おたまは鍋と共に美しいハーモニーを奏でながら、スープを作る準備をしている。
壁には魔法で保存された食材が美しく陳列され、厨房全体を芳しい香りで満たしている。
「カミラ様、本当に料理をなさるのですか?」
厨房長のマチルダが、困惑した表情で尋ねた。彼女は王宮の厨房を三十年も取り仕切ってきたベテランで、その腕前は王国随一と言われている。白いエプロンに身を包んだ彼女の前で、カミラは少し緊張していた。
「はい。アシュラン様に手料理をお作りしたくて」
カミラの言葉に、厨房にいた十数名の料理人たちがざわめいた。鍋を磨いていた手が止まり、切り方が気に食わないとナイフで取っ組み合っていた料理人たちの動きも止まる。
「リ、リラリエ様が……料理を……?」
「まさか、あの美しいお手で包丁を……?」
「今日は王国の祝日でしたっけ?」
「いえいえ、きっと世界の終わりが近いのです!」
料理人たちが口々に驚きの声を上げる中、一人の年配の料理人が涙を浮かべた。
「私、この歳まで生きてきて良かった……この目で伝説を見ることができるなんて」
まるで奇跡を目撃したかのような反応を前に、カミラは困惑した。
「でしたら、私どもがお手伝いを——」
「いえ、自分の手で作りたいのです」
カミラは可愛らしいエプロンを身に着けながら答えた。薄いピンクのエプロンが、彼女の美しさを一層引き立てている。リボンを後ろで結ぶ仕草も、見ているだけで絵になるほど優雅だった。
「何を作られるご予定でしょうか?」
「えっと……」
カミラは困った。何を作ればいいのか、全く分からない。
「簡単なスープから始めてはいかがでしょう?」
マチルダが優しく提案した。
「それでお願いします」
マチルダの指導の下、カミラは野菜を切り始めた。しかし、慣れない包丁使いに四苦八苦する。包丁は危なっかしいその手つきに、先ほどまでの威勢はどこやら、すっかり大人しくなってしまった。まるで「この方に怪我をさせてはならない」と言わんばかりに。
「包丁は猫の手で持った野菜を支えて……」
マチルダが優しく指導するが、カミラの手はぎこちない。普段はペンしか持たない繊細な指が、包丁の重さに慣れていないのだ。
「痛っ」
小さく指を切ってしまったカミラ。その瞬間、感情の高ぶりで魔法が暴発した。
ぽん、ぽん、ぽん。
まな板の上の野菜が、次々と宙に浮き上がってしまう。人参がくるくると回転し、玉ねぎが踊るように跳ね回る。セロリは宙で優雅にワルツを踊り、ジャガイモは厨房の天井近くまで舞い上がった。
「まあ、野菜が……」
「カミラ様の魔法ですわ!」
「生きた野菜の舞踏会じゃ!」
「これぞリラリエ家の真髄!」
料理人たちが慌てふためく中、若い見習いたちが感動の声を上げる。リラリエ家の魔法を間近で見るのは初めてだった。
その騒ぎを見て、フライパンたちも興奮してガチャガチャと音を立て始める。お皿たちは「私たちも踊りたい!」とばかりに、食器棚の中でカタカタと音を立てていた。
「ごめんなさい、また魔法が……」
カミラは顔を真っ赤にした。指の傷と恥ずかしさで、さらに魔法が不安定になってしまう。
「大丈夫ですよ、カミラ様」
マチルダは慣れた様子で、浮いている野菜を一つずつ捕まえていく。長年王宮で働いているため、魔法の暴発には慣れっこだった。
「感情が高ぶると魔法が出るのは、リラリエ家の特徴ですからね。先代の公爵夫人様も、よく庭の花を咲かせていらっしゃいました」
何とか野菜を切り終え、今度は煮込み作業に入る。カミラは鍋に水を張り、丁寧に火加減を調整した。鍋も嬉しそうにコポコポと音を立てて、美味しいスープを作る準備をしている。
しかし、ここでも問題が発生した。
カミラが愛情を込めて鍋をかき混ぜていると、またも魔法が暴発。今度はスープの色が虹色に変化してしまった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫——まるで液体の虹が鍋の中で踊っているようだった。
「え……なぜこんな色に?」
「カミラ様の魔法が、スープに混ざってしまったようですね」
マチルダは苦笑いを浮かべた。見た目には美味しそうとは言えない品である。
「でも、害はございません。きっと愛情の味がしますよ」
実際、虹色のスープからは普通の野菜スープとは違う、不思議な香りが立ち上っていた。甘くて、温かくて、どこか懐かしいような——まさに愛情の香りだった。
結局、三時間かけてようやく完成したのは、虹色のスープと、少し焦げたパンだった。見た目は決して美しいとは言えないが、カミラの愛情がたっぷりと込められている。
「完璧ではありませんが……」
カミラは不安そうにスープを見つめた。本当にこれでいいのだろうか。
「きっとアシュラン様に喜んでいただけますよ」
マチルダが励ますように言った。
*
昼下がり、カミラは銀のトレイに料理を載せて、アシュランの執務室を訪れた。トレイに並べられたスプーンやフォークも、カミラに「頑張って」と声をかけるように輝いている。廊下を歩く間も、虹色のスープが光を反射してキラキラと輝いていた。
重厚な扉の前で、カミラは深呼吸をした。これまでの作戦とは違う、もっと自然で温かなアプローチ。アシュランを困らせるのではなく、純粋に喜ばせたいという気持ちが胸に溢れている。
ノックの音に、中から「どうぞ」という声が聞こえる。いつものアシュランの穏やかな声に、カミラの心臓が跳ねた。
「失礼いたします」
扉を開けると、アシュランが書類から顔を上げた。午後の陽光が彼のプラチナブロンドの髪を照らし、まるで天使のような美しさだった。
「やあ、カミラ。今日はまた随分と良い香りが……」
アシュランは香りに気づいて、眉を上げた。普通の料理とは明らかに違う、魔法的な香りが執務室に漂っている。
「実は、お料理をお作りしたのです」
カミラはトレイを机に置いた。パンも少し焦げているが、愛情がたっぷりと込められているのが伝わってくる。
「君が料理を?」
アシュランは心底驚いた表情を見せた。彼の知っているカミラは、料理どころか厨房に足を踏み入れたこともない令嬢だった。
「はい。アシュラン様に召し上がっていただきたくて」
カミラは頬を染めながら答える。エプロンの紐を解きながら、恥ずかしそうに俯いた。その仕草があまりにも愛らしくて、アシュランは心臓を鷲掴みにされる。
「ありがとう。とても嬉しいよ」
アシュランは心から喜んでいるような微笑みを浮かべた。そして、銀のスプーンを手に取る。
「ただ……色が少し変わっているね」
「あの、魔法が暴発してしまって……」
カミラは申し訳なさそうに説明した。頬がほんのりと桃色に染まっている。
「味の方は大丈夫でしょうか」
不安そうなカミラを前に、アシュランは迷うことなくスープを口に運んだ。
カミラは固唾を呑んで見守る。心臓が早鐘を打つように鳴り響いて、今にも破裂してしまいそうだ。
(失敗していたらどうしましょう……変な色になってしまったし、きっと味も……)
その瞬間、アシュランの瞳がわずかに見開かれる。
「これは……」
カミラの心臓がドキリと跳ねた。やはり失敗してしまったのだろうか。変な味がしているに違いない。
(ああ、アシュラン様が困った顔を……きっとまずくて……)
「とても……心が温まる味がするね」
アシュランの声が、穏やかに響いた。
カミラは安堵のあまり、思わずその場にへたり込みそうになった。
「本当ですか?」
「ああ。君の愛情が、ちゃんと伝わってくる」
実際、スープは少し塩味が強く、野菜も不揃いだった。しかし、カミラが一生懸命作ってくれたという事実が、どんな高級料理よりも美味しく感じさせていた。
「君の作った料理なら、何でも美味しいよ」
アシュランの言葉に、カミラの瞳が輝いた。
「でも、カミラ」
アシュランは少し困ったような表情を見せた。
「君が料理なんてしなくても……。怪我でもしたらどうするんだい」
「え?」
「君のような美しい手に、傷などつけさせたくない」
アシュランの過保護ぶりに、カミラは少し拗ねたような表情を見せた。
「でも、私も貴方の奥様になる準備をしたいのです」
その言葉に、アシュランのスプーンを口に運んでいた手が止まった。カミラの瞳に宿る真剣な想いと、頬に浮かぶ薄紅が、彼の理性を静かに揺さぶる。
「奥様に……」
「はい。アシュラン様のお役に立てるよう、色々なことを覚えたくて」
カミラが一歩、無意識に近づく。その仕草には、年齢以上の色香が混じっていた。アシュランの心臓が激しく鼓動する。
(この子は本当に……僕のことを想ってくれているんだな)
「そうか……それなら」
アシュランは立ち上がった。
「次回は僕も一緒に作らせてもらおう」
「え?」
「君一人では危険だからね。僕が隣でサポートしよう」
アシュランの提案に、カミラは嬉しそうに頷いた。
「本当ですか?」
「もちろんだ。君のためなら何でもするよ」
その言葉に、カミラの魔法がまた暴発した。今度は小さなハートの形をした光が、二人の周りを舞い踊る。花びらのような軽やかさで宙を舞い、執務室全体を幻想的な雰囲気に包んでいく。
「また魔法が……」
「気にしないでくれ。君の魔法は、いつも美しい」
アシュランは穏やかに微笑みながら、舞い踊るハートを眺めていた。その光景に、胸の奥がじんわり熱を帯びる。
「今度はもっと上手に作れるよう、頑張りますわ」
「楽しみにしているよ」
アシュランの言葉に、カミラの瞳がきらりと輝いた。
*
その日の夕方、カミラは自室で指南書を開いていた。
「今日の作戦も、成功でしたわね」
アシュランの嬉しそうな表情を思い出すと、胸が温かくなる。料理は決して完璧ではなかったが、彼は喜んでくれた。
「次回は一緒に作ってくださるなんて……」
そう思うと、また魔法が暴発しそうになる。慌てて深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。
「今度こそ、美味しい料理を作ってみせますわ」
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ただし、今度は愛する人と一緒に。
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そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。
便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。
利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。
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