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Round.11 王子の嫉妬と、令嬢の大胆な作戦
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恋する令嬢が知らないのは、自分の何気ない行動が、どれほど相手を狂わせているかということだ。そして——それが、愛する人であればあるほど、効果は絶大なのである。
晩餐会から数日後。カミラは自室で指南書を開いていた。
朝の光が窓から差し込んで、ページの上で優しく揺れている。昨夜見た夢の名残が、まだ胸の奥に残っていた。アシュランに抱きしめられる夢。彼の体温が、あまりにもリアルで——。
「ふう……」
カミラは頬を両手で押さえた。顔が熱い。
(あの晩餐会の後、アシュラン様……どこか、いつもと違いますわ)
ふとした瞬間、視線が熱を帯びて——唇に落ちるその眼差しに、胸が跳ねる。微笑んでいても、手を取る指先が、いつもより少しだけ強い。そして、彼の周りの空気が、ほんの少しだけ揺らぐのを感じる。魔力が漏れているのだろうか。
指南書のページをめくる。
『第十二の秘訣:彼の本音を引き出す——心の距離を縮める質問』
『男性は本音を隠す生き物です。そんな時は、あなたから少しだけ踏み込んだ質問をしてみましょう。「私のこと、どう思っていますか?」「もっと私に触れたいと思いますか?」——こうした質問は、彼の理性を揺さぶり、本音を引き出すきっかけになります』
「も、もっと触れたいと思いますか……ですって!?」
カミラは真っ赤になった。
「そ、そんな恥ずかしいこと、聞けませんわ!」
でも——カミラは昨夜のアシュランを思い出した。「君は僕のものだ」と言った時の、あの絶対的な声。あの瞬間、彼の周りの魔力が激しく渦巻いていた気がする。
(アシュラン様……本当は、もっと私に触れたいと思っていらっしゃるのかしら)
心臓が、どきどきと脈打つ。
「で、でも……本音を聞けたら、もっと仲良くなれるかもしれませんわね」
カミラは決心した。今日、アシュランに会ったら——少しだけ、大胆になってみよう。
*
その日の午後、カミラは庭園でアシュランと会う約束をしていた。
薄紫のドレスを着て、髪を軽く巻いている。侍女が「お嬢様、今日は特別にお綺麗です」と言ってくれた。それが少しだけ、カミラの勇気になった。
庭園に着くと、アシュランはすでに待っていた。
白いシャツに紺のベスト。太陽の光を浴びて、そのプラチナブロンドの髪が眩しいほどに輝いている——いや、それだけではない。彼の周りの空気が、わずかに光の粒子を纏っているように見える。魔力が、穏やかに流れている証だ。
サファイアブルーの瞳が、こちらを向いた瞬間、カミラの呼吸が止まった。
「カミラ」
アシュランが振り返った。そして——一瞬、動きが止まった。
その瞬間、彼の周りの魔力が、強く輝いた。
「……ああ、ごめん」
アシュランは微笑んだ。けれど、その頬が少しだけ赤い。
「今日の君は、特に綺麗だね」
「あ、ありがとうございます」
カミラも頬を染めた。グリーンアイが、恥ずかしそうに揺れる。
二人は並んで歩き始めた。
薔薇が咲き誇る小道。色とりどりの花びらが、まるで二人を祝福するかのように風に揺れている。甘い香りが風に乗って流れてくる。庭園全体に張り巡らされた魔法陣が、二人の歩みに合わせて、優しく光の粒子を散らしている。
「カミラ、昨日はよく眠れた?」
「はい。アシュラン様は?」
「ああ……まあ、そこそこ」
アシュランは目を逸らした。
(嘘だ、と彼は思った。昨夜も、カミラのことばかり考えて、ほとんど眠れなかった。考えるたびに、魔力が暴走しそうになって、部屋中の魔法陣を何度も修復する羽目になった)
カミラは、彼の様子がいつもと違うことに気づいた。彼の魔力が、いつもより少しだけ不安定に揺れている。
(今なら……聞けるかもしれませんわ)
カミラは勇気を振り絞った。
「あの、アシュラン様」
「うん?」
「私のこと……本当はどう思っていらっしゃいますか?」
アシュランの足が止まった。
その瞬間、周囲の魔力が、ピタリと静止した。風が止まり、鳥の声が消え——まるで世界が、二人だけの空間になったかのような静寂が訪れた。
「……本当は?」
「は、はい……」
「僕が、君をどう思っているか……知りたい?」
アシュランが一歩近づいた。彼の魔力が、カミラを優しく包み込んだ。
「……はい」
アシュランは、ゆっくりとカミラの手を取った。
その手は、いつもより少しだけ熱い。そして——彼の魔力が、手のひらから流れ込んできた。温かくて、優しくて、でも——どこか危険な魔力。
「君は——僕にとって、世界で一番大切な人だ」
「アシュラン様……」
「君のことを考えない日は、一日たりともない」
アシュランの指が、カミラの手の甲をなぞる。魔力が、彼女の肌を撫でるように流れていく。
「君の笑顔を見るだけで、胸が苦しくなる」
「え……」
「君が他の誰かと話しているのを見るだけで——」
アシュランの瞳が、危険な光を帯びた。周囲の魔力が、一瞬、鋭く尖った。
「嫉妬で、頭がおかしくなりそうになる」
「……!」
「君を抱きしめたい。ずっと、そばにいたい」
アシュランがもう一歩近づく。彼の魔力が、カミラを完全に包み込んだ。
「それから——君に、触れたい」
その言葉と同時に、周囲の魔力が、激しく波打った。
「あ、あの……」
カミラは声を震わせた。
「も、もっと……触れたいと思われますか?」
その瞬間、アシュランの表情が変わった。
サファイアブルーの瞳が、燃え上がるように輝いた。そして——周囲の魔力が、爆発的に膨れ上がった。庭園全体の魔法陣が、激しく明滅する。
「……カミラ」
「は、はい……」
「今の質問、もう一度言ってくれる?」
アシュランの声が、低く、危険なほど甘い。
「え、えっと……その……」
「君は今——」
アシュランがカミラの腰に手を回した。
その瞬間、カミラの身体が、彼の身体に引き寄せられる。密着した体温が、服越しに伝わってくる。彼の魔力が、まるで鎖のように、カミラを絡め取った。
「僕に、もっと触れて欲しいと言ったのかな?」
「そ、そういう意味では……!」
「違うなら、いいんだけど」
アシュランは微笑んだ。でも、その笑みは——悪魔的だった。
「もし、君がそう言うなら」
彼の唇が、カミラの耳元に近づく。熱い吐息が、耳にかかる。
「僕は、我慢できなくなってしまうから」
その言葉と同時に、魔力が、カミラの全身を這い回った。
「あ……」
カミラの膝から、力が抜けた。アシュランの腕が、彼女の身体を支える。
その時。
「アシュラン! カミラ!」
遠くから、ライネルの声が聞こえた。
二人は慌てて離れた。
アシュランの表情が一瞬不機嫌そうに曇るが、またすぐいつもの笑顔に戻った。
「ああ、いたいた!」
ライネルが走ってきた。オレンジがかった赤茶色の髪が、日差しに揺れる。その後ろには——嫌そうな顔をしたルシアンがいる。
「二人とも、こんなところで何を——」
ライネルが二人の様子を見て、ぴたりと止まった。
そして——彼は、庭園全体に漂う濃密な魔力に気づいた。
(うわ……アシュランの魔力、めちゃくちゃ濃いぞ……)
「もしかして、お邪魔だったかな!?」
「……ライネル、私たちは戻りましょう」
ルシアンが淡々と言った。
「それがいいね」
アシュランは完璧な微笑みを浮かべた。二人の登場で乱れた魔力も、瞬時に制御されて、穏やかに整えられた。
「い、いえ!何も邪魔なことなどありませんわ……」
カミラも慌てて割って入った。その顔は真っ赤だ。
ルシアンは、二人の様子を静かに観察していた。グレーの瞳が、冷静に状況を分析する。
そして——彼は、周囲に残る魔力の痕跡を読み取った。
(……危ないところでしたね。もう少し遅れていたら、アシュラン様の魔力が暴走していたかもしれません)
ルシアンは、小さく、誰にも聞こえないように溜息をついた。
「実は、お茶会の準備ができましたので、お呼びに上がりました」
ルシアンが淡々と言った。
「仕方ないね」
アシュランは相変わらず微笑みを貼り付けたまま、優しくカミラの方に手を差し伸べた。
四人は館へと向かった。
歩きながら、ライネルがこっそりとルシアンに囁く。
「なあ……あの二人、絶対に何かあっただろ」
「ええ。間違いなく」
「庭園の魔力、すごいことになってたよな」
「ええ。アシュラン様の感情が高ぶると、魔力も不安定になります」
ルシアンは小さく溜息をついた。
「あの様子だと、アシュラン様はもう限界に近いかもしれません」
「ええ!?」
ルシアンは、前を歩く二人を見つめた。アシュランが、さりげなくカミラの手を取っている。二人を繋ぐ魔力の糸が、優しく輝いている。
(……全く。なぜ私がこのような状況に巻き込まれなければならないのでしょうか)
*
お茶会は、テラスで開かれた。
白いテーブルには、色とりどりのケーキや焼き菓子が並んでいる。紅茶の香りが、心地よく漂っていた。テーブルの周りには、保温と鮮度を保つための魔法陣が、淡く光っている。
「さあ、どうぞ!」
ライネルが元気よく椅子を引いた。
「ルシアンが作ったケーキ、めちゃくちゃうまいんだ!」
「……私は、別に作りたくて作ったわけではありません」
ルシアンが無表情で言った。
「ライネル、あなたが無理やり私を厨房に連れて行ったのでしょう」
「ええ!? 最後の方、魔法で完璧な飾り付けにこだわってたじゃん!」
「……それは、単に中途半端なのが嫌なだけです」
カミラはクスクスと笑った。
「二人とも、仲がよろしいのですね」
「仲が良いなどと……」
ルシアンは溜息をついた。
「カミラ様、これは一方的に巻き込まれているだけです。私は被害者なのです」
「カミラ!このタルトもおいしいぞ!」
ルシアンの話を聞かず、割って入ったライネルにカミラは思わず微笑んだ。昔から変わらない光景だ。
タルトの上には、砂糖で作られた薔薇が、精巧に飾られている。魔法で固定されているのだろう、光の粒子が、薔薇の周りをきらきらと舞っている。
「まあ、美しい!」
カミラは笑顔でタルトを一口食べた。
「美味しい! ルシアン、本当に美味しいですわ!」
「……それは良かったです」
ルシアンも——表情は変わらないが、少しだけ声のトーンが柔らかくなった。
「ルシアン、腕を上げたね」
アシュランも微笑んだ。
「……別に、上げてなどいません」
ルシアンはそっぽを向いた。
「単に、カミラ様が喜ぶと思ったから——」
そこまで言って、ルシアンは口を閉じた。
「ほら! やっぱりカミラのこと考えて作ったんじゃん!」
「……うるさいですよ、ライネル」
ルシアンは冷たく言った。でも、その耳が、少しだけ赤い。
アシュランは、そんなやり取りを微笑ましく見ていた——が、視線は、カミラに釘付けだった。
彼女の唇に、少しだけクリームがついている。それを、彼女がピンク色の舌で舐め取る——。
「……」
アシュランはティーカップを握りしめた。陶器が、軋む音がした。魔力が、わずかに波立った。
(駄目だ。あの唇ばかり見てしまう)
「アシュラン様?」
「……っ!」
カミラに呼ばれて、アシュランは我に返った。
「お紅茶、冷めてしまいますわよ?」
「……ありがとう」
アシュランは紅茶を飲んだ。でも、その味はまったく分からなかった。
ライネルは、アシュランの様子を見て眉をひそめた。
(やっぱり魔力が不安定だ)
「なあ、アシュラン。明日、訓練に付き合ってくれないか? 魔力の発散にもなるだろ?」
「……そうだな」
アシュランは頷いた。
ルシアンは静かに紅茶を飲みながら、全員の様子を観察していた。
(……やれやれ。次の舞踏会までに、何か起きなければいいのですが)
そして、心の中でぼやいた。
(なぜ私が、こんな恋愛劇に付き合わされなければならないのでしょうか。新しい魔法薬の調合も、全て中断したままです)
お茶会は、和やかに続いた。
カミラとアシュランは、時々目を合わせては、恥ずかしそうに笑っている。
ライネルは、明るく場を盛り上げている。
ルシアンは——嫌そうな顔をしながらも、みんなの紅茶のカップが空になる前に、さりげなく魔法で注ぎ足していた。
*
お茶会が終わり、カミラは自室に戻った。
今日のアシュランは、本当に——危なかった。
「君に触れたい」と言った時の、あの瞳。彼の魔力に包まれた時の、あの感覚。
(心臓が、まだドキドキしていますわ……)
カミラは指南書を開いた。
『男性の本音を引き出すことに成功したら、次は——あなたも、少しだけ大胆になってみましょう』
「大胆に……」
カミラは頬を染めた。
次のページには、こう書かれていた。
『恐れることはありません。愛する人が理性を失いそうになる瞬間こそ、あなたへの愛の深さを実感できる時なのです』
カミラは、今日の庭園でのアシュランを思い出した。
あの時の彼は、確かに——いつもと違っていた。優しいけれど、危険。甘いけれど、恐ろしい。
(でも……嫌じゃなかった)
むしろ、もっと——。
「あ、あの、私……何を考えているんですの!」
カミラは真っ赤になって枕を抱きしめた。
*
一方、アシュランは自室で窓の外を見つめていた。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「……危なかった」
彼は小さく呟いた。
今日、庭園で——本当に、カミラにキスをしてしまいそうになった。魔力が、完全に暴走しかけた。
「もっと触れたいか、だって?」
アシュランは苦笑した。
「触れたいに決まっている。君の全てに、触れたい」
アシュランは拳を握った。その手から、わずかに魔力が漏れて、空気が震える。
「でも、まだ駄目だ。我慢しなくては。魔力まで暴走させてしまいそうだった」
いったい、どこまで我慢できるだろう。
カミラが無自覚に見せる笑顔。無防備に近づいてくる距離感。そのすべてが、アシュランの理性を削っていく。
「次の舞踏会まで……あと数日」
アシュランは窓に額を押し当てた。
「それまで、持つだろうか」
机の上には、また新しい書類が置かれている。
そのページの端には——「カミラ」「我慢」という言葉が、乱雑に書き殴られていた。そして、書類の周りには、暴走した魔力の痕跡が残っている。紙の端が、焦げている。
*
月明かりが、王宮を照らしている。
カミラの部屋では、少女が次の作戦を考えている。
アシュランの部屋では、青年が必死に理性を保とうとしている。
ルシアンの部屋では、薬師が鎮静剤を棚に並べている。溜息をつきながら、それでも丁寧に。
ライネルの部屋では、騎士が剣の手入れをしている。友を守るために。
四人とも、まだ知らない。
次の舞踏会で——すべてが、変わることを。
恋する令嬢の無自覚な大胆さは、王子の最後の理性を削り取っていく。
そして、王子の抑えきれない想いは——ついに、行動となって現れる。
魔力が暴走する中で。
婚前交渉バトル、次なるステージへ——。
晩餐会から数日後。カミラは自室で指南書を開いていた。
朝の光が窓から差し込んで、ページの上で優しく揺れている。昨夜見た夢の名残が、まだ胸の奥に残っていた。アシュランに抱きしめられる夢。彼の体温が、あまりにもリアルで——。
「ふう……」
カミラは頬を両手で押さえた。顔が熱い。
(あの晩餐会の後、アシュラン様……どこか、いつもと違いますわ)
ふとした瞬間、視線が熱を帯びて——唇に落ちるその眼差しに、胸が跳ねる。微笑んでいても、手を取る指先が、いつもより少しだけ強い。そして、彼の周りの空気が、ほんの少しだけ揺らぐのを感じる。魔力が漏れているのだろうか。
指南書のページをめくる。
『第十二の秘訣:彼の本音を引き出す——心の距離を縮める質問』
『男性は本音を隠す生き物です。そんな時は、あなたから少しだけ踏み込んだ質問をしてみましょう。「私のこと、どう思っていますか?」「もっと私に触れたいと思いますか?」——こうした質問は、彼の理性を揺さぶり、本音を引き出すきっかけになります』
「も、もっと触れたいと思いますか……ですって!?」
カミラは真っ赤になった。
「そ、そんな恥ずかしいこと、聞けませんわ!」
でも——カミラは昨夜のアシュランを思い出した。「君は僕のものだ」と言った時の、あの絶対的な声。あの瞬間、彼の周りの魔力が激しく渦巻いていた気がする。
(アシュラン様……本当は、もっと私に触れたいと思っていらっしゃるのかしら)
心臓が、どきどきと脈打つ。
「で、でも……本音を聞けたら、もっと仲良くなれるかもしれませんわね」
カミラは決心した。今日、アシュランに会ったら——少しだけ、大胆になってみよう。
*
その日の午後、カミラは庭園でアシュランと会う約束をしていた。
薄紫のドレスを着て、髪を軽く巻いている。侍女が「お嬢様、今日は特別にお綺麗です」と言ってくれた。それが少しだけ、カミラの勇気になった。
庭園に着くと、アシュランはすでに待っていた。
白いシャツに紺のベスト。太陽の光を浴びて、そのプラチナブロンドの髪が眩しいほどに輝いている——いや、それだけではない。彼の周りの空気が、わずかに光の粒子を纏っているように見える。魔力が、穏やかに流れている証だ。
サファイアブルーの瞳が、こちらを向いた瞬間、カミラの呼吸が止まった。
「カミラ」
アシュランが振り返った。そして——一瞬、動きが止まった。
その瞬間、彼の周りの魔力が、強く輝いた。
「……ああ、ごめん」
アシュランは微笑んだ。けれど、その頬が少しだけ赤い。
「今日の君は、特に綺麗だね」
「あ、ありがとうございます」
カミラも頬を染めた。グリーンアイが、恥ずかしそうに揺れる。
二人は並んで歩き始めた。
薔薇が咲き誇る小道。色とりどりの花びらが、まるで二人を祝福するかのように風に揺れている。甘い香りが風に乗って流れてくる。庭園全体に張り巡らされた魔法陣が、二人の歩みに合わせて、優しく光の粒子を散らしている。
「カミラ、昨日はよく眠れた?」
「はい。アシュラン様は?」
「ああ……まあ、そこそこ」
アシュランは目を逸らした。
(嘘だ、と彼は思った。昨夜も、カミラのことばかり考えて、ほとんど眠れなかった。考えるたびに、魔力が暴走しそうになって、部屋中の魔法陣を何度も修復する羽目になった)
カミラは、彼の様子がいつもと違うことに気づいた。彼の魔力が、いつもより少しだけ不安定に揺れている。
(今なら……聞けるかもしれませんわ)
カミラは勇気を振り絞った。
「あの、アシュラン様」
「うん?」
「私のこと……本当はどう思っていらっしゃいますか?」
アシュランの足が止まった。
その瞬間、周囲の魔力が、ピタリと静止した。風が止まり、鳥の声が消え——まるで世界が、二人だけの空間になったかのような静寂が訪れた。
「……本当は?」
「は、はい……」
「僕が、君をどう思っているか……知りたい?」
アシュランが一歩近づいた。彼の魔力が、カミラを優しく包み込んだ。
「……はい」
アシュランは、ゆっくりとカミラの手を取った。
その手は、いつもより少しだけ熱い。そして——彼の魔力が、手のひらから流れ込んできた。温かくて、優しくて、でも——どこか危険な魔力。
「君は——僕にとって、世界で一番大切な人だ」
「アシュラン様……」
「君のことを考えない日は、一日たりともない」
アシュランの指が、カミラの手の甲をなぞる。魔力が、彼女の肌を撫でるように流れていく。
「君の笑顔を見るだけで、胸が苦しくなる」
「え……」
「君が他の誰かと話しているのを見るだけで——」
アシュランの瞳が、危険な光を帯びた。周囲の魔力が、一瞬、鋭く尖った。
「嫉妬で、頭がおかしくなりそうになる」
「……!」
「君を抱きしめたい。ずっと、そばにいたい」
アシュランがもう一歩近づく。彼の魔力が、カミラを完全に包み込んだ。
「それから——君に、触れたい」
その言葉と同時に、周囲の魔力が、激しく波打った。
「あ、あの……」
カミラは声を震わせた。
「も、もっと……触れたいと思われますか?」
その瞬間、アシュランの表情が変わった。
サファイアブルーの瞳が、燃え上がるように輝いた。そして——周囲の魔力が、爆発的に膨れ上がった。庭園全体の魔法陣が、激しく明滅する。
「……カミラ」
「は、はい……」
「今の質問、もう一度言ってくれる?」
アシュランの声が、低く、危険なほど甘い。
「え、えっと……その……」
「君は今——」
アシュランがカミラの腰に手を回した。
その瞬間、カミラの身体が、彼の身体に引き寄せられる。密着した体温が、服越しに伝わってくる。彼の魔力が、まるで鎖のように、カミラを絡め取った。
「僕に、もっと触れて欲しいと言ったのかな?」
「そ、そういう意味では……!」
「違うなら、いいんだけど」
アシュランは微笑んだ。でも、その笑みは——悪魔的だった。
「もし、君がそう言うなら」
彼の唇が、カミラの耳元に近づく。熱い吐息が、耳にかかる。
「僕は、我慢できなくなってしまうから」
その言葉と同時に、魔力が、カミラの全身を這い回った。
「あ……」
カミラの膝から、力が抜けた。アシュランの腕が、彼女の身体を支える。
その時。
「アシュラン! カミラ!」
遠くから、ライネルの声が聞こえた。
二人は慌てて離れた。
アシュランの表情が一瞬不機嫌そうに曇るが、またすぐいつもの笑顔に戻った。
「ああ、いたいた!」
ライネルが走ってきた。オレンジがかった赤茶色の髪が、日差しに揺れる。その後ろには——嫌そうな顔をしたルシアンがいる。
「二人とも、こんなところで何を——」
ライネルが二人の様子を見て、ぴたりと止まった。
そして——彼は、庭園全体に漂う濃密な魔力に気づいた。
(うわ……アシュランの魔力、めちゃくちゃ濃いぞ……)
「もしかして、お邪魔だったかな!?」
「……ライネル、私たちは戻りましょう」
ルシアンが淡々と言った。
「それがいいね」
アシュランは完璧な微笑みを浮かべた。二人の登場で乱れた魔力も、瞬時に制御されて、穏やかに整えられた。
「い、いえ!何も邪魔なことなどありませんわ……」
カミラも慌てて割って入った。その顔は真っ赤だ。
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そして——彼は、周囲に残る魔力の痕跡を読み取った。
(……危ないところでしたね。もう少し遅れていたら、アシュラン様の魔力が暴走していたかもしれません)
ルシアンは、小さく、誰にも聞こえないように溜息をついた。
「実は、お茶会の準備ができましたので、お呼びに上がりました」
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「仕方ないね」
アシュランは相変わらず微笑みを貼り付けたまま、優しくカミラの方に手を差し伸べた。
四人は館へと向かった。
歩きながら、ライネルがこっそりとルシアンに囁く。
「なあ……あの二人、絶対に何かあっただろ」
「ええ。間違いなく」
「庭園の魔力、すごいことになってたよな」
「ええ。アシュラン様の感情が高ぶると、魔力も不安定になります」
ルシアンは小さく溜息をついた。
「あの様子だと、アシュラン様はもう限界に近いかもしれません」
「ええ!?」
ルシアンは、前を歩く二人を見つめた。アシュランが、さりげなくカミラの手を取っている。二人を繋ぐ魔力の糸が、優しく輝いている。
(……全く。なぜ私がこのような状況に巻き込まれなければならないのでしょうか)
*
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「さあ、どうぞ!」
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「ルシアンが作ったケーキ、めちゃくちゃうまいんだ!」
「……私は、別に作りたくて作ったわけではありません」
ルシアンが無表情で言った。
「ライネル、あなたが無理やり私を厨房に連れて行ったのでしょう」
「ええ!? 最後の方、魔法で完璧な飾り付けにこだわってたじゃん!」
「……それは、単に中途半端なのが嫌なだけです」
カミラはクスクスと笑った。
「二人とも、仲がよろしいのですね」
「仲が良いなどと……」
ルシアンは溜息をついた。
「カミラ様、これは一方的に巻き込まれているだけです。私は被害者なのです」
「カミラ!このタルトもおいしいぞ!」
ルシアンの話を聞かず、割って入ったライネルにカミラは思わず微笑んだ。昔から変わらない光景だ。
タルトの上には、砂糖で作られた薔薇が、精巧に飾られている。魔法で固定されているのだろう、光の粒子が、薔薇の周りをきらきらと舞っている。
「まあ、美しい!」
カミラは笑顔でタルトを一口食べた。
「美味しい! ルシアン、本当に美味しいですわ!」
「……それは良かったです」
ルシアンも——表情は変わらないが、少しだけ声のトーンが柔らかくなった。
「ルシアン、腕を上げたね」
アシュランも微笑んだ。
「……別に、上げてなどいません」
ルシアンはそっぽを向いた。
「単に、カミラ様が喜ぶと思ったから——」
そこまで言って、ルシアンは口を閉じた。
「ほら! やっぱりカミラのこと考えて作ったんじゃん!」
「……うるさいですよ、ライネル」
ルシアンは冷たく言った。でも、その耳が、少しだけ赤い。
アシュランは、そんなやり取りを微笑ましく見ていた——が、視線は、カミラに釘付けだった。
彼女の唇に、少しだけクリームがついている。それを、彼女がピンク色の舌で舐め取る——。
「……」
アシュランはティーカップを握りしめた。陶器が、軋む音がした。魔力が、わずかに波立った。
(駄目だ。あの唇ばかり見てしまう)
「アシュラン様?」
「……っ!」
カミラに呼ばれて、アシュランは我に返った。
「お紅茶、冷めてしまいますわよ?」
「……ありがとう」
アシュランは紅茶を飲んだ。でも、その味はまったく分からなかった。
ライネルは、アシュランの様子を見て眉をひそめた。
(やっぱり魔力が不安定だ)
「なあ、アシュラン。明日、訓練に付き合ってくれないか? 魔力の発散にもなるだろ?」
「……そうだな」
アシュランは頷いた。
ルシアンは静かに紅茶を飲みながら、全員の様子を観察していた。
(……やれやれ。次の舞踏会までに、何か起きなければいいのですが)
そして、心の中でぼやいた。
(なぜ私が、こんな恋愛劇に付き合わされなければならないのでしょうか。新しい魔法薬の調合も、全て中断したままです)
お茶会は、和やかに続いた。
カミラとアシュランは、時々目を合わせては、恥ずかしそうに笑っている。
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ルシアンは——嫌そうな顔をしながらも、みんなの紅茶のカップが空になる前に、さりげなく魔法で注ぎ足していた。
*
お茶会が終わり、カミラは自室に戻った。
今日のアシュランは、本当に——危なかった。
「君に触れたい」と言った時の、あの瞳。彼の魔力に包まれた時の、あの感覚。
(心臓が、まだドキドキしていますわ……)
カミラは指南書を開いた。
『男性の本音を引き出すことに成功したら、次は——あなたも、少しだけ大胆になってみましょう』
「大胆に……」
カミラは頬を染めた。
次のページには、こう書かれていた。
『恐れることはありません。愛する人が理性を失いそうになる瞬間こそ、あなたへの愛の深さを実感できる時なのです』
カミラは、今日の庭園でのアシュランを思い出した。
あの時の彼は、確かに——いつもと違っていた。優しいけれど、危険。甘いけれど、恐ろしい。
(でも……嫌じゃなかった)
むしろ、もっと——。
「あ、あの、私……何を考えているんですの!」
カミラは真っ赤になって枕を抱きしめた。
*
一方、アシュランは自室で窓の外を見つめていた。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。
「……危なかった」
彼は小さく呟いた。
今日、庭園で——本当に、カミラにキスをしてしまいそうになった。魔力が、完全に暴走しかけた。
「もっと触れたいか、だって?」
アシュランは苦笑した。
「触れたいに決まっている。君の全てに、触れたい」
アシュランは拳を握った。その手から、わずかに魔力が漏れて、空気が震える。
「でも、まだ駄目だ。我慢しなくては。魔力まで暴走させてしまいそうだった」
いったい、どこまで我慢できるだろう。
カミラが無自覚に見せる笑顔。無防備に近づいてくる距離感。そのすべてが、アシュランの理性を削っていく。
「次の舞踏会まで……あと数日」
アシュランは窓に額を押し当てた。
「それまで、持つだろうか」
机の上には、また新しい書類が置かれている。
そのページの端には——「カミラ」「我慢」という言葉が、乱雑に書き殴られていた。そして、書類の周りには、暴走した魔力の痕跡が残っている。紙の端が、焦げている。
*
月明かりが、王宮を照らしている。
カミラの部屋では、少女が次の作戦を考えている。
アシュランの部屋では、青年が必死に理性を保とうとしている。
ルシアンの部屋では、薬師が鎮静剤を棚に並べている。溜息をつきながら、それでも丁寧に。
ライネルの部屋では、騎士が剣の手入れをしている。友を守るために。
四人とも、まだ知らない。
次の舞踏会で——すべてが、変わることを。
恋する令嬢の無自覚な大胆さは、王子の最後の理性を削り取っていく。
そして、王子の抑えきれない想いは——ついに、行動となって現れる。
魔力が暴走する中で。
婚前交渉バトル、次なるステージへ——。
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