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7章:クシュナート王国行軍記

10話:王子の決意(ボリス)

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 大捕物から二日、止まっていた騎士団の準備は本格的に始まった。
 ここから先はラン・カレイユへの輸送隊に紛れていく。国に入り、目的地に物資を運び込めばそこから先は一般人のフリをして国を縦断、ジェームダルへと入る予定だ。
 上手く行けば、あと二日程度で出発できる。

「なぁ、ボリス」
「ん?」

 今回のお礼だと、アルヌールは全ての準備を請け負いその費用も出してくれる事になった。その為、騎士団は現在もの凄く暇をしている。

 なんだか歯切れの悪いドゥーガルドの声に暢気に答えたボリスは、色々と気が抜けている。

「お前、王子様放っておいていいのか?」
「どういうこと?」
「お前に話があるって、ここ暫くずっと言われてるだろ。どうしたんだ? あんなに構ってたのに」
「あぁ……」

 お別れを言った翌日から、フェオドールは自室に戻った。今までの勢いはなく、少し大人しい彼は元気がない。
 そして自室に戻ってからずっと、ボリスに人をよこして「話がしたい」と言っている。

 応えるのは迷っている。楽しかったけれど、これ以上踏み込む事は考えものだ。相手は一国の王子、場合によっては国際問題だ。

「いいの。相手は王子様だよ? 身分違いだし」
「いや、でもよ……」
「ちょっと俺が珍しいだけだって。王族にズケズケものを言うから。ただ、それだけ」

 そう、それでいい。ほんの少し情をかけた。ただ、それだけ。

 何よりこれから戻れるかも分からない戦いに出る。そんな現状で、あの子に何を残してやれるっていうんだ。それこそ残酷だ。

 離れるなら傷は浅いうちがいい。フェオドールはまだ若いし、こんな暗い世界にいなくていい。だから、離れるんだ。


▼フェオドール

 ニコラ達が拘束された翌朝、フェオドールは自室に戻された。けれど、結局違う部屋を使っている。あの部屋に今更いるのが嫌だった。

 側には長年勤めてくれているメイド長と執事がついた。二人とも老齢まで行かないまでもちらほら皺が目立ってくるくらいだ。
 その執事に頼んで、ボリスを呼び出そうと思って声をかけてもらった。けれど応じてもらえずに、拒絶されて苦しくてたまらない。

 あの夜、とても軽い「バイバイ」を最後に顔を見ていない。避けられているんだとすぐに分かった。そうしたら、苦しくなる。あれだけからかわれて、笑われて……キスまでしたのに今更……。

 嫌われたのだろうか。やっぱり、汚いと思われたんだろうか。きっと知っているのはほんの一握りの事だ。本当の……兄にも話していない事を知ったら幻滅する。この体を見たら、きっと蔑まれる。

 泣きたくなる。昔は泣いた。泣いて、ニコラに許しを請えば少しだけ優しくなったから。生意気を言わなければ、酷くはされなかったから。

 着替えは自分ですると言って全員締め出す。この体を見られるのは辛い。でも、まだあいつの命令が心を縛りつけて、怖くてたまらないのだ。


 事件二日後、ようやく兄アルヌールと二人での謁見が叶った。
 人払いをした執務室で兄弟二人なんて、何年ぶりなんだろう。多分五年はしていない。

「大丈夫か、フェオドール」
「あぁ……うん」

 なんて言えばいいか分からないし、顔を真っ直ぐに見られない。気まずさが凄くて、会話をしなければと思っても言葉が出てこないのだ。
 だが、それは案外簡単だった。近づいてきたアルヌールがそっと抱き寄せて、肩に頭を乗せた。

「あっ、兄上!」
「すまない。お前に苦しい思いをさせて、気付いてやれなくて、すまない」
「あ……」

 ジワッと涙が浮かぶ。沈み込む気持ちが包まれて、重しが消えていくようだ。

「わ……私、こそ。我が儘を言って……困らせて、ごめ……」
「いい。それも可愛かった」
「かわ!! 兄上!」
「ははっ」

 力なく笑ったアルヌールは、懐かしい兄の顔をしていた。

 ほどなくソファーの対面に座って、二人の時間になった。とはいえ、懐かしい話に花が咲いたわけじゃない。事はとても硬いものだ。

「俺も庇ったんだが、お前にも咎がいきそうだ」
「そう、ですか」

 まぁ、当然だ。側近のニコラが起こした事件で、主のフェオドールだけ咎がないなんてわけにはいかない。そこは覚悟していた。

「とはいえ、お前が企てたとは誰も思っていない。ほとぼりが冷めるまで少し離れた別荘で謹慎という程度だ。なに、半年もしない間には戻すさ」
「あの、兄上」
「ん?」
「色々と聞きたい事も言いたい事もあるのですが……まず、ニコラはどうなりましたか?」

 問えば、何とも言えない顔をしている。実はそういう情報はなにも入ってきていない。唯一、ニコラを取り押さえたのはボリスだと、こっそりジョルジュが教えてくれた。訳あって他言無用だと言われたが。

「兄上、ボリスがあいつをおさえたんですよね? 何が」
「……聞きたいか?」
「お願いします」
「もの凄く痛いし、あいつの事嫌いになるぞ」
「…………」

 何をしたんだあいつ!!

 ちょっと後悔した。けれどフェオドールは手を握って踏みとどまった。聞かない方が後悔しそうだ。

「お願いします」

 真っ直ぐに見て、きっちりと頭を下げた。するとアルヌールも頭をかいて応じてくれた。

「ニコラはまだ高熱にうなされて、意識もあったりなかったりだが……正気に戻るかもわからんな」
「……なにしたんです、あいつ」
「……玉、蹴り潰した」
「!!!」

 衝撃的すぎる言葉に思わず股がよる。もの凄くキュウゥゥとなる。

「医者がさ、どう頑張ってもこんな破裂の仕方はないって真っ青だった。あいつ、何回蹴りつけたんだろうな」
「は……ははははははっ」

 怒らせないようにしないと、怖すぎる……

 だが、ニコラ個人には何の感情も浮かばない。憎しみとか、恨みとか、怒りとかもだ。綺麗さっぱり抜け落ちて、どうでもいいように思えている。

「結局切除以外に手はなくて、玉なしだ。意識が戻ってもうわごとや悲鳴で会話もできん。まぁ、それでも周囲の証言で罪は確定だが、処刑するより今のまま幽閉するほうが地獄な気がするからそのつもり」
「兄上も大概だと思います」

 この兄もこの性格だった。怒らせるとけっこう根に持つし、徹底的な部分がある。身内に手を出されるのが一番嫌いな人だ。

 アルヌールの目尻が下がる。そしてそっと、頭を撫でられた。

「当たり前だろ。あいつがお前にした事を、俺は絶対に許さない。大事な貞操、こんなんで散らして。お前には幸せな恋をしてほしいって、これでも思ってたんだ」
「兄上……」

 そんな事を、思ってくれていたんだ。知ったらまた胸の奥が柔らかくなる。硬くなった部分を一枚ずつ剥がすみたいに、緩まっていく気がした。

 アルヌールが優しく微笑む。そして、頷いた。

「フェオドール、お前の思う相手でいい。別に性別で考えなくてもいいからな」
「え?」
「幸い俺には息子がいるし、これから下も生まれる。愛しい妻には子沢山家族がいいと言われているし、俺も若くて性欲旺盛だ。だから、跡とか考えて世界狭めなくていい」
「兄上、あの……」
「お前が求める相手をちゃんと大事に思え。今は傷ついているかもしれないが、誰かを好きになることまで臆病になるな。まだ若いんだ、大丈夫」

 そこまで言われて、だから勇気が出た。本当は少し迷っていた。決めていても、最後の一押しが欲しかったのだ。

「兄上」
「ん?」
「一つ、私の我が儘を聞いてください」

 真剣な顔で、フェオドールは願い出た。その空気にアルヌールも真剣な顔をする。お互い向き合ったまま、フェオドールはとうとう気持ちを吐き出した。

「私を、帝国に留学させてください」
「な!!」

 思わず立ち上がったアルヌールは、すぐさま「ダメだ!」と叫んだ。その理由は分かっている。

「お前、あの国はこれから戦争当事国になるんだぞ! 王都と相手国の国境は意外と近い。王都にいれば安全なんて保証は一切ない! 下手をすれば、巻き込まれて死ぬんだぞ!」
「分かっています」
「分かってないからそんな」
「死んだら、それまでだったんです」

 それでもこの思いは日増しに強くなった。帝国に行きたい。そうすれば、あいつがいる。

「死体すら、戻ってこられないかもしれないんだぞ」
「はい」
「もの凄く痛いんだからな!」
「覚悟しています」
「敵に捕まってみろ! お前、酷い扱いを受けて……拷問されて殺される事だってあるんだぞ!」
「慣れてます」

 そう言った時のアルヌールの表情は、憎らしく痛々しく歪んだ。
 でも、慣れている。多分、頑張れる。今までも五年、我慢してきた。沢山の事に耐えてきた。皮膚が裂けて血が流れるほど鞭で叩かれた。腕を括られて繋がれて、泣き叫んでも助けはこない。そんな時間を五年過ごした。拷問なんて、その延長だ。

「お願いします、兄上。今回の責任を取って、俺は帝国に行きます」

 丁寧に頭を下げた。ようやく、色々とすっきりした。まだすっきりしない部分はあるけれどでも、まずは一歩踏み出した。

「……あいつが応じなかったら、どうするつもりだ」

 静かな声に胸が締まる。あれ以来、応じて貰っていない。話せてもいない。ボランティアだった? 遊びだった? それでも、いいんだ。過ごした時間は怒ってばかりだったけど、後に残ったものは優しくて温かかったから。

「それでも、いいです」

 見てみたいのだ、同じ景色を。例え隣りにボリスがいなくても。

 アルヌールは困ったようにガシガシと頭をかいている。そして、深く溜息をついた。

「どうしてあいつだよ、お前……。平然と男の急所蹴り潰す奴だぞ?」
「それだけ、怒ってくれたんだと自惚れておきます」
「難儀だぞ。サディストだぞ、鬼だぞ」
「全部承知の上です」

 それでも、これが初恋だ。意地悪で優しいボリスの手が、忘れられない。

「……ったく、いい顔するようになりやがって」
「兄上?」
「受け入れは難しいぞ。お前の安全を担保しろなんて言えない。お前が死んでも帝国に責はないと明記して署名しても、難しいからな」
「あっ、有り難うございます!」

 いいと、いうことだ。目を輝かせたフェオドールの前で、アルヌールは困りながらも笑っていた。

「好いた惚れたはどうにもならないからな。ただし、口説くのは自分でしろ。お膳立てはしておいてやる」
「有り難うございます」
「……五年で、一度切るぞ。リシャールの王太子の祝いには、一度戻ってこい。実らなかったら、国に戻るんだぞ」
「分かりました」

 それでも五年、猶予を貰った。その間だけでもどうにか追えるかもしれない。

 初めて踏み出した勇気は、どうやら身を結びそうだった。
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