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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦

12話:王女奪還作戦(チェルル)

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 翌日、部隊を森に移す指示を出したマーロウは先行して、チェルル、ハクイン、リオガン、レイバンの四人に屋敷の様子をこっそり見るように命じた。

 館は本当に小さなもので、白壁に青い三角屋根に瀟洒な窓の、ごく穏やかな感じのする建物だった。

「本当にここであってるのかい?」

 事前に色々と聞かされていたレイバンが、とても疑問そうな様子で呟く。
 チェルルも彼と同じ意見だった。こんな、木漏れ日が似合うような場所が肉欲の渦巻く場所だったなんてとても思えない。

 それでも、ジェームダルの兵士はいる。表に二人、裏に一人。屋敷の中にもちらほらと人影が見えている。警備は万全といった様子だ。

「要所として兵を配置してんだから、そうなんじゃない?」
「外見に惑わされるな。マーロウ様から聞いた話だと、もの凄く胸くその悪い話なんだけど」

 眉根を寄せるレイバンに、ジェームダル組三人もなんとも言えず黙り込んでしまった。

 その時、不意に馬蹄の音が聞こえて全員が身を低くして隠れた。そうして音の方をこっそりと伺っていると、一頭の馬が丁度屋敷の前に横づけた所だった。

 その様子を見て、全員が内心「あ!」と思っただろう。そういう目と、息づかいだった。

 馬に乗っていたのは、十代前半の少年だった。首辺りまでの真っ白い髪に、天使のような顔立ちをしている。色素の薄さ、髪の色、そしてとても薄い緑色の瞳の少年はどこか生意気な表情で表の兵士に馬を預けて屋敷の中に入っていった。

「今のって、エルの子供だよね?」

 ハクインの言葉に、全員が頷く。
 見た目の年齢では、まだ成人前と思える。そうなると、エルの悲劇の後で産まれた子だ。そんな子が、この国にいる。しかも、軍にそれなりに顔が利くようだ。

 なんだか、考えたく無い。さっきから頭の中で色んな警報が鳴り響いている。あまり首を突っ込むべきじゃないとか、知らない方が良いとか。

「一度、マーロウ様に報告しよう。そして多分、この屋敷とユノーラ城で行われていた事は俺達が思うよりもずっと、ゲスで反吐の出る事だと思う」

 密かな怒りを湛えたレイバンの紫の瞳が、ジッと屋敷を見つめていた。


 報告を聞いたマーロウは、この日夜襲をかけることを決めた。明らかに城を攻めるよりも楽な事、屋敷の規模からいって百人いればいいほうだという判断だ。そしてそのまま、一気に城に乗り込む算段だ。

 準備を行い、夜陰に紛れ、裏手と表とで二つに分けた部隊はグリフィスの指示で一気に屋敷に雪崩れ込む。
 その音に混乱したジェームダル兵は、それでも奮戦しただろう。簡単に奥へは行かせてはくれない。よく鍛えられた兵達だ。
 それでも帝国兵の練度は高い。劣勢になる事なく敵を蹴散らし奥へと進む。そうして兵士が一生懸命守ろうとしていた部屋へと到達した。

 重厚な扉の談話室には、大きな暖炉が備え付けてある。その前に、一人の少年が立っていた。
 日中見た、白髪の少年である。

「やぁ、帝国の皆さん。案外鼻がいいんだね。ナルサッハ兄さんも、ちょっと侮ったかな?」
「君は?」

 マーロウが前に出る。その横にはグリフィスとチュウェンが立った。

 少年はまるで舞台の上の役者のように、場違いな挨拶をする。カーテンコールに呼ばれた者のように軽く膝を曲げて。

「ケユクスと申します。まぁ、これから殺される人間の名前なんて興味はないだろうけれど」
「殺すなんて言っていないが?」
「違うのかい? 噂通りのお人好しなんだね」

 嘲るような声と調子。だがケユクスと名乗った少年は既に自らの運命を決めているようだった。

「ここを明け渡してもらえれば命まで取らない」
「いいよ、あげる。どうせ大した意味のない命だもん」
「どうしてそう言える」

 マーロウの鋭い言葉に、ケユクスはニッと口の端を上げた。

「何にも知らないんだね、帝国は。十五年前に、自分達の国が何をしたのか。その結果、どんな地獄が生まれたのか」

 睨み付けるその瞳は、とても少年のものではない。深い所に憎しみの炎を宿す、悪魔のような瞳だった。

「ボクが何者か、分かる?」
「なんだ?」
「エルの迫害を逃れて国境を越えた母の、悪夢であり悪魔。そして、ナルサッハ兄さんの実弟」
「……あの城で生まれた子供か」

 少年の笑みが深くなって、口は裂けたように三日月を作る。燃える瞳。そして、嘲るような場違いな笑い声。

「なーんだ、理解早いねお兄さん。まぁ、そういう事だよ。ちなみに父親なんて分かんないから、聞かないでよね」

 一通り笑ったケユクスは、暖炉に小さな火を投げ入れる。それは中に残っていた薪に燃え移って、パチリと音を立てた。

「逃れたのに、結局狂わされた。人格を踏みにじり、尊厳を奪い、人間として扱わなかった。陵辱と、快楽と薬と。そうして母さんも、母さんの子供もおかしくなって、男共の玩具。ちなみに生きてるか分かんないけど、ボクには他にも兄妹とかいるみたいだよ。なんせ母さん、生んでは孕まされての繰り返しで最終的に死んだし」
「他人事だな」
「実感わかないからね。ボクを見て、母さんはヒステリックに喚いて物を投げつけてくるし。怖い人でしかなかったよ」

 パチリと、音が鳴る。さっきよりも炎が大きく燃えていく。

「母も、母の子供の姉妹も、最終的には同じ末路。唯一ジェームダルに買われたナルサッハ兄さんが助けを呼んで、ボク達を探してくれなかったら、全員が狂った世界に落ちたまま。今頃ボクも男か女相手に腰振って、アンアン言いながら頭おかしくなってただろうね」

 少年の目が、不意に炎を見た。その瞬間、まるで炎は意志を持ったように暖炉の中から暴れ出てカーペットや周囲の物を勢いよく燃やし始めた。

「な!」
「驚いた? これでもボクはエルだよ。炎は昔から、ボクの唯一の友達さ!」

 燃えさかる炎はケユクスの意志を代弁するかのように一気呵成に燃えていく。その勢いはとてもじゃないがこの場にいられないものだった。

「撤退!」

 マーロウの命令にいち早く反応したチュウェンは小脇にマーロウを抱えるとそのまま廊下へと飛び出していく。グリフィスもそれに続き、脱出路を探し始めていた。

 けれどチェルルは、なかなかそこから動けなかった。
 思いだしたのは、エルの人々だった。チェルルはエルの女性を攫い、ジェームダルに送ることを最初考えていた。そうしなければ主に危害が及ぶと恐れての事だった。
 その結果を今、見ているようだ。あの時もし作戦が成功していたら、彼のような子供を生み出す事になったのだろうか。こんな、悲しい子を。

「何してるの? 早く逃げないと死ぬよ?」
「お前はどうするんだよ」
「どうもしない。まともに戦って騎士に勝てるなんて思わないから。ボクの役目はこの屋敷の監視と後始末。もしも攻め込まれた場合は、ボク諸共ここを焼き払う為」
「それでいいのかよ!」
「他の生き方なんてあると思うのかい?」

 ケユクスの笑みは、泣いているように思えた。

「生まれた事を否定される子供の気持ちって、どうだと思う? 全否定なんだぜ? 愛情なんてあると思うわけ? 慈悲なんてあるわけないじゃん! ここが本当の地獄なんだ。生活に困らないけれど、存在の全てを消去されたゴミ捨て場。ボクは生まれた時からいらない存在だ!」
「んなわけあるか!」

 気付いたら怒鳴っていたチェルルは、ふと神父の言っていた事を思いだしていた。親の顔も知らないチェルルにとって、一番最初に縋った言葉だった。

「俺も親の顔なんて知らない。死んだのか、捨てられたのかも知らない。それでもな、生きてきたんだよ。自分の存在ってものに疑問持ちながらも、生きてきた」
「あぁ、お仲間か。よかったじゃん、お兄さん真っ当そうで」
「……俺を育ててくれた神父様が言ってくれた。この世に産まれ落ちただけで、祝福されているんだって」
「は?」
「中絶や、不幸な事故で生まれなかった命が五万とある。けれどそこを乗り越えて、生んでくれただけでも神の祝福があったんだ。少なくとも母親の中にいた間、養われていた。大事に育てて貰ったんだ。無事に生まれて産声を上げた、その間の愛情は確かにあるんだって」
「……バカみたい。生まされただけだろ」
「そうだとしても!」
「煩いな!!」

 大きな声と同時に、凄い勢いで炎がチェルルへと向かってくる。腕で顔を庇い後退ったけれど、チェルルは手を伸ばしていた。

「無価値に思える人生かもしれないけど、誰かが価値をつけてくれるんだよ! 親も知らない、学もない俺みたいな奴でも、大事だって言って愛情注いでくれる奴がいるんだよ! お前も!!」
「その価値をつけてくれたのが、ナルサッハ兄さんだ」

 悲しげな少年の頬に、一つ涙が落ちていく。パチパチと音を立てる天井が崩れて、二人の間を分かった。

「ケユクス!」
「ボクにはそういう生き方はできない。そんな価値、見つけられない。兄さんの為にこの命を使う。それが、ボクという存在の全てだよ」
「違う!」

 手は、届かない。後ろから強引に襟首を掴まれて引っ張られ、チェルルはその場を逃げ出すより他になかった。

「グリフィスさん!」
「バカか! お前まで丸焦げだ!」
「でも!」
「……それぞれに生きてきた道がある。そう簡単に覆ったりはしない。あいつは手を払い除けた。それが、あいつなりの生き方で、死に方なんだよ」

 抱えられたまま、チェルルは台所にある地下室に投げ入れられた。そこには尋問されたのだろう兵士が数人転がっていて、騎士団のメンバーは全員が揃っていた。

「聞き出せた。ここが、城に通じている」

 感情の見えないマーロウの言葉に、なんて返せばいいのか。不安そうなハクインがチェルルに抱きついて「大丈夫」と呟く。
 正直、頭がぐちゃぐちゃだった。助けたいと思ったんだ。ほんの少しだけ、分かってやれそうな気がしていた。でもそれは、傲慢だったのだろうか。

「……帝国が犯した罪の結末が、今なのかもしれない」
「え?」
「あの口振りだと、彼の母親が現ジェームダル宰相の母でもある。そして、この戦争は彼の色が濃い。そう考えると、まるで復讐のようじゃないか?」
「復讐?」
「家族を壊し、破滅させたラン・カレイユは現在この有様。そしてその原因を作り出した帝国とは、現在交戦中。国というとんでもない力を使って、彼は個人的な憎しみを晴らそうとしている。俺には、そう思える」

 マーロウの言葉を否定する要素を見つけられない。もしこの話が本当ならば、どれほどに恐ろしく、悲しい事だろうか。


 地下道を二十分ほど歩き、階段を上り地上に出た。出た先は石造りの教会なのだろう。小さなものだが、祭壇があった。
 とても否定的な気分だ。強姦魔がまるで神聖な者であるかのように、礼拝堂から現れるのだから。誰も救わず、落とすだけの悪魔のくせに。
 そうして教会のドアを開けた先には、取り囲むようなジェームダル兵がいた。

「総出でお出迎えか。派手な狼煙が上がっちまってるからな」

 グリフィスが憎らしげに口にする。
 そうしていると不意に兵が場を譲り、奥のほうからまだ若い青年が出てきた。
 戦う人物とは、少し違う気がする。剣を持っているから、一応は戦うのだろう。けれど、どちらかと言えばシウスに近い知将という感じがする。
 彼は一つ頭を下げて、マーロウとグリフィスを見た。

「帝国の騎士殿、お初にお目にかかります。ここを守るバルンと申します」

 バカ丁寧な彼を、マーロウが観察している。だが次に出てきた言葉には、流石のマーロウも驚いたようだった。

「引いて頂けるのでしたら、このまま道を開けますが。どうでしょう?」
「……はぁ?」

 戦場で対峙する敵同士だ。なのに、何を言っているんだ。
 だがバルンは本気らしい。気力の見えない目で、全員を見ている。

「俺は戦いが得意じゃないし、姫を出さないようにナルサッハ様に言われているだけだから。無傷で互いにいられるなら、それが良いと思う」
「んな事できるか!」
「……ダメかな? それなら、戦うけれどいい?」
「勿論そのつもりだ」

 グリフィスが剣を構えて前に大きくでる。ギラつく獣のような瞳に、青年バルンは溜息をついた。

「これだから戦闘狂って分からない。老将といい、どうしてそんなに戦いが好きかな。日向ぼっこして、眠っていられるのが最高なのに。あ~ぁ、面倒臭い」

 なんだろう、どこかマーロウを感じさせる。思って彼を見てみると、一部共感できるのか頷いている。

「それでは、俺はこれで。全員、姫のところまで通すな」
「「は!」」

 ジェームダル兵が一気に剣を抜く。それを見て、グリフィスはやる満々な顔をした。

「マーロウ、姫様の奪還たのむ。俺はこいつら片しておく」
「りょーかい。じゃあ、数人俺についてきて」

 気の無い感じの声で命じられた直後、マーロウは見事にチュウェンに担がれる。慣れたのか、肩に担がれても猫のようにダレた。

 チュウェンが走るその方向に、チェルル、ハクイン、リオガン、ドゥーガルド、レイバン、他数名がついていく。先頭をドゥーガルドとレイバンが鮮やかに切り開き、その後方をチェルル、リオガンが固めていった。槍のような形でチュウェンとマーロウを囲って守りつつ、チュウェンの指示に従って城の中へと突入していくと、城内は意外と敵が少ない。

「チュウェン、姫がいそうな場所」
「二階に主寝室があります。中庭の見える」
「そこだろうな。案内頼むよ」
「分かりましたわ」

 チュウェンの指示に従い階段を上がり、そこからは真っ直ぐに部屋を目指す。それにしても、複雑な城の作りだ。城の中で迷子になりそうなほど。
 きっと、ここに監禁した人間を逃がさない為なんだろう。

 やがて目の前で綺麗なレリーフの施された大きな扉が見えてきた。勿体ぶった百合のレリーフに、キューピット。なんとも滑稽なものだ。「純粋」「純潔」なんて花をあしらうなんて。

 ドンッとドアを押し開けたドゥーガルドが、その場で固まった。そこに押し寄せたチェルルやマーロウも、中を見て動きを止めた。

 中には王女と思われる美しい女性がいた。輝くばかりの波打つ金髪に、ブルージルコンのように明るく輝く大きなライトブルーの瞳。色が白く、顔立ちははっきりとした女性だ。
 その女性の胸元に震えながらナイフを突きつけている少女は、綺麗な白髪に薄い緑色の瞳で年齢は十歳くらいだろう。地味なメイド服なのに、色の白さや顔立ちの繊細さ、儚さが見える美少女だった。
 その面立ちは、どこかケユクスにも似ている。兄妹、ではないかもしれないが、血縁は感じる。

 この状況、普通ならば王女を人質に侍女が立てこもっているのだが、どうもそうではない。王女はとても困り顔でこちらを見つめているのだが、体格からもおそらく余裕で少女をいなして逃げられる。けれど、そうはしていないのだ。

「姫様!」
「やぁ、チュウェン! 無事だったのね、よかった。元気そうに男抱えて何かの報告かしら?」
「!」

 未だマーロウを抱えているのを思いだしたのだろう。指摘された途端にドタン! とマーロウを落として真っ赤になってしまった。
 一方突然落とされたマーロウは「いた!!」と悲鳴を上げて腰を摩り、チュウェンを睨み付けている。流石に悪いと思った彼女はこちらにも「すみません!」と大慌てで謝り、王女は楽しげな笑い声を上げている。

 どういう状況だろう。緊張感のある場面のはずなのに、囚われている当人がこれでは外野はどう反応していいものか。

「姫様、助けに参りました! お早く!!」
「ん? あぁ、まぁ……お早くと言われてもねぇ」

 困り顔のイシュクイナ王女の腕を、背後の侍女が更に強く引いたのだろう。グンッと後ろに体を反らした。

「この方は渡しません!!」

 悲鳴の様な少女の声に、イシュクイナは困りながら「なんだそうだ」と苦笑している。

 いや、苦笑してないで抵抗してほしいんだが。

 それでもイシュクイナは侍女を振り払う事も、突きつけられているナイフを捻りあげる気もないようだった。

「ウルズ、ここまで押し込まれては抵抗は無意味よ。諦めてもらえない?」
「ダメ!! 姫様を誰にも渡さない!」
「う~ん、困ったなぁ」

 ウルズと呼ばれたエルの少女はとても必死だ。それに対するイシュクイナの対応は我が儘を言う妹に困りながらもまんざらでもない姉のようだ。

「ウルズ、私はいかないと。私の大切な同胞を助けたい。それはずっと言っていることよ?」
「私の使命は姫様をここから出さず、お世話をする事です!」
「いや、私は誰の世話も必要としていないのよ。私がここにいると、大事な部下や民が言いなりになってしまう。それではこの国の人々が不幸になってしまうわ」
「こんな国、滅んでしまえばいいのです!!」
「いや、既に滅んでしまったんだが……困ったなぁ」

 自由な手で頬をかくイシュクイナが、不意に動いて少女の手からナイフを鮮やかに取り上げてしまう。
 これで一件落着。そう外野も思っただろう。チュウェンからも緊張が抜けた。
 だがイシュクイナは何を思ったのかナイフの切っ先を自らの胸に当て、その柄を少女の白い手に握らせた。

「え?」

 ウルズが明らかに震える。何を言ってもまだ幼い少女だ。状況に戸惑っている。
 その少女の目を真っ直ぐに見たイシュクイナは穏やかに、だが強い目で頷いた。

「私を生かすなら、私はここを出て残されたものを守りに行くわ。それが許せないなら、私をここで殺すしかない。委ねますよ」
「私……」

 震えが、更に強くなっているのが分かる。
 思わず飛び出しそうなチュウェンを、マーロウが静かに腕で制した。黙って見守る、そういう様子だ。

 少女は戸惑い、青ざめている。せっかくイシュクイナが定めた切っ先も、フラフラと揺れている。そんな少女の手を支えるようにイシュクイナは補助をしているのだ。

「ウルズ、貴方が負った苦痛は知っています。私の国の者が貴方や、貴方の母や、多くの女性に対して悪魔に勝るような非道を行った事を、私は心から詫びたい。既にそいつらはこの世にないけれど、生き残っているならばきっと、私はこの手で八つ裂きにすると神に誓うでしょう」
「姫様……」
「けれど、貴方の人生は終わっていない。貴方のこれからの幸せを、自ら捨ててしまっていけないわ。誰が許さなくても、私は貴方が可愛いのよ。小さな侍女さん」

 慈母のような笑みが少女を見つめる。その頃には少女は、グシャグシャになるほど涙を流していた。
 カランと、ナイフが床に落ちる。その瞬間、イシュクイナは豊かな胸に少女を抱き寄せ、嬉しそうに微笑んでいた。

「有り難う、ウルズ。心優しい私の侍女さん。私は貴方に、沢山の償いと愛情を示してゆきたいわ。貴方はとっても可愛くて、頑張り屋さんですもの。これからきっと、沢山の人に愛されます。幸せにならなくてはいけないわ」

 包み込まれる中で泣いているのだろう、細い肩が震えている。
 その様子を見る周囲もまた、安堵して自然と笑みが浮かんだ。

「そちらの代表は、誰かしら」
「俺です。宰相府のマーロウと申します。シウス様の命で、貴方を助けに参りました」
「まぁ、シウス殿の。あの方の聡さには感服いたしますわ。またお世話になってしまったのね」
「貴方の事を俺達に伝えたのは、ジェームダルのダンという男です」
「まぁ、ダンから! 彼は無事? 主には無事に会えたかしら?」

 大きな瞳を見開き、表情をコロコロと変えるイシュクイナはとても人懐っこく王族という近寄りがたさがない。飾らない様子が、とても好感が持てる感じだ。

「無事に主を救い出し、今はそちらと行動を共にしています。貴方の近衛だったテクムがジェームダルに従うのを知り、貴方の存在が浮上し、こうして参りました」
「テクムが……」

 すぐに表情が沈む。ふっくらとした赤い唇をギュッと引き結ぶ彼女は、だがすぐに次へと切り替えていた。

「助かります、マーロウ。ついでと言ってはなんですが、私から幾つかお願いできますか?」
「要求によります」
「あら、シウス殿と違って情の無い。でも、いいわ。一つはこの子、ウルズの助命を。できれば私に預けてもらえると嬉しいわ。この子にはなんの武力もありません。鳥の言葉を聞くだけで、他の能力はないわ」
「構いません」
「次に、私をこのまま前線に連れて行ってください。テクムを解放しなければ。私の事で、あの真面目な男は律儀に従っているのでしょう。止めたい」
「願っても無いことです。貴方から申し出てもらえて、手間が省けます」

 実に淡々と大事な事が決まっていく気がする。だが、これでいいのだろう。双方共に何ら支障はないようだ。

「この城にいた者はどうなりますか?」
「抵抗するなら手を抜けませんが、捕らえた者をむざと殺す事はしません。捕らえて、捕虜として扱います」
「過酷な労働や、惨い拷問をすることは?」
「強制労働などはありません。聴取の段階である程度の話が聞ければ拷問などはしません。帝国は今、たとえ捕虜だって必要の無い責めを行う事は禁じられております」
「分かりました、信じましょう」

 抱き寄せていたウルズを放したイシュクイナがこちらへと向き直り、落ちているナイフを拾い上げる。そしてそれを、まったく明後日の暗がりへと鋭く投げた。

「ぎゃぁぁ!!」
「!」
「まったく、女性の部屋に勝手に忍び込むなんて礼儀のなっていないこと」

 冷めた青い瞳が暗がりを見る。そこには目元を仮面で覆った黒ずくめの男が首から血を流して倒れていた。

「さぁ、駆除もいたしましたわ。誰か、剣をくださらない? それと男物でいいので、着替えがあると助かります。流石にドレスじゃ動けないわ」

 後ろの誰かが動いて、服を探しにいく。マーロウは倒れている男へと近づき、仮面を剥ぎ取った。

「俺を森で襲った奴らも、黒ずくめでこんな仮面をしてたよ」
「おそらく、宰相ナルサッハの暗殺部隊だろう」

 チェルルの報告に、マーロウは頷く。
 だがその背後で、不意に気配が揺れた。とても小さなその揺らめきは、トタタタタッという小さな足音に変わる。

「ウルズ!」

 イシュクイナの声に反応して背後を見れば、バルコニーの扉が開いていて、小柄な少女が震えながら中庭を背にその縁にいた。
 チェルルは嫌な予感がしていた。この子もケユクスと似ている。ということは、ここに監禁されていたという女性三人のうちの、誰かの子に違いない。そしてナルサッハに助けられ、恩があるのだ。

「ウルズ、危ないわ。こちらに」
「……ダメ。私やっぱり、幸せになんてなれない」
「どうして……」
「だって私、いちゃいけない子なの。私、生まれちゃいけなかったの。汚らわしい化け物なの」

 これは、さっきのデジャブか? 同じ事を言いながら炎に消えたあの少年を思い出して、また胸にモヤモヤした気持ちが戻ってくる。どうして、彼らはそんなに自分を不幸にしたがる。どうしてもっと、生きたいって言ってくれないんだ!

「裏切っちゃいけない。ケユクスを一人にできない。ナルサッハ様の、期待に応えないと。私、あの方に助けてもらったの。母と同じ運命から、助けて貰ったのに」
「ウルズ、ダメよ。バカな事を考えないで。貴方が怪我をしたり、死んでしまったりしたら私はとても悲しいわ。お願い、こっちに……」
「来ないで!」

 悲鳴を上げたウルズはバルコニーの縁に体を乗り上げる。そうなるとイシュクイナもまた、動けなかった。

「私、やっぱりいけない。ナルサッハ様を、悲しませたくない。ケユクスを一人にできない。二人とも、寂しいの。私くらい、一緒にいてあげないと……」

 そう言った少女は縁に腰を下ろして、そのまま後ろへと倒れていってしまう。
 イシュクイナも、そしてチェルルも走ったが間に合わない。服の端一つ掴む事ができなかった。

「ウルズ!!」

 女性らしいイシュクイナの悲鳴が響く。チェルルは直ぐさま彼女を追って下へと飛び降りようと縁に足をかけていた。

 だが下を見たとき、その必要は無いのだと分かった。下で、先程前に出て来たバルンという青年と、そしてグリフィスが少女の体を受け止めていた。

「グリフィスさん!」
「この子は無事だ! 気失ってるみたいだがな」

 大きな声がして、隣でイシュクイナが安堵からヘナヘナと座り込む。近づいてきたマーロウもまた、安堵した空気で下に声を投げていた。

「おさまったか?」
「おうよ。とりあえず合流する。あと、こいつは従うそうだから連れてくわ」

 バルンは一つ礼をして、腕の少女を大事に抱き上げる。大切そうに頭を撫でているその瞳は、とても柔らかなものだった。

「とりあえず、今日はこの城で一泊かな。明日改めて準備をして、前線に向かって出発しよう」

 マーロウの判断に、全員が頷く。
 こうして一夜の混乱は無事収束となったのである。
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