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14章:王の戴冠

1話:ガザール・タルの戦い(前編)

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 前線部隊はラジェーナ砦を出発後、いくつかの戦いを確実に勝利して前進していった。
 ランバート加入によりファウストが無謀な戦いをする事が抑えられ、歩みはやや遅くなったものの確実に地盤固めをしている。
 その為、ラジェーナ砦に置いていたシウスとエリオットは最前線のファウストの側に付くようになり、より確実な行軍が行われている。

 制圧した町や村でも、アルブレヒトがいることで歓迎された。地方貴族などはむしろアルブレヒトに心酔している者が多いらしく、忠誠を誓い人を出し、兵糧を分けてくれている。
 その為予定よりもスムーズに進んでいると言えた。

 とは言え王都が近づくにつれて敵の練度と抵抗は大きくなり、そう易々とは通してはくれない。特に指揮官が戻ってきたのだろう最近の戦いでは、押し込んだと思ったのに押し戻される事が多くなった。
 ランバートも戦場で、二人の人物を確認した。
 金髪に、頬に傷のある体躯のいい男。真面目そうな顔で表情はとても少なく思えた。こちらがダンの言っていたラン・カレイユ近衛騎士団のテクムなのだろう。
 そしてもう一人。ダークブロンドの髪をした生真面目な男。整った顔立ちを辛そうに歪めた彼が、チェルル達の上官だったベリアンスなのだろう。
 後方に下がりがちだったアルブレヒトも、必死な彼を見た時に辛そうな顔をしていた。

 七月も中旬、帝国騎士団前線部隊は王都手前の荒野、ガザール・タルという場所に陣を張った。ラジェーナ砦より、何事もなければ七日で到達出来る所に一ヶ月近くかかってしまった。


「時間はかかったが、上々よ。敵も抵抗が強くなっておるし、周辺の町や村も制圧しながらの事。傷ついた隊員の手当や、地盤固めも行いつつではこのくらいかかるのも想定内じゃ。むしろ、予想よりも早いぞ」

 地図を広げての作戦会議。野営地にて、集まったランバート、シウス、ファウスト、アルブレヒト、ダンはこんな話をしていた。

「さて、ガザール・タルか。厄介な地形じゃ」

 周辺の地形図を前にしたシウスは、僅かに顔をしかめて顎に手をやる。それというのも、この土地の地形を調べた結果だった。

 ここ、ガザール・タルはここだけ山を裸にしたような奇妙な場所だった。アルブレヒトの話ではここはガザール、つまり鹿が多いらしく、彼らが森を食べてしまう為に山肌が見えてしまっている。それを証拠に、第四が捕まえてくる食材は最近鹿が多い。
 現在帝国はこの地の高台に陣を敷いている。そしてそこより低い、まだ木々の残る場所にジェームダル陣営があるとみられている。
 通常このような場合、高台から敵陣が見えるほうが優位と言える。だが、この土地の場合はそうではないのだ。

「ここは山崩れや隆起のせいで道が寸断されたり、細い道しかなかったりと、少々面倒なのですよね。実際、この高台から下の土地まで降りる為には山肌の細い道を通るか、人為的に掛けられた吊り橋を渡るかしかありません」
「吊り橋をこの状況下で渡るのは、避けたいな。下の土地を完全に掌握できているなら可能だが、そうでなければ落とされる可能性が高い。そうなれば、兵は真っ逆さまだ」
「地形的にここに真っ先に布陣せねばならぬのは、ジェームダル側も想定済みじゃろう。故にこの二点は布陣前に押さえられてしまった。膠着していても悪戯に時が経つばかり。多方面からの奇襲を仕掛けるには時間が掛かりすぎる。このまま、山肌の道を進むより他になかろうな」

 シウスの決定は全員が納得の事だった。
 アルブレヒトはふと空を見上げ、僅かに瞳を細める。どこか柔らかく。

「明日には道が開けるでしょう」
「それは吉報。兄、あと少しじゃよ」
「有り難う、シウス。王都陥落がなれば、真っ先に戴冠をしなければなりません。どちらが正式な王かをはっきりとさせ、味方と敵をはっきりわけなければ」

 アルブレヒトの言葉に、全員が頷く。新王の戴冠を発令すれば、敵と味方ははっきりと分かれる。膝を折るならばとりあえず迎え入れ、剣を向けるならば戦う。

「問題はキルヒアイスとナルサッハが、大人しく王都で捕まるか。あいつに子があるかですが……」
「話によれば王子も王女もいそうだがな。何せハーレム作ってるそうじゃないか、あの好色王」
「それを聞いて頭がいたいのですよ、ダンクラート。美人と噂の女性を手当たり次第に王妃に召し上げ奥院にこもっているだなんて。一応血縁とはいえ、恥ずかしくて顔向けができません」

 頭が痛そうなアルブレヒトの溜息に、全員が苦笑をもらすのだった。

 その夜は、比較的穏やかに過ぎていった。
 だが翌日、事態は急速に変化していったのである。


▼ファウスト

 翌日、空はどんよりと低く今にも泣き出しそうな感じがあった。
 アルブレヒトは今日が吉日だと言ったが、流石に疑わしく思えてしまう。このまま雨でも降れば剥き出しの山は滑りやすい。それどころか、脆い部分を多くの人間が激しく行き来すれば崩れる可能性すらある。
 彼の能力は確かに高い。不思議な力を抜いたとしても人を見抜く能力に長け、周辺の把握にも長けた指揮官タイプ。しかもオリヴァーも絶賛の弓の名手だ。
 そして人間としても魅力があり、味方にはどこまでも慈悲をかけ、敵には一切の温情を与えない。情のあるファウストやシウスでは決断が難しいだろうことも、彼は早い判断で処分を行うのだ。

 そうした怪しげな空を見上げていると、不意に部下の一人が駆け込んできて急報を伝えた。

「伝令! ジェームダル側より話し合いの場を持ちたいとのこと。この下に場を設ける故、代表者数名と護衛十名で来られたしとのことです」
「なに?」

 この状況で、会談?

 ファウストは眉根を寄せて訝しみながらも、作戦用の野営へと入っていった。

 昨夜の面子がやはり困惑の顔をして詰めていた。そこにファウストが加わり、今後の話をやり直す事となった。

「罠の可能性が高いのではないでしょうか?」

 ランバートが冷静に考えを伝える。それに、シウスもまた頷いた。

「話し合いにて解決ができればれがよし。決裂するならば嵌める。そういう準備くらいはしておろうな」

 そこを、誰も疑いはしない。ファウストが指揮をしていてもそこは狙うところだ。あまり使いたくないとは思うがここまで押し込まれては手を選んでいられない。

 だが、アルブレヒトは更にもう一つ考えているようだった。

「乗りませんか?」
「え?」
「兄、だが……」
「私が行きましょう。大きく出た事はありませんし、おそらく出てくるのはベリアンスです。私を見れば多少冷静ではいられないはずです。決裂するにしても、場合によっては下の広場を制圧できる。安全性は増しますよ」

 危険だ。だが、上手くゆけば間違いなく状況を脱する。この下の広い土地を制圧出来ればそこに布陣できる。そうすればジェームダル本陣までは難所がない。

「ファウスト、貴方とダンクラートに付き添いをお願いしたいのですが」
「それは構わないが」
「貴方の武に頼りたい。勿論ダンにも」

 信頼の視線を向けられるダンは嬉しそうに笑い頷いている。そしてファウストもまた、下の制圧を少数で行うにはこの面子が必要だと思えた。

「何を持ち込まれても、前進を止める事はしません。それでいいですね、シウス」
「構わぬ。では布陣を変えねばならぬな。ファウスト、ダン両名は数人を連れてアルブレヒト兄の護衛。ランバート、レーティスは山道に待機し、決裂の時には進んで下の荒野を目指す。私とエリオットは本陣にて待機し、もう一つの吊り橋を警戒する」
「分かりました」

 周辺地図を睨みながら、全員がその段取りで動いていく。同時に伝令に会談受け入れを伝えに行かせた。
 こうして静かに、ガザール・タルの攻防戦が始まろうとしていた。


 一時間ほどして、ファウストはアルブレヒトやダン、他数名をつれて吊り橋を渡った。互いに緊張した様子ではあったものの、ここはすんなりと通る事ができた。

 アルブレヒトを見た時のジェームダル側の緊張は、これから戦おうという者達の気配とは明らかに違った。
 言うならば、神や聖人を前に懺悔を迫られる罪人のような、重苦しくも張りつめ、どこか後ろめたさすらある無言の空気だった。
 それは対峙したベリアンス、そしてテクムも同じだったのだろう。特にベリアンスはなんとも言えない顔をする。再会を喜ぶように一瞬は目を輝かせたのに、すぐに顔色を失ってしまったのだ。

「久しぶりですね、ベリアンス。元気そうでなによりです」
「アルブレヒト様……」

 俯き加減に目を逸らしたベリアンスは、グッと手を握り締める。体は震え、言葉がなかなか出ないのだろう。
 そんな彼を、アルブレヒトは静かに見守っている。部下を見る上官の目だ。
 いっそ、ダンの方は分かりやすい苛立ちを見せていた。距離的には、ダンの方が近いのだろう。

「ベリアンス、話を聞きましょう」

 こうしていると、アルブレヒトという人物は実に不思議だ。穏やかな空気は崩さず、場が引き締まる。緊張の場面において、周囲を容易に飲み込む迫力と威厳がある。まるで、カールのようだ。
 そしてベリアンスもまた、この空気に呑まれている。ビクリと体を一つ震わせた後、彼は頼りなくアルブレヒトを見つめて口を開いた。

「王都侵攻を、おやめ下さい」

 そう伝えたベリアンスの声は情けないくらいに小さく震えていた。だが、何かを思いだしたのだろう。アルブレヒトを見る瞳に、確かに何かが灯った。

「王都には多くの罪無き民がいます。キルヒアイスはそうした者達を盾に使うでしょう。このまま侵攻すればあの男は何をするか分かりません。どうか、侵攻をやめて話し合いの場を……」
「話し合いが出来る相手だと思いますか?」
「!」

 迎え撃つアルブレヒトの声は、いっそ冷たく抑揚がなく、慈悲などない断罪のみが見える。瞳もいっそ冷たく、見下ろすようなものだ。
 彼はこうして、相手によってコロコロと表情と態度を変える。その場限りではなく、相手の心を見透かしての事だろう。そして義弟キルヒアイスは彼にとって、交渉など無意味だと思わせる相手に違いなかった。

「あの男が大人しく会談の場に足を向けると? だまし討ちもせず、約束を守ると思いますか? この状況で、追い詰められてもまだ自分の思うままに世の中が動くと思うでしょう。望まぬ未来を受け入れる覚悟も、民を導く王として威厳を持って立つ覚悟もない者と、何を話し合えと言うのですか?」
「それは……」
「それとも、ナルサッハがあの男を抑えられると思っているのですか?」
「……」

 今度こそ、ベリアンスは完全に沈黙した。そしてそれは、アルブレヒトの言葉を肯定したという事だった。
 キルヒアイスという人物と直接対峙した事はないが、おそらく部下ベリアンスもアルブレヒトの言葉を否定できないのだろう。
 まぁ、否定したって信じる気にはなれない。これまでの戦いを思うと真っ当な話ができる相手とは到底思えないからだ。

 だが、次にベリアンスが呟いた言葉はその場の人間を凍らせるくらいの威力があった。

「……セシリアが、あの男の子を身籠もりました」
「え?」
「無理矢理です、彼女は抵抗して……今も抵抗しています。それでも、どうにもならないのです」

 その言葉にダンは凍り付き、アルブレヒトは更に冷気を増し、ファウストも胸が痛くなるのを感じた。
 他のジェームダル組から、話を聞いている。ベリアンスには妹がいて、レーティスの婚約者だったこと。キルヒアイスに人質として取られてしまっていること。
 だが、人質に手を出すなんて事は帝国では考えられない。人質はあくまで身柄を預かっているのだ。そこを傷つければ、人質という価値はなくなる。それどころか相手側の感情を逆撫でして諍いに発展する事になるのだ。
 そんな事も分からず、一国の王ともあろう人物が手を出し、更に子まで作ったというのか?

 言い知れない怒りがこみ上げてくる。ファウストにもアリアという妹がいる。もしも同じように囚われ、望んでもいない男の子など身籠もれば、それは女性としてどれほどの苦痛なのか。

 ベリアンスの目に、懇願と疲弊と苦悶が浮かぶ。まだ若いだろうに、老け込んで今にも死んでしまいそうな影が見える。そして、必死な様子が伝わってくる。

「このまま王都を攻められれば、あの男は妹を含む多くの妃やその子供にも何をするか分かりません。自らが逃げる為なら何でもする様な男です。お願いしますアルブレヒト様、どうか慈悲をかけてください!」

 今にも土下座でもしそうな切迫した様子で、ベリアンスは深く頭を下げた。

「アルブレヒト様……」

 ファウストの隣りに立つダンもまた、どうにかしてやりたいのだろう気遣わしい目をベリアンスへと注いでいる。ファウストだってどうにかしてやれる問題なら、そうしたかった。
 だが、アルブレヒトだけはその決断をしなかった。

「できません」
「対価は払います。王都侵攻を思いとどまって下さるのなら、俺の命はここで差しあげます」
「お前の命を貰っても解決はいたしません。ベリアンス、あの男を放置すればこの国は確実に多くの悲劇を国内外に振りまきます。例え今、この勢いに負けて和平交渉をしたとしましょう。だが確実に数年保ちはしませんよ。欲望に弱く、自らに甘く、甘言の中で生きてきた人間に、我慢など出来ようはずもありません」
「ですが!」
「……セシリアの事は、やれるだけの事をすると約束します。ですが、私は王都へと入り、誰がこの国の王であるかを明確にし、全ての悲劇を終わらせなければなりません」

 ベリアンスの手に力がこもる。そうしてアルブレヒトを見る目は、苦しさを過分に含んでいた。

「話がそれだけならば、戦うより他にありません。それとも、降伏しますか?」
「……それだけは、絶対にできないのですよ」
「そうでしょうね」

 諦めたようなアルブレヒトの声。ベリアンスはサッと手を上げた。
 途端、伏せていたのだろう兵が次々と現れ、ファウスト達を囲った。

「交渉は決裂した! 貴方達をここで始末する!」

 そう叫んだベリアンスの表情は、悲しく泣いているように見えた。
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