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14章:王の戴冠

2話:ガザール・タルの戦い(後編・レーティス)

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 交渉決裂。それは上から見ていても確かに伝わった。なにせ下の様子はここから丸見えなのだから。

「出る。レーティス、サポート頼む」
「任せてください」

 馬を立てるランバートが前を睨む。その先は五頭並べば窮屈な細い道。徒歩ならば楽だろうが、双方共に馬を連れている。
 先頭をランバートが、その後ろをキフラスが行き下の広場を目指す。それでも下までは時間がかかるだろう。その間、数百という数の兵をファウスト達は相手にしなければならない。
 ファウストは一騎当千の騎士だが、現在はベリアンスと対峙している。ベリアンスもまた実力ある騎士だ。しかも上から見た感じでは、ファウストはベリアンスに遠慮があるように思う。何かがあったのかもしれない。遮る物がなく視界はクリアなのだが、距離があるため声までは聞こえない。

 ランバートはすぐにでも道を行こうとした。だが、何故か対峙するジェームダル側が動かない。実際には誘うように動いてはいる。だが、ある一定の場所から先には進まないのだ。

「おかしい」

 冷静なランバートの声に、レーティスも頷く。こういう時、ランバートはとても冷静だ。感情にまかせて突出するような事をしない。特に隊を預かるようになってからは、己の行動に慎重だ。

「何故出てこない。あちらとて戦いが始まった事は分かっているはずだ。ここから攻め上がるのが一番なのに」
「確かに妙だ。ランバート、慎重にいこう」

 側にいるゼロスも同じ事を口にする。
 レーティスは素早く周囲を見回した。この場所は道がずっと山肌に沿ってある。道幅は今が一番狭く、峰に向かうにつれて広がって行く。
 山肌が左側に崖のようにあり、上はまだ緑が茂っている。角度が急で、上は見渡せない。だが、早朝にこの崖の上を偵察していた者からは不審なものは無かったと報告がきている。

 その時、パラパラと細かな石が崖の上から落ちてきて、レーティスとランバートはすぐにそちらを見上げた。
 人影はない。だが、可能性はある。こちら側から行けば早く、ジェームダル側から行けば遠回りの山頂に近い崖上。こちらの偵察をかいくぐり、事前に兵を伏していたとしたら、今の奴等の行動も頷ける。こちらが出れば、上から何かしら降ってくるのだろう。

「レーティス」
「私が行きます。数人、お借りしても宜しいですか?」
「構わない。できれば相手に悟られないように接近してくれ。岩でも落とされたらそれこそ下に降りる道を断たれる」
「分かりました」
「俺はこのままここを睨んでおく。制圧完了したら合図を」

 レーティスは頷き、ランバートはゼロスとボリスの両名へと目配せをする。その両名がついて、レーティスは本陣に戻るふりをして徒歩に切り替え、姿を見られぬように森を迂回して崖を登る道を観察した。

「いるな」

 木に隠れたゼロスが呟く。
 崖を登るなだらかな坂には、見張りと思われる人物の姿がある。黒ずくめで、仮面をしている。おそらくナルサッハ子飼いの暗殺部隊だ。

「どうするの、司令官殿?」

 ボリスの声に、レーティスは直ぐさま行動に出た。
 この道は使えない。おそらくすぐに連絡が回るだろう。今はランバート達がジェームダル兵を警戒して睨み合っているという形を取っている。それが不自然じゃないように、かつ早急に上を片付けなければならない。
 それを考えレーティスが走ったのは、斜面が少し緩やかな崖だった。

「ここを登るのか?」
「それしかありません。幸いまだ斜度が急ではないし、森があって途中までは姿を隠せます。ロープは持って来ています」

 念のために先端に重しをつけた太いロープを持って来ている。これを引っかけて上に登るのだ。

「うわぁ、第二が得意なやつだ」
「苦手ですか?」
「ううん、好き」
「では良かった」

 ボリスがフッと笑い、重しのついた方を回す。そしてそれを上へと投げる。ロープの先端は丁度良く上にある崖際の木の枝に引っかかり、クルクルと巻き付いてしっかりと張れた。
 全員がそうしてロープを張り、登っていく。本来こうした事は慣れないのだが、レーティスもそうは言っていられない。腕が怠かろうが、泣き言などは一切無い。そうしてロープを登り切り、例の崖へと向かおうと森を突っ切るはずだった。

「……やっぱ、問屋が卸さないね」

 突如囲まれ、三人は剣を抜いた。数にして五十はいる。大勢で動けば気取られるからと少数精鋭できたが、流石に冷や汗が流れた。
 いや、ここで気持ちで負けてはならない。もう少しで王都だ。そうすれば、セシリアを助けられるかもしれない。キルヒアイスを討ち、彼女を解放する。過去助けてやれなかったから、今度こそは助けたい。

 戦いは直ぐさま声もなく始まった。そして、ゼロスとボリスの両名は流石の強さだった。危なげなく剣を振るう姿は堂に入っていて、周囲全てに気を配っている。
 レーティスもそれに負けはしない。これでも過去のランバートとはそれなりに渡り合った。正面に構え、鋭く的確に敵を倒していく。体力はないから無駄な動きは極力しないようにして。
 ずっと、楽に動けた。オーギュストが薬を抜いて、更に時々訓練をつけてくれた。頻繁に会いにきてくれて、鍛錬をして、お茶をして。

 そういえば、彼とは暫く会っていない。第一師団のはずなのに姿を見ていない気がする。今どこで、何をしているのだろう?

 数の優位を覆す事ができる個人の武はある。その際たるものはファウストだろう。流石に一人で千人近い敵を殺す事は不可能だが、このくらいの兵力差はどうにかできる。

「道を開く! 抜けて目的地へ!」

 ゼロスの言葉に頷いて、レーティスは開かれた道を走った。ボリスが後をついてきてくれる。そうして目的の崖上へと向かうその道中にも、敵は現れ立ち塞がり、徐々に体力も奪われ始めていた。

「流石にキツい」

 呟くボリスの額にも汗が浮いた。レーティスも先程より腕が上がらなくなっている。自然と押し込まれる事が多くなり、苦戦し始めていた。

「もう少し……」

 目的地まではもう遠くない。そう思うのに、なんて弱いんだ。何十合と合わさった剣を握る手が痺れて、とうとう強い当たりに負けて弾かれた。

「死ね」
「!」

 鈍い銀色の光を見上げたレーティスは、無念のまま目を強く瞑る。こんな場所で、死にたくはない。やらなければいけないことがあるのに!

 だが、上がったのはレーティスの声ではなかった。
 「ぐはぁぁ!」という声と共に倒れてきたのは、剣を振り上げている方だった。そして、誰かがレーティスを強く引き寄せる。力強く、高い体温。知っている匂いに目を開けると、そこには精悍な顔があった。

「オーギュストさん!」
「間に合って良かった」

 驚いて周囲を見る。いつの間にか事態は大きく変わっていた。レーティス達を囲っていた兵達の更に外側から、知っている隊服を着た者達が押し寄せてくる。そしていつのまにか分かれたゼロスも、よく知っている人物と共に現れた。

「オーギュスト、制圧は完了したか」
「滞りなく終わったと、ネイサンからも報告を受けました」
「ご苦労だった。レーティス、ボリス、無事か」
「クラウル様ぁ」

 疲れたと腰を下ろしたボリスから気の抜けた声が出る。だがレーティスだけは気が抜けない。崖の上を制圧しなければランバート達が進めないのだ。

「あの、ここの崖際に敵の伏兵が!」
「あぁ、問題ない。任務を終えて合流がてら上を偵察していたら見つけたから、制圧しておいた」
「合流、がてらって……」

 途端に力が抜ける。三人は決死のアタックだったのに、クラウル率いる暗府にとってはまるでお使い仕事のようだ。
 ズルッと崩れた体を、オーギュストが支え直す。そして、穏やかな笑みを見せた。

「少数で頑張っていたから、疲れたんだろう。少し休もう」
「そんな悠長には……」
「下はランバートだろ? 少しくらい体力回復をしたって彼が簡単に負ける事はない。それに今の状態で加わっても、足を引っ張るぞ」

 そう言われてしまうと反論ができない。だが、言い方に対しては多少ムッとする。睨み付けると、オーギュストは苦笑した。

「その言い方、嫌いです」
「それは悪かった。あんたが相手だと少し遠慮がなくなるようだ」
「そもそも、どうして貴方がクラウル殿と一緒に?」
「言わなかったか? 第一師団から暗府へと転属になったんだ。ネイサン達と行動するようになって、才能を買われてというやつだ」
「聞いていません!」

 いちいち報告する義務はないのに、そんな事を責めてしまう。それでもオーギュストは怒ったり、機嫌を損ねたりしないと分かっているからこうしていられるんだ。
 それを証拠に、今も穏やかにしている。足の笑っているレーティスをさりげなく支えつつ、最低限しか手を貸していない。

「イチャイチャしちゃって、羨ましいの」
「お前の王子が王都で待っているだろ」
「……早く終わらせて帰りたいです」
「それは全員思っている事だ」

 力の抜けた会話をしつつ、次第に制圧を完全に完了させた暗府が集まってくる。そうなると全員がしっかりと立ち、一路本陣へ向けて歩みを進める事となった。


▼ランバート

 上から物音が聞こえ、まさか何かが落ちてくるのではと危惧していた矢先、落ちてきたのは黒ずくめの男だった。
 直後煙だけが上がり見上げると、そこにはネイサンが顔を出してグッと親指を立てる。予定にはないが制圧完了だろう。そして別行動だった暗府が上にいるのなら、別動で向かったレーティス達の安全もきっと確保される。

「行くぞ!」

 気合の言葉と共に剣を抜き去り、ランバートは馬の腹を蹴る。軽やかな足取りも頼もしく、そのまま敵陣へと駆け込んで行った。

 それでも敵の層は厚い。後方から付いてきたキフラスと交互に相手をしても中々細い山道を抜けきることが出来ない。

「平気か、ランバート」
「問題無い、キフラス。このまま押し通ろう」

 先陣を駆ける二人は互いに頷きあい、更に怒濤の攻めを見せた。
 そうした捨て身とも言える二人の活躍もあって、ようやく山の峰が見え始めた。だがそこに、一人風貌の違う男が現れた。

 騎馬をせず、手には長いかぎ爪のついたナックルを嵌めた浅黒い男はランバートとキフラスを睨みつける。
 瞬間、嫌な予感がした。これまでの相手とは明らかに違う。そう思わせる不気味な様子に、ランバートは馬を更に前へ出した。

「キフラス、隊を頼む! 俺はあいつの相手をする!」
「気をつけろ!」
「お互いにな」

 ランバートが先行し、馬上から男へ向かい剣を振り下ろす。
 だが男のかぎ爪がそれを容易に阻み、更には馬を狙われて下馬せざるを得なかった。

 地上に立つ二人の脇を、キフラス率いる帝国騎馬隊が通り抜けていく。その合間に立つ二人には、ただならぬ緊張があった。

 男はまだ若いのだと分かる。浅黒い肌に黒い瞳、アッシュ色の髪という小柄ながら筋肉質な男だ。だがその体には無数の不格好な傷がある。明らかに最近の傷が塞がったと思える肌色の違いだ。

 無言のまま、騎馬の全てが平地へと雪崩れ込んでいく。その後で、ランバートは剣を構え直し、男もまたかぎ爪をランバートへと向けた。

 緊張が高まる瞬間、地を蹴ったランバートの剣が男を袈裟に捕らえようと動く。だがその動作は読まれていたのだろう。読んで尚、男は動かずかぎ爪の間に剣を差し込み、軽く捻る。

「くっ」

 剣が固定されて動かない。そのままもう片方のかぎ爪が迫るのを、ランバートはどうにか避け、剣を外した。
 だが、相性が悪いだろう。今のようにかぎ爪で絡められて捻りあげられたら動けないし、何よりも剣が折れる可能性がある。ランバートの剣はファウストの剣とは違い軽く作られている。力をかけずに切れ味を保つ特殊なものだ。
 ならばと、ランバートは剣を鞘に収め、固定して構えた。これには男も僅かに首を捻る。

 別に、男を殺す必要はない。剣の強度が弱い分、それを守る鞘は強度が強い。鞘のまま戦えば脆さを克服できる。
 その鞘も実はボロボロだ。これは剣を収めるばかりのものではなく、ランバートの盾でもある。二刀流にもしているから、剣を受ける度に傷つくのは仕方がなかった。

 改めて構え直した男との激しい攻防は一進一退だ。リーチは長いが相手はその分早く、動きはトリッキーになっている。武術が得意な奴特有の動きだ。低い姿勢からのバネが強く、一撃が重い。かぎ爪だけではなく、足技もかなり威力があった。
 だが、こうしていられない。ファウストの所に行かなければ。その焦りはランバートを急かしたのだろう。踏み込みが深くなり、結果完全に男の間合いに飛び込んだ。

 長いランバートの剣があまり得意としない距離感に僅かにパニクる。男もそれを見逃さない。かぎ爪の切っ先がランバートの首を狙っていた。

 ヒュン!

 と、二人の僅かな合間を鋭く裂くようにナイフが飛ぶ。男は後方へと飛び、ランバートも距離を開けた。そして二人とも、ナイフの飛んできた方へと視線を向けた。

「あっぶないな、ランバート」
「チェルル!!」

 森の中から現れたチェルルは手にナイフを持ったままだ。そして後ろからはグリフィス率いる第五、第四師団合同チームが現れる。ラン・カレイユからここまで来たのだろう。
 中に数人知らない人物もいるが、その中でも一際目を惹く美女がズッと前に出て来た。

 途端、男の体から完全に力が抜けた。黒い瞳は見開かれ、次には喜びに細くなり、涙を流していた。

「姫様……」
「苦労をかけたわね、ヤシュ」

 姫と呼ばれた事で、ランバートにもはっきりと彼女が何者なのかを知った。ラン・カレイユ王女、イシュクイナは堂々とした様子で男の元へと歩み寄った。
 胸には白銀のガードを付け、足元も白のブーツ。グローブも白で統一された戦う女性の姿だ。はっきりとした顔立ちに、意志の強いライトブルーの大きな瞳が印象的。強い光を放つ金の髪を後ろに一括りにしている。

「武器を捨てなさい、ヤシュ。帝国は敵ではないわ」
「勿論です、姫様。貴方様が無事に戻られたのでしたら、俺は貴方の兵に戻れる。そして姫を無事に救い出してくれた者が、俺の敵になるはずはありません」

 敬愛の混じる臣下の礼をするヤシュは、ランバートを生真面目な目で見て深く深く頭を下げた。

「事情があったにしても、申し訳ない。以後は姫様の兵として共に戦うと誓おう」
「助かるよ」
「さぁ! そうと決まれば戦場に雪崩れ込むわよ! 私の部下をいいようにしたジェームダルに、一泡吹かせてやるわ!!」

 イシュクイナの勇ましさに、全員が苦笑する。そしてランバートは改めて馬に乗り、遅ればせながらもファウストのいる戦場へと足を向けた。


▼ファウスト

 戦場は思った以上に荒れた。それというのも伏兵に増援と数が多いのだ。そのほとんどをテクムが指揮している。ベリアンスはもっぱら、ファウストを抑える事だけに専念している。
 ファウストとベリアンスの周囲には敵も味方も近づけない。気迫と、実際の戦いの激しさから巻き添えになるからだろう。

 互いに負けない程の強さで打ち合わされる剣。だが、ファウストは躊躇いがあった。前ならば無かっただろう。だが、ベリアンスの現状を知った為に殺す気になれなかったのだ。

「どうした軍神!」

 ガンッと容赦の無い斬撃を受け止め、距離が近づく。必死すぎて余裕がない、決死の覚悟という様子に胸が痛んだ。

「お前は、今のままでいいのか」
「なに?」
「お前の現状を見て、お前の妹は喜ぶのか」
「っ!」

 剣を押しつけて後方へと飛び退いたベリアンスの顔に、ギリギリとした苛立ちが見える。多分、当人もそれは思っているのだろう。
 飛び退いたのを追いかけたファウストの剣を、今度はベリアンスが受け止める。憎しみすら見える瞳が近づいた。

「お前に何がわかる……」

 押し殺した声に、ファウストの胸も痛んだ。我が事の様に想像する事は出来るが、実際そこに立たされた者の痛みは想像を絶するだろう。

「セシリアは、俺に殺してと懇願する。今も、死にたいと周囲に叫んでいる。生みたくないと叫んでいる。それなのに、助けられなかった……」
「お前ほどの腕があって、どうして!」
「城の中にいるのは俺以外敵だ! 身重の妹を連れてどうして逃げられる! あのクソ男を斬ろうとしたが、失敗した……会うことも今はできないんだ……」

 これは、この男の悲鳴だ。
 ファウストも、想像はできる。もしもアリアが望まぬ男に乱暴をされ、その結果子でも出来てしまったら。産む事を強要されたら。囚われたまま、多勢に無勢であったら。
 だめだ、想像だけで苦しさに潰される。そんなアリアの姿を見続ける地獄など、辛すぎる。
 それでもファウストには助けを求められる仲間がいる。だがベリアンスには、そんな相手もないまま一人で耐え続けていたのだろう。

「どうするのが良いというんだ。仲間の助命の為、妹を人質として差し出した事が間違いだったのは分かっている。その結果がこの地獄だとでもいうのか。たった一人の家族が壊れて行く様を見るのが、俺への罰だとでも言うのか……」

 感情が堰を切ったように溢れるベリアンスを、見ている事ができない。激しく互いに剣を打ち合わせても、もうファウストにこの男を殺す事は出来ない気がした。
 いや、斬ってやるのが救いなのか? 生きながら苦しむくらいなら、楽にしてやるべきなのだろうか。

「どうして俺じゃない……俺なら耐えられる。どんな事をされても、耐えてみせる。妹だけは……どうして……」
「ベリアンス」
「いっそ殺してくれ軍神。お前の手にかかったなら、誉れだ。踏みにじられた騎士というプライドに、最後の花を添える事ができる。俺が負けたら、妹はどうなるんだ。殺されるのか? それとも、更に酷い陵辱でも待っているのか。もう俺には、冷静な判断など出来る気がしないんだ」

 揺れている瞳が、救いを求めて縋ってくる。一度間合いが開いて、ファウストの手にも汗が滲んだ。
 この男がそれを望むなら、これ以上の地獄を見ずにすむのなら、殺してやるのがいいのだろう。だから次で、決めるつもりで力を込めた。だが、こういう時はいつも嫌な気分だ。ルースの時も、後味は悪かった。死に望みを託す人間を手にかけるのは、心に重くのしかかってくる。

 ベリアンスが走り込む。ファウストはどっしりと構えて、それを迎え撃つつもりでいた。
 だがその間に、白銀の光が一条差し込んでファウストよりも先にベリアンスの剣を受けたのだ。

「な!」

 ベリアンスも、そしてファウストも驚いた。戦場に咲く白百合のように、その人物は異様な気がする。
 強い金髪を一括りにした白銀の女騎士は、ギリギリとベリアンスを睨み付けている。

「お前!」
「その節はお世話になったわね、ベリアンス将軍。お返しをしにきたわよ」

 ベリアンスは飛び退き、その女性を凝視する。だが、動きを止めたのはベリアンスばかりではなかった。
 テクムに従っていた者達も、当然テクムも動きを止めてその姿を見ている。そして皆がいちように、涙を流しそうな顔をしていた。

「テクム!!」
「!」
「遅くなったわね、迎えにきたわ。近衛騎士団はこれより帝国につきます。ついてきなさい!」
「はい、姫様!!」

 死んだ目をしていたテクムの瞳にも活き活きとした光が戻ってくる。そして、手をスッと上げた。

「これより先、我等ラン・カレイユ近衛騎士団は帝国に味方する! 全兵、反転!!」
「「おぉぉぉぉ!!」」

 地響きがしそうな雄叫びの次に、多くの兵士が騎士団と切り結ぶ事を止めてジェームダル兵へと向き直る。更にそこにランバート率いる本隊と、グリフィス率いる別働隊が合流した。

「っ! 全兵退却!!」

 一気に形勢が逆転したベリアンスは直ぐさま撤退命令を出し、自らも戦場に背を向ける。

「待ちなさい!」

 撤退するベリアンスを追うイシュクイナが、負けぬように走り込んでいく。呆然としていたファウストも、それに気付いて走った。
 形勢は変わったが、ここが敵地であることにかわりはない。しかも相手は暗殺部隊も備えているらしい奴等だ。今イシュクイナの身に何かあるのは避けたい。
 出遅れたファウストはそれでも追いつきそうだった。だがその横を、紅の影が走り込んで追い抜いていった。

「っ!」
「一人で突出するな、猪姫! ここは敵地だぞ!」

 追いついたダンがファウストよりも先にイシュクイナの腕を掴まえる。その直後、まるで牽制するように一本の矢が王女へ向かって放たれた。だが、ダンはそれも気付いたのだろう。手甲で上手く弾き、イシュクイナを胸元に引き入れていた。

「ったく、バカか。熱くなるのも分からんでもないが、状況考えろ。今アンタに何かあったら、誰が悲しむんだ」
「……ごめんなさい」

 ダンの腕の中で大人しくなったイシュクイナは、あからさまにシュンと項垂れた。
 ファウストはそっと近づき、撤退を終えた戦場を見回す。騎士団の被害は軽微で、戦力は一気に増えた形だ。

「ファウスト」
「ランバート、無事か」

 背後から近づくランバートに振り向き、声をかける。見ればその後ろからアルブレヒトとシウスも近づいてきていた。

「姫、無事でよかった」
「シウス殿。一度ばかりか、二度も救われましたわ」

 近づいてきたシウスに、イシュクイナはダンの腕から抜け出して礼を取る。シウスは鷹揚に頷いて、彼女の無事を喜んだ。

「私の部下が、大変な損害を貴国に与えてしまったことをお詫び申し上げます。ですが、既に我が国は滅び何も差し出せるものはございません。かくなる上はこの命をもって償いますわ」
「その必要はない、姫。其方のせいではない。それに、其方の命をなどもらい受けられぬよ。今からでも、その武力を貸して頂けると幸いじゃ」
「そのくらいのこと、お安い御用ですわ」

 ニッコリと笑ったイシュクイナは、次にアルブレヒトにも目を向ける。そして、丁寧に頭を下げた。

「貴方の事も、チェルル達から聞いています。私は貴方こそがジェームダルの真の王として立つことを望みます。微力ではありますが、お力添えできれば嬉しいわ」
「有り難う、ラン・カレイユの王女よ。貴方の力、頼りにさせてもらいます」

 互いに穏やかに微笑み合ったイシュクイナとアルブレヒトを見て、これでようやく事がおさまりそうだとファウストも安堵の息をついた。

「ファウスト、ランバート、悪いが隊を率いて奴等の本陣を確かめてくれ。こうなっては撤退したと思いたいが、睨み合うのなら迎え撃たねばならぬ。この勢いを逃したくはない」
「分かった。ランバート、行けるか?」
「はい」

 ファウストはオリヴァーが連れてきたフリムファクシに跨がり、一隊を伴ってジェームダル本陣を目指した。
 だが到着した頃には、そこはもぬけの空。荷などは置き去りのまま、人だけが誰もいない状態になっていた。
 こうして、ガザール・タルを舞台にした戦いは開始から十数時間で決着したのだった。
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