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14章:王の戴冠

8話:帝国海軍(ウルバス)

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 王都海上にジェームダルの軍船が百隻。流石にインパクトが強い光景に人々は戦々恐々として震えている。貴族の中には直ぐさま逃げた者もいるが、カールは特に咎めはしなかった。
 幸い陸上は陸戦に長けた第一師団が守っている事もあって包囲などされていない。王都を放棄すれば、生き延びる方法はいくらでもある。

 ただ、それは事実上の敗北を意味しているのと変わりはないけれど。


「ウルバス様、点検も準備も終わっています。いつでもご命令を!」
「うん、有り難う。でも、まだ様子を見て。とりあえず威嚇だけはしておいて」
「はっ!」

 キビキビと船上は動き、王都内の軍港は久しぶりに忙しい。帆の点検、大砲の点検、砲弾の補充、オールの点検などは日常からしているから問題ない。
 港に灯る明かりからか、ジェームダル軍船も動きはない。

 ウルバスはその足で王城へと向かった。

 王城も今はひっそりとしている。貴族達はほとんどが家にいるか、避難し終わっている。
 その状態で円卓の間へと向かうと、カール、ジョシュア、ヴィンセント、オスカル。そしてこの場の指揮を任されたキアランという宰相府の青年がいた。

 キアランはウルバスとは同期で、比較的話もする間柄だ。とても臆病で、慎重。石橋を叩きすぎて割りかねない性格だが、これでプライドも高い。
 綺麗な銀髪に色が白く、眼鏡の奥の青い瞳が神経質そうにしている。

「船の準備は整ってございます、陛下」
「ご苦労、ウルバス。王都内の貴族はあらかた避難したかい?」
「数人は残っております。そうした者は街中のシェルターか、自宅のシェルターへ避難するようにと触れを出しました。港周辺、及び城の周辺は立入禁止区域にしてあります」
「わかった」

 この緊張した状況にも関わらず、カールは労いの意味を込めて笑みを見せてくれる。主の器の大きさをみるようで、ウルバスも安心して一礼した。

「陛下、本当に逃げなくてもいいのですか?」

 珍しくジョシュアがそんな事を言う。当の本人はいつもと変わらない服装をしているが、胸当ても武器も仕込んでいるそうだ。

 カールは苦笑して頷く。どこか寂しそうでもあった。

「王が逃げたとあっては、格好がつかないだろ」
「かっこつけで命はかけられませんよ? それに、御子が生まれるのでしょ? 最悪、抱けなくなりますよ」

 追い詰めるように言われた時、ほんの少し辛そうな顔をした。それでも意志は強いのか、カールは小さく笑った。

「では、尚のこと逃げられないな。民を捨てて逃げた王だなどと後ろ指を指される父では、子が可哀想だ」
「……お覚悟、ご立派です。それでこそ我が主」
「お前は逃げなくていいのか、ジョシュア」
「なに、仕込める事は全て息子に仕込んでおきましたし、何より奥様が一緒だ。彼女がいれば我が家の魂は消えはしない。ヒッテルスバッハの生き様を、子々孫々に継がせてくれますよ」

 カラカラと笑うジョシュアも流石だった。
 そんな二人が何の前触れもなくヴィンセントを見るものだから、彼の方はビクリと震えてしまった。

「ヴィン、君は逃げてくれ」
「え?」
「子も、後数ヶ月で生まれる。アネット嬢とその子を、幸せにしてあげなければいけないよ」
「そんな、陛下!!」

 突然言い渡された事に、ヴィンセントは狼狽えていた。けれどジョシュアが笑って肩を押さえた。

「政治的にも意味がある。最悪私や陛下がここで死んだ時、残されたデイジー様とその子を支え、王のなんたるかを教える者が必要になる。老いぼれの私よりも、お前の方が長く側にいてやれる。お前の子、共々教育するんだよ」
「ですが!」
「ヴィン、命令だ。デイジーと、生まれてくる子の事を頼む。なに、死にはしないつもりだ。ここにいる騎士達を信じているからね」

 信頼の視線を向けられ、キアラン、オスカル、そしてウルバスも丁寧に礼をする。

 ヴィンセントは暫く俯いていた。けれど直ぐさまギュッと手を握り、頷いた。

「命に替えても、妃殿下とその子をお守りいたします」
「任せたよ」
「はっ」

 短く拝命の声を残すと、ヴィンセントは足早に城の隠し通路へと向かっていく。そこにはまだ、デイジーが近衛のルイーズと共にいるはずだった。

「まったく、甘いね陛下。そんなに彼を逃がしたい?」

 オスカルが苦笑する。それに、カールも苦笑して頷いた。

「幸せになってもらいたいんだ。それに、私には義務があるが、彼にはない。こんな場所で、命をかけてほしくはないよ」
「おや、私はかけるんだけれどね陛下」
「お前も行っていいよ、ジョシュア」
「可愛げがないね、陛下。行けと言われてもその気はない。こんな老いぼれでも、盾くらいにはなるしね」

 ニンマリ笑うその顔を見るに、ジョシュアが素直にただの盾になるとは思えなかった。


 城の中は緊急事態命令が出ている。これが出ると普段帯剣しても抜く事のない近衛府が存分に剣を振るえる。城の中を汚しても咎めはない。
 オスカルがカールとジョシュアのいる部屋の前を守っている。舞踏会用の大広間の奥、肖像画の裏が隠し部屋になっているのだ。

 そしてウルバスは一人、キアランを訪ねていた。

「キアラン、いつにするんだい?」

 声をかけると余裕のなさそうなキアランが苦笑し、眉間を揉み込む。溜息がとても重かった。

「海軍はお前に任せている、ウルバス。街の避難が整っているならいつでも始めろ」
「そんな事を言って。これでも宰相である君の意見を聞いてるのに」

 苦笑して言えば、睨まれる。次にはまた溜息だ。

「……俺はどうも、宰相の器じゃない。笑っていいぞ、この状況に足の震えが止まらん」

 自嘲気味な声に、ウルバスは首を横に振る。確かに彼の体は多少震えている。だがこの状況でも彼はできるだろう。
 攻めの宰相がマーロウならば、守りの宰相がこのキアランだ。

「君は十分に器だよ」
「嫌味か。……正直自分でも嫌気が差す。どうして俺にはマーロウのような大胆さがなかったんだ。なんだあいつの躊躇いのなさ。失敗だとか、考えているのか」
「うーん、それはね……」

 考えていないんじゃないかな? と、思うけれど。

 確かに宰相府の両翼は性格的にも考え的にも真逆だ。
 マーロウは失敗を恐れず、攻めの姿勢で事態を切り開いていく。本人はまったく武力を持たないのに、性格的には宰相府で一番の特攻を仕掛けている。奇襲も暗躍もお手の物、卑怯と言われても目的達成のためになら平気だ。
 一方のキアランは臆病で慎重、失敗を恐れる傾向にあり、手は堅実。だからこそ多くを学び、過去の戦いや他国の戦いをよく研究している。同時に城や砦の建造に詳しく、建物の把握などを得意とする。その為守りに適しているのだ。

 こんな両極端な二人を繋ぎ、同時に自身も交渉や外交、他国文化への精通と動いているのがシウス。正直この二人では交渉は無理なんだ、性格的に。

 こんな宰相府のトップ達だが、意外と大きな諍いもなく互いを尊重しあっている。たまにチェスなどで喧嘩をしているようだが、それも長引きはしないし。

「キアラン、大丈夫だよ。乗り越えれば後は平気さ」
「お前の脳天気もどうなんだウルバス。ここ暫く出動がなかったから、平和ボケしてないか。俺はここから見える海上の船を見るだけで吐き気がするぞ」
「うーん、平和ボケはしてないんだけどな……」

 ポリポリと頭をかいたウルバスの目に、不意に不敵さが宿る。空気も少し重く、そして尖った感じがしてキアランはビクリと震えた。

「むしろ、楽しみなんだけれどね。久々に船に乗れるし」
「そう、みたいだな」
「うちの隊員も無駄に気合入ってるんだ。既に動き出してるのもいるから、早めに動いてあげないと突出しちゃいそう。俺も、待ちきれないかな」

 高揚感を抑えつつ、ウルバスは笑う。何せ楽しいのだ、血が騒ぐ。穏やかなんて言われているけれど、それでも騎士なんだと自覚させられる。
 愛槍を手に、ウルバスはキアランに背を向けて港に向かおうと一歩を踏み出した。その背に、声がかかった。

「お前を信じているぞ、ウルバス。歴代海軍総督の中でも、お前の右に出る者はない。その実力、楽しみにしている」
「んっ、有り難う。それならキアランは俺の戦いを、吐かずにちゃんと見ててね」
「……それは、無理だ」

 既に胃がキリキリしっぱなしなのだろうキアランを笑い、適度に力も抜いて、ウルバスは港へと戻っていった。


 港はほぼ凪。そこから海上へと出ると僅かに風が吹いている。王都を背に布陣したウルバス達本隊の背中から風が海上へと吹いていく。追い風であり、同時に火計を仕掛けられる危険性が減る。今火を放てば被害を受けるのはジェームダル側だ。

「報告! ジェームダル側は戦列艦、ガレオン船、フリゲート船の混合! 主な構成はガレオンですが、戦列艦もそこそこいます」
「総力戦を仕掛けてきた感じだね。流石海洋国家」

 部下からの報告にウルバスは苦笑する。が、ほぼ装備はこちらと同じだ。

「別働隊の配備は済んでいるね?」
「はい!」
「よし。風が変わる前に進む。前進開始!」

 ウルバスの声に帆が張られ、風上にいる帝国船五〇隻が前進を開始する。
 位置的な優位は帝国にあるが、装備や兵数が陸戦以上に力となる海戦において百対五〇の数的優位はなかなか覆す事が難しい。
 それにこの日は風上と言えど弱風。帆を張っても推進力は弱い。

 ジェームダル側は待つつもりだろう。ゆっくりと前線が船体を横に向け、側面からの一斉砲撃を開始した。

「範囲に入るな! 戦列艦、砲撃用意! 撃て!!」

 側面を向けた戦列艦四隻が船体を横にし、砲撃を開始する。一斉砲撃に僅かながら船体が揺れている。最前列が一発撃つ間に二陣が同じように敵に側面を向け、一陣がそのまま大回りにどけ、後ろへと回ると第二陣が次を撃つ。

 水しぶきと硝煙が立ちこめる海域に大きな波が起こり揺れる。本来視界を遮られる状況は好ましくない。だがジェームダル側は既に後がないのだろう。本来ならばやらない事をし始めた。

「ウルバス様! 敵船前進してきます!」
「数は!」
「フリゲート船、ガレオン船約四〇! 戦列艦は砲撃体勢のまま!」
「戦列艦、体勢立て直せ! 横にぶつかるぞ!」

 事前に決められた色の閃光弾が打ち上がり、素早く側面を向けていた船が回避行動を取り始める。
 その船の合間を縫うように機動力のある敵フリゲート船とガレオン船が一直線につっこんできた。

「白鯨準備!」

 ウルバスの声に司令船であるフリゲート船から白い閃光弾が打ち上がる。その直ぐ後に、大きく船体が揺れた。敵フリゲート船と、船側面が接触したのだ。

 他の船も大きく当たられて揺らぐ船もある。が、この程度で当たり負けはしない。互いに船が入り乱れた状態になり、当たられた船も合間を取る。接近されていい事はない。

 てっきり乗り込まれるのかと思っていた。だが、意外と船は動きがない。
 何かがおかしいと感じたウルバスの指令は迅速だった。

「走行不能船は放棄! 全艦、全速前進!!」

 ドーンと大きなドラの音が響き一気に船が全ての帆を張って急速に前進を開始する。それから少しして、敵船より炎が上がった。

「船を潰しての火計なんて、ほんと狂ってる」

 かろうじて大半の船は難を逃れたが、最初の接触で距離を詰められたいくつかの船は巻き込まれてしまった。海に身を投げた人の姿も見て、ウルバスは視線を強くする。

「どうしますか、ウルバス様」
「どうもしない。予定通りの位置まで引っ張り出すぞ!」

 炎を背にした帝国艦隊は、いつのまにか後続のフリゲート、ガレオンのみとなっている。戦列艦は先の回避の時に第二作戦へと動き出すよう信号を送っておいた。

 ゆっくりとだがジェームダル艦隊がこちらへ向かい進軍を開始する。船は大艦隊で残された少数を蹂躙するつもりなのだろう。
 だが、それがとある一線へとさしかかった瞬間、外周から敵艦は崩れ去った。

 あまりに一斉の砲撃を一度に浴びた敵船団はおそらく焦っただろう。だが、なんて事はない。彼らは知らず知らずに包囲されていたのだ。
 ズドンという腹に響く音のが轟音のように響き、風下が煙る。第一これを疑問に思わなかったのだろうか。火災の煙もあるが、それより前に硝煙は多かったはずだ。なぜなら後方のガレオン船で大量の煙を焚き、別働隊を上手く隠していたのだから。

 ウルバスは左右に展開されているだろう部隊へと視線を向ける。百隻の戦列艦による上下二段の砲台全てが火を噴いている。
 そればかりではない。本隊前線で戦っていた戦列艦も加わって敵船団を囲い、砲撃を浴びせている。
 後方では救助用の小型船が海上に逃れた者を救助しに向かっていた。

 敵は総崩れ。船首を返そうにも一気に百隻もの船が押し寄せたのだ、場所がない。座礁した船が邪魔をしてひっかかり、船首を返す事もままならない。場は混乱していく。

 その中で一艘のフリゲート船が上手く場を切り返し帆を大きく張る。それを見つけたウルバスはすぐに船を走らせる命令を出した。

 装甲の強い戦闘特化の戦列艦ではなく、あえて機動力重視のフリゲートにウルバスが乗り込むのはこの時の為だ。逃げる敵艦の追跡。だいたいこういう時には敵大将が乗っている。それを捕縛するためだ。

 訓練された船はどんどん逃げる船を追う。衝角で相手の船尾を突こうという間際、左舷より敵船の影が報告された。

「ダメです、距離がない! 衝突します!」
「全員衝撃に備えろ!」

 ドォンという強い衝撃を左側から受けた船が揺れる。傷ついた敵フリゲート船の衝角がウルバスの船の上部を僅かに抉る。そして、一人の若い青年が颯爽とその衝角を走りウルバス艦へと乗り込んできた。

 揺れの残る甲板を走る青年の剣がウルバスを見つけて向かってくる。だが、これに対応できないウルバスではない。愛槍が青年の剣を弾き、構えられる。腰を落とし足を開き場を固めたウルバスの手から、大砲の一撃のような重い一突きが繰り出された。

「くっ!」

 剣で弾こうとした青年だが、その重さに怯んだのだろう。手が遅れる。
 それを見逃さず前に出たウルバスは槍を返し丸くなった柄の方で強かに青年の腹を突いた。

「ぐぅ!!」

 重みのある一撃に膝をついて腹を抱えた青年は、それでも気持ちは負けていないのだろう。ウルバスを睨み上げ、剣を手放す事はない。

「降伏すれば殺しはしないよ」
「情けなどいらん!」
「威勢がいいね。でも、もう痛くて動けないでしょ?」
「差し違えても!!」

 膝を立て、小細工もなにもない渾身の一撃を繰り出す青年の顎を、ウルバスの槍の柄が掬い上げるように打つ。その衝撃に仰け反った青年がドサリと仰向けに倒れ、手からは剣が落ちた。

「うーん、若いな。でもいい気構えかも。さっさと逃げた大将よりもいいもの拾ったかもね」
「こいつ、どうしましょうか?」
「縛りあげて、治療しておいて。可能なら引き入れるから」

 完全に伸びた青年の両脇を抱えた隊員が船倉へと運んでいく。

 ウルバスは海上を見回した。無傷とはいかなかったが、大方片付いた。既に帝国ガレオン船が海上に浮かぶジェームダル兵を引き上げ、同時に捕縛している。敵船もほぼ沈んだ。

「さて、海上封鎖はこれで解除かな。久々の実戦だったけど、いい刺激になったね」

 風が僅かに変わり、海上から王都へ向けて緩く吹き始めている。この風がもしも最初から吹いていれば、戦況はまた違ったものになっただろう。

「さて、帰ろうか」

 帰港を知らせる太鼓の音を響かせたフリゲート船が戦場を行く。その後ろを帝国の旗を揚げた船が続いていく。
 王都を包囲した脅威は、戦闘開始数時間で解除されたのだった。
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