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14章:王の戴冠
9話:華麗なる騎士のワルツ(オスカル)
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王宮での緊急事態宣言なんて、実は初めてかもしれない。西との戦いでも王宮にまで影響はしなかったし、暗殺騒ぎは度々あったものの少人数で抑える事が可能だった。
ただ、今回ばかりはキアランが慎重になっている。結果、近衛府まで抜刀を許された。
カールとジョシュアが隠れている場所の一つ手前、華々しい舞踏会が開かれる大広間はもの凄く静か。人は、オスカルのみだ。
他の近衛府は城の中を巡回し、不審者がいた場合は職質をかける事になっている。城で働いている貴族やメイドも既にいないから、いくらでも暴れられる。
後は騎士団寄宿舎が少し心配だ。新人や帰還している怪我人、医療府や料理府がいる。そしてあそこには、武器庫がある。
前線は今頃順調だろうか? まぁ、シウスとファウストがいるのだから心配もないか。むしろ解き放たれた黒皇を抑える事の方が大変かもしれない。殺気立ってるファウストを宥めるのはこっちの神経が擦り切れる。
けれどそれも、ランバートがいればきっと大丈夫。本人はあまり認めないけれど、あの男を抑えられるのは本当に凄いんだ。過去の戦場で彼が出た後は屍累々でドン引きだし、あいつ自身が怪我をしても無茶をするから周囲がヒヤヒヤする。
ランバートはそんな男の鞘だ。抜き身の剣のようなファウストはようやく、恋人という鞘を得て自制がきくようになったんだろう。
そして前線の恋人は無事だろうか。これを言えばエリオットは不満そうにするのだろうが、それでも心配はしてしまう。
いや、オスカルが心配をかけないようにしなければ。無様に怪我などしたら、帰ってきた彼に凄い目でみられてしまう。
そんな思考をさえぎるように、気配が動くのを感じてオスカルは閉じていた目を開けた。青い瞳が周囲を見回し、あらぬ方向から飛んできたナイフを素早い剣が弾く。カランと音がした直後、出入口から称賛の拍手が送られた。
「流石オスカル様!」
「エドガー、君だったのか」
数十人の黒服を従えて現れた青年は、白い近衛府の軍服を着ている。今年二年目のエドガーは、オスカルにも見せている屈託のない笑みを見せた。
「あれ? もしかして何か疑ってましたか?」
「誰かが入っているだろうとは思っていたからね。ただ、誰かまでは特定できなかったけれど」
「完璧に振る舞っていたはずなんだけどな? 疑う余地なんてないくらい」
「チェルル達が入り込んでいる回数があまりに多かったから、甘い箇所があるんだろうと思ってた」
「あぁ、なるほど」
フワフワとした金髪に大きな緑色の瞳をした青年は、愛らしい顔に似合わないニヒルな笑みを浮かべる。
「あいつら、本当に使えないよね。綻び見せないと潜入できないんだもん。チェルルだけだよ、こちらが把握できなかったの」
「彼は特別だったからね」
「あの技術、伝えてくれればよかったのにね。裏切り者」
口を尖らせ頬を膨らませるエドガーに、オスカルは感情の見えない笑みを浮かべた。
「さて、それが君の今の仲間だろ? 今は緊急事態、剣を抜けるけれどどうする? 降伏して生き延びる?」
「うーん、それも悪くはないんだけどな。でも、だーめ。ナルサッハ様に面目立たないしね」
「また、ナルサッハか……」
度々出てくる名に、少々辟易する。これほどの大事を起こした人物は、案外部下から慕われているらしいのだ。
「僕はあの人に命を救って貰った恩があるんだ。それにね、可哀想な人なんだ。今頃死んでるかもしれないけど、あの人が復讐したいというなら少しくらい手を貸してあげないと」
「復讐?」
「エルの悲劇。帝国の愚行が、あの人の悲劇の始まりなんだ。だから、今こんな状態になってるんだよ」
とても楽しげにエドガーは伝える。そしてオスカルの脳裏には友人シウスの姿が浮かんだ。
エルの悲劇は、確かに酷いものだった。エルの戦士はあの悲劇で多くが死に、逃れた者も決して幸せではなかったらしい。奇異の目で見られ、肩身の狭い生き方を強いられた。
現在は徐々に変わってきている。エルを含む他民族への保証や保護が確立され、国が後ろ盾に立った事で生活が向上している。徐々にだが、偏見の目もなくなってきている。
だがそれでは間に合わなかった人々もいた。ナルサッハという人物はきっと、余程に苦しい思いをしたのだろう。
「まぁ、僕には分からないけれどね。それでも命の恩は命で返す」
「忠誠心か。それじゃ、野暮な事を言うものじゃないな」
オスカルは剣を顔の前に垂直に立てる。そして、それをブンと振り下ろした。
「久しぶりに真面目に剣を使うから、お手柔らかにね?」
「かかれ! その男を捕らえ皇帝カール四世の居所を吐かせろ!」
後ろに控えていた黒服が一斉に前に出て剣を構える。そうして踏み込まれる剣を、オスカルは冷静に見て弾き、とても優雅な足捌きで距離を取る。
足が、腕が、剣の運びが、まるで踊るようだった。白い近衛府の制服に赤を散らしながらも、まるでそのような衣装を纏うように全てが流れていく。
「なんだ、この剣……」
「捉えどころが……」
五人程度を斬られた時点で、黒服が一歩引く。だがオスカルの剣は優雅に伸び、挑発するようにクイクイっと揺れた。
「shall we dance?」
汗一つ流す事はなく、踏み込む足は伸びやかに。そして、握る剣は強く相手を打ち付ける。伸びた背筋、繰り出される剣も真っ直ぐに男達の剣を落とす。
左右から同時に切り込まれるそれすらも、軽やかなバックステップで床を斬るばかり。
「踊っている?」
エドガーの言葉を肯定するように、長い近衛府の制服が花を咲かせたように円に広がる。貴婦人のドレスが花開くような動きに合わせ、三人が床に倒れ伏した。
「僕はね、正直あまり強くないんだよ」
「え?」
舞うような動きのまま、敵を斬り仕留めるオスカルの穏やかな声はいっそ聞き惚れるものがある。血の臭いが濃くなっていく中に、自嘲気味な声が響いた。
「ファウストのような剛の剣は僕の筋力じゃ無理。クラウルみたいな瞬発力とセンスもない。だからってエリオットみたいな正確無比な剣も使えなければ、シウスみたいな技巧の剣も無理。ほんと、ダメダメでね。いっそ同期が憎らしくすらあったんだ」
当時を思い出すような、それでも軽やかなステップ。周囲を把握する能力と持久力、ワルツを踊るような華麗なターン。その全てが敵を切り伏せている事を除けば、なんとも美しい光景だ。
「僕に何があるのだろう。悩んだ先で、これが残った。優雅に振る舞う為、貴族であるために必死にしがみついたステップと、体の動き、柔軟性。磨いて、磨いて、そうして剣を乗せてみた。陛下がね、これをいたくお気に召してくれるんだ。美しいって」
四歳まで孤児院で育ち、お針子の息子であったオスカルは大好きな父を立てる為に努力し続けた。楽器に、勉強に、マナー。優雅な振る舞いと繕う笑顔を手に入れた。弟や妹が生まれてからは、模範となるよう更に邁進した。
それが、今に繋がっている。同期の誰もがこの足捌きについてこられない。当たり負けする剣も柔軟な体は受け流すのに適している。ピンと張った神経と集中力は他の気配を肌の全てで感じさせてくれる。
「近衛府団長だからね。優雅に、していなくちゃ」
ピタリと動きを止めて優雅な一礼をした時、このホールに立っているのはオスカルとエドガーだけになっていた。
白い制服は赤が散り、大理石の床には黒服が転がる。それでも誰一人死んではいない。オスカルが狙うのは腕と足。動けなくしてしまえば命まで取らない。
「さて、エドガー。君も僕と踊るかい?」
問いかけに、エドガーはフッと息を吐いて剣を捨て、頭の後ろに両手を置いた。
「賢明だね」
オスカルは背後へと回り、彼を拘束する。近衛府は犯人逮捕の為に常に簡易の手枷を持っている。それを、エドガーにかける寸前。
不意にまったく関係のない横合いからナイフが飛んできて、オスカルは目を丸くした。手には錠を持っているし、剣は収めてしまった。回避しようとした体は逆にエドガーにつかまれた。
「っ!」
硬く目を瞑る。だが、痛みが襲うよりも前にキィィンという音が響き渡り、続いて男の悲鳴が聞こえた。
「油断するなんてらしくないよ、オスカル」
「ジョシュア様」
隠し扉から出てきたジョシュアの手には、銀のナイフがクルクル回っている。その一本が飛んでくるナイフを打ち落とし、更に一本が潜んでいた男を仕留めていた。
「ちっ」
「性格の悪いキツネさんだな。オスカル、ちゃんと拘束しておきなさい」
「お手数掛けました」
「なんの。久しぶりに君の優雅な踊りを見せて貰ったよ」
にこやかなジョシュアに苦笑し、オスカルはエドガーを拘束する。他の黒服も一通り縛りあげていると、ようやく近衛府がバタバタと駆けつけた。
「ご無事ですか!」
「問題ない。こいつら全部地下牢にぶち込んでおいて」
「はっ!」
拘束された者を立たせ、運んでいく。それを見送るオスカルは、ふと港からの大きな音を聞いた。
「おや、あちらも片付いたみたいだね」
「勝利の空砲か。流石ウルバスだよ」
「さて、これで鼠が一掃できているといいんだけれどね」
その言葉が俄に、オスカルに不安を与えた。
▼キアラン
騎士団宿舎。ここに戻って来たキアランはあれこれ動いていた。
戦えない料理府と医療府、怪我人なんかを誘導して隠し部屋に避難させたり、手の空いている一年目なんかを軍港に回した。
ウルバスがあのやる気なら、多分無事に戻ってくる。ただ、無傷とは限らないし捕虜もいるだろう。そうなったとき、捕虜や怪我人を運ぶ人数が必要になるし、当然見張りも必要だ。船の整備は第三じゃなければできないし。
これらをきっちりこなし、武器庫の鍵を確認した所で、その首にヒヤリと冷たい物が当たった。
「そこを開けてもらおう」
「……」
チラリと盗み見た背後に、二〇人程度の黒服がいる。目元を覆う彼らは皆が剣を抜いていた。
やはりここまで踏み込まれたか。キアランは冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべた。
「なにもないぞ」
「ここが武器庫だという事は知っている」
「どうしてだ?」
「お前が知る必要はない!」
「ぐっ!!」
ドンと背中を硬い物で突き飛ばされ、痛みに思わず呻いてしまう。そのまま地面に倒れ伏すと、黒服数人が馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
キアランは武器を持たない。マーロウは仕込みの毒針を常用しているが、キアランは本当に丸腰だ。
これにも意味がある。まずそれほど強くも無い剣を磨く労力を削った。体力訓練や防御、回避などは積極的に行うが、武力は捨てたのだ。
敵は情報を持っていそうで、かつ武器を持たない人間を下に見て猶予する傾向にある。痛めつけるなりして情報を引き出す方が有益と取るからだ。
キアランは見た目にも何かを知ってそうな雰囲気があるし、実際知っている。情けないがこれが、一番生き残れる方法だったのだ。
男達を見るに、ジェームダルの暗殺者であるのは明確。ここが武器庫であると知っているなら、何処かに内通者がいる。カール暗殺で一発逆転を狙うつもりなら、近衛府辺りに潜ませていたに違いない。唯一宮中の構造を知る事が出来る部署だ。
だが甘い。あそこの長はあれで食えないお人だ。
オスカルは柔和な様子をみせるくせに、いざ戦いとなればかなり実力がある。「同期最弱」とか言うが、あの人の同期がほぼ化け物の巣窟なんだ。ファウストなんて見てみろ、宰相府の策など紙くずにする武力だ。想像とか、想定とかを一瞬で越えてくる。
本来武力を持たない医療府のエリオットだって無慈悲なレイピアの使い手だ。一撃で敵を屠るって、医療人がそれでいいのか。
上官シウスが宰相府では異例だ。自衛がギリギリというレベルの宰相府において、あの人だけは戦場で戦える騎士でもある。鋭く細密な剣は観察眼の鋭さもあって的確に無力化ができる。
だが現状、情けなくて笑えてくる。地に這いつくばって尻餅状態で、男達を見上げているのだ。
「武器庫の鍵を渡せ」
「断る!」
そう言いつつ、キアランは胸の隠しを握った。それを見た黒服達が、ニッと笑った。
奪うように四肢を掴まれ、声を上げれば殴られる。抵抗して、体をばたつかせても無駄だ。あっという間に胸元の隠しから銀色の鍵を奪い取られてしまう。
「まったく、手間をかけさせるっ!」
「ぐっ!!」
手間を掛けさせられた腹いせなのか、それともただの加虐か。最後に鳩尾の辺りを力一杯拳で殴られたキアランは呻きながらこみ上げる嘔吐感を堪えきれず吐き出した。
とは言えここ数日現状に胃をやられていてほぼ食べていなくて、出てくるのは胃液ばかりだったが。
「情けない騎士もあるものだ!」
嘲笑しながら武器庫が開けられる。ここには主に武器と、そして火薬が置かれている。海軍が使う大砲の火薬の多くはここに運ぶし、危険物の為押収したものなどもここに保管される事が多い。
現在、数十トンの火薬がここにある……はずだった。
「暗くて見えないな」
「火は使うなよ」
「窓を探せ」
中にゾロゾロと入っていく黒服達が全員中に入り、窓の開閉レバーを見つけて下ろそうとしている。だが、レバーは硬くなかなか下りない。そっちに意識が集中しているのを確認して、キアランは急ぎ立ち上がりドアを閉め、ドア横のレバーを下ろした。
「なっ!!」
ガチャンガチャンと派手な音がして、ドアは二重にロックがされる。このドアは特別式で、強い鉄の閂が上下二本ずつできるようになっている。通常の鍵ではなくドアのレバーを下ろす事でこのロックはかかるのだ。
「開けろ!!」
「誰が、開けるか……」
殴られて痛む腹を庇い、頑丈な石造りの武器庫の壁に手をつきながらもキアランは離れた場所にある小屋に入り、車輪を回す。この小屋には釜があり、その煙突部分は武器庫に繋がっている。キアラン特製の、対侵入者対策だ。
「良い夢を見られるといいな」
釜に火を入れ、鉄のドアを閉める。すると煙がドンドン武器庫へと流れて、やがて充満していく。釜の中の水には睡眠効果があり、これを煙として流すのだ。
更に武器庫の一番下にはほんの僅かな換気口があり、中の人間を窒息させない程度に保っている。
「はぁ……」
ズルズル床にヘタレ込んだキアランはまた何度か咳き込む。腹は痛いし、胸は焼けるし、気持ちは落ち込むしで散々だ。この道を選んだのはキアラン本人だが、選びたくて選んだんじゃない。生存確率を取ったにすぎないんだ。
「くそ、格好悪い……どうして俺はこんなに弱いんだ……」
胃が焼けて、こみ上げるものがあって咳き込んだら、なんだか赤黒いものがついた。とうとう胃に穴でも開いたらしい。
「くそ、軟弱精神。病弱マーロウをバカに出来ないじゃないか」
床に倒れて動ける感じがない。でも、意識はちゃんとしている。気持ちは悪いけれど。
その時、バタバタと走り込んで来る体重の軽い誰かの足音がして顔を上げた。
「キアラン!!」
「ウェイン?」
駆け込んできた小柄な影を見て、キアランは表情を緩ませる。前線で生死に関わる怪我をしたと聞いていたから、心配していたが安心した。元気そうだ。
「うわ! 大丈夫? また胃に穴でも開いたの?」
「多分。さっき、殴られた……」
「すぐ医務室運ぶから!」
「いや、お前怪我してるだろ……歩く」
ふらつきながらも立ち上がったけれど、まだ気持ちが悪い。肩を貸してくれるウェインの方がよほど元気だ。
「遠慮しないでよ。同期なんだからさ」
「……」
それが余計に感傷に触るということも、あるのだけれど。
やがてアシュレーも来て、担がれて医務室に放り込まれた。そしてリカルドによって治療されている間に、気も抜けてすっかり眠り込んでしまった。
目が覚めると外はすっかり暗く、胃は痛んだが、こみ上げるような吐き気は収まっていた。
「目が覚めましたね。気分は?」
「胃が痛い、です」
「潰瘍が出来て出血していましたよ。殴られたのが余計にいけなかったのでしょうね。それにしても胃の中が空っぽで荒れていました」
「……緊張で暫く食欲がなかったので」
でも、穴は開いていなかったらしい。
リカルドは呆れた様子だが、クシャリと髪を撫でる。この人もだいぶ、雰囲気が柔らかくなった。
上官と同じエルの神秘性は、リカルドの方が多い気がする。シウスは語らう事が多いから、『神秘』というほどの謎めいた様子はあまりないのだ。
「状況、どうなりましたか」
「ウルバスは無事に帰還、怪我人の治療も終わっています。城に忍び込んだ賊はオスカル様とジョシュア様が片付けました。こちらのことはウェインさんとアシュレーさんが整えて、今は平穏なものです」
「はは……それは良かった」
本当に、情けない。こんなんだから同期の中で恋人もいないんだ。
オリヴァーが事実上の結婚をして、ウェインとアシュレーが恋人となり、ルイーズなど本当に可愛い嫁をもらい、独り身濃厚と思っていたグリフィスも外に恋人がいるらしい。
残ったウルバスはあの柔和さで意外とモテるのに恋人を作らない。作らないんであって、その気になればいくらでもできる。
自分だけ、情けない。皆が幸せそうにしているのを指を咥えて見ている。そのくせ「紹介しようか?」という言葉にプライドが反応して「いらん!」と言ってしまう。本当は少し、寂しくて羨ましいのに。
「恋人か……」
「え?」
「あぁ、いえ」
考え事が思わず口に出たキアランは顔を赤くしてリカルドに背を向けた。
王都混乱の一日は、様々な人の力によって平穏を取りもどしたのであった。
ただ、今回ばかりはキアランが慎重になっている。結果、近衛府まで抜刀を許された。
カールとジョシュアが隠れている場所の一つ手前、華々しい舞踏会が開かれる大広間はもの凄く静か。人は、オスカルのみだ。
他の近衛府は城の中を巡回し、不審者がいた場合は職質をかける事になっている。城で働いている貴族やメイドも既にいないから、いくらでも暴れられる。
後は騎士団寄宿舎が少し心配だ。新人や帰還している怪我人、医療府や料理府がいる。そしてあそこには、武器庫がある。
前線は今頃順調だろうか? まぁ、シウスとファウストがいるのだから心配もないか。むしろ解き放たれた黒皇を抑える事の方が大変かもしれない。殺気立ってるファウストを宥めるのはこっちの神経が擦り切れる。
けれどそれも、ランバートがいればきっと大丈夫。本人はあまり認めないけれど、あの男を抑えられるのは本当に凄いんだ。過去の戦場で彼が出た後は屍累々でドン引きだし、あいつ自身が怪我をしても無茶をするから周囲がヒヤヒヤする。
ランバートはそんな男の鞘だ。抜き身の剣のようなファウストはようやく、恋人という鞘を得て自制がきくようになったんだろう。
そして前線の恋人は無事だろうか。これを言えばエリオットは不満そうにするのだろうが、それでも心配はしてしまう。
いや、オスカルが心配をかけないようにしなければ。無様に怪我などしたら、帰ってきた彼に凄い目でみられてしまう。
そんな思考をさえぎるように、気配が動くのを感じてオスカルは閉じていた目を開けた。青い瞳が周囲を見回し、あらぬ方向から飛んできたナイフを素早い剣が弾く。カランと音がした直後、出入口から称賛の拍手が送られた。
「流石オスカル様!」
「エドガー、君だったのか」
数十人の黒服を従えて現れた青年は、白い近衛府の軍服を着ている。今年二年目のエドガーは、オスカルにも見せている屈託のない笑みを見せた。
「あれ? もしかして何か疑ってましたか?」
「誰かが入っているだろうとは思っていたからね。ただ、誰かまでは特定できなかったけれど」
「完璧に振る舞っていたはずなんだけどな? 疑う余地なんてないくらい」
「チェルル達が入り込んでいる回数があまりに多かったから、甘い箇所があるんだろうと思ってた」
「あぁ、なるほど」
フワフワとした金髪に大きな緑色の瞳をした青年は、愛らしい顔に似合わないニヒルな笑みを浮かべる。
「あいつら、本当に使えないよね。綻び見せないと潜入できないんだもん。チェルルだけだよ、こちらが把握できなかったの」
「彼は特別だったからね」
「あの技術、伝えてくれればよかったのにね。裏切り者」
口を尖らせ頬を膨らませるエドガーに、オスカルは感情の見えない笑みを浮かべた。
「さて、それが君の今の仲間だろ? 今は緊急事態、剣を抜けるけれどどうする? 降伏して生き延びる?」
「うーん、それも悪くはないんだけどな。でも、だーめ。ナルサッハ様に面目立たないしね」
「また、ナルサッハか……」
度々出てくる名に、少々辟易する。これほどの大事を起こした人物は、案外部下から慕われているらしいのだ。
「僕はあの人に命を救って貰った恩があるんだ。それにね、可哀想な人なんだ。今頃死んでるかもしれないけど、あの人が復讐したいというなら少しくらい手を貸してあげないと」
「復讐?」
「エルの悲劇。帝国の愚行が、あの人の悲劇の始まりなんだ。だから、今こんな状態になってるんだよ」
とても楽しげにエドガーは伝える。そしてオスカルの脳裏には友人シウスの姿が浮かんだ。
エルの悲劇は、確かに酷いものだった。エルの戦士はあの悲劇で多くが死に、逃れた者も決して幸せではなかったらしい。奇異の目で見られ、肩身の狭い生き方を強いられた。
現在は徐々に変わってきている。エルを含む他民族への保証や保護が確立され、国が後ろ盾に立った事で生活が向上している。徐々にだが、偏見の目もなくなってきている。
だがそれでは間に合わなかった人々もいた。ナルサッハという人物はきっと、余程に苦しい思いをしたのだろう。
「まぁ、僕には分からないけれどね。それでも命の恩は命で返す」
「忠誠心か。それじゃ、野暮な事を言うものじゃないな」
オスカルは剣を顔の前に垂直に立てる。そして、それをブンと振り下ろした。
「久しぶりに真面目に剣を使うから、お手柔らかにね?」
「かかれ! その男を捕らえ皇帝カール四世の居所を吐かせろ!」
後ろに控えていた黒服が一斉に前に出て剣を構える。そうして踏み込まれる剣を、オスカルは冷静に見て弾き、とても優雅な足捌きで距離を取る。
足が、腕が、剣の運びが、まるで踊るようだった。白い近衛府の制服に赤を散らしながらも、まるでそのような衣装を纏うように全てが流れていく。
「なんだ、この剣……」
「捉えどころが……」
五人程度を斬られた時点で、黒服が一歩引く。だがオスカルの剣は優雅に伸び、挑発するようにクイクイっと揺れた。
「shall we dance?」
汗一つ流す事はなく、踏み込む足は伸びやかに。そして、握る剣は強く相手を打ち付ける。伸びた背筋、繰り出される剣も真っ直ぐに男達の剣を落とす。
左右から同時に切り込まれるそれすらも、軽やかなバックステップで床を斬るばかり。
「踊っている?」
エドガーの言葉を肯定するように、長い近衛府の制服が花を咲かせたように円に広がる。貴婦人のドレスが花開くような動きに合わせ、三人が床に倒れ伏した。
「僕はね、正直あまり強くないんだよ」
「え?」
舞うような動きのまま、敵を斬り仕留めるオスカルの穏やかな声はいっそ聞き惚れるものがある。血の臭いが濃くなっていく中に、自嘲気味な声が響いた。
「ファウストのような剛の剣は僕の筋力じゃ無理。クラウルみたいな瞬発力とセンスもない。だからってエリオットみたいな正確無比な剣も使えなければ、シウスみたいな技巧の剣も無理。ほんと、ダメダメでね。いっそ同期が憎らしくすらあったんだ」
当時を思い出すような、それでも軽やかなステップ。周囲を把握する能力と持久力、ワルツを踊るような華麗なターン。その全てが敵を切り伏せている事を除けば、なんとも美しい光景だ。
「僕に何があるのだろう。悩んだ先で、これが残った。優雅に振る舞う為、貴族であるために必死にしがみついたステップと、体の動き、柔軟性。磨いて、磨いて、そうして剣を乗せてみた。陛下がね、これをいたくお気に召してくれるんだ。美しいって」
四歳まで孤児院で育ち、お針子の息子であったオスカルは大好きな父を立てる為に努力し続けた。楽器に、勉強に、マナー。優雅な振る舞いと繕う笑顔を手に入れた。弟や妹が生まれてからは、模範となるよう更に邁進した。
それが、今に繋がっている。同期の誰もがこの足捌きについてこられない。当たり負けする剣も柔軟な体は受け流すのに適している。ピンと張った神経と集中力は他の気配を肌の全てで感じさせてくれる。
「近衛府団長だからね。優雅に、していなくちゃ」
ピタリと動きを止めて優雅な一礼をした時、このホールに立っているのはオスカルとエドガーだけになっていた。
白い制服は赤が散り、大理石の床には黒服が転がる。それでも誰一人死んではいない。オスカルが狙うのは腕と足。動けなくしてしまえば命まで取らない。
「さて、エドガー。君も僕と踊るかい?」
問いかけに、エドガーはフッと息を吐いて剣を捨て、頭の後ろに両手を置いた。
「賢明だね」
オスカルは背後へと回り、彼を拘束する。近衛府は犯人逮捕の為に常に簡易の手枷を持っている。それを、エドガーにかける寸前。
不意にまったく関係のない横合いからナイフが飛んできて、オスカルは目を丸くした。手には錠を持っているし、剣は収めてしまった。回避しようとした体は逆にエドガーにつかまれた。
「っ!」
硬く目を瞑る。だが、痛みが襲うよりも前にキィィンという音が響き渡り、続いて男の悲鳴が聞こえた。
「油断するなんてらしくないよ、オスカル」
「ジョシュア様」
隠し扉から出てきたジョシュアの手には、銀のナイフがクルクル回っている。その一本が飛んでくるナイフを打ち落とし、更に一本が潜んでいた男を仕留めていた。
「ちっ」
「性格の悪いキツネさんだな。オスカル、ちゃんと拘束しておきなさい」
「お手数掛けました」
「なんの。久しぶりに君の優雅な踊りを見せて貰ったよ」
にこやかなジョシュアに苦笑し、オスカルはエドガーを拘束する。他の黒服も一通り縛りあげていると、ようやく近衛府がバタバタと駆けつけた。
「ご無事ですか!」
「問題ない。こいつら全部地下牢にぶち込んでおいて」
「はっ!」
拘束された者を立たせ、運んでいく。それを見送るオスカルは、ふと港からの大きな音を聞いた。
「おや、あちらも片付いたみたいだね」
「勝利の空砲か。流石ウルバスだよ」
「さて、これで鼠が一掃できているといいんだけれどね」
その言葉が俄に、オスカルに不安を与えた。
▼キアラン
騎士団宿舎。ここに戻って来たキアランはあれこれ動いていた。
戦えない料理府と医療府、怪我人なんかを誘導して隠し部屋に避難させたり、手の空いている一年目なんかを軍港に回した。
ウルバスがあのやる気なら、多分無事に戻ってくる。ただ、無傷とは限らないし捕虜もいるだろう。そうなったとき、捕虜や怪我人を運ぶ人数が必要になるし、当然見張りも必要だ。船の整備は第三じゃなければできないし。
これらをきっちりこなし、武器庫の鍵を確認した所で、その首にヒヤリと冷たい物が当たった。
「そこを開けてもらおう」
「……」
チラリと盗み見た背後に、二〇人程度の黒服がいる。目元を覆う彼らは皆が剣を抜いていた。
やはりここまで踏み込まれたか。キアランは冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべた。
「なにもないぞ」
「ここが武器庫だという事は知っている」
「どうしてだ?」
「お前が知る必要はない!」
「ぐっ!!」
ドンと背中を硬い物で突き飛ばされ、痛みに思わず呻いてしまう。そのまま地面に倒れ伏すと、黒服数人が馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
キアランは武器を持たない。マーロウは仕込みの毒針を常用しているが、キアランは本当に丸腰だ。
これにも意味がある。まずそれほど強くも無い剣を磨く労力を削った。体力訓練や防御、回避などは積極的に行うが、武力は捨てたのだ。
敵は情報を持っていそうで、かつ武器を持たない人間を下に見て猶予する傾向にある。痛めつけるなりして情報を引き出す方が有益と取るからだ。
キアランは見た目にも何かを知ってそうな雰囲気があるし、実際知っている。情けないがこれが、一番生き残れる方法だったのだ。
男達を見るに、ジェームダルの暗殺者であるのは明確。ここが武器庫であると知っているなら、何処かに内通者がいる。カール暗殺で一発逆転を狙うつもりなら、近衛府辺りに潜ませていたに違いない。唯一宮中の構造を知る事が出来る部署だ。
だが甘い。あそこの長はあれで食えないお人だ。
オスカルは柔和な様子をみせるくせに、いざ戦いとなればかなり実力がある。「同期最弱」とか言うが、あの人の同期がほぼ化け物の巣窟なんだ。ファウストなんて見てみろ、宰相府の策など紙くずにする武力だ。想像とか、想定とかを一瞬で越えてくる。
本来武力を持たない医療府のエリオットだって無慈悲なレイピアの使い手だ。一撃で敵を屠るって、医療人がそれでいいのか。
上官シウスが宰相府では異例だ。自衛がギリギリというレベルの宰相府において、あの人だけは戦場で戦える騎士でもある。鋭く細密な剣は観察眼の鋭さもあって的確に無力化ができる。
だが現状、情けなくて笑えてくる。地に這いつくばって尻餅状態で、男達を見上げているのだ。
「武器庫の鍵を渡せ」
「断る!」
そう言いつつ、キアランは胸の隠しを握った。それを見た黒服達が、ニッと笑った。
奪うように四肢を掴まれ、声を上げれば殴られる。抵抗して、体をばたつかせても無駄だ。あっという間に胸元の隠しから銀色の鍵を奪い取られてしまう。
「まったく、手間をかけさせるっ!」
「ぐっ!!」
手間を掛けさせられた腹いせなのか、それともただの加虐か。最後に鳩尾の辺りを力一杯拳で殴られたキアランは呻きながらこみ上げる嘔吐感を堪えきれず吐き出した。
とは言えここ数日現状に胃をやられていてほぼ食べていなくて、出てくるのは胃液ばかりだったが。
「情けない騎士もあるものだ!」
嘲笑しながら武器庫が開けられる。ここには主に武器と、そして火薬が置かれている。海軍が使う大砲の火薬の多くはここに運ぶし、危険物の為押収したものなどもここに保管される事が多い。
現在、数十トンの火薬がここにある……はずだった。
「暗くて見えないな」
「火は使うなよ」
「窓を探せ」
中にゾロゾロと入っていく黒服達が全員中に入り、窓の開閉レバーを見つけて下ろそうとしている。だが、レバーは硬くなかなか下りない。そっちに意識が集中しているのを確認して、キアランは急ぎ立ち上がりドアを閉め、ドア横のレバーを下ろした。
「なっ!!」
ガチャンガチャンと派手な音がして、ドアは二重にロックがされる。このドアは特別式で、強い鉄の閂が上下二本ずつできるようになっている。通常の鍵ではなくドアのレバーを下ろす事でこのロックはかかるのだ。
「開けろ!!」
「誰が、開けるか……」
殴られて痛む腹を庇い、頑丈な石造りの武器庫の壁に手をつきながらもキアランは離れた場所にある小屋に入り、車輪を回す。この小屋には釜があり、その煙突部分は武器庫に繋がっている。キアラン特製の、対侵入者対策だ。
「良い夢を見られるといいな」
釜に火を入れ、鉄のドアを閉める。すると煙がドンドン武器庫へと流れて、やがて充満していく。釜の中の水には睡眠効果があり、これを煙として流すのだ。
更に武器庫の一番下にはほんの僅かな換気口があり、中の人間を窒息させない程度に保っている。
「はぁ……」
ズルズル床にヘタレ込んだキアランはまた何度か咳き込む。腹は痛いし、胸は焼けるし、気持ちは落ち込むしで散々だ。この道を選んだのはキアラン本人だが、選びたくて選んだんじゃない。生存確率を取ったにすぎないんだ。
「くそ、格好悪い……どうして俺はこんなに弱いんだ……」
胃が焼けて、こみ上げるものがあって咳き込んだら、なんだか赤黒いものがついた。とうとう胃に穴でも開いたらしい。
「くそ、軟弱精神。病弱マーロウをバカに出来ないじゃないか」
床に倒れて動ける感じがない。でも、意識はちゃんとしている。気持ちは悪いけれど。
その時、バタバタと走り込んで来る体重の軽い誰かの足音がして顔を上げた。
「キアラン!!」
「ウェイン?」
駆け込んできた小柄な影を見て、キアランは表情を緩ませる。前線で生死に関わる怪我をしたと聞いていたから、心配していたが安心した。元気そうだ。
「うわ! 大丈夫? また胃に穴でも開いたの?」
「多分。さっき、殴られた……」
「すぐ医務室運ぶから!」
「いや、お前怪我してるだろ……歩く」
ふらつきながらも立ち上がったけれど、まだ気持ちが悪い。肩を貸してくれるウェインの方がよほど元気だ。
「遠慮しないでよ。同期なんだからさ」
「……」
それが余計に感傷に触るということも、あるのだけれど。
やがてアシュレーも来て、担がれて医務室に放り込まれた。そしてリカルドによって治療されている間に、気も抜けてすっかり眠り込んでしまった。
目が覚めると外はすっかり暗く、胃は痛んだが、こみ上げるような吐き気は収まっていた。
「目が覚めましたね。気分は?」
「胃が痛い、です」
「潰瘍が出来て出血していましたよ。殴られたのが余計にいけなかったのでしょうね。それにしても胃の中が空っぽで荒れていました」
「……緊張で暫く食欲がなかったので」
でも、穴は開いていなかったらしい。
リカルドは呆れた様子だが、クシャリと髪を撫でる。この人もだいぶ、雰囲気が柔らかくなった。
上官と同じエルの神秘性は、リカルドの方が多い気がする。シウスは語らう事が多いから、『神秘』というほどの謎めいた様子はあまりないのだ。
「状況、どうなりましたか」
「ウルバスは無事に帰還、怪我人の治療も終わっています。城に忍び込んだ賊はオスカル様とジョシュア様が片付けました。こちらのことはウェインさんとアシュレーさんが整えて、今は平穏なものです」
「はは……それは良かった」
本当に、情けない。こんなんだから同期の中で恋人もいないんだ。
オリヴァーが事実上の結婚をして、ウェインとアシュレーが恋人となり、ルイーズなど本当に可愛い嫁をもらい、独り身濃厚と思っていたグリフィスも外に恋人がいるらしい。
残ったウルバスはあの柔和さで意外とモテるのに恋人を作らない。作らないんであって、その気になればいくらでもできる。
自分だけ、情けない。皆が幸せそうにしているのを指を咥えて見ている。そのくせ「紹介しようか?」という言葉にプライドが反応して「いらん!」と言ってしまう。本当は少し、寂しくて羨ましいのに。
「恋人か……」
「え?」
「あぁ、いえ」
考え事が思わず口に出たキアランは顔を赤くしてリカルドに背を向けた。
王都混乱の一日は、様々な人の力によって平穏を取りもどしたのであった。
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