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本人は亀のつもり

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 翌日、諒介は学校を休んだ。
 土日を挟んで月曜日は登校してきたものの、なんだかフラフラしている。

「おまえ大丈夫か? 無理して来ることなかったんじゃ……」

 例によって昼休み、3人で過ごすために達樹が借りた生徒指導室で、諒介は机に突っ伏していた。

 かつての諒介は健康優良児だった。
 体質が変わってしまう人もいるらしいし、もしかして、オメガとしての性がなにか体調に影響を与えているのだろうか。
 どうしても不安になる達樹に、諒介は簡潔に言った。

「休む方がきつい」
「そういうもんなのか?」
「…………」

 諒介から答えが返ってくることはなかった。相当きついらしい。
 光とふたり神妙な顔で様子をうかがっていると、諒介がちらりと達樹を見た。

「……タツ」
「ん?」
「『ごめん寝』って、なに?」

 脈絡のない質問に、一瞬、なにを言われたのかわからなかった。

「……は?」
「あれじゃない? 猫の」

 光のフォローでようやく気づく。

「あー、猫がうつ伏せに丸まって寝るのが土下座みたいだってやつ? めっちゃカワイイけど、諒介、猫好きだったっけ?」

 せっかくなので携帯電話で検索して画像を見せてやると、諒介はしばらくそれを凝視していた。

「…………」
「どっちかっていうと、柔道の『亀』に似てるよな」

 達樹が笑って言うと、諒介は「……わかった。もういい」とまた顔を伏せてしまった。
 今の諒介が『ごめん寝』のようだが、あえてそれは言わずにおいた。

「『亀』って?」

 光に訊かれて、今度は『柔道 亀』と検索する。

「柔道の、寝技を防ぐための体勢のこと。畳の上でこうやって丸まってガードすんの」
「……ふーん……」

 画像を見せると、光は微妙な反応をした。

「?」

 違和感を感じて「どうした?」と訊こうとしたが、光はさっさと話題を変えてしまった。

「りょーちゃんとタッちゃんって同じ小学校なのに、なんでタッちゃんだけ寮入ってんの?」
「ああ」

 諒介の事情については知らない。だから達樹は自分の理由だけを述べた。

「うち、両親とも出張が多いから、家事めんどくさくて。寮なら飯の心配はないだろ?」
「お母さん忙しいの?」

 重ねて訊かれて、少しばつが悪くなりながらも光ならいいだろうと答える。

「……知ってっかな? 夫婦でたまにテレビに出てる……大学教授と、環境研の」

 最後の方はもはや小声だった。

「外来種ハンター⁉」

 案の定驚く光に、達樹は赤くなっている顔を自覚しつつ頷いた。

「恥ずかしながら」

 達樹の両親は、片や大学教授、片や環境科学研究所の研究員として達樹が産まれるずっと前から議論を交わしてきた学者夫婦である。
 数年前、啓蒙と研究費と大学の宣伝のために父がテレビに進出し、ブームが廃れてくると今度は母が引っ張り出された。
 現在は外来種ハンター夫婦として、あちこちのテレビに出ながらフィールドワークに精を出している。

「恥ずかしくないよ! でも、言われてみれば似てるー!」

 実際、達樹は父と母のどちらにも似ている。
 むしろ父と母が似ている。
 夢中になると他が目に入らなくなるところとか、とんでもなくパワフルなところとか。

「唯一オメガでよかったと思ったのは、テレビ局の人たちがテレビに出るのを強く勧めてこなくなったことかな」

 夫婦ハンターが下火になったらと、達樹を虎視眈々と狙っていたのは知っている。
 だが、父親が達樹の第2性にまつわるトラブルを危惧して、抑えに回ってくれたようだ。
 地味な自分ではテレビ映えなどしないだろうと思っていたこともあって、心の底からありがたい。

「……俺は今、保護されて、国が用意してくれたマンションに住んでる」

 顔を伏せたまま、諒介が言った。

「国?」

 そんなことがあるのかといまひとつぴんとこなかったが、続く説明にぎょっとした。

「俺がオメガってわかったとき、親父にフーゾク売り飛ばされそうになって」

 びしっと空気が凍って割れた音がした……ような気がした。

「さすがにハハオヤも目が覚めたみたいで、俺は保護されて、親は離婚して、妹ふたりはハハオヤと住んでる」

 どうやら、シェルターのようなものらしいと達樹は解釈した。

 ギャンブルと女と経済DVとモラハラの数え役満な父親に、思考停止してあくせく働きながら5人の子供を産んだ母親。
 諒介は、手がかからないがゆえに放置された、5人兄弟の中間子だった。

「……言ったらなんだけど、あの人はやりそうだな」
「だろ?」

 顔を伏せたまま淡々と話す諒介がどんな表情をしているのかはわからないが、おそらくいつもの無表情だろう。

 諒介は、感情を声や表情に乗せるのが苦手だ。
 それ以前に、自分の感情を自分で把握することも上手ではない。
 なんでもできるのに、大事なところが決定的に欠落していた。

「国に保護してもらって、兄貴と、住んでる」

 兄貴という単語に、達樹はほっと息を吐いた。

「……そっか、行哉さんが一緒なら安心だな」
「安心?」

 ふと、諒介が顔を上げた。

「おまえ、昔から行哉さんのこと好きだっただろ」

 妹ふたりには、諒介が親のような存在だった。
 そして、諒介には、兄の行哉が唯一心を寄せる存在だったように思う。

「……うん……」

 もう一度顔を伏せて答えた諒介は、珍しく耳まで赤くしていた。






━━━━━【緊張感がログアウトしたおまけ】━━━━━━



行哉「うちの子のごめん寝世界一!」カシャカシャカシャカシャカシャ(連写)
諒介(ゴメンネってなに⁉ 撮ってる⁉)プルプルプルプルプルプル……

 本人は亀になって『今日はもう無理』の意思表示をしたつもり(※逆効果)。
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