赫いモップの清掃屋さん

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第2話 不運

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「……やあ。初めまして。運が悪い人」


 黒服にシルクハットと紳士のような出立ちをしたその男は、そう言い放った。

 そして僕の前まで来て、顔を近づける。
 その顔は人間とは思えないほど白く、不気味なまでに整った顔立ちだ。

 恐ろしさのあまり声を出せずにいると、男はにこやかな笑顔を浮かべた。

「そんなに緊張しないでおくれよ。君はまだ殺されると決まったわけじゃない」

 この時、自分はこの男に命運を握られているのだと強く感じた。そう考えると寸前で収まっていた震えがまた始まる。

「ぼ、僕は…何か、したんでしょうか…?」

 掠れた声を絞り出す。男は作り笑いのような不気味な笑みのままこちらに振り向く。

「君は…何もしちゃいないさ。まあ強いて言うなら、"見た"ってだけさ」

 男はそう言うと、先程[キャット]と呼ばれていた猫女もとい猫の仮面を被った女の方を見る。

 猫女は罰が悪そうに視線を逸らし、小言を言う。

「私はつい楽しんじゃって時間を忘れてただけよ…久々のだったし」

 男は猫女の言葉に頷くと、再度こちらに顔を向ける。

「つまり君は、彼女の仕事現場に遭遇したって訳だ。あの部屋の住人、君の知り合いかな?」

「は、はい…」

 男はメモ帳を取り出し、何かを確認した。

「彼は横領を始めとした様々な汚職事件に関与してたみたいでね。彼を片付けて欲しいとお得意様から依頼があったんだ」

「か、片付けるって…」

 男の不気味な笑顔が一層際立った。

 口に出さずとも、上司がどうなったか、あの時、僕が行った部屋で何が起きたのかは想像に難くない。

 確かに上司が良からぬ事をしているというのは耳に挟んだことがあるが、こんな運命を辿るほどのものとは思っていなかった。

「だからさ、本来ならそれで終わりなんだけど…キャットが余計なヘマをしたからね」

「だから私は、こいつも消そうとしたじゃない! 確かにヘマをしたのは認めるけど……!」

 にやにやと笑う男に対して、猫女が声を荒げる。

 それに対して、動物マスクの中の1人が口を開いた。

「簡単に言うな、バカ猫。急遽消す事になった人間の処理は大変なんだよ」

 狐の仮面を被ったパーカーの男?が仮面の隙間から栄養バーのようなものを食べながら言う。

「うるっさいわね、クソ狐…! あんたは黙ってなさいよ!」

 猫女は体を震わせて怒り心頭なのが伝わってくる。

「まあ、というわけで君には簡単に死んでもらう訳にはいかないんだよね」

 紳士風の男の言葉で冷や汗が出た。一体、何を言われるのだろうか。
 
 男は首を傾げて少し考えた果てに、胡散臭い笑顔を再度こちらに向けた。



「掃除とかどう? 勿論、永久雇用だけどね」

「は…はい?」



 何を言っているのか分からなかった。

 殺されるか拷問でも受けるかと思っていたら、仕事を紹介された?

「仰ってる事が、よく分からないのですけど…」

「いやあ、言葉通りだよ。殺すのも面倒だから、ここで働いてもらおうかなって」

 冗談じゃない。
 こんな場所でこんな奴らと働くなんて無理に決まってる。

「そ、それはちょっと…」

「あ」

 断りかけたところで、男が口を開く。


「ちなみに、君の返答次第ではな事もやるしかないよね」


 ここで僕は悟った。
 どうやらもう拒否権は無いようだ。


「やり…ます」

 男の口角が上がる。

「そっか、良かったよ! 余計な手間がかからずに済む。後処理は[ハイエナ]1人だと大変だったからね」

 そう言う男の視線の先には、黒スーツでハイエナのマスクを被った長身の男。
 手を組み、何も言わず佇んでいた。

「それじゃ、1週間後に詳しい説明をするよ。今日は帰ってね」

 男は突如注射器を取り出し、僕の腕に刺した。

「痛っ…!?な、何を…?」

 その瞬間、強烈な眠気に襲われる。その狭間、男が呟いた。



「今日起きた事は他言無用ね」



 目が覚めると、自分の家のベッドの上にいた。
 先程の薄暗い場所とは対照的な朝日が差し込んでいる。
 悪い夢を見ていたと思いたかったが、手首に鮮明に残る縛られた跡がそれを否定した。

「はっ…!今何時だ?」

 ふと思い出し、スマホを見る。
 月曜日、10時を回っていた。
 完全に遅刻だ。

 急いで準備をして、会社へ向かった。





「お、遅れてすみません!!」

 部署へ飛び込むと、いつもは見ない人が上司のデスクに座っていた。

「おお、大丈夫か?」

「あれ、貴方は…」

「今日は臨時で他の部署から来てる山田という者だ。実は昨日、ここの部長を務めている田中が急に退職してしまったらしくてな」

 昨日の出来事が鮮明に浮かび上がった。
 昨日起きた事は現実であるとはっきり理解できる。

「そ、そうなんですか。知りませんでした」

「まあ、元々あの田中というやつは横暴で君にも仕事を押し付けてたんじゃないか、ってここの島里君から聞いたよ。あまり無理はするなよ」

「はい、ありがとうございます」

 島里が心配してくれていたらしい。それだけでも今の自分には心強かった。


 デスクに座ると、隣の島里の視線を感じた。

「ん…?どうかした?」

「ねえ、大丈夫…? 顔色、大分悪いけど」

「ああ…大丈夫だよ。上司が…辞めてくれたのは助かったし」

 島里はいつにも増して深刻な顔をしている。

「ほんとに、何かあったら遠慮なく相談してね」

「…ありがとう」


 他言無用———

 昨日言われた事を思い出す。
 この事で、家族や島里を巻き込む訳にはいかないんだ。
 そう強く決心した。







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