自慰観察依頼

大田ネクロマンサー

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川本という男(1)

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アップオアアウトの秩序で保たれるこの会社においても、人間性の面において一定数腐った人間がいる。

そういった腐敗は、持ち前の全体主義からなる社内ネットワークが、浄化する作用がある。

そんなネットワークの中において、川本はマークされるほどの人物ではない。

しかし私個人にも社会的な人格があり、どうにも鼻持ちならない人間がいる。それが川本という男だった。

私が内勤なのに対し、川本が対外的な営業ということも関係している。しかし他の営業には抱かない苦手意識があった。

専門は違えど、会社の方針上さまざまな案件を掛け持つ。よって部署が違えど同じプロジェクトにアサインされることもある。何度か川本と同じプロジェクトにアサインされたことがあった。

彼に対する嫌悪を具体的に言い表すことはできないが、彼も同様の嫌悪を私に持っているだろうことは彼の言葉の端々で感じることができる。

しかし人間関係の不和は社内政治に利用されやすい。だからお互い違和感を抱きながらも角が立たぬよう日々の業務をこなしていた。


あの男の車から降りるところを見られてから、私は彼の言動を注意深く、慎重に観察するようになった。何かにつけて気にさわる言動に辟易しながらも。

あれから2週間が過ぎてみると、取るに足らない問題だったと胸を撫で下ろしていた。

だから仕事の合間に社内のカフェで注文したコーヒーを待っている間、川本が近づいて来ることに何も疑問を持たなかった。

しかし私の隣に並ぶや否や言い放った一言で、それは慢心だったと知ることになる。

「藤田さん、今日、夜に親睦会があるんですが、参加できますか?」

いつもは断るこの手の誘いを、川本は挑戦的な目つきで言い放った。その嘲笑を含む視線で、断れない誘いであることを悟った。それと同時に、噴き出す憤りが私の口を噤ませる。

「あとで場所と時間を送っておきますので」

川本は注文もせずにカフェを去っていった。まるで私がその誘いを断ることがないとわかっているかのように。



夜、指定された時間に仕事を一時中断して川本が指定した店へ向かうことにした。

知った顔がオフィスに残っているところを見ると、親睦会なんかではないことは明らかだった。私は予防線としてチーム員に少し抜け出すことを伝える。
「同じプロジェクトの担当分が出来上がったら、戻って来るので必ず電話してくれ」と伝えオフィスを後にした。


指定された場所は随分とうるさいクラブだった。こんなところに呼び出して一体何をしようというのか見当もつかない。人を掻き分けながらバーカウンターに辿り着くとそこに川本がいた。

私が着くや否やバーカウンターに置かれるテキーラのショットグラス。塩とライムも後から追加で置かれた。
川本は手の甲にライムを数滴垂らし、その上に岩塩を乗せた。そして、私をじっとりと見ながら、ゆっくりとそれを舌で舐め上げる。

私はとてつもない嫌悪感から目を背け、グラスを1つ取る。
川本はグラスを私の方へ傾け、飲むように促した。纏わりつく嫌悪を振り払うように一気に酒を流し込み、グラスをバーカウンターに叩きつける。

私を見て川本も酒をあおり、ショットグラスを置きながら私の耳元に顔を寄せて言った。

「すみません、他の人、みんな来れないようで」

そう言うと川本はライムをかじった。酒のせいか、憤りのせいか、喉から腹まで焼けるような熱が走り抜け、私はその熱が暴れ出さないようバーカウンターに肘をつき、下を見ながら我慢をした。

川本があの日、どの程度のことを目撃して、それをネタになにを強請ろうとしているのか。このところ仕事では大きなプロジェクトに関わってもいなかったし、川本と一緒の案件では川本に花を持たせるよう注意をしてきた。それは誰に対しても行う処世術であり、特別な野心を抱かせるような類のものではない。

私は色々と考えあぐねて黙り込んでいた。

次の瞬間、違和感が駆け上がる。
そして、その腰に回された腕で、川本がなにを求めているか理解した。

川本は私の腰を引き寄せ、右腿に熱くなった下半身を押し当てる。店の音楽でかき消されないようにか、耳元に川本の汚い声がクッキリと落とされた。

「藤田さん、仕事抜け出して男と何してるんですか?」

感じたこともないような屈辱で、バーカウンターに乗せた拳を一層握り潰す。川本が喋るたびに耳にかかる息も、熱く固くなった下半身も、憎悪を抱くほど気味が悪い。

「この前の男は誰なんですか?」

震える体を気迫だけで押さえつけ、保険である同僚の連絡が早く来ないか、それだけを切望していた。

しかしこの状況を変えたのは忍耐の限界でも、同僚の連絡でもなかった。

「あれ? 川本さん?」

奥にいる男が川本の肩を掴んだ。

川本は私の腰に回していた手をさっと下ろし、その男の方へ向き直る。川本の肩越しに男の顔が見えた。

あの男だった。
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