生きるのがツラくてなにが悪い!

大田ネクロマンサー

文字の大きさ
1 / 38

黒船と水平線に浮かぶ船

しおりを挟む
 36歳というのは特別な年齢だ。終身雇用が崩壊しても、労働者階級には35歳転職限界説というものがまことしやかに囁かれ続けている。新卒から勤め上げた今の会社に不満があるわけでもない。そして自分への評価に不当性を感じるわけでもなければ、他人の評価を妬んでもいない。

 ただ、新卒入社で13年勤めたこの会社にこの先ずっと勤めるのだという実感を重く受け止める自分がいるのだ。36歳とはそういった現実を受け入れる年齢なのだと。

 今日の執務室はやけに人が少ない。普段は朝確認する課員の日報を眺めるが、このままダラダラ残業しても仕方がないと席を立とうとする。その時に思い出した数値分析の抽出条件をセットして今日の仕事を終えた。

 丁度フロアを出る時、すれ違いざまに最近転職してきたチーム員と軽く雑談をする。

 この会社は所謂日用品メーカーだが、僕自身は間接部門のマーケティング担当だ。間接部門というのは首の挿げ替えができる分、入れ替わりが激しい。

 しかし外海の荒波に揉まれたマーケターというのは優秀で、僕も負けじとセミナーや講習会はたまた交流会なるものに積極的に出かけ、度重なる黒船来襲に歯を食いしばって応戦し、そしてこの仕事に食らいついてきた。

 そうしている間にこの年齢になった。

 雑談を終え、黒船マーケターが自席に戻ったのを一瞥してフロアを後にする。フロアにはマーケティング部の隣に商品企画部がある。あっち側は電気が消えることがない不夜城だ。

 入社当時は商品企画希望だった。今のこの仕事が嫌いなわけではない。興味がなかった入社当時から考えればこの仕事の面白味は十分に理解している。しかしなぜだろうか最近焦りを感じるのだ。

 昔、小学校の校長先生が朝礼で言っていた。人間楽な時は坂道を下っているのだ、と。最近あの朝礼の気怠い雰囲気と共によくこの話を思い出す。入社13年でそこそこの役職もつき、スキルも人脈も折衝能力もついた。転職してきたマーケターの突き上げにも耐え、自身のスキルも磨いている。決して慢心なんかではないと自分には言い聞かせるが、最近どうしてだか不安なのだ。

 その不安は何が起因しているのか、マーケターらしく調べればいいのに。それをしないということは自分の中である程度原因がわかっている。それを認めたくなくてただ不安なフリをしているのだ。


 会社帰りは繁華街を通って帰る。駅ビルが立ち並ぶ通りを抜け駅に向かうが、最近帰り道を変えた。パッとしないサラリーマンにも少しの楽しみがある。

 駅近くのビルは20時で閉店する。それを見計らって僕は会社を退勤し、近くの噴水に腰掛けるのが日課になっていた。だから今日も暗くなったショーウィンドウの前を抜け、噴水のほうに歩こうとした時に事件が起こった。

「ねぇ、帰り道変えたの?」

 突然の問いかけに僕はあたりを見渡す。

「おじさんだよ、お、じ、さ、ん」

 周りに僕しかいないことを確認してもなお、問いかけに応じる勇気がなく、視線を地面に落とす。

「見るくらいしてよ。こっちだって話しかけるの勇気いるんだから」

 勇気、そう自分に足りないものを明確に指摘されたようで思わず顔をあげた。視線の先には自分が思っていたよりも何倍も柔らかな笑顔が待ち構えていた。

「おじさん、この辺に勤めてるの?」

「あ、はい。あそこのビルで働いてます」

 僕の言葉にさらに彼の顔が緩んだ。

「なんで敬語なの、俺そんなに怖く見える?」

 怖いといえば怖い。若者はみんな凶器のように鋭利で、迂闊に近づくことを憚られる。キラキラと眩しいのに、怖くて遠い。僕のような30過ぎの「おじさん」には遠い水平線で輝く船のようだ。

「おじさんよく俺の踊り見てるでしょ。たまには遠巻きじゃなくて、ちゃんと見てよ」

「う、うん。見る」

「急に素直だな。いつもの場所じゃないのに、もしかして俺を見るために帰り道変えたの?」

 その問いには少々間をおいた。夜に閉まった店舗のショーウィンドウ前で踊る若者目当てに、帰り道まで変えたというのは気持ち悪いかもしれない。

「散歩ついでにウォーキングで」

「別に気持ち悪いとか思わないからさ。ちゃんと言ってよ」

 その真っ直ぐな言葉に僕は困惑よりも快感を覚えた。

「うん、ごめん。君らがかけてる音楽でたまたま好きな曲があって。年代も違うのにすごいなと思って。それから君らのこと探すようになったんだ」

 本当にやましい気持ちでやっていることではないと伝えたかった。だけどこれが彼の逆鱗に触れた。

「俺でも、踊りでもなく!? 好きな曲!? ちなみに何の曲だよ!」

 急激な詰問にびっくりしてポロッと答えが口から溢れる。

「Rケリーの……」

「ああ、おっさん世代っぽいな……」

 答えたら答えたでこの仕打ちである。気まずい沈黙が流れて話題を変えるために聞いた。

「今日は……みんなは?」

「おっさん、誰目当てなんだよ」

 僕がここを通る理由も、選曲も気に食わなかったらしく彼はヘソを曲げてしまった。

「好きな曲が流れているだけじゃ、わざわざ回り道して通りかかったりしないよ。君らの踊りがなんか眩しくて。曲が生きてるみたいだったから」

「誰目当てなんだよ」

 獲物を追い詰めるハンターのように、決して質問を変えない。社会人になると、こういう頑ななコミュニケーションもなくなったよな、と感じる。自分を突き通すほどの気概も信念も、皆なくなってしまうのだ。

「君だよ。僕はダンスとかよくわからないけど、君に1番、目がいくよ」

「今、会話終わらせようとしてるだろ」

 そんなつもりもなかったが、日々そうやってうやむやに生きている。今この瞬間はそうじゃないとしても、概ねそうだと責められているみたいだった。

「今日はおっさんの好きな曲じゃねーけど、たまにはちゃんと見ていけよ」

 そういうと、彼は音楽をかけて踊り出した。いつもはショーウィンドウを鏡にして踊るため後ろ姿しか見たことがなかったが、今日は僕の方を向いて、僕だけを見て踊ってくれる。ダボダボのラフな格好でもその踊りを支える筋肉は、昨日今日で鍛えられたものじゃないとわかる。人間は普通に生きていてこんなに美しく動けない。

 踊りの合間に見せる彼の表情も然り。彼は自分の魅せ方を心得ていた。鍛錬で培われた緩急でダンスはよりダイナミックに、表情はより繊細に映えていた。

 曲が終わり、彼の汗が地面に2、3滴落ちたら、思わず拍手をしてしまった。

「すごい、すごい! 正面から初めて見たけど、すごかった!」

「はは、まーな。おっさんのためだけに踊ったんだ。なんかご褒美くれよ」

 急に低くなった彼の声を聞いて、さっきまでの夢から覚めた気がした。僕は慌てて鞄を漁り、財布を探す。若者と心が通いあったなんて甘い勘違いが恥ずかしくて、逃げ出したい焦燥感から財布をなかなか出せなかった。
 その手を急に彼に握られる。

「おっさんさ、俺ってそんなに怖く見える?」

 顔を覗き込まれた時、その若者特有のキラキラした目から視線を逸らせなかった。

「そう、俺のことだけ見て」

 僕は近づいてくる彼だけを見た。そしてキスをされた瞬間から、彼しか見えなくなった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。

きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。 自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。 食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。

イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした

天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

処理中です...